今日は、震災と原発事故から1ヶ月め
今日は、東日本大震災と、東京電力の原子力発電所事故から1ヶ月めです。
大きな余震がまだあるかもしれないことも勘定に入れながら、落ち着いて暮らしていきたいものだわ、と思います。
国政だけでなくて、県政、市政など、あらゆる行政には、防災とエネルギー政策を考えてもらいながら、それぞれにできる被災地支援にも取り組んでもらいたいです。
やってもらってますけど。なお継続してほしいって希望です。
◎原発事故の経緯背景の調査解明を、国会で徹底的に
防災や被災地支援などの行政とは別に、国会には、近い将来、原発事故の本格的な検証に向けて、議論をはじめてもらいたい。すぐにかかって、とは言いませんけど。そろそろ着手はしてもらわないと。もう1ヶ月もたっちゃうんだから。
原発事故の本格的な検証は、稼働中の原発の安全点検など中期的な防災に関わるし、長期的なエネルギー政策にも関わってくるからです。
ただ、復興政策やエネルギー政策の審議とは、別立てに分けて、やってもらわないとまずい。
だから、もう、手をつけはじめてもらって、近い将来、超党派の調査委員会を国会に設けてもらわないと。
原発事故以来、東京電力は、「未曾有の震災」とか「想定外の震災」ということをよく言ってますけれど。
東日本大震災の規模が未曾有だとしても、外部からの電気供給が全部途絶える事態への対処策を、充分整えていなかったのは、東京電力の落ち度です。
これはもちろん管理部門の管理責任の話で、現場で作業してる人たちの話ではありません。
つまり、こういう話。
例えば、病院でも、学校でも、政府が定めた耐震基準を満たした建物を使っていても、なおかつ、管理運営部門は、職員が地震時の避難訓練をしたり、万一停電になった時の自家発電などを手配するよう管理するはず。
そこまで運営するのは、学校なり、病院なりの運営責任に含まれます。
東京電力は、事故を起こした原子力発電所の運営責任を充分果たしていなかった。
大地震と巨大津波は天災ですけれど、いざと言う時の備えを、疎かにしていたことは、東電の落ち度。つまり、原発の事故収拾にここまで手間取ってしまってるのは人災です。
例えば、スリーマイル島原発事故は、炉心溶融まで起こしたけれど、事故発生後2日で安全宣言がだされ、10日ほどで核炉は安定化されている。
福島の事故原発について言えば、地震で原子炉が自動停止したところと、自家発電用の設備が津波で流されたとこまでは天災ですけど。電源車なり予備の自家発電装備なりを、津波に耐えて、今も原発敷地内に残ってる建物に備えておかなかったのは、人災。
あるいは、そうした備えをストックしておく緊急時装備倉庫のような建物を、今回津波にも耐えてる建物のような強度で用意しておかなかったのは、東電の落ち度であり、そうした備えを促さずに来ていた原子力安全・保安院の落ち度。
◎震災は天災でも、リカバーの不手際は人災
東電側が世間に向けて言ってることを聴いていると、言い分の概ねを推測することはできます。
「自家発電装備などの用意はしていたけれど、こんな規模の津波は想定外だった」と言いたがってる。「だから自分たちに責任はない」と言いたいのかもしれません。
今は、世間の注目も集中してるし、批判も強いから、言い出してないけれど。少なくとも、いつでも言い出せるようなスタンスは一貫して崩さずにきてる。
アタシたち国民は、もし東電が、そうしたことを言い出しても、そんな言いくるめに乗ってはいけない。
まず「こんな規模の津波は想定外だった」こと、これすら疑わしい。
原子炉の安全基準、指針を審査した、原子力安全委員会の過去の会議で今回の津波に匹敵する規模の津波発生を想定していた人が、実はいたことも、もう報じられています。
ただ、当時の原子力安全委員会は、その提言をとりあわなかった。
つまり「誰も想定できなかった」のではなくて、「安全基準、指針の審査会議では、想定しようとしなかった」。
この件はこの件で、すごい問題ですけれど、今も続いてる福島原発の事故を巡る議論とは、一応、別話題に分離した方がいい。関連はせざるを得ないけれど、議論の別のステップとして切り分けて考えていかないと。
「原子力発電の安全基準策定が甘かったのではないか?」って議論は、「原子力安全委員会の責任問題」で、「福島原発で東電が起こした事故への対処についての責任」とは別の論題だからです。
例えば石原慎太郎都知事のような人は、「こんな津波、誰も想像していなかった」みたいな言い方で、「過去の原子力安全基準は正しかった、想像していなかった津波が現実に起きた今、新たに安全基準を見直せばいい」的な雰囲気を作り出そうと必死です。
けれど、アタシたち国民は、この類の言いくるめも呑み込んではいけない。
一般人なら「想像しなかった」で済ませて構わないけれど、原子力発電の安全基準を検討したような人たちについては「想像しなかった」では済ませられない。実際、会議に直に提言してた人もいたんだし。
彼らが「想定外」を言う時は「想定から意図的に外した」って意味になります。
で、原子力発電所を運営している東電の方は、「定められていた安全基準に従っていただけ」って含みも言外に含ませて「想定外」を言ってます。
実際、原子炉の設計についての安全基準には「外部電力の全面喪失は(そうした事態への対処は)想定しなくていい」と、書かれてるそうですね。
でも、「設計の安全基準」に、「想定しなくていい」と書いてあったからと言って、運営上のリスク管理でまで「想定しなくていい」ってことにはなりません。
もし「この病院の病棟は耐震基準を満たしていますから、地震の際の避難訓練をする必要はありません」とか言うとしたら、その運営は愚かな運営ですよね。
実際問題、東電だって自家発電用の設備は用意してたんだし。
しかも、茨城県にある、東海第二発電所(日本原子力発電が運営)では、屋外に設置されていた予備の自家発電も津波を被った。けれど、発電能力は失わず、福島原発のような事故は回避した。
これは、屋外の自家発電装置の周囲に、津波の被害を軽減するための遮蔽(囲い?)がちゃんと設置されてたから、と伝えられています。
- 「一部報道における東海第二発電所の自動停止に関する記事について」(3月14日付け、日本原子力発電株式会社)
つまり、福島原発でも、津波に対する備えはしてた、してたけれど不十分な備えだった。
その「不十分」の部分が、東電の責任です。ほかにも、東電管理部門の言動には不審な点が多々あります。色々不審だけど、少なくともこの点は東電の責任。
東京電力は「地震の規模や津波の規模が想定外だった」と言ってもいいのかもしれない。でも「だから、事故に責任はなくて、保障や賠償はしなくていい」みたいなことを言い出したら、アタシたち国民は、そうした言いくるめを受け付けては絶対にいけない。
東電は「想定外」を言い続けることで、いつでも「事故は自分たちの責任ではない、だって、自分たちは定められた安全基準に従ってただけだから」と、言い出せるような構えは保ってます。
これは管理部門の話で、もちろん現場で作業してる人たちの話ではないんですけど。
管理部門にしたって、もっと事故対処の管理に専心集中してもらいたいです。
◎原発事故の調査、経緯や背景の検証と、エネルギー政策の議論は混ぜないで
それやこれやで、国会では、できる範囲で速やかに、超党派の「福島原発事故調査委員会」を作って、事故の経緯と背景の徹底究明をしてもらわないと。
この徹底究明より、被災地の支援策を優先してもらって構わない。けれど、できたら被災地復興政策の検討よりは「先に」着手してほしいところ。
実際もんだいとしては多少前後しても仕方ないけど。
絶対に受け入れられないのは、「復興政策検討」のエネルギー政策を検討する過程で、福島原発事故をいい加減に“総括”されて、それで検討終了にされてしまうこと。
国会でのエネルギー政策検討は、重要な論題だから、必要な範囲で、事故原発の検証もしてもらうしかないでしょう。
けれど、そちらはあくまで暫定的な検証で、それと福島原発の徹底究明をごっちゃにしてもらったら困ります。
もし、福島の原発事故について、より厳しい事情が後から解明が成されちゃったら、その都度、政策に反映していけばいい。てゆーか、そうしていく他に、どうしようもないですよね。