オオバンの姿を見掛けるようになって一週間くらい経つ。 例年江戸川河口へ飛来して越冬するが、目にするのは 最盛期でも百羽位だろうか。 体は真っ黒で、額から嘴にかけてだけ白く見分けやすい。 オオバンの光る鼻先朝の川 追記 オオバンの数は未だ四、五羽だが徐々に数も増える 筈だ。一部カモ類も来始めており、一緒になって餌を ついばむ姿が見られる様になる。
十一月に入っても野牡丹は濃い紫の花を精一杯咲かせる。 ヒラリ吹かれ来た一羽の黄蝶、花の紫との対比が鮮やかだ。 色には色の主張があるものだ。 黄蝶くる十一月の野牡丹に 追記 黄蝶は成虫の姿で冬を越すが、よく似た紋黄蝶は 幼虫で越冬する。 こんな時期に蝶がと不思議に思って調べてみた。
日が短くなり、ましてや雨降りとなると夕暮れは一層 早くなる。 街灯の点灯する瞬間を目にするのは、こんな日が多い。 街灯の明かりセンサーはどの辺に付いているのだろう。 街灯は時を守らず夕時雨 追記 話は全く飛ぶが、昭和10年に進水した駆逐艦「時雨」は 数々の戦を生き残り、米軍海将をして幸運艦とも不滅艦 とも呼ばれた。 しかし昭和20年マレー沖で貨物船を護送中米国の潜水艦に 撃沈されてしまった。
夕暮れのツワブキの花は黄が引立って印象的だ。 半日陰を好み冬場に花をつけるので園芸種としても重宝 されている。 自分が子供の頃はツワブキではなく、ツヤブキと呼んでいた。 石蕗の花いつも風ある切通し 追記 ツワブキの生葉を炙り、柔らかくして傷口に当てたり、 乾燥させた葉を煎じて喉の薬としたり、アクを抜けば 食用になる。 鹿児島以南では様々な調理法が有る様だ。
今年の神無月は11月1日から11月30日までと切りが良い。 出雲大社へ集まった全国の神々は、縁結びのあれこれを 相談することが目的だそうな。 我々のご先祖は大らかなお考えの方々だったのです。 川底の石の明るき神無月 追記 神様不在の月は矢張りのんびりするのだろ。 川底まで光の差し込む小春日和。 一方、神様の集まる出雲では、この月を神在月 と呼び多くの祭りを行うが、神社内での歌舞音曲 は禁止され、土地の人間も静かにしているそうだ。
白ツツジが控えめに幾つかの花をつけている。 急に寒さを感じる様になった。 心なしか元気のない咲き方だが、毎年この頃になると チラホラ咲いてくれる。 帰り花人の話を聞きに来る 追記 辞書には初冬の頃の小春日和に咲く季節外れの花 とある。 帰り花とか返り花と書く。 遊女が二度目の勤めに出る事も帰り花と云うそうだ。 何やら物悲しい。
身の引き締まる思い! 色々なケースに使われる言葉だが、 秋も深まり朝晩の空気がヒンヤリする頃になると、改めて 衣服の中の己の体の存在を意識する。 暑い夏には無かった感覚である。 朝寒に体の在りか覚えけり 追記 自分の体を感じ取るのは五感の内の触覚(皮膚感覚) だろう。服の中の身体の居場所を感じる季節なんて 何だか変な話になってしまいました。
散歩の途中で椎の実の沢山落ちている所を通った。 ドングリに似ているが、比べると小振りで黒光りしている。 昔このまま食べた記憶がある。しかし炒ってから食べると 格段に旨いそうだ。 昼の月しいの実コキと踏み潰す 追記 現代人が食べられるのはスダジイの実。 何処の爺さんと聞き返したくなるような。 フライパンでコロコロ炒ると皮が弾ける。弾けた奴を 選んで温かい内にどうぞ。
秋も後半に入ると山から大挙して人里へ降りて来るアキアカネ、 赤とんぼの代表格である。 初夏の頃水辺で羽化すると一旦山地へ移動する。暑い夏を山で 過ごしてから再び平地に戻り繁殖するそうだ。 赤とんぼは誰にでも懐かしい秋の風物詩。 凸凹の世を平らかに赤とんぼ 追記 昔は赤とんぼを乾燥させて解熱剤や強壮剤に利用 したと云う。 近年は個体数の激減が問題視されているが、その原因は 農薬らしい。
老朽化など多くの問題を抱える農業用水路だが、水田地帯を 真直ぐに走り、小魚の遊ぶ水の流れは見る人の心を和ませる。 用水路あふれて泳ぐ鰯雲 追記 食糧自給の面からも農業用水路の整備は重要だが、 維持管理の担い手不足(高齢化)など、かなり深刻 な問題となっている様だ。