じじぃの「人の死にざま_1499_ヴラド3世(ドラキュラ公)」

Vlad The Impaler "The Real Count Dracula" 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4ei6mFSqqjg
ワラキア公ヴラド3世

ヴラド・ツェペシュ ウィキペディアWikipedia)より
ワラキア公ヴラド3世(Vlad III , 1431年11月10日 - 1476年12月19日)、通称ドラキュラ公)は、15世紀のワラキア公国の君主。諸侯の権力が強かったワラキアにあって中央集権化を推し進め、オスマン帝国と対立した。
日本ではしばしば「ヴラド・ツェペシュ」と表記されるが、「ツェペシュ」は姓ではなく、ルーマニア語で「串刺しにする者」を意味し、「ドラキュラ」と同様にニックネームであって、名前は単に「ヴラド」である(呼び名の項を参照)。
ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』に登場する吸血鬼・ドラキュラ伯爵のモデルの一人として知られる。現在は、故国を侵略から守るために戦った英雄として再評価されている。

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『いっしょにいると疲れる人―「くされ縁」の人間関係の研究』 バーバラ・E. ホルト/著、鏡リュウジ/訳  講談社 2001年発行
カリスマ的ヴァンパイアはどこにでもいる (一部抜粋しています)
実際のところ、カリスマ的ヴァンパイアは世界中どこにでも存在するのだ。そして、その超人的な魅力が、そのまま超人的な毒になっている。これについて、ヴァンパイア現象に詳しいマスケッティは次のように記述している。
「(ヴァンパイアは)知性的であることが多い。その長大な生命ゆえに、ヴァンパイアは世界のことをよく知っている。文学、芸術、絵画、そして音楽に詳しい……死を乗り越えてしまったヴァンパイアは、極端に現実的である。普通の人間よりも、はるかに『動物的』であるといえるだろう。ヴァンパイアは捕食動物であり、生きるために他者を殺さなければならない。その目的を達成するためには、周囲に注意深く気を配る必要がある。さらに、ヴァンパイアは超自然的な存在である。その力は通常の人間の生存能力をはるかに超えているのだ」
さらに、次のマスケッティの言葉は、ドラキュラやレクターなど心のヴァンパイアの本質をよく言い表している。
「一部のヴァンパイアは舞台の上や社交界でほくそそえんでいることもある。彼らの永遠の生命からすれば、犠牲者やヴァンパイア・ハンターとのかくれんぼは楽しい気晴らしである。その素早い動き、人間界の法則に縛られていないこと、犠牲者を麻痺させる催眠術的な力、そして自分の姿を見えなくする能力など、ヴァンパイアは普通の人間とはまったく異なる存在である。普通の人間とは異なるという刺激と興奮を感じながら、人間たちの間を闊歩するのはヴァンパイアの絶好の気晴らしなのである。もし気づかぬうちにヴァンパイアと出会ったとしたら、その害悪はさらに恐ろしいものとなろう」
犠牲者の側にも問題を悪化させている部分がある。というのは、私たちは往々にしてヴァンパイアに理解を示したり、場合によっては崇拝してしまったりするからだ。私たちはドラキュラ公爵やレクター博士のようなヴァンパイアを崇拝し、みずから言い寄って、その超人的なパワーの恩恵にあずかろうとするのである。
興味深いのは、ヴァンパイアを崇拝し、その恩恵をあずかろうとする犠牲者自身も、相当な能力の持ち主である場合が多いことだ。人並み以上の能力を持つ人間にしてみれば、超人的な能力をもつヴァンパイアこそ、自分に釣り合う人物に思えるかもしれない。
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たしかにカリスマ的ヴァンパイアはあなたを庇護してくれるだろう。しかし、それはあなたを食い尽くしてしまうまでの話なのである。
もちろん、ドラキュラ公爵やレクター博士ほどのヴァンパイアになるためには、人並み以上のパワーとカリスマが必要である。そう、人並み以上の人間でなければ、カリスマ的ヴァンパイアにはなれないのだ。だがその実例は意外なほど多い。悪名高い新宗教の教祖を思い出していただきたい。バグワン・シュリ・ラジニーシ、ジム・ジョーンズ、「ブランティ・ダビディアン」のデイヴィッド・コレシュ……彼らはみな生来のカリスマで犠牲者を魅惑し、犠牲者に苦痛と死の超越を約束した人物だ。ただし、彼らは思惑が良からぬ方向にいってしまって、その悪行が新聞ダネになってしまったヴァンパイアである。現実には、彼らのほかにも多数のヴァンパイアがいて、崇拝者のエネルギーを食い物にしているのだ。彼らの教義はさまざまであるが、手口はみな同じである。崇拝者から教祖にはあふれんばかりの敬意が払われ、教祖から崇拝者にはちっぱけな施し物が与えられるのだ。
彼らの手口は、まさにカリスマ的ヴァンパイアのものなのだ。

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『誰も書かなかった 世界史「その後」の謎』 雑学総研 中経の文庫 2014年発行
トルコ兵と間違われた殺された「ドラキュラ公」ヴラド3世 (一部抜粋しています)
吸血鬼ドラキュラのモデルになった人物として知られるワラキア(現・ルーマニア公のヴラド3世。
彼の別称は「ヴラド・ツェペシュ」というが、ツェペシュとは「串刺し公」という意味。1444年、幼い彼はオスマン帝国に捕えられてコンスタンティノーブル(現・イスタンブール)に幽閉されるが、4年後、かろうじて牢獄を抜け出した。だが、故郷で父と兄は自国の貴族の裏切りに遭っており、すでにこの世にいなかった。
彼が「串刺し公」とよばれるようになるのはこれ以降のこと。つまり、彼が残額な支配者となったのは、貴族に対する復讐心からだったのだ。
彼の冷血さを物語るエピソードは多い。城に招いた貴族に対して気軽な気持ちを装って「これまで何人の君主に仕えたか?」と尋ねたあと、「10人以上かな」「私は30人は下らない」などと吹聴する貴族に対し、「お前らこそ私と兄を殺した虫ケラどもだ!」といって彼らを皆殺しにしたが、それは彼らの家族にもおよび、城に招かれた子どもを捕えると八つ裂きにし、、斬った首から垂れる鮮血をその子どもの母親に無理矢理飲ませたという。
そして、彼の呼称にもなった串刺しの刑こそが彼がもっとも好んだ処刑法で、1461年にオスマン帝国と戦った際2万のトルコ兵が捕虜となったが、彼らを生きたまま串刺しにした。言い伝えによると、その串刺しの死体は長さ3キロにわたって延々と並べられていたというからすごい。
ヴラド3世にまつわるエピソードには、このように目をそむけたくなるような残酷なものが多いのだ。
では、ヴラド3世はどのような最期を迎えたのかというと、やはりオスマン帝国との戦いにおけるものであった。数万の軍がワラキアへ押し寄せると、500の兵しか持たない彼はトルコ兵の死体から服をはぎとってそれを身に付け落ち延びようとしたが、味方にトルコ兵と間違われて殺されてしまうのだ。実にあっけない幕切れである(享年45)。
その後、ヴラド3世の亡骸はブカレスト郊外の修道院に葬られた(首はトルコ王の許に送られた)が、1973年に修道院の地下墓地から発見された彼の亡骸はまるで生きているかのようだったという話もある。
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なお、「ドラキュラ」とは、アイルランド生まれの作家ブラム・ストーカーが1897年5月に出版した恐怖小説『ドラキュラ』に登場する男性の吸血鬼をさす。
日本では「ドラキュラ」=「吸血鬼」というイメージで捉えられることが多いが、吸血鬼の英語名は「ヴァンパイア」であり、「ドラキュラ」とはルーマニア語で「龍の息子」を意味しているにすぎない。

じじぃの「未解決ファイル_247_意識(心)」

NHK 2014 臨死体験脳科学 : 立花 隆の探求の旅 1/2 動画 Dailymotion
http://www.dailymotion.com/video/x26050g_nhk-2014-%E8%87%A8%E6%AD%BB%E4%BD%93%E9%A8%93-%E3%81%A8-%E8%84%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6-%E7%AB%8B%E8%8A%B1-%E9%9A%86-%E3%81%AE-%E6%8E%A2%E6%B1%82%E3%81%AE%E6%97%85-1-2_tech
NHK 2014 臨死体験脳科学 : 立花 隆の探求の旅 2/2 動画 Dailymotion
http://www.dailymotion.com/video/x260cx5_nhk-2014-%E8%87%A8%E6%AD%BB%E4%BD%93%E9%A8%93-%E3%81%A8-%E8%84%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6-%E7%AB%8B%E8%8A%B1-%E9%9A%86%E3%81%AE-%E6%8E%A2%E6%B1%82%E3%81%AE%E6%97%85-2-2_tech
量子もつれと意識 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=pS6P0FyW7mE
蜘蛛の巣

Google 「今から30年以内に人類を電脳化する」

Google futurist claims we will be uploading our entire MINDS to computers by 2045 and our bodies will be replaced by machines within 90 years Daily Mail Online
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2344398/Google-futurist-claims-uploading-entire-MINDS-computers-2045-bodies-replaced-machines-90-years.html
文藝春秋 2015年4月号』
立花隆 「脳についてわかったすごいこと」
ナビゲーター 岡田朋敏(NHKチーフプロデューサー)
(1)死の瞬間、脳に何が起こるのか
(2)見たい夢を見る方法がある
(3)「死後の世界はある」大御所研究家が明言
(4)親鸞の死のイメージは世界中に存在する
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/1240
死ぬとき心はどうなるのか 熱帯楽園倶楽部
http://ouchicafebar.blog11.fc2.com/blog-entry-261.html
意識 ウィキペディアWikipedia)より
意識(Consciousness)は、一般に、「起きている状態にあること(覚醒)」または「自分の今ある状態や、周囲の状況などを正確に認識できている状態のこと」を指す。
【意識の神経相関】
フランシス・クリック、クリストフ・コッホ
 コッホは、フランシス・クリックとともに、科学が意識の問題に挑む第一歩として、「意識と相関する脳活動(NCC)」を神経科学の実験により追求していくことが得策であるとして具体的な研究手法を提案している。意識の機能を脳活動と対応づけていくことが着実な進展につながると考えている。
・ジェラルド・エーデルマン、ジュリオ・トノーニ
 視床-皮質系のネットワークで構成されるダイナミック・コアが意識体験を生み出しているとするダイナミック・コア仮説、また視床-皮質系において相互情報量で測られる各部位間の情報的な統合の強さが主観的な意識体験の内容を決めるとする情報統合理論(Information Integration theory of Consciousness)を提出している。

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文藝春秋』 2015年4月号
立花隆 「脳についてわかったすごいこと」 (一部抜粋しています)
岡田 ラバージ(アメリカの明晰夢研究所所長)によって意識と無意識のあいだの研究は進んだものの、実は意識が脳のどの部分の働きなのか、ハッキリと特定できたわけではありません。17世紀の哲学者デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言いました。でも、「我思う」という意識が脳のどこにあるか、まだわからないのです。
 脳科学者たちが競ってこの難問に挑みましたが、脳のどこを探しても意識を生み出す場所は特定できませんでした。その難問に取り組んで脚光を浴びているのが、番組でも紹介したジュリオ・トノーニ教授(ウィスコンシン大学)でした。彼は脳が、どうやって主観的な意識を生み出すかを研究し、注目を集めています。
立花 アレン脳科学研究所所長のコッホは、彼を意識研究の「救世主」と高く評価していますね。トノーニは私のインタビューでも、「主観的な意識の量は数学的に表現できる」と話し、刺激的な仮説を打ち出したことで注目を集めています。岡田さんはNスぺ「神の公式」のディレクターも務めているから、数学は得意でしょう。彼の理論を説明してもらえますか。
岡田 理論の詳細は大変難しいので、うまく説明できるかどうかはわかりませんが(笑)。大ざっぱに言えば彼の提唱する「総合情報理論」では、意識は脳の特定の分野に存在するのではなく、脳の情報と情報の「つながり」が作るネットワークによって生み出されているとしています。彼は意識の座を求めて、目覚めている時と眠っている時の脳に微弱な電流を流し、意識相関関係を調べました。
立花 コッホと同じように、神経細胞の働きを意識との相関関係を調べたのですね。
岡田 そうです。すると眠っているときになくて、起きているときにあったのが、情報と情報をつなぐ「つながり」でした。この「つながり」を線でつないでいくと、まるで「蜘蛛の巣」のようなものが浮かび上がってきた。そして眠っているときには、この蜘蛛の巣は消えてしまう。彼はこの蜘蛛の巣状に統合された情報こそ意識の正体だと考えました。
立花 彼は研究室に、「蜘蛛の巣」の写真を飾っていました。実際には、意識の作る「つながり」は蜘蛛の巣よりもはるかに複雑だそうですね。
岡田 彼はこの意識のつながりが作る「こんがらがり」が複雑であればあるほど、意識レベルが高い、単純であるほど、意識レベルが低いという説を唱えています。そして彼は、次のような数式で意識の大きさを量ることができるというのです。
 φ(X(mech,χ1))=H|p(X0(mech,χ1)||ΠP(kM0(mech,μ1))]
 残念ながら彼の理論が正しいと証明するには、脳のすべての電気活動を測らなければならず、まだかなり時間がかかるそうです。
立花 ただし彼の理論は、先ほど話したような脳のケミカルな役割がどれほど反映されているか疑問にも思いました。
岡田 そうですね。情報論的なアプローチで、電気信号的な見方がベースにあるようにも感じました。
立花 彼の話を聞いていて、フランスの進化生物学者、テイヤール・ド・シャルダン(1881 - 1955)の考えと似ていると感じました。日本では忘れられていますが、アインシュタインと同じ年に死んだ時は、ユネスコが「2人の偉人が時を同じくして死んだ」とシンポジウムを開いたほどの大科学者です。
 彼は、カトリックイエズス会の神父でもありました。イエズス会は高度な教育、研究活動を重視していて、日本では上智大学などを作っていますね。シャルダンは、キリスト教の信仰を持ちながら、当時まだローマ法王庁が認めていなかった進化論の専門家となり、北京原人を現地で研究し、名著『現象としての人間』などを物した人です。私は著作集を全巻読んだし、それを元に東大で講義したこともあります。
 彼の研究で一番知られているのが『複雑化・意識化の法則』です。彼が注目したのは、生物進化における「複雑性」という尺度でした。彼は長さや重さといった尺度と同じように、私たちが忘れている重要な尺度として「複雑性」があり、あらゆる生物の長い進化の歴史を見ると、時代が下れば下るほど、神経組織、脳など色々なものがより複雑なものになっていると気が付いた。
 生物はより複雑なものになる過程において、その複雑性がある限度を越すと「意識」が生まれる。その複雑性の頂点にいるのが人間であり、その極点オメガポイントに何が出てくるかというと、それはイエス・キリストの再臨であると。
岡田 イエズス会のお坊さんらしい結論ですね(笑)。複雑になればなるほど、意識を持つようになるという考え方は、確かにトノーニ教授の理論に繋がります。
 トノーニ教授は、意識の大きさをレベルで表現しますが、彼の理論でいうと、例えば犬や猫は複雑で意識レベルが大きい。鳥や昆虫になるとそのレベルが小さくなっていく。彼の理論では、レベルは落ちるものの、単細胞生物にも意識がありうることになってしまいます。

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どうでもいい、じじぃの日記。
文藝春秋』4月号に特集 立花隆 「脳についてわかったすごいこと」が載っていた。
去年の9月、NHKスペシャル臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」を観た。その番組の活字版だ。
臨死体験」も人の「意識」の表れのひとつのような気がする。
「彼はこの蜘蛛の巣状に統合された情報こそ意識の正体だと考えました」
単純なじじぃ。人の「意識(心)」は「蜘蛛の巣状」でできているのだ。