不景気の影で進行している「縮退」という事実

近年「失われた10年」「超氷河期」「デフレ不景気」と長年景気低迷が謳われている。
国民も食傷気味でもう不景気であることに慣らされているのではないだろうか。
しかし、この国で確実に進行していること。それは「国家の衰退」であるということ。
 
人口も近い将来減少。実質GDPも横ばい。グロスの指標で成長していることを示すデータは無い。
もっと言えば、現在国内製造業で生産されているものも、多くは工場の国外移転で量・種類共に減少傾向。
 
経済学者の一部は「デフレ」を解決すれば物価が上がり景気も良くなると指摘しているが、流通貨幣の不足、需要ギャップからデフレが進行しているのではなく、「グローバルな価格圧力」によって物価が上がらないのである。
これは、国外の安く効率的な労働環境で製造されるものが、物流コストの低下により国内に安く輸入されているためである。
この国で生産、創造されるものの国外流出は現状では止める手立てが全く無い。

この流れは大きな潮流であり、根本的な解決方法は無く、労働者の仕事がどんどん失われていっている。
つまり国内経済の成長性を保障するものは何も無い。
 
…これを衰退と言わずなんと言うのか。
 
第2次世界大戦後、大きな復興を遂げ経済を拡大させ続けてきた日本。
しかし、それは永遠ではなく終わりが来つつある。
 
これからは衰退していく国の中で、「衰退のスピードを遅らせる」のか、「もう一度復興を期す」のかを選択し、そのための行動を起こすべき時期だと思う。
 
前者の選択は上記のように書くと悲観的に思えるが「ポジションの確保」である。日本の主産業である何かを今と同規模を確保し、あわよくば新興国に対する輸出を持って緩やかに成長させることである。そのためには取捨選択のための大きな決断が必要になってくる。
 
後者の選択には本当の意味で「大きな痛み」を伴う。別に税金が多少上がるなんて擦り傷程度ではなく、新興国と同様の労働環境、賃金を受け入れ、各個人の仕事や環境を大きく変化させなければならない。
 
私はその覚悟は出来ている。高校時代の恩師は語っていた。
「お前らがいい年になっている時は、みんな新興国で働いているんだぞ」
その現実はもう目の前まで来ている。

ソフトとハード

ハード技術者の方がブログ等で発信されていることをあまり見たことが無い。
ソフト技術者は様々な情報や意見がweb上で共有されているのがうらやましい。技術者の意見としてはソフト技術者の方の意見が社会上通っている。
ハードウエア屋としてもう少しweb上で議論や発信できる場が出来ればと思う。

予算と技術者

2010年度予算の事業仕分け作業部会で国産スーパーコンピュータ(京速計算機)の予算が削減される見込みである。
予定されていた開発テーマが無くなることで、当該テーマにアサイン予定だった技術者の数年間の仕事が失われるのかと思うと同じ技術者として胸が痛む。
 
当該技術に携わっている人間はその技術に愛着を持ち、その仕事に必要性を感じながら(時にはそう思い込まされながら)日々の研鑽と弛まぬ努力をする。それを外部の人間に突然真っ向から否定され、中止に追い込まれるのは悲劇である。この責任を彼らだけに押し付けるだけでいいのだろうか。
確かに自身の取り組む開発の目的や根拠について組織内で議論するべきだった、というのは正論である。しかし、周囲の状況、景気の動向、守るべき技術資産の存在により目的の明確性の無いプロジェクトが運営されている事はままある。
 
技術開発には人員と開発を支える予算が必要である。与える側はその技術開発に投資を行い、リターンが得られる結果と共に、組織の都合で突然止めざるを得ない結果を考えているだろうか。
失敗した際のexit戦略として、蓄積された技術資産を捨てるのか守るのか。守るのであれば組織をどう改変し、どうダウンサイジングしていくのか。そこまで考えて組織責任者は予算を組んでいるのか。
 
予算を設定し、与えることで終わるのではない。その結果には必ず人と資産が発生していることを意識すべきである。

日本市場=技術のF1

日本市場は「ガラパゴス」と呼ばれて久しい。
しかし、ガラパゴスから抜け出すためには…という建設的な議論はあまり聞かない。
一般的に言われるのは「経営資源の振り分け方が悪かった」「世界市場への展開のビジョンが無い」という経営論的な部分論に終始している。
 
しかし、それでは変革が難しい日本メーカーの現状を打破できない。
そこで視点を変えてみようと思う。
 
日本市場を「先進的な技術を試せる場所」と再定義するのである。
 
そこで私が考えたのは「F1」的にこの市場と向き合うことである。
F1は各自動車メーカーの経営資源だけで運営されているのではなく、ショービジネスとして成り立っていて、そこには各種の会社の広告料収入を使って技術開発及びビジネスを展開している。
(今は各自動車メーカー間の戦争に終始しているので広告料収入の割合は低下しているが…)
 
振り返って日本の携帯市場を考えてみる。
日本国内ベンダーは赤字ぎりぎりだが、なんとか経営が成り立っている。
成り立つ理由は、高額な通信料と端末代を払うことを厭わない日本の消費者がスポンサーと存在しているからだ。
 
そのスポンサーの存在で開発されている、日本の携帯は機能と品質は高品質であることは間違い無い。
(現に落下試験や内部設計を見ると、海外メーカーのものは怖いものが多い)

 
では、海外に振り向けられない理由は何か。
一番の大きな理由は各国への「ローカライズ」では無いだろうか。
特にソフトウエアのローカライズコストが一番大きいと思う。
しかし、そのローカライズのコストもAndroid(Googleのmobile用OS)環境を利用することで極小に押さえる事が出来る環境が出来つつある。
 
そして、車でいうLEXUSのようなブランディングにさえ成功すれば、シェアは稼ぐことが出来ないかもしれないが、一定の利益が得られる市場を確保し、世界に再進出するチャンスが出てくるのでは無いだろうか。
 
ガラパゴスの中に閉じこもるのか、犠牲を払って大海に漕ぎ出すのか、あとはその覚悟だけではないかと考える。

任天堂のイノベーションに対する悟り

任天堂の悟りの境地が凄過ぎる。

株主・投資家向け情報:2010年3月期 第2四半期(中間)決算説明会 質疑応答

 我々のビジネスというのは、皆さんが、「そんなことやって常識としてうまくいくんだろうか」と思うようなものが、何かのきっかけでポンっと化けた時に大きく成長する、大きく伸びる余地のあるビジネスなんです。

まず、こういう場でしっかり「うちの経営は博打みたいなもんです。」という認識をはっきり示しているのが凄い。IRの場で。

ただ、勝ち目の無い博打ではないことが経験上分かっているということを、続いて語る。
 

ちょっと昔の話ですが、「ポケモン」が世界中で売れると誰が思ったでしょうか。「脳トレ」が世界中で売れると誰が最初から感じたでしょうか。「Wii Fit」がこんな商品に化けると、最初から見通せていた人はいったい世の中にどれだけいらっしゃったでしょうか。「トモダチコレクション」が初回受注10万本であったということは、「10万本あればしばらく大丈夫だ」と日本中の専門家の皆さんがそう考えられたということなので、「そういうことを打ち破るものをどう作るか」なんですが、すべて計算して作ることはできません。

すべては計算出来ないが、ある程度の鼻は聞くし、沢山種は蒔いている。だから経験上、どれかは当たるはずなんです。
イノベーティブな物は沢山出しているけど、全部当たるなんて考えてない。
ましてやどのぐらい当たるなんて、当初から予定して作れやしないよ。という、MBAホルダーなみだ目なご意見。
 
 
続いて、経営者としての領分、領域について語る。

一方で私は公開企業の経営者ですので、一定以上の打率でそれを実現し、増収増益を目指していく責任があるわけです。私自身は、いろいろなところで「任天堂は後手に回っているんじゃないか」というご批判があるのは当然理解しているんですが、一方で、あらゆるところに先手を打つほど任天堂にリソースはあるのかと思うわけです。任天堂は自分の得意なことに集中してやっていませんと、人数の多い会社ではありませんので、あっちもこっちも、こういうことがはやりそうだからここに手を打ち、あそこでこれからはこうだ、という人がいたからそのための準備をし、なんてことをやっていると、あっという間にパワーが分散してしまいます。むしろ、「そんなことうまくいくの」と人が思うかもしれないことに、実はひそかに、しっかりとエネルギーをかけて、気がついたらそれが化けていたという状況を作るのが私の仕事です。それを一定以上の打率で成し遂げられていれば任天堂を認めていただけるし、成し遂げられなければ、「あの時が曲がり角だった」と言われると思うんです。


経営者としては、どこにどのぐらい種を蒔いて、どのぐらい世話をしてやるか…までしか、決められないと。
はっきりここで「確率」と言っている。経営者として、ベターと思われるリソース配分をしているけど、それ以上は確率であると。
 
社会の動向がどうだから、こういうものが…という分析論から入るのではなく、まずエンターテイメントを提供する上で何が大事か、何が出来て何が出来ないかというのを、はっきり認識している。
だからこそ、過度なリソース配分も避けられているのではないか。
ドクターマリオを作っていて、何でこんな経営者になれるんだろうか…現場の経験を生かす経営とは言うが体現するのは、さぞ大変だったと尊敬する。

 当然、私たちは次々と作っている商品それぞれに、「どうせ作るなら化ける可能性があるものを作ろうよ」と考えて進めています。そうでなければ、「トモダチコレクション」を3年以上開発し続けるなんてことをするわけがないのです。でも、では3年以上かけてゆっくり、じっくりと開発したら全部「トモダチコレクション」のようになるかというと、ならないわけで、その目利きをするのが私や宮本のすごく重要な仕事で、その目利きの打率が今のところある程度良いので、今の任天堂の結果があるんだと思っています。ですから、過去何年かの私たちの目利き力を信用していただいて、任天堂はこれからも化ける可能性のあるソフトを提案していくんだということについて信頼していただく以外にマーケットの皆さんにメッセージを出せないわけです。

 
非連続な時代に計算なんて通用しないよという痛烈なメッセージ。
 
イノベーションを起こし続けることを宿命付けられた会社の矜持のようなものを凄く感じます。
こういう事、リスクを適切に取れて、なおかつ致命的なダメージを受けないこと。
 
任天堂は何か悟っている老子のようだ。

オーバープレーヤーの果て

携帯電話業界では再編が「少しだけ」進んだ。
 
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0909/14/news085.html:「国内に携帯8社は多すぎる」 NEC、カシオ、日立、携帯統合で海外市場へ
 
メーカ間の共同戦線は過去の所属組織間の摩擦が発生して上手くいかない例が多い。
例えば、各部品選定にしても、各組織で過去に使ってきた部品を使いたい。
使いたい理由は技術だけじゃなく、各種のしがらみが多いというのが厄介。
そして、部品選定を変えた結果、問題を生めば「それみたことか」と攻撃が始まる。
 
そもそも携帯電話でシナジーを生める部分というのは、各社が持つ設計プラットフォームの共通化だろうけど、上記の理由が大きくてなかなか前に進まない。
 
すりあわせ技術を煮詰める前段階の「組織間のすりあわせ」が上手くいかない。
 
それを解決するためにはトップダウンの組織構築が必要なのだけど、
寄り合い所帯だから、社内調整が進まず何も決められない。
 
そのまま長い年月が過ぎてシナジーを生み出すことなくロスが発生する。
 
 
上記のような問題を解決するためには「外圧」を加えて、嫌でも組織再編させること。
そのために外資や大資本のようなプレーヤーが必要だけれど、こんな難問抱えたところに、コスト裂いて再生させるぐらいなら、もっと優良な投資先は沢山ある。
そもそも、ゾンビのように生き長らえさせて、利益が出るビジネスに成長できるかまったく持って疑問だ。
 
 
「ケータイ」ガラパゴスなんて言っているうちに、
「家電」ガラパゴスになって、「ものづくり」ガラパゴスになるまえに、何かの手を打つことが必要。
 
一社員でも分かっていることなんだから、きっと経営陣は何かしらのアクションを起こしていると信じたい。

デフレ克服に足りないのは「貨幣」ではなく「物語」

"金持ち父さん、貧乏父さん"の一説。

「政府がしっかりしていて、社会の教育程度が高ければ物価は上がらない。
 本当は物価は下がるはず。物価が上がるのは無知から生じた欲望と恐怖のため。」
日本では政府がしっかりしているかどうかは分からないけど、消費者はどんどん賢くなっている。


消費者の賢くなった端的な例は若者の「〜離れ」
首都圏で週末にしか乗らない車を「自家用車幻想」という、何者かが作り上げた物語に乗せられ、大きなローンを組んで高級車を買う若者はほぼいなくなった。(逆に中国やインドなどの途上国では、「自家用車幻想」(利便性・行動範囲の拡大・見栄など)の為に、年収の数倍のお金を出してでも自動車を買っている。)

デフレーションの内の定義を引用すれば、

経済全体で見た需要と供給のバランスが崩れること、すなわち総需要が総供給を下回ることが主たる原因である。貨幣的要因(マネーサプライ減少)も需給ギャップをもたらしデフレへつながる。

この中で総需要というのは「消費+投資+政府支出+輸出(海外からの消費、投資)」で定義されるが、
上記したように、消費者が賢くなり消費しないので、どんどん需要がしぼんで供給多寡になり物価が下がる。
 
それに対して政府は公共事業をしまくったが状況は変わらず。
 
リフレ派の方々は上記の理由を「貨幣が足りないからだ」と仰られているが、
本当に足りないのは「消費」であることに間違いはない。
(各種統計を見ても典型的な金余り状態だし)
 
消費にもいろいろあるけど、衣食住に対するお金は生きるために必要だから使うけど、
生活必需品以外の無駄遣いの量が減っている。
 
何故無駄遣いが減ったかといえば、消費者が賢くなり、経済的に合理的行動をするようになったから。
何故かと言えば、国民が共有していた物語が通じなくなったから。
物語の例を挙げると…
・車を持ったら、彼女が出来る。車での家族旅行は幸せ。
 →車を持ったら、お金が出て行く。普通に他の交通機関でいい。
・海外へ出て、自分探し
 →そんなことしなくても、別に人生変わらない
・家庭の幸せは、子供を持つこと
 →お金が出て行くのが怖いし、そもそも子供を持つ意味って?
  
だから会社や国は、もう一度本気になって、
この国を幸せにする「物語」を作り上げることだ。
もうテレビや映画にだけに頼っていても消費者は振り返らない。
 
アップルの描く未来なんて、
日本が提示してきた「音楽を持ち運ぶこと」じゃないか。
いつから潜在的な需要に対して、何も出来なくなったんだろうか。