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あんとに庵◆備忘録 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-01-18

ベルリンの思い出ーデビッド・ボウイ訃報  00:36 ベルリンの思い出ーデビッド・ボウイの訃報 を含むブックマーク ベルリンの思い出ーデビッド・ボウイの訃報 のブックマークコメント

1989年の夏、私はベルリンにいた。シベリア鉄道でたどり着いたドイツの古い街は壁で分断されていた。ベルリンは奇妙な街で西側都市である西ベルリン資本主義経済を享受する自由な街で、共産主義国家の東ドイツ領土の中に離れ小島のように存在していた。

 壁で囲まれた閉ざされた園、西ベルリンは70年代から80年代にかけて世界中からとんがったアーティストが集まってくる場所でもあり、クラブ文化成熟し、優れたコンテンポラリーアート前衛的なロックが多く生まれたところでもあった。夏には野外コンサートが開かれ、鮮やかなネオンサインが夜を彩る。

 その街を隔てる壁の東側は闇に沈んでいた。ソ連からたどり着いた私は西側に移動する前夜に東ベルリンに一泊した。夕闇に涼もうと散歩に出た街は暗く、開いている店も少ない。ポツリポツリとともる街灯のもと、どこに行っていいか判らぬまま壁にたどり着いた。鉄条網と監視塔の向こうに延々と続く白い壁の向こうからは西側の騒音が聞こえ、コンサートの音が流れ込んでくる。そのネオンに照らされて浮かび上がるのはぽつんぽつんと立つ東ドイツの恋人達の姿であった。まるで憧れるかのように彼らは静かに西ベルリンを見つめ続けていた。

 その年の秋、ベルリンの壁崩壊した。

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 デヴィット・ボウイが亡くなった。

 Twitterを眺めていたらそういう呟きが入って来た。え?と思っているうちにボウイの公式サイトにその報が出ているという情報がまず流れて来た。

January 10 2016

David Bowie died peacefully today surrounded by his family after a courageous 18 month battle with cancer. While many of you will share in this loss, we ask that you respect the family’s privacy during their time of grief.

真っ暗な頁にこの文字列があった。

 その後、BBCのTwitterが情報を流しはじめた。新譜を出したばかりだというのに。頭が真っ白になった。TwitterのTLにはボウイ情報と彼の死を悼む声が雪崩のように流れ、思いもよらないあの人が、あの人が、悲しみの声をあげ、ボウイとの出会いを語りはじめた。それぞれの出会いの次期は異なろうとも、年が異なる多くの人がどこかでボウイと出会っていた。

 白状すると、私はデビッド・ボウイのいいファンとは言えなかった。

 デヴィッド・ボウイをはじめて知ったのは彼がベルリンの三部作を出していた頃だった。それに先立つStation to Stationを作成していた頃ドラッグに打ちのめされ、Low、"Heroes"、Lodger という作品を造り立ち直って行った頃だ。その後アメリカメジャーシーンに打って出てダンサブルになった80年代を経て、Tin Machineまでは追い続けていたが、彼がNever Let Me Downを出した頃にはなんとなく彼の映画出演とか、ダンサブルな方向性違和感を感じ、私自身は90年代にはネオアコやら後ろ向きなモリッシーなんかを聞きはじめていて、ボウイのアルバムはTin Machineを最後に聞かなくなってしまった。だから20年ぐらいは空白がある。限定的なファンだ。

 音楽というのは、出会いのときがある。中には本当に一曲しか出会わず去る一期一会の作品もある。しかしボウイとの付き合いは長かった。Youtubeで彼の過去作品を聞き続けて、まだ若い成長の時、無意識に彼から影響を受けていたものの多さにいささか愕然とした。たぶんそういう人は案外多いのではないか。

 ベルリンに行った時、シベリア鉄道に乗って行った。オーウェルを持って行った。デヴィッド・ボウイが読んでいた本だ。西ベルリンにたどり着いた時、彼が感じ、みたものの片鱗が少しだけ判った気がした。

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★(ブラックスター)

★(ブラックスター)

20年の空白を懺悔しながらこのアルバムを聴いた。これと前作のThe Next Day。

10年ほどの休止から復活して作られた二つのアルバム。ジャケットデザインはすこぶるミニマムスタイリッシュ無駄がない。音楽も同様だ。洗練され、新たな領域へ行こうとしている。いつの間に、ここまで到達していたのかと驚かされた。いや、邪険にしていた私が悪かった。

★とLazarus はどちらも大変に暗い。PVもかなり暗すぎて観るのが困難であり、はじめは途中で観るのをやめてしまった。頑張って寝る前に通して観たせいでその夜、夢にボウイが出て来てしまうほどに打ちのめされた。

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 どちらも、「死」の色が濃い。そしてラストの曲はー前二つと異なり明る目の曲調ではあるがーI Can't Give Everything Awayという。だから多くの人が「こ、これは?彼の遺言じゃないか!」と更に涙にむせぶという仕掛けになっており[これはひどい]タグを付けたくなるぐらいである。

 たしかに死に彩られたアルバムではあるし、彼自身、自らの病をどのように認識していたかは定かではないが、「死」を常に意識していただろう。しかしもっともそもそもが昔っから、彼は崩壊するものとか、破滅に向かうもの、滅びて行くものというのをテーマにして来た(名曲Five Yearsなんて世界の終わりの5年という設定)ので、彼の死がなければ、今ある世界に満ちている「死」というものへのなにかではないかと解釈する人もいたかもしれない。

 デヴィッド・ボウイという人はミュージシャンである前にコンテンポラリーアーティストであった。現代美術作家。彼はペンや、絵筆や、あるいはインスタレーション映像の代わりに音楽を通じて現代美術作品を造り続けた人だと思う。彼は優れた写真家にもなれたであろうし、映像作家にもなれただろう。もともとが演劇とも関わりが深く、コンテンポラリーダンス的な要素も持ち合わせたコンサートパフォーマンスを見せてくれる人でもあった。★のPVでもピナ・バウシュのような演出が見て取れる。そこにある素材を、表現したいものに利用する、インスタレーション的な方法で、音楽を作っていったといえる。今回はアシッドジャズの手法が随所に活かされている。その用い方は自在でありながら、デビッド・ボウイその人に他ならない。すごいアーティストだなと改めて思った。

 デヴィッド・ボウイという人は孤独を愛しながらも、人を観ることを好んだ人であった。社会との距離に対し非常にバランス感覚のいい、クレバーな人であったと思う。だから自身が編み出した様式キャラクター必要とあれば殺し、崩すことも厭わない。流行に鋭敏であれど、流されることはない。パンクムーブメントについて彼は、パンクの本質をたたえながらも、それが流行になっていることには苦言を申していた。壊れるものをみつめながらも、決してそこに囚われることはなかった。ジギーを葬り、客観的にそれを観察し、再び作品化する。壊したものを新たにビルドしていく。そうやって常に未来に向かって歩んで来た。今回のアルバムにもそういう彼のあり方は踏襲されていると思った。

 ベルリンドラッグによる死から再生した彼が、Station to Stationの衣装を身に着けた男をラザロ聖書にある、復活した男)とかぶらせて表現していることは非常に示唆的ではある。

 ただまぁ、どういう解釈をしてもボウイ自身が「解釈なんてのは、聞く人が考えるものなんで、僕が説明するこっちゃない」などとたいへんに身もふたもなく突き放したことをいう人だったので、各人がそれぞれのボウイ体験から、ナニかを感じとっていけばいいのだと思う。


ところで文中でFive Yearsを紹介致しましたが、↓

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この曲っぽい本があります。

小惑星衝突で世界が終わるまであと3ヶ月という世界の刑事モノという設定。ボウイが歌う歌詞のごとき世界におかれた人々が哀しくもいとおしいような小説です。全部で三部作。よかったらどうぞ。

nachtlustnachtlust 2016/01/28 09:47 ボウイの癌は公表されてたんですか?あんさん、なんで知ったの?

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2013-03-30

[]『考える生き方finalvent ちょっと気まずい気持になるけど日常をほんのり豊かにする著作 11:44 『考える生き方』finalvent ちょっと気まずい気持になるけど日常をほんのり豊かにする著作を含むブックマーク 『考える生き方』finalvent ちょっと気まずい気持になるけど日常をほんのり豊かにする著作のブックマークコメント

はてな極東ブログTwitter活躍しているブロガーfinalventさんが本を出したってんで、購入して読んでみた。なんとなくちょっと気まずい思いがした。

考える生き方

考える生き方

はてなにブログを書きはじめた頃、finalventさん(終風先生)の「極東ブログ」を知り、以来、ずっと読者である。時事問題や社会のあれこれを英語圏の情報まで含めた広範な知見で書いている記事は読み応えがあり、日本ジャーナリズムが掘り下げない事柄への不満への解消にもなっていた。まさに考えるきっかけ、道標にもなり有り難かった。はてなブログでは日記形式でもっと気楽に社説突っ込みや、ちょっと考えたことのメモみたいな極東ブログで取り上げるほどではないけど気になることことを呟くように書かれていて、こちらも社会に動向を知るうえで助かっていたのと終風先生の社説突っ込みの妙が面白くずっと読んでいた。最近はTwitterの方に活動拠点を移されているがはてな日記の延長線で、よりラフな感じでつぶやいておられる。


終風先生は読書量が半端なく、ジャンルわずの深い知識と幅の広さを持つ人である。何故か、平日も昼間っからTwitterなどをしている。沖縄に住んだことがあるらしい、パソコン系の技術的なことに何故か詳しく、キリスト教信者ではないのにやたらキリスト教に詳しく、今思っていることを自然に語るるわりには私生活が見えないという謎な人である。なわけでわたくしは終風先生のプロファイルを「早期退職した元ジャーナリストー調査報道するタイプ)で今はフリーライターしてるけどそっちの仕事本名でやっているけどお固い系(人文系)なのでネット活動とは連動したくない。通信社の仕事で一時期沖縄にいたことがある」と勝手に位置づけていた。(ついでに、思考形態と妙な斜に構えた欲のなさから東京もしくは東京近郊出身者ではないだろうか?と踏んでいた)

しかしである、わたくし的にはこれらのプロファイルは実はどーでもよくて、「沖縄に住んだことがある」「キリスト教に詳しい」という辺りで話題の共通性があることや、時々思い出したように語る死生観めいたことなどに親和性を感じていたし。また一部の人が「ほのめかし」として嫌う結論を簡単に出さないグレーゾーンや、語り過ぎないでとどめてしまうこと、寧ろその彼の言葉足らずに見える逡巡にある種の信頼感を感じていた。つまりネット上で語られていることそのもので充分であり、それ以上の私的な事柄については、どうでもいいといえばどうでもいいことであった。


『考える生き方』はその終風先生のブログ言論の舞台裏の本であり、ブログ上であからさまに語られていたわけでもない「ほのめかされた」様々な事柄のミッシングリング本であった。ずっとブログ読者であったわたくしにとってはそういう印象。ゆえにうっかり風呂場で着替えているところを覗いてしまった、公人の私生活を見てしまった気まずさ感を感じてしまったという案配である。

気まずいからといって、この著作がいかんというわけではない。腑に落ちたところは一杯あるが、そもそもそれ(ミッシングリング)はこの著作の主眼ではない。ただまぁ、思った以上に自分と重なるところが大きく驚いた。

南の島に住むことになった経緯(運命に巻き込まれるように、逆らうことなく移住)とその気持ちの変化、そしてまた本土に戻って来たこと。キリスト教(聖書学)を掘り下げてみた時期があること。ある種の挫折感を抱いて来たこと。一市民として世にいう成功者でなく、凡庸な一市民として生を終えるだろうということ、これらはわたくし自身のことでもある。

また死と向き合わざるを得ずにおられぬ個人的な事情。わたくし個人は自分自身での問題ではなかったが若い頃に親しき友人(生まれついての難病の持ち主)を亡くし、死の床についた彼に「自分のこの病には理由があるのか?」と問われたことが今もずっと澱のように心に残っている。結論も出ない宗教的な問い。死を約束された人と向き合って来た時間の長さ。

こうしたテーマ、沖縄、宗教、死生観、生きることと死ぬこと、がこの著作では散漫ともいえる形でちりばめられている。かなり手強い、それ一つ一つで一冊の本が書けそうなテーマを淡々と書いている。ブログを読んでいない人でも頭に入りやすいので終風先生のかつての言論を知らなくても大丈夫な仕様であるが、これを読んでブログを読むと更に味わい深いかもしれない。



そして教育論。

終風先生は「教育」が嫌いだという。「ほのめかし」として批判される態度にはこの「教育」への嫌悪が影響しているのだろうか。ただ「学ぶ」ということに関してはエキスパートである。この著作でも多くの単元を「学ぶ」ということに当てている。学ぶ姿勢について、英語やその他、このように会得していったという経験。要するに「誰かに教えられる」のは嫌いだけど「学ぶ」のは好きなんだよタイプか?傲慢だw しかしとにかくよく勉強する。

学んでると確かに暇はない。人生が少な過ぎると感じたりする。「豊かになる」と終風先生はいうがまさしくその通り。それは目的があって学ぶものでなく、好奇心、自然に知りたいと思う心が産む学び。それは贅沢でもあり、歓びに繋がる。



市井の人として普通に生き、普通に死ぬというのは、わたくしはそれはそれでいい人生だったと思うしこれからもそう思うだろう。その過程は大切にしたい。多くの人類、いやほとんどの人類はそうやって生きて死んでいった。挫折感めいたものはいつしか薄れ、今あるときを大切に生きよう。そういう気持ちを新たにする読書であった。

ところで、同書は一つの著作としては完成度は低く感じるかもしれない。なんせ興味深いテーマの各章、読んでる最中に盛り上がって来たとこで、え?そこで終わっちゃうの??と思ってしまうもんで。ゆえにブログに書かれたものがあるというコンテクストの中で読む本だと感じてしまう。しかしこれはそのコンテクストを知っているものだからの感想ゆえで、まったく知識なく出合った人はどう感じるんだろうか。興味深い。

2012-08-15

[]「台湾海峡ー一九四九」龍應台 戦争が踏みしだいていく人々の記録 16:12 「台湾海峡ー一九四九」龍應台 戦争が踏みしだいていく人々の記録を含むブックマーク 「台湾海峡ー一九四九」龍應台 戦争が踏みしだいていく人々の記録のブックマークコメント

久しぶりにブログを書く。すっかりここ使うの忘れとった。今日は終戦記念日。ちょうど読み終えた本があったんで紹介でもしてみる。

台湾海峡一九四九

台湾海峡一九四九

台湾、中華民国という国はうちの島から近い。台風の時などは本土よりもよりいっそう親しみがわくぐらい災難を共有する近さ。伝統文化、歴史は琉球と密接に関わる。あらゆる琉球諸島よりでっかいくせに何故か「小琉球」などと言われていた時代があったぐらい近い。昨年は台湾中華民国建国100年などとやっていた。うちの祖母と同い年である。「台湾」島自体はその前から歴史がずっとあるし、国性爺合戦で有名な鄭成功の話はずっと昔のことである。だが、何故か建国100年。それは今台湾を実行支配している「中華民国」の歴史で、台湾の外省人の国の歴史であって、「台湾」の歴史ではない。だから建国宣言をしたのは台湾の地ではなく中国大陸でのことである。未だ中国の共産党政府と「中国」を巡って対立をしたり、近付いてみたりを繰り返している。台湾についてはそんな程度の知識しか持たない。日本の隣国であるのに実態は意外と知らない。あとは植民地化したにもかかわらず親日的だということぐらいか

この本はTwitterふるまいよしこさん(北京在住のNewsWeekコラムニスト)が勧めていたので手に取った。辛口視点を持つ彼女が勧めるのだから間違いは無いだろう。上記のような知識の欠落の穴埋めをしてくれるかと思った。しかしこの著作は一つの国の歴史物語を超え、もっと普遍的な「戦争」という行為について問いかけて来た。

1949年、4年前に無条件降伏をした日本は台湾から撤退、代わりに中国から撤退した蒋介石の亡命政府台湾島を実行支配することになった。

この、一行で終わる歴史の記述の影にどのような人々がいてどのような生を体験したのか、どのような死を迎え、どのような死を見つめたのか、それがこの長い著作のすべてである。俯瞰された国家間の歴史ではなく、そこに確かに生きた人間の物語。故に著者は「これは文学であって歴史書ではありません」という。この著では多くの人の「戦争」を知ることになる。ただ飢えているがゆえにひと欠片のパン欲しさに国民党軍に加わった少年たちの行軍。国民党に強制的に徴兵され二度と故郷を観ることも無かった人々。台湾で国民党に招集され、大陸戦地で共産党軍の捕虜となり、共産党軍の兵として台湾人も含む国民党軍に銃弾を撃ち込む若い兵士。鬼子である日本兵と戦い、その後は同じ中国人同士で戦うことになった悲劇が生む光景日本軍に徴兵され、捕虜収容所監督官となり、その後、捕虜殺害の罪で戦犯として裁かれることになった台湾兵達。上官に命ぜられるまま動いた彼らはの罪はどこにあるのだろうか?

人々が語る過去の旋律の背景には、日本帝国、中華民国、中国共産党、それぞれの国家(あるいは軍本部)が命じた非情な出来事が転がっている。それぞれの兵士の生きた顔と苦悩とは裏腹にそれはあまりにもグロテスクである。数えきれないほど多くの人々の人生がただ数として記録される悲劇的出来事。日本軍による南京における悲劇。長春では人民解放軍が国民党がいる長春を包囲、ここで30万人から50万人の人々が飢餓で死んだ。これは国際的に知られているのか?と著者は問う。「どうして長春包囲戦(で起きた悲劇)は南京大虐殺と同じぐらいの脚光を浴びないのか?」この出来事は長春人ですらもう知らない。そしてこんな壮烈な出来事もこの著作では数多ある一つの悲劇の光景に過ぎない。

戦争が生む悲劇の出来事は、国家の思惑とは別に、個人においてはただひたすら悲劇にしか過ぎない。戦争というものはその本質が悪である。

畳み掛けるように次から次へと語られるかつての国民党兵士達の証言、その家族の証言、解放軍、香港人、外省人、内省人、台湾先住民、日本兵の日記連合軍兵士、彼らが大義ではなく、その時感じた、見た出来事。著者は龍氏はひたすら記録していく。著者、龍應台は台湾の外省人。ドイツに住む息子を持つ。ドイツの兵役の為に入営する息子の「良心的拒否」についての問いかけに答えるように彼女はこの著作を書いた。戦争を知らない世代へ向けて「戦争とはナニか」を教えようと。

わたしもまた戦争を知らない世代であり、しかし前の世代が体験したことを耳で聞いて育った世代ではある。大叔父は南京に一兵卒として行軍した。南京の悲劇の話を聞いたことがある。中国が積極的に問題にする前から日本ではその話は知られていたし、だから聞いた。大叔父は、兵站をまかされたので鶏を盗んで中国人に棒で殴られそうになった話と、河におびただしい数の遺体が流れていったのを目撃した話はしてくれた。「虐殺」については「あったとしても既に済んだあとに入城したようなので知らない、そういうことがあったかもしれないが」と言っていた。今ならもっと突っ込んだ話を聞くことも出来たかもしれない。今となっては聞くことも出来ない。

証言者が生きてるうちに話を聞き、紡いでいかなければいけない物語はあると思う。この著作はその為にも読まれて欲しいと思う。

この著作のいいところは著者、龍氏が善悪を判断しないところだ。戦争とは善悪を超えた、「戦争」それ自体は悪であり、巻き込まれていく人々は悲劇を経験していくだけだとわたくしなどは思う。これは「文学」だと彼女はいうが、歴史に相対するときに一番必要まなざし事実を記録することであり、彼女は彼らが証言する出来事を綴っていく。その点では歴史家に必要なまなざしで以て事柄に向かっている。そこから立ち上る哀しい記録はどのような政治的主張よりも強い。

原題は「大江大海 一九四九」

著者、龍應台氏のインタビュー記事が以下にあるので併せてどうぞ。

フォーサイト インタビュー

『台湾海峡 一九四九』に見る日中台の歴史の傷口

http://www.fsight.jp/article/11666?ar=1&page=0,0&ar=1

補足

台湾における内省人と外省人について

元台湾在住のネト友人から、外省人と内省人についての指摘があったので。

記事でちょっとイマイチ把握出来てなかったので。

台湾における外省人とは第二次世界大戦後、中国から台湾に入って来た移民、主に漢民族。内省人はそれ以前から台湾に住む高砂族などの台湾原住民と福建人(明代末期に流入して来た者が多い)と客家人。そーいや台湾の客家人の知り合いがいました。これらで構成される人々の間には対立があることも選挙報道などでよく聞きますが、この辺りに付いてもイマイチよく判ってないので、今後勉強しないとあかんです。

antonianantonian 2012/08/15 16:33 アドセンス広告のセンスが悪い。はてなはいつの間にか広告つけやがった、、のは経営上仕方が無いとしてもだ、広告は選んで欲しいもんである。

通りすがり通りすがり 2012/08/15 16:40 「大義で鼻くその時」…一瞬意味が通りかけて笑ってしまいましたすいません

antonianantonian 2012/08/15 16:42 ははは、今誤字直し中なのでご指摘ありがたいですw