日曜日はミサにあずかったよ・アムネスティVSカトリック?

隣の島から毎月神父が我が家にやって来る。鹿児島教区の端っこ。はるばる海を越えて来られるので、有りがたいことである。カトリックというのは、まぁ全世界規模なんで、どの国にいってもどっかしらに「福音を述べ伝えねばねばねば〜」というおせっかいな輩が到達しているので、教会の一つや二つはあったりもする。信徒が遠くにいるなら、そこまではるばる来てくれたりもする。カトリック国でもない、他文化からするとグローバリズムではなはだ押しつけがましいやな宗教ではあるが、まぁ、世俗共同体である国家共同体、社会の別にもう一つの精神的な形而上の社会があって、両方に足つっこんでいるってのは、意識的に便利でもあり、遙かな土地に行っても、前提抜きに話が通じるコミュニティがあるというのはたすかることが多い。コンビニがどこ行ってもあると助かるみたいなもん。

そーいうわけで辺境の我が島にも、そのおせっかいな宗教のおっさんが迷える二匹の羊の為に来てくださるというわけだ。出張コンビニだな。ありがたいこっちゃ。南無南無。神に感謝。世に仏有りだ罠。
祖母を施設から連れ出して、月一回の自宅ミサっす。

わが果敢なる主任司祭は、ドイツからきた。ドイツを離れて日本の方が長い。わたしが生まれた頃くらいに来た。それもドイツとは風土の違う南島。徳之島に来られてからが長いそうだ。その徳之島から隣の沖永良部の教会に主任司祭として週一回来られ、我が島にはわたくしと祖母の為に月一回来てくださる。

今月は、海の遙か向うのボリビアの友人がクモ膜下出血で倒れたことや、ネト師匠の手術や、絵の師匠の手術なんかがあって、まぁ神頼みしたい気分だったので、神頼みした。苦しい時の神頼み。皆さんが元気になるといいなぁ。絵の師匠は日蓮宗の坊さんだけど、まぁいいよね。他所様の神様がおせっかいしても仏教は寛容そうなので。

ところで、昨日は神父とこんな話をした。
こんなニュースがあったが、どうよ?

カトリック枢機卿アムネスティ支援の拒否を呼び掛け
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200706140039.html
バチカン──ローマ・カトリック教会の総本山、バチカンのレナート・ラファエレ・マルティー枢機卿が13日、ローマ・カトリック教会は国際人権保護団体のアムネスティ・インターナショナルへの支援を行うべきではないとの声明を発表した。アムネスティが女性の人工妊娠中絶を容認したため、としている。

アムネスティはこれまで、人工妊娠中絶について明確な態度を取ってきていなかったが、今年4月に、強姦や近親相姦による妊娠や、妊娠継続によって母体の命が危うくなる場合の中絶を認めるとの方針を採択した。あくまでも、女性の権利を守るためだとしている。

この方針を、マルティー枢機卿が批判。「カトリック関連団体だけではなく、カトリック教徒も、アムネスティを支援するべきではない」と述べている。

カトリック中央協議会によると、マルティー枢機卿は、評議会のひとつ「福音と教会の社会教説に即した正義と平和の実現を促進する機関『正義と平和評議会』」の議長。

ローマ教会による支援の拒否は、アムネスティの方針決定に対する当然の結果だとしている。

一方、アムネスティは、これまでにバチカンローマ・カトリック教会関連機関から、資金援助を受けたことはないと明言。「カトリックの教え」に触発された人々からの支援を受けた可能性はあるが、カトリック教会が公式に認める機関や団体からは、受け取っていないとしている。

また、アムネスティは各国政府や政治団体、教会、宗教団体などから独立した機関であると主張した上で、中絶を容認する方針を定めたのは、あくまでも女性の保護を目的としたものであり、中絶そのものの是非については判断せず、中絶の権利を求めていくことはないとしている。

アムネスティって、あ〜スティングとかピーター・ガブリエルが昔啓蒙活動しに日本に来たことがあったなぁ。その時その存在をはじめて知ったんだが、世界中の非人道的行為批判をしている団体さんだ。人権が踏みにじられていると思ったらどこでもくちばしをつっこむ、カトリックと同じぐらいおせっかいな人々である。わが国の死刑制度やらに文句たれたかと思うと、お隣の中国や北朝鮮の非人道行為もなじりまくる。まぁとにかく政治イデオロギー関係なしに、一貫して、「虐げられている弱者」を擁護しようじゃないか団体。キリスト教的にも、或いは他の宗教的にも弱者救済は中心テーマなので、かぶるとこも多いので、アムさんと足並みそろえている人も多いだろうよ。

が、バチカンのしかもその手の社会正義とか考える団体である正義と平和評議会のトップが「アムネスティなんかと同調しちゃダメ」と言ったとなると「これはどうよ?」と腰抜かしますよ。ことは中絶問題に絡むとあって、一部の問題の是非で全てを否定するほど短絡馬鹿なのか?バチカンは?だとしたらほんとに馬鹿珍だな。と思ったので神父に聞いてみた。

老神父曰く
「わたしが倫理神学を学んだ時、子供の生命は尊いモノゆえに、それを親の都合で一方的に生命を奪うという行為は原則として認めるわけにはいかないが、しかし例えば母体の危機、レイプ等での、悲劇的な状況においては教会は配慮すべきであると教えられた。」
アムネスティは教会と一致する考えを持っていると思うので、一部に同調出来ないからといって全てを否定するなどということはないはずだ」
「ニュースソースがアメリカ発という辺りが気になる」
アメリカにおける宗教原理主義的な状況は特殊であり、なんらの意図が報道にはあるんじゃないか?」
枢機卿の言葉には前後の言葉もあるはずだ。一部を切り取ると誤解される場合もあるだろう」
などとおっしゃっていた。
勿論このニュースは神父にとって初耳であり、真意そのものも不明であるがゆえに、神父も判断は保留といった状況ではあるが、昨今のメデァア報道に対する不信はある。

神父は報道問題でのベネディクト16世の言葉が独り歩きしてしまったことを例としてあげていた。

例のイスラム批判の時、一神学者として語った、しかも歴史事実としての引用文が、「イスラム批判をした」と受け止められたあの経緯におけるマスメディアのやり方に対し批判的ではあった。メディア自体もまたなんらの意図をもって報道する場合がある。ということを指摘する。

しかし、それについては付け加えて

教皇神学者では立場が違う。教皇として語る時の言葉としては適切であるとは思えない。ブラジルにおける失言同様、彼はすこぶる神学者的で、しかもヨーロッパから出たことがないヨーロッパ人の視点が抜けない」
・・・と批判していた。神学的にはありな発言でも、それが「教皇」という立場から発せられるならば許されないことがある。と。流石、ドイツ人だなぁ。思考がきっちりとしているじょ、

そのベネディクト16世教皇に就任してから出した出版物に「イエス・キリスト」という聖書学的なことを一神学者が考察するというのがあって、これを彼はベネディクト16世という名ではなく「ラッツィンガー」という記名で出版した。神父はこの書を高く評価し、また「教皇は、この神学書は単なる一神学者の論に過ぎない立場故におおいに批判してもらいたいと望んでいる。未だ且つてそのようなスタンスの教皇はいなかったので大層ユニークで、面白い」とおっしゃっていた。へぇ。
教皇」という役名における存在と、教皇の中の人は別もんだという考えってのは面白いよね。ペルソナが違うってか。

んで、わたくしにも読みなさいとおっしゃったが外国語しかないんだよね。アルファベットには文盲なので日本語訳が出ないことには読めんよ。(尚、バランスとして、リベラルからの見解としてのハンス・キュングなんぞも嫁。とおっしゃていた。しかし教えてもらったらキュングの本は高い。高杉。)

閑話休題。とにかくアムさんとカトリックは別に共闘してきたわけでもなくあくまでも別団体であり、それらとどうか変わるかは信徒側の個の判断問題に過ぎない。ケースバイケースで対応するといいし、また上記の記事内容によると、神父が受けた倫理神学の内容に引っ掛かるとも思えん。とはいえカトリックは巨体であり、そこには激しく保守からトンでもリベラルな考えの人が蠢いていて、倫理のうちの中絶問題一つとっても内部で対立しているので、どこまでが原則であり、どこまでを容認するか?人によっても見解が異る。

少なくとも我が主任司祭は放埒な性の結果としての中絶、つまり無責任な性の濫用の結果、一人の生命が奪われるような中絶などは言語道断だと考えるが、しかし中絶を反対すること自体が非人道的になるならばそれはまたケースバイケースとして捉えると考えておられるようだ。

ところでどーでもいいけど「日本の翻訳スピードは遅過ぎ」と神父は怒っていたな。外国語読めないわたくしが悪いんだけどね。

滝山コミューン?

最近よく行くあちこちのブロガーさんとこで「滝山コミューン」てな言葉をよく見かける。
なにそれ?
どうもこの本らしい↓

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四

著者はわたしと同年齢の人らしい。
上記の本とこクリックするとはてなーな人の書評が色々でてくるです。
日教組ぶいぶい教育の中を小学生として過ごした日々を綴っているらしい。さまざまな人が引用し、書き綴っている光景は既視感あるなぁ。こいつは読まねばなりますまい。そういう阿呆臭い小学校のエートスにいち早く見切りつけて逃げ出してカトリック校に行ったんだよ。あたしゃ。
来月買う本にぶくましとく。

しかしなぁ。オウム真理教ってのもこういう文脈みたいな中から出てきたんじゃね?などと思ったりした。
この時代に共通する「コミューン」的なモノって未だ気持悪い。南島で一人でマージナルに生きたくなっている自分てのは、ここからの逃走だったか?
とにかく読んでみないと判らんな。