平成ライダー

忘れた頃にやってくる…以下略。私はなんとか生きています。

久しぶりに仮面ライダーの映画を見たので備忘録を残す

福士蒼汰の存在感
・弦太朗やっぱいいなあ
・映司とアンクの懐かしさ
・ヒーローが戦う理由
・松田るか超美人
・御成の松田優作ネタってどこからきてんだ
・バイクシーンの撮影って伏木富山港ってかたぶん新港なんだろうな
・エンドロールにユウキはチラ見すらさせず
・面白いけどボリュームというか、尺が圧倒的に足りない
・歴代ライダー共演もそろそろ限界なんじゃないかなあ
・来年からの冬映画はどうなるんだろう

順不同

楽しかったし、なんとなく平成二期を眺め続けていた自分にも感慨深い作品ではあったけど、いかんせん6人も出ると時間が足りん。福士蒼汰も思ったより出てたけど、ラストシーンは変身前の姿で全員並んで欲しかったなあと。まあ、現状で言えば福士さんが出てくれただけでもよしとするしかないか。

ご無沙汰

忘れた頃にやってくる、にくいあんちくしょーなこのブログ。みなさん、いかがお過ごしでしたでしょうか。私はそれなりに元気でございます。

特に書きたいことがないのはいつもの通りなのですが、ブログ放置の期間中、いろいろございまして、私、現在、無職でございます。あと、親父がなくなりました。

ま、どうでもいいか、そんなことは。

会社を辞めて、新聞とかテレビをほとんど見なくなり、世間の情報にものすごーく疎くなりました。とはいえ、それほど不自由もしていないというのも事実で、世の中のことに関心がこれほどないのかということを思い知りました。

なぜ、こんなにどうでもいいと思っているのかというと、結局のところ、みんな信じたいことしか信じないし、聞きたいことしか聞かないという身もふたもない事実があるのではないかという結論に至りました。
新聞もテレビもネットも(右も左も関係なく)、自分たちの都合のいいというか、自分たちが正当(正統?正答?)だと思っている情報ばかり長すので、論理的に私が妥当だと思う情報を得るためには、いろんな媒体を党派を超えて触れる必要があります。しかし、そんなことまでして情報を得て、私の生活にはなんのメリットもないという、これまた身もふたもない事実が横たわるわけです。

右も左も、新聞もテレビもネットも、自分たち以外とわかり合う努力を全くせず、蛸壺の中で自家中毒となっている現状も相当ヤバイと思うのですが、政治的にも文化的にも蛸壺を橋渡しできる人間がどこにもいないのなら、これはもうどうしようもない。
池上さんは党派性はなく、「論理的にどっちがましか」というスタンスがあって好きなのですが、どうもそれ以上に踏み込むことはしないので、現状の交通整理以上の役割は期待できないんじゃないだろうかと。

情報の取捨選択が尋常じゃなく難しい時代なんだろうなと思う。党派性とか自分の好みとか希望とかルサンチマンにとらわれず、論理的にましだと思われる情報を得ることはほんとうに難しい。気がつけば、いろんなものに絡め取られて、なんとなく気持ちよくなり、議論、というか、異なる存在とわかり合おうとする行為を忘れてしまう。ニュータイプとかコーディネーターじゃないんだから、話をしないかぎり、ぼくらは分かり合えないのだけど、「どうせ話したってむだ」「あっちが間違っている」というスタンスではもうどうにもならんよ。

この断絶を埋めるには、論理的に誠実であることでしかないんだけど、その論理も果たして正しいのかという自問を続けないといけないし、もうやんなるね、まったく。

ということで、またいつか。

思い出は風の中

忘れたころにやってくる、腐れど外道ブログ。
特に書きたいこともないのですが、なんとなく今の気持ちを記す。
ツイッターフェイスブックもあるけれど、ついでにルサンチマンもあるけれど、やはりここが基本のブログなのです。
ま、ホントに書きたいことはなにもないのですよ。仕事でもなんでも。伝えたいことなんてこれっぽっちもありゃしない、知っているさ、みんなただの寂しがり屋。
世の中、メディアなんかない方がもっと幸せなんじゃなかろうかとふと思うがね。

吉井ライブ雑感

吉井和哉 【STARLIGHT TOUR 2015】金沢公演  2015/06/13 (土)@本多の森ホール (金沢) 

備忘録を兼ね、簡単な感想を残す

1. STRONGER
予想外の一曲目。吉井曰く「Xパターン」のセットリストらしい。
演奏は鶴ちゃん(Key)とよしふみ氏(Dr)のみ。
「僕を見て」。子供のような純粋な承認欲求というか、創造へのモチベーションというか。
どこかしら死のにおいも感じさせる。正直、うるっときた。
バックに吉井の影が映ったのもかっこよかった。

2. Hattrick’n
バーニー(Gt)とじゅんご(B)が登場し、一気にアッパーへ
白、赤、青の照明がきれいだなとおもった。
ライブ映えするかっこいい曲だなあとしみじみ。

3. ビルマニア
これまでのライブでは終盤の盛り上げ用だった曲だが、今回のツアーは序盤に演奏。
大サビのシンガロングはすてき。がんばらないとなあと思う歌詞。

4. ROCK STAR
イエモン時代の名曲。個人的には東京に出たてのころ、四谷の空を眺めながら、この曲を口ずさんでいた記憶がよみがえる。苦いけどあまずっぱいような季節。サビのメロディが秀逸だなといつ聞いても思う。

5. 紅くて咲こうとした恋の
正直、アルバムではそこまでぐっとこない曲。でもライブで聞くとすごいかっこいい。
吉井のギターはなんだったかな。たしかレスポールのゴールドトップだったと思うけど、
コードの鳴りが良かった。今回のツアーはバラード系がほとんどないから、
序盤で少し落とすにはぴったりの曲。

6. 迷信トゥゲザー
待ってました迷信トゥゲザー。どうにもこうにも脳内にこびりついて離れない。
横揺れ系のAメロ、Bメロから一気に突入するサビのリズムが快感。
でも、もっとライブ化けできるような気もする。

7. 母いすゞ
ライブで聞くのは初めてだけど、乾いた感じがとてもいい
吉井のアコギもよく刺さる 

8. 人それぞれのマイウェイ
久しぶりのマイウェイ。この曲の入った39108は大学4年ぐらいの作品
吉井の当時の感じとかも思い出す。LOVINSONから吉井和哉へと名前を変え
ロックスターである自分を取り戻すべきか迷っていたころ。
ちなみにそのツアーでは戻ったと思ったけど、結局は全然まだまだだったという

9. TOKYO NORTH SIDE
山田孝之の作詞、吉井作曲。ドラマ東京北区赤羽のエンディング
かっこいいわ。歌詞が曲に乗りづらいんだけど、そこをうまく落とし込む吉井の技術
鶴ちゃんのKeyによるストリングスの音色も悪くない。

10. MUDDY WATER
個人的にはちょー久しぶりのマディ。2005か06年のツアー以来じゃないか。
こじんてきにはすごい好きな曲。ラップのようなたたみかけるAメロ、上昇音階が心地よいサビ
そして定番のど・れ・が・お・れ・の・は・か・・・・

11. ふたりはさかさま
前曲の途中でブレイクし(どれが俺のは・か・)、簡単なMCから演奏
NHKのこども番組向けに提供した曲。作詞は別人。まずはバンド陣で練習してから、
吉井が歌う。本当はきょうやるつもりはなく、ツアー後半で披露する予定だったらしい。
初めて聴いたけど、ストレートなロックナンバー。ストーンズのオマージュかな。

12. Route69
佳文のドラム回しからしんみりとした一曲。好きなんだけど別れざるをえない2人の歌と勝手に思っている。たしか、照明がきれいだったなと思った記憶がある。夕日のオレンジのような光。

13. MUSIC
ダンスチューン。吉井は「生がいい」と連呼。生の音がいいんですよ。身体全体で感じられる音と光。
ライブはライブ(生)であるんですよ

14. 点描のしくみ
文句のつけようがない名曲。ライブで受けないわけがない。吉井のタンバリンさばきも最高。
人生は小さな点が積み重なり、線のように見える。一瞬一瞬の点を大切にすることで、線も美しくなる。
そんな歌。

15. Step Up Rock
吉井のパンク。何も考えず、ノリノリという感じ。ビバ白骨!

16. クリア
吉井なりの卒業ソング。空の青と桜の淡いピンクのような歌。
時の過ぎゆくままに進むしかない

17. You Can Believe
これって全然気づかなかったけど、You Can Believe「me」じゃなくて、You Can Believe「you」なんだな。自分のことを信じなさいと、昔は信じてたでしょ、覚えてないの?と、問いかける歌なんだな。
50近くになった吉井だからこそ歌える曲。きらきらと輝いていた昔を懐かしむんじゃなくて、
今の自分もそうなれるんだと伝える歌。

18. パール
イエモン末期の曲。俺こんなにパール好きだったかなというぐらい感動した。疾走感とダイナミズムをひとまとめにした演奏はまじでぐっとくる。ギターのリフがいいんだよなあ。大学時代に軽音で演奏したのを思い出した。

19. (Everybody is)Like a Starlight
みんな星の光のように輝ける。いいメロディ書くよなあ。
ということで、本編終了。それにしても、結構アッパーなセットリストだな。バラードほとんどなし。
それが吉井の気分なんだろうな。

EN1. CALL ME
LOVINSON時代の曲。神様よコールミー。新宿のタワレコに買いにいったなあ。確か冬だったような記憶がある。どよんとしていた僕の大学生活前半を支えてくれた存在。俺も神様にお呼ばれするまでに後悔のないようにしないとなあ。

EN2. バラ色の日々
好きすぎて、前奏のピアノだけで曲が分かってしまう。このツアーでは初披露。ついでに前の曲も初披露だったらしい。吉井のツアーでは割と演奏されている曲ではあるけど、やっぱりぐっとくる。会場が一体となるシンガロングも最高。バラ色の日々は、いつもこの手をすり抜けてしまうんだけど、いつかはつかめると信じたい

EN3. FINAL COUNTDOWN
久々のファナカン! LOVINSON時代から最終盤の盛り上がりチューン。
なにも考えず、音に身を任せる快感がありますな。ファナカン、ダンダンダーン!
アウトロのスライドギターも気持ちいい。そういえば、バーニーのギターは買ったばかりのレスポールカスタムブラックビューティー 58年のビンテージで、福井県なら3LDKが買える額らしい。
あと、メンバー紹介もあったんだった。淳吾があいさつさせられて大変そうだった。

EN4. ボンボヤージ
死んだ人への思い、残された者たちの決意。人生ってなんなんだろうなと思ってしまう。
しんみりとツアーを締めくくる名曲だと思ったのだけれど、なんか吉井の様子が変。
歌詞は飛ぶし、2コーラス目に入らないしと思ったら中断。やり直し。
こういう重めの曲をやり直されると、気持ちが落ち着かないなと思う。しかも、結局歌詞思い出せてないし。笑 これで最後締められるのはなんかつらいなあと思っていたら、まさかのサプライズが

EN5. WEEKENDER
ボンボヤージが終了、佳文はドラムを降り、バーニーも淳吾も楽器を置き、終わりかと思ったら、「もう一曲やりたい」と吉井。まさかのおまけの一曲。会場は一番盛り上がったな。ほんと尋常じゃないぐらいの一体感。個人的には「遠回りしても良かったと言える大人になりたい」という歌詞が好き。そうですよ。遠回りしたって、いいじゃないと。間違えたっていいじゃないかと、最後はハッピーになれると信じて
自分の道を進むことが、人生を充実させるんだと思う。

ということで終了。二時間半近い長い公演となりました。吉井、金沢でサービスしすぎだわ。

なつかしシリーズ

9年前に書いたイエモンのドームライブのDVDのレビューを発掘したので再掲。ミクシィにあったのだけど、懐かしくてちょっと涙出るわ。


今更、ずいぶん前のDVDのレビューを書くことには少し抵抗もあるのだけれど、吉井和哉が先日のツアーの最終日に『バラ色の日々』を歌ったという話を聞いて、改めてこのDVDについて書きたいなと思ったので…。

いわずも知れたイエモンのラスト・ライブのDVD。まぁ、ライブが行われたころはこれがラスト・ライブになろうとは夢にも思わなかった…なんてことは嘘で、40%ぐらいは戻ってこないかもと思っていたし、実際彼らは帰ってこなかった。

このDVDは解散が発表されてから発売されたのだけれど、そういう見方をすれば「あぁ、やっぱり」という印象はどうしても感じざるをえない。
演奏も、パフォーマンスも、いつものようにカッコいいのだけれど、どこか空回りしているように感じる。
別に「どこがそうなのか?」と聞かれても具体的には答えられないし、東京ドームというあまりにも巨大な空間ゆえにそう感じたのかもしれない。

だけど、だけど…やはり吉井が無理に明るく振舞っているように見えてしまう。

THE YELLOW MONKEY」というバンドは吉井和哉が支えていた…というと語弊があるかもしれないけれど、実際そうだと思う。
確かに、エマもヒーセもアニーもいないイエモンなんて考えられないけれど、バンドが転がってく上で吉井和哉にかかる重さがやはりほかのメンバーよりも重いものだったのは間違いない。そして、それゆえに彼はイエモンを愛していたのである。その吉井があんな表情を、態度をしていたのだ。動きが止まるのは時間の問題だったのだろう。


また、このライブの選曲は直前からのアルバム『8』からのものが多かった。普通に考えれば、アルバムのツアーもやらなかったから、そこからの曲を多めに演奏したということなのだろうが、うがった見方をすれば、昔の曲がしっくり来なかったのではという考えも浮かんでくる。
吉井はライブの中で昔の曲のリハも行ったが、結局はやりたい曲、意味のある曲を選んだと話している。ファンの心理からすれば、『8』の曲はそれほどイエモンにとって意味のある曲には思えない。もちろん、『8』というアルバムも僕は好きだが、もっと大事な曲はいっぱいあるんじゃないの?という疑問があったのも事実である。
つまり、今のイエモンにとって『8』はファンが思っている以上に大きな意味のあったアルバムであったということだろう。

では、その大きな意味は何なのだろうと考えたときに、やはり「解散」の二文字が頭に浮かんでくる。
今思えば『8』というアルバムは、それまでのイエモンの曲よりもYOSHII ROVINSON、つまり吉井のソロ作品に近い存在のように思える。
いわば、『8』というアルバムはイエモンというバンドがすでに限界だったということを証明するものに他ならなかったのかもしれない。

ただ、やはり、終盤の『真珠色の革命時代』で見せた吉井の笑顔は心の底からのものだったろうし、『悲しきASIANBOY』の冒頭で吉井がおなじみ「THE YELLOW MONKEY」と書かれた電飾に向けて
したお辞儀(?)にはいろいろな意味が込められていたのだろう。

よくまぁ「後出しジャンケン」でここまで書くなぁとも自分でも思うが、いずれにせよ、イエモンがもういないことは事実であるし、吉井がソロで『バラ色の日々』を歌ったということは、ある程度のけじめが吉井のなかでされたことを意味するのだろう。
そういえば、最近のインタビューでそんなことも言ってたかなと今ふと思った…。

最後に、なんだかんだ言っても、このDVDは僕は大好きです。『悲しきASIANBOY』の曲にあわせて振られる何万人の手をバックに歩く吉井の姿はまさに圧巻であるし、紙ふぶきの中で歌う吉井はほんとにカッコいいのだから。

311ってなんだっけ

ちょっと変なお話。
最近、東日本大震災がきっかけで狩猟を始めた女性のホームページをみて、違和感を覚えてしまった。

以下HPから引用(いろいろあるとアレなので、直リンはしません)

暮らしかた冒険家 Lifestyle lodestar カナダ留学後、ウェブマガジンgreenz.jpインターンを経てNGO/NPO支援・映画の配給事業を行う会社に就職。 半農半Xのワークスタイルを目指すべく、会社ごと千葉の外房に移住しオフィス隣の小さな畑で野菜を育てる。 仕事で訪れたオーストラリア・インドなどのエコビレッジでは、WWOOFを通じてサステナブルな暮らしを体験。 人と人が繋がるヒューマンスケールな生き方に目覚める。 2011年の東日本大震災をきっかけに、大量生産大量消費の暮らしに危機感を感じ「自分の暮らしを自分で作る」べく、鶏などを解体する屠殺の勉強を開始。屠殺ワークショップを開催し大人から子どもまで一緒になって命と向き合う場を提供している。 福岡に移住した今では、食べ物、お金、エネルギーを自分たちでつくるシェアハウス「いとしまシェアハウス」を運営中。 狩猟免許を取得し、新米猟師に。現在は毛皮の皮なめしを勉強中。 解体を始めてから基本的にゆるいベジタリアンで、普段は自分で獲った獲物以外のお肉はあんまり食べません。

うん。これでどうにも頭を抱えてしまう俺が忍耐力がないのか、理解力に欠けるのか、人に冷たいのか、なんなのか分からないんだけど、どうにもこうにもなんだかなって気がしてならない。
いやまあね、そりゃ震災が縁で今の暮らしっておかしくないって思うのはそりゃご自由なんですけど、だからといって振れ幅が極端過ぎやしませんかねと。
うまく言えないんだけど、なんかもろさ、危うさっていうのが思いっきり出てるというか、ナイーブすぎるというか。急に原発絶対だめとか言い出すのと同じ。チェルノブイリという前例があるにも関わらず、それがみじかになったとたんにダメっていいだすのは、「今更かよ」と言わざるを得ない。個人的には、動かさなくてすむならそれでいいし、段階的に使用量を減らしていくっていうのが最善じゃないかなと思う。ダメっていうのも意見としてはありだけど、それが震災が起きたからっていうのは、仕方ないのかなとも思うけど、なんだかなという気がしてならない。

閑話休題

自分でも何がいいたいのかさっぱりわからんのだけど、この紹介文を見るだけで、どうにもこうにもなんだかな感がしてくるのよねえ。こういうことを言い出すのは反則だけど、いまおまえがきている服だって、獲物を狙う銃だって「大量生産大量消費」の産物だし、そこに関わらなければ生きていけないのは明白なのに、そこから目を背けて、ワンダーランド作っちゃってる感がする。本人がどれだけ自覚してるかはわからんけど、趣味でハンティングやってますというほうがいい。狩猟を始めるのに「自分の暮らしを自分で作る」とかフレーズを作らないといけないのか。震災を機に文明批判かますのはよかですけど、もうどっぷり浸かってることをひとまず置いておくっていうのは、果たしてどうなんだと。こういうこと言い出すと
「できることからが大事」とか言い出すけど、これってできることじゃなくて、できることをまったくやらずに、ほぼ現実逃避だからよ。だから気持ちが悪い。

俺はひねくれているから、人と人とがつながる暮らしとかはよくわからないけど、それって今の社会の暮らしじゃ実現できないのか、自然と向き合う暮らしって都会のど真ん中だってやろうと思えばできるだろ。いやまあ、好みの問題よ。自然で暮らしたい、都会で暮らしたいってのは。それは趣味の問題だから尊重するけど、この人の場合って全然違うんじゃないの。
こういう暮らしがしたかったんですと言えばいいところを、震災を言い訳にして、自然派でエコで狩猟女子なあたくしカワイイみたいな自意識がにじみ出てる気がするんだよなあ。狩猟もエコな暮らしもファッション的に消費している気がしてならない。それがもろさに見える。

いやまあ、ふぁっしょんっでもなんでもいいから、狩猟者が増えることはいいんだけどね。誰かが山に入って調整しないと、いつまでも鳥獣被害は減らないからさ。猟師は減る一方で、技術継承も課題ですよ。でもね、なんかそれを「新時代の生き方」「311の教訓」みたいな取り上げ方するっておかしくねえかよ。震災の本当の問題は文明の問題ではなくて、それを使う人間がいつまで経ってもノー天気だから津波から逃げられなかったし、原発もどかんとなった。でも、人間はいつの時代ものーてんきだし、不可逆的なことがおこって初めて学習する。不謹慎なたとえで申し訳ないが、次に同じような地震津波が起きたら、もう少し多くの人が助かると思う。そうやって学習していくのが人間だし、そのための対応を考えていくのが本当の教訓じゃないのか。自分の思想をライフスタイルとして体現するためにやってる「プチDASH村ごっこ」は決して311の教訓にはなりえないのだよ。おまえの趣味は尊重するけど、そうやって思想にまみれたライフスタイルを見せられる(ま、見たのは俺なんだけど)のはなんだかなー。


ひさしぶりの投稿で、しかもまとめる気のない文章。極楽の山本が復帰するというので、復帰してみたぜ。

この前の某新聞に、NZ地震を取材した記者の体験記が掲載されていた。
北陸の民が外国でこれほどまでに亡くなるという前代未聞の状況を考えれば、
記者が経緯を振り返る意義はあるように思うが、一読して、いらだちが抑えられない。

テーマは「メディアスクラムの是非」。今回の取材でも、相当家族をつけ回したんだし、問題になるのも分かるが、結局、メディア側がどうこの問題を語ろうが、言い訳にしかならないのは火を見るよりも明らかなのに、なんの屈託もなく、いけしゃーしゃーと記事にするこの態度は、問題だと思う。
記事の内容については、著作権的に面倒なので、引用はしない。
取材に行って、家族を追い回す内に疑問が沸いて、自問自答していろいろあって、でも伝えることに意義があると結論づけるといういつものパターンである。

メディア側がメディアスクラムを考えたところで、つまるところは「報道に意味はある」という答えにしかならない。
みんな分かってるはずだ、メディアスクラムなんかやってまで伝えるニュースなんてどこにもないことを。
報道の自由とか、知る権利うんぬんとか、ただの建前でしかないってことを。

みんな、他社に抜かれたらいやだという競争意識しかないって、ちゃんと認めろよ。
所詮は仕事。メシのタネ。でも、俺はそれでいいと思う。これが俺の仕事なんだ、会社ってのはいやなこともやらねばならんのだ。

こっち側の俺がいうのも何だが、あんまり家族とかの記事をおもしろいと思ったことがない。
みんなはこういうのが、事件の重さを伝えるんだっていうけど、
なんか、お涙頂戴ってのが見え見えで、事故や事件の重さなんて全然伝わらないからだ。
病気でも、事故でも、事件でも、死んだ人には家族がいて、友人がいて、人生がある。地震で死のうが、病気で死のうが、人に殺されようが、理不尽は理不尽で、悲しむ人がいて、残された人もいる。なのに、病死は新聞には載らず、家族の様子も取材しない。それはニュース価値がないから。
そんなのは、俺でも知っている。意味がないと分かっていようが、それが仕事だから、するしかない。
もっと潔くなれよ、悪いと本気で思ってるなら、取材やめればいいじゃん。
思ってないなら、周りがあおるからやらねばならんのですと言えばいい。

さも、反省するように自己弁護を展開し続ける方が、よっぽどタチが悪いと自覚してほしい。