志村貴子執筆作品一覧(単発もの)

志村貴子先生初画集発売を前に、単行本未収録のイラスト系作品てどんなんあったかな、この辺載せてほしいな、と思って軽くまとめてみた。ほんとはwebも含めて未発表のものも大量収録した落書き集成みたいのこそ見たいのだが(寺田克也のみたいな!)、まあそこまでは望めないとしてもせめて表に出てるもの、特にエンターブレイン発行ってことでビーム関係は洩らさず掲載してほしい。『ラヴ・バズ』も新装版エンブレから出たってことは問題ないのかな?放浪とのコラボ帯とかもあったしそういえば。…ってこれまとめながらパソコンの志村フォルダ確認したらネットで見かけた色紙とかポップみたいのも膨大にあるな…こりゃ完全網羅は無理だな。とりあえずぱっとわかる範囲で一旦止めて後で気が向いたら更新しよう。
ビーム、エロF他雑誌の表紙、あと小説の挿絵みたいなわかりやすいものは敢えて省く。アニメ化に伴う設定、パッケージ、オマケ等も未記入。あと同人関係も(仕事っぽいの以外)除く。エロ系の雑誌(パピポ外伝など)で描いてたのもどうせまとまらなさそうだからいいかな…他名義のはともかく志村貴子名義のは期待したくなるのだが。
放浪息子
1巻別カバー(2003年9月号付録)
2007年2月号休載お詫びイラスト(修一&高槻「うがいと手洗い忘れずに」)
2008年7月号休載お詫びイラスト(千葉。佐々「さおりんあやまって!」)
クリアファイル(2009年10月号付録。表:千葉。裏:修一他多数)
2010年10月号アニメ化記事にカラーカット一枚。
6巻ブックカバー(女装瀬谷。薄鼠色に朱刷り)
7巻ブックカバー(修一&高槻。若草色)
8巻ペーパー(高槻千葉佐々更科。クリーム地に朱刷り)
9巻ブックカバー(敷居の住人新装版同時発売記念コラボ。佐々、修一&キクチナナコ。薄紺色)
10巻ブックカバー(千葉&安那。あずき色)
12巻ペーパー(漫画。マッチ売りの修一)
13巻ペーパー(漫画。安那&麻衣子アニメイト顛末記)
14巻ペーパー(修一&高槻、大人&子供バージョン)
15巻ペーパー(青い花W最終巻記念コラボ)
放浪息子アニメ化」記念シール(太田出版コミックスに貼付?絵は新規のオリジナルキャラ?)
コミックビーム×yonpoコラボTシャツ(修一)
青い花
1巻販促ポップ二種(あきらメイン、ふみメイン。)
2巻ペーパー(ふみあきら井汲杉本。水色)
2巻とらのあなペーパー(漫画「とらのあなのふみちゃん」。濃紺色)
2巻販促ポップ(ふみあきら)
3巻ペーパー(格子状に9キャラ)
アニメ化記念ペーパー(漫画。水色に紺刷り)
アニメ終了後イベント(阿佐ヶ谷ロフト)配布ペーパー(裏表二面)
百合姫ピンナップ(ふみあきら。1巻表紙絵モチーフ)
『かわいい悪魔』「アワーズプラス」販促ペーパー
『あたいの夏休み』「コミックハイ!」Vol.15販促ペーパー
『アケミのテーマ』「まんがライフオリジナルvol.253」表紙カット
志村貴子×宮村和生Tシャツ(とらのあな
安田弘之紺野さんと遊ぼうファイナル』寄稿1ページ
竹本泉トゥインクルスターのんのんじーEX』寄稿1ページ
唐沢なをき『カスミ伝(唐沢なをき)文庫版』寄稿2ページ
『ToHeart2Creater'sFile』寄稿1ページ
木尾士目げんしけん6巻特装版別冊付録同人誌』漫画4ページ
お肉大好き委員会『口蹄疫チャリティー同人誌』1ページ(放浪息子青い花キャラ多数)
ストリートファイター〓4コマ決定版』漫画4ページ
↓以下は未所持のもの(なので間違いあったらすいません)
三宅乱丈『秘密の新選組』ポップ(エロティクスF vol.36)
五十嵐大介『魔女1巻』ペーパー寄稿
五十嵐大介海獣の子供4巻』帯
『KAWADE夢ムック五十嵐大介』トリビュートマンガ
KUJIRA『やさしい針1巻』ペーパー
雲田はるこ『いとしの猫っ毛』トリビュート


ブルワ・リットン『ザノーニ』

美しい真実の感興よ!そこには天才の息吹きがあふれている。少年よ、あるいは人よ、詩人になることはかなうまい、もしかりに魔法のカーテンが初めて開き、散文の世界に詩の世界がとび込んできたとき、眼のまえの理想郷を、ロマンスを、カリプソの島を感得することができないならば。

「また出会うまえに、あなたには苦しいことがあるかもしれない。人生の悲歎を初めて知り、名声によって得られるものをもってしては、心が失うものの埋め合わせができないことを知ることになるかもしれない。しかし元気を出して、負けてはいけませんーー敬愛ゆえの悲しみと思えるものにも。隣りの庭のあの木をごらんなさい。いびつにねじ曲がってはいるにしても、ちゃんと育っているでしょう。種子が風に飛ばされてきて、あの岩の割け目に根を下ろしたのでしょう。岩に押しひしがれ、建物に包囲され、自然と人間の双方からいためつけられながらも、絶えず光を求めて闘ってきたのですーーあの木にとってはその光こそ不可欠の命の原理のはずです。あの木の身のよじり方、もがき方をごらんなさい。たとえ或る場所で障害にぶつかっても、幹と枝がひとつになって、ついには大空をめざしていくのです。生まれたのも育ったのも苦境なのに、なぜあの木は生きのびたと思いますか。あなたの後の、腕を拡げて太陽を一杯に抱きしめられる葡萄と同じように、美しい緑の葉をつけているのは、なぜだと思いますか。闘うことをしいる本能のためですーー光を求める努力が、ついには光に到らしめるのです。だから、どんな悲しみや不幸にも見舞われても、勇気を奮い起こして太陽に向かうことこそ、天空をめざすことこそーー強き人には知を、弱き人には幸福をもたらすものなのです。わたしたちの再会するときが訪れる前に、あなたは悲しみにおしひしがれて、あの枝に眼を向けることがあるでしょう。そのときは、あの枝に歌う鳥の声に耳を澄ませ、岩や屋根からこぼれ落ちてきて木の葉にたわむれる日の光を見つめながら、自然の教えるところを学んで下さい。闇の中から光をめざして下さい」

叡智が人類を見つめるとき、辿りつく先は二つしかないーー同情と、侮蔑と。他の世界の存在を信ずる者は、蟻塚や木の葉の推移を見まもる博物学者のように、この世界を傍観することができる。無限と較べれば地球が何だというのか、永遠と較べれば地球の時間が何だというのか?地球全体の有為転変よりも、ひとりの人間の魂のほうがはるかに偉大なのだ!天界の子よ、不滅の嫡子よ、やがておまえは如何なる星から、蟻塚やその動きを、クローヴィス王からロベスピエールに到る、ノアの箱舟から最後の火に到る動きを見つめることになるのか。瞑想する力をもつ霊は、知性の中にのみ生きる霊は、たとえ地球と呼ばれる墓地の中からでも、人生と呼ばれる石棺が永劫不滅のものをその内に封じ込めようと、その星まで昇ることができる。
だがザノーニよ、おまえは知性の中にのみ生きることを拒んだ。おまえは心を封じなかった。おまえの体は人間の熱情に発する甘美な調べに脈打つ。同胞の人間を単なる抽象とは違う暖かいものと感じとる。嵐にゆれる揺籠の中にある革命に眼を向けようとする。諸要素が混沌のさなかにあってせめぎあう世界を見ようとする。
さあ、行け!

「そのときにこそ」とコンドルセは続けた。「理性の時代が始まる!ーー教育における平等、制度における平等、財産における平等の実現だ!知識を得ようとするときの最大の障碍は、まず第一に共通の言葉の欠如、第二が人生の短さ。しかし第一のものについては、すべての人間が兄弟なら、共通の言語がありえよう。第二のものについては、植物界には完全化する能力が認められる以上、より高度な、思考する人間にあって自然がその能力を欠くことがありえようか。肉体の衰微をもたらす二大因をーー贅沢三昧の健康と、どん底の貧困をーー除去すれば、必ずや人間の寿命は伸びるだろう。そのときには、殺人の術である戦争にかわって、医術こそが尊重され、病気の原因を発見し防止することこそ最も明敏な人々のたずさわる最も高邁な仕事となるだろう。なるほど人生を無限のものにすることはできないが、はるかに遠くまで伸ばすことはできる。下等の動物ならばその体力を子孫に伝えるところ、人間は精神・肉体の両面で改善された組織を子に渡すことができるだろう。間違いない、我々の時代はその実現に向けて歩んでいるのだ!」

「行いと諌めとの一致が必要ということになれば、忠告役の人間などが激減するでしょう」と答えて、ザノーニは苦笑した。「一人の人間の行為はまわりのわずかの人々にしか影響しないもので、他人に対してなす善とか悪は、むしろ周囲にどんな感情の輪を広げうるかにかかっています。行動のほうは限られた瞬時のものですが、感情は宇宙に広がり、運命の日が来るまで人々の心を鼓舞し続けるでしょう。われわれの美徳とか法というものは、行為からではなく、感情の表現そのものである書物や格言から引きだされるのです。行為の面から見れば、ユリアヌスは徳高きキリスト者であり、コンスタンティヌスは悪徳の異教徒ということになるでしょう。ところがユリアヌスの感情は何千という人々を異教に再改宗させ、コンスタンティヌスのそれは、天の御意のままに、地上の諸民族がキリスト教に頭を垂れるのを助けたのです。行為だけを見れば、聖ジェローナの奇蹟を信じている、あの海上のいっかいの漁師のほうが、ルターよりも立派かもしれない。しかしルターの感情があったればこそ、近代ヨーロッパの精神はそのもっとも高邁な精神を体験しえたのです。心に思うことこそわれわれの中の天使的な部分であり、。行為は地上的な部分なのです」

「いつの時代にも多くの民衆を向上させるのは少数者です。今日の民衆は過去の少数者と同じくらいの知恵をつけているかもしれませんが、かれらが今日の少数者と同じだけの知恵をもつと言ってしまったのでは、向上はとだえます」

それまでのヴィオーラは、しつけの厳しい北国の娘たちとちがって、甘美な告白に訴えたことがなかったーー想念を文字にうつし記す慣わしを身につけたことがなかった。だが今、にわかにその心は衝動に駆られた。新たに生まれた本能がーー胸の想いを己の心に隈なく吐露し、胸中にはびこる黄金の想念の蜘蛛の巣を解きほぐせと命ずる本能が、鏡の中に自分の姿を写して見るごとくに、深奥に宿る己れの実像をしかと見つめたいという希いを、彼女に抱かせたのだ。「愛」と「魂」のーーエロスとプシュケーの抱擁から生まれた麗しい嬰児、「才知」。ペンを運びつつ、ヴィオーラは顔を赤らめ、嘆息を洩らし、そして身を震わせた。

「美しいもの、平穏なものを愛する我々の心の中には、恐ろしく暗いものを愛する気持ちも同じように深く根づいている」

でこぼこの道をゆっくりと進むグリンドンを、彼らは不吉な、陰険な眼差で見つめていた。ときおりいわくありげに囁き合うものの、彼の行く手を遮る様子ではない。子供たちでさえお喋りをやめ、襤褸をまとった悪戯坊主が、ぎらつく眼で食い入るように見つめながら、「あしたはごちそうだね!」と母親に呟く。まさしくそれは、法も謹厳な手を延ばすことをせず、暴力と殺人が安泰に宿る村であったーー当時のイタリアの辺鄙な地方では珍しくもない、百姓とは名ばかりの盗賊のたむろしている村のひとつであった。

「自然こそ、すべての金属、すべての元素を刻々と変貌せしめる実験室なのだ。黄金を造ることなどたやすい。真珠やダイヤモンドやルビーならもっとたやすいし、材料が豊富で安上がりだ。そう、それさえも学者どもは魔術と言った。だが、日々使うものを簡単に混ぜ合わせて、烈火のひと吹きで何千という人間を一掃してしまう悪魔を喚びだす法を発見しても、彼らはそれを魔術とは呼ばない。生命を破壊するものを発見したら、偉大な人と呼ばれる!生命を長く引きのばすものを発見すれば、詐欺師にされる!富める者をより豊かに、貧しい者をより貧しくする機械でも発明すれば、銅像を建ててくれる!外形の差をなくする秘術でも発見すれば、それこそ人は投げる石を求めて、自分の家さえ壊すだろう!」

ああ、不貞の徒よ!はやくも裏切りの時を思い描いているのか?ザノーニのことばは至言であった。「泥に濁る井戸に清らかな水を注いでも、ただ泥を掻き乱すのみ!」

近頃、「我々をこれほど人間から遠ざけてしまった知識に罪はないのだろうか?」と、自問することがあります。確かに、高く昇るほど、地上を這いまわる短命な者たちの悪が忌まわしいものに思えてきますし、善なる存在の本質が我々に浸透し、我々を満たすほど、我々の幸福はその善なる存在から直接に流出してくるように思えます。しかし、その一方では、死の世界にありながら死ぬことを拒む者たちの中に、どれほど多くの美徳が眠ったままになっていることでしょう!この崇高なる自己中心性は、この超脱と夢想の状態は、我が身のことのみに集中した自存の威厳ある生き方は、我々の安寧、喜び、希望、恐れを他の人々のそれと結びつける勇気を遺棄するものではないでしょうか?敵を恐れることもなく、弱さによって面目を失うこともなく、苦難のときにも動揺せず、肉体の病いからも解き放たれて生きるというのは、我々の誇りをとらえて離さない光景です。しかし、しかし、人のために死ぬ者は賛美に値しないでしょうか?彼女を愛するようになってから、割れwら絵をやさしく包んでくれる心を喰らう墓場を避けるのは、臆病ではないかと思うようになりました。私は感じますーー地上の力が私の霊にしのび寄ってくるのを。あなたの言葉の通りでした。情熱を知らない静謐な永久の老齢は、憧れと欲望にさいなまれる永遠の青春よりも、幸多い賜物です。霊そのものにならない限り、孤高の静寧とは一切の関心を失うということにごかなりません。

メイナー!無為から目覚めて下さい、喜んで下さい!ひとつの新しい魂が生まれてきますーー私を「父」と呼ぶ新しい魂が。日々の仕事とやり繰り算段に人生を過す者たちでさえ、自分の子供の顔の中に幼い日々をふたたび見ることができると考えただけで、言いがたい喜びに胸をときめかせるのなら、ーー子供の誕生とともに、生の第一段階である聖なる無垢へと彼らでさえ生まれ変わるのなら、ーー揺籃から導いてゆくべき命を、天をめざして育ててゆくべき魂を授けられ、天使のそれにも等しい役目が課せられていると感じるなら、ーーこの子の存在によって倍にもなるはずの天稟のの後継ぎを迎えることは、私にとっては狂喜すべきことでしょう!見守り、庇護する力はーー知識をそそぎ込み、悪を払いのけ、生命の川を広く深く豊かな流れに、その源である楽園に導いてゆく力は、なんと素晴らしい力であることでしょう!美しい母よ、我々の魂はその川のほとりで結ばれるだろう。ふたりの子供は、今はまだない共感の絆となってくれるだろう。おまえの入門の儀が赤児の揺籃のかたわらで始まるとき、どんな物影がつきまとい、どんな恐怖が襲ってくるだろうか!

「人間にとって唯一の財産は、記憶である。だから私としても、おまえの胸に湧いた思惟をこなごなに物質と化すことはできない。未熟な新参者はこの思念の域を壊して塵芥とし、山から野に落とすかもしれない。だが、師にさえも、己れの知が喚起した思惟に向かって「消え失せよ」と命ずる力はない。おまえはこの思惟を別の形に変えることができるーーこれを錬磨、純化して、精妙なる霊へと変貌せしめることができる。だが、記憶の中にしか棲み家をもたぬものをーー実体を欠く理念だけの存在を、消し去ることはできぬ。すべての思惟は一個の魂なのだ!だからこそ、私にしてもおまえにしても、過去を抹消して、陽気で盲目的な若さを取り戻すことは無理なのだ。おまえは吸い込んだ霊薬の効験に耐え、自分が喚びだした影の妖怪と闘ってゆかなければならないのだ!」

絵の道具はどこにいったのか?まさか!ーー真の絵師が道具に事欠くことがあろうか?おまえは部屋へ戻るーー白い壁が画布だーー暖炉の炭のかけらが鉛筆だ。明日には消えてしまうかもしれぬ着想に輪郭を与えるには、ともかくそれで充分だ。

こうして、嬰児は、父の腕に抱かれた。黙って我が子の上に身を屈めたザノーニの眼から涙が溢れたーー人間の涙が!その涙で頬を濡らした赤児が微笑を浮かべていた。われわれは歓びの涙によって、生まれてくる者をこの悲しみの世に迎え入れーー悲痛の涙によって去りゆく者を天使のもとへ送り出す。なんという無我の悦び、なんという我儘な悲しみであろうか!

愛とはなんと不思議な情熱でしょうかーーそれは自らの内にひとつの世界をつくり、多の中に一なるもの具体化し、私の生の激甚な変化にもかかわらず、野望や憎しみや怒りは消えても、なおも生き続けているのです。それは、〈希望〉と〈不安〉という人間のひ弱な翼にのって、墓場と化したこの世界の上を舞う孤独な天使です!