『ハテラス船長の航海と冒険 ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクションⅠ』ジュール・ヴェルヌ/荒原邦博訳(インスクリプト)★★☆☆☆

『ハテラス船長の航海と冒険 ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクションⅠ』ジュール・ヴェルヌ/荒原邦博訳(インスクリプト

 『Voyages et aventures du capitaine Hatteras』Jules Verne,1866年。

 すでに『気球に乗って五週間』『地底旅行』『地球から月へ』は刊行されていましたが、〈驚異の旅〉というシリーズ名が用いられたのはこの作品が初めてということだそうです。1864年連載開始、1866年に十八折判2巻本、1866年11月に八折大判挿絵入り分冊版が出ており、この翻訳は挿絵入り版を底本にしているそうなのですが、解説を読んでも出版の時系列がよくわかりません。単行本刊行時にタイトルが『Les Aventures du capitaine Hatteras』に? 執筆自体は『気球に乗って』の後だったりもするのでさらに複雑に。

 船乗りリチャード・シャンドンの許に船長のK・Zと名乗る人物から謎めいた手紙が届きます。シャンドンを副船長にして危険な調査行を計画している。ついては大金と引き替えに、小帆船フォワード号を作らせ、船長と船医を除く十六人の乗組員を用意してほしい。なお、同行させる犬もお届けする――という内容でした。船は完成し、犬と船医も到着し、目的地もわからず船長も不在のまま船は航海を開始します。姿を見せない船長に代わり、犬はいつしか船長と呼ばれるようになりました。

 そもそも船長のイニシャルがK・Zなので、はじめのうちは果たしてハテラスとK・Zは同一人物なのかすらわかりません。ようやく船長の正体が明らかになるのは100ページほど進んでから。卑怯者(笑)。だから匿名だったんですね。引き返せないところまで来てから打ち明けるとか。【※北極点を目指して探検隊を全滅させた悪名高き船長だったため、本名で乗組員を募集しても誰も応募してくれないと考えて匿名で募集していた。

 訳註によればハテラス(Hatteras)という名は「mad as a hatter」から採られており、K・Zもcrazyに通ずるのだとか。『不思議の国のアリス』でお馴染みのこの成句、英訳者はサッカレー『ペンデニス』に由来すると書いています。ヴェルヌがサッカレーを参照していたということなのでしょうか。

 ハテラスの登場によりそれまでリーダーシップを取っていたシャンドンは追いやられる形となり、対立構造というドラマが生まれます。

 ところが主役を乗っ取ったはずのハテラスが、なかなか主人公らしい活躍をしてくれません。ハテラスときたら北極点に到達したいがあまり残燃料を無視して船を駆り立て、案の定薪がなくなって生命維持のために暖を取ろうとする船員を斧で殺そうとするような、およそ共感しがたい人物なのです。名前が「mad as a hatter」から採られたという説も納得の狂人ぶりです。

 そうはありつつ陽気なドクター・クロボニーがハテラスの味方をするので、文字通りムードメイカーの言動によって、ハテラスが正しいムードが徐々に形成されてゆきます。

 それにしてもハテラス船長はネモ船長のようなカリスマ性もなく、このあとヒーローたりうるのかと危ぶんでいたところ、なんとヴェルヌは奇策を打って出ました。シャンドン副船長をハテラス船長以上の卑怯者にすることにより、シャンドン=悪、ハテラス=正義という図式を作りあげたのです。何という力業。【※燃料調達に出かけたハテラスたちを見捨てて船に火をつけ、陸路で逃亡。

 物語自体も、船から下りて燃料を探しに行くところあたりから起伏に富んだ冒険が続いてゆきます。それまでは氷山の恐怖などはあっても、ずっと船上なので単調になっていたのは否めませんでしたから。

 なのに――。なのに、ハテラス――。せっかく盛り上がってきたのに、遭難していたのを助けたアメリカ人アルタモントとお国自慢で張り合っている場合ではないでしょうに。なんてちっぽけな男。およそ船長の器ではありません。

 船長の器どころか、船員としてほぼ何もしていません。アザラシの皮をかぶってクマに立ち向かっただけ。ドクターは知識をふんだんに活用し、大工のベルはその腕を活かし、乗組員長のジョンスンはベテランらしい忠誠心で動いているというのに。

 フィリアス・フォッグもちょっとどうかと思う人でした。バービケーンやニコル大尉のいがみ合いも大概でした。それでも彼らなりにかっこいい人たちでしたし、リーデンブロック教授に至っては愛すべき頑固者キャラでした。ところがハテラスには彼らのような魅力はありません。

 ハテラスとアルタモントの対立をさっさと終わらせるよう指示したエッツェルは優秀な編集者だったのだなと感じました。訳註や解説を読むにつけてもますますその思いを強くしました。

 ただしハテラスの最後だけはエッツェルの判断ミスだと思います。どのみちハッピーエンドにならないのなら、潔く死なせてあげればよかったものを。自我を失ったまま北極の方向に歩き続けるだなんて、ギャグにしか思えませんでした。

 北極点だけ小さな島になって陸地になっている都合の良さ、どうしても領土という形でナショナリズムとハテラスの情熱を表現したかったのでしょうが、微笑ましいものがありました。

 『インド王妃の遺産』が他人の原作をヴェルヌが書き直したものだとは知りませんでした。けっこう面白い作品でしたが、ヴェルヌらしくないと言えばそうかもしれません。

 解説者が冒頭でいきなり船内の生活とコロナ禍での巣ごもりを結びつけて同時性を説いていましたが、さすがに強引すぎます。

 これだけ大部の作品なので翻訳は大変だったであろうとは思いつつ、気になった箇所がいくつか。第一部第三二章(p.288)「ドクターは彼の衣服のポケットの中を探った。空だった。だから証拠になるようなものはなかった」。「証拠」というのは「身元を証明するもの」くらいの意味かなあと思って確認してみると、原文は「document」でした。

 第二部第一章(p.298)「運のない男だ!」というジョンスンの台詞が、上から目線というか他人事のように聞こえます。「彼の運命を羨むべきなのかも」という文章を活かすために、不自然な表現になろうとも敢えて「運」という単語を入れたのかと思いきや、原文は「L'infortuné !」と「son sort !」なので関係ありませんでした。

 第二部第一一章(p.400)「『えっ!』ドクターが答えた。『クマは遠目が利くし、きわめて鋭敏な嗅覚に恵まれているからね(略)』」。驚いている場面ではありません。「Eh bien !」あたりを訳したのかと思ったら、原文は「Oh !」でした。

 第二部第一二章(p.413)「見たまえ、ポーカーが貫通しない! だんだん笑止千万になってきた!」。「ridicule」の訳としてどうこう以前に、笑止千万という言葉はこういう使い方はしないでしょう。

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『猫島ハウスの騒動』若竹七海(光文社文庫)★★☆☆☆

『猫島ハウスの騒動』若竹七海光文社文庫

 初刊2006年。

 猫ばかりの島、通称・猫島。高校生の虎鉄は海岸でナイフを突き立てられた猫の剥製を見つける。たまたま観光で島を訪れていた葉崎署の刑事・駒持は、猫アレルギーに苦しみながらも事件の背後に何かが潜んでいると感じて調査を続ける。剥製は土産物屋兼書店店主でありポルノ小説の翻訳家でもある三田村成子の店で売られたものだった。買っていったのは猫目的の観光客とは思えないラテン系の男だ。

 虎鉄の幼なじみ響子は祖母の営む民宿〈猫島ハウス〉を手伝っていたが、祖父の弟・幸次郎が十八年前に起こった勧当銀行三億円強奪事件の一味だったと知り、衝撃を受けていた。宿泊客の原アカネは島に移り住むため古民宿を買って改築中だったが、積み上げておいた廃材に猫が小便をしてしまい、あまりの臭さに苦情が来ていた。アカネは猫島ハウスでラテン系の男を見かけたと言うが、宿泊客のなかにそんな男はいない。

 葉崎市シリーズの一冊。葉崎半島の海の先にある猫島が舞台です。

 いろいろイベントは起こるものの、島特有の時間感覚のゆえでしょうか、テンポは遅めでちょっともっさり気味です。猫アレルギーの本署刑事とやる気のない地元警官の凸凹コンビも、おふざけが過ぎていまいち笑い切れません。三田村成子をはじめとする魅力的なお婆さんはいるものの、群像劇というほど各キャラクターが引き立っているわけでもなく、さりとて能動的に事件を引っかき回す探偵役もいないため、全体として平板な印象を受けてしまいます。

 事件自体もさほど意外性なく終わってしまいました。あるかもしれない三億円を夢見て覚醒剤がらみの者たちが起こしたという、そのまんまの話でした。崖からの転落者とマリンバイクの衝突事故の真相に、ミステリらしい発想の転換【※崖から落ちたのではなく、崖下のほこらに三億円を探しにきているときに衝突した】がありましたが、その他のごたごたに埋もれてしまっていました。

 響子と虎鉄が疎遠になるきっかけになった修学旅行のエピソードは最後まで明かされないままでした。これまでの葉崎市シリーズで描かれた過去エピソードというわけでもなく、今後スピンオフとして書かれることになるのか、このまま謎のままなのかもよくわかりません。

 それにしても柴田よしきによる解説がひどい。コージーミステリについての薄っぺらい“私はこう思う”が書き連ねられているだけで、本書についてはほとんど言及なし。たぶん中身を読んでないでしょ、この人。

 葉崎半島の先、三十人ほどの人間と百匹以上の猫がのんきに暮らす通称・猫島。その海岸で、ナイフが突き刺さった猫のはく製が見つかる。さらに、マリンバイクで海を暴走する男が、崖から降ってきた男と衝突して死ぬという奇妙な事件が! 二つの出来事には繫がりが? 猫アレルギーの警部補、お気楽な派出所警官、ポリス猫DCらがくんずほぐれつ辿り着いた真相とは?(カバーあらすじ)

 周知の通り、猫とミステリの相性はよくて、『猫は知っていた』からシャム猫ココまで山ほどの猫ミスが世に送り出され、愛されてきた。なにしろ、ちょこっとしか登場しない猫の名前をシリーズ・タイトルにしちゃった本もあるくらいなのだ。アメリカには〈猫ミステリライター連合〉みたいな名称の団体まであって、猫ミス専門ライターが佃煮にするほどいるらいい。本書にも猫がたくさん登場(かつちゃんと活躍)するが、うち八割の名前は小説や映画に出てくる猫の名前からとってあります。ただし、出典が全部わかったら、相当の猫バカだと思う。(ノベルス版「著者のことば」)

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 猫島ハウスの騒動 

『アラバスターの壺/女王の瞳 ルゴーネス幻想短編集』ルゴーネス/大西亮訳(光文社古典新訳文庫)★☆☆☆☆

アラバスターの壺/女王の瞳 ルゴーネス幻想短編集』ルゴーネス/大西亮訳(光文社古典新訳文庫

 『El vaso de alabastro/Los ojos de la reina』Leopoldo Lugones。

 日本オリジナルの傑作選。河出文庫ラテンアメリカ怪談集』にルゴネスの表記で「火の雨」が収録されていました。さすがに古くさくてベタなくせにピントが微妙にずれている作品ばかりだったので、途中で読むのをやめました。
 

ヒキガエル(El escuerzo,1897)★★★☆☆
 ――ある日、別荘の敷地で遊んでいたぼくは、ヒキガエルに出くわした。そいつは人を見ても逃げずに全身を膨らませて怒った。何度も石をぶつけているうちにぐったりしたヒキガエルを、ぼくは女中に見せに行った。「いますぐ焼いてしまいましょう。焼き殺さないと生き返るってこと知らないのね? アントニアの息子に何が起こったか話してあげるわ」

 さほど意味があるとは思えない額縁形式。拍子抜けするようなあっさりしたラスト。本書収録作のいくつかに共通する特徴です。確かにショッキングなのですが、唐突すぎて、怖いというより呆気に取られてしまいました。背景となる伝承か何かあるのでしょうか。
 

カバラの実践」(Kábala práctica,1897)★★☆☆☆
 ――墓地の管理人が知り合いだったおかげですべては容易でした。わが友エドゥアルドは選り抜きの骸骨を加えることで、博物学の標本室を完璧なものにしたいと望んでいました。「若い女の骸骨を加えることにしよう」……わたしはこうして、ふさいでいるカルメンの気を紛らそうと、エドゥアルドが体験した出来事を語りはじめた。エドゥアルドが眠りから覚めると椅子には若い女が座っていました。無意識のうちにガラスケースに目をやると、骸骨がどこにも見当たりません。

 この作品は額縁形式に意味があり、それは確かにぞっとします。しかしながらあまりにも唐突で、そもそも辻褄が合っているのかどうかよくわからない中途半端さがつきまといます。骨女と骨なし女で平仄が合っているといえばそうなのですが。
 

「イパリア」(Hipalia,1907)★★☆☆☆
 ――ある雨の晩、彼がイパリアを拾ったとき、彼女はまだ三歳の女の子だった。十六歳になるころには、驚くほど美しい娘に成長していた。みずからの美貌に溺れるあまり、自尊心に我を忘れてしまった。一日じゅう地下室に閉じこもり、白い壁にむかって座りつづけるのである。彼女によると、壁には、水銀を施したガラスの鏡よりも鮮明な像が映し出されるのだという。

 当人が望んでいたとおり壁に映し出された話なのですが――最後に怪異を確かめるために温度計を持ち出すあたり、ピントがずれていると思うのですが、あるいはこれがリアリティのある細部なのかもしれず、どうもすっきりしません。
 

「不可解な現象」(Un fenómeno inexplicable,1898)★★☆☆☆
 ――わたしは紹介状を手にその男に宿を借りた。食事の最中、インド駐留中の話になった。「ヨガ行者に感銘を受けたわたしは修行にとりかかりました。二年が経過するころには意識の転移が可能になりました。しかし目覚めた能力は次第に御しがたいものになっていきました。放心状態がつづくと自我の分裂が引き起こされるようになったのです。ある日のことです。意識を取り戻すと、部屋の片隅に何かの影を認めました。それはなんと猿でした」

 絵の心得がないから人間ではなく猿の形になってしまった――ではギャグになってしまうので、絵の心得がないのに猿の形が描けてしまったのが怖いということでいいのでしょう。どうも「イパリア」の温度計同様、余計な一言に思えてしまいます。
 

「チョウが?」(¿Una mariposa?,1897)★★☆☆☆
 ――フランスの学校へ入るために旅立たねばならなくなったとき、リラはいとこのアルベルトと語り合いました。ふたりが別れを告げたとき、ふたりは泣きはらしていました。アルベルトがチョウを捕るようになったのはそのころです。日がたつにつれ泣くことは少なくなり、やがてリラは単なる思い出となりました。ある昼下がり、それまで見たことのないチョウを捕まえました。細心の注意を払ってピンで留めましたが、翌朝になってもチョウは生きていました。

 死者の魂を運ぶと言われる蝶となって恋人のもとを訪れる悲恋ですが、アルベルトの方から見ると悲恋ではないところに厭らしさがあります。額縁の外で語り手の話を聞いていたアリシアが、最後に「チョウが、ですって?」とたずねるのは、リラじゃなくてチョウ?ということでしょうか、相変わらずわかりづらい。
 

「デフィニティーボ」(El "Definitivo",1907)★☆☆☆☆
 ――精神病院の庭で、狂人は語りはじめた。「ぼくはあるとき突然、病気になってしまったんです。あのデフィニティーボがやってきたときに」「デフィニティーボ?」「あなたがたには見えませんか?――ぼくはその日、夜ふけに帰宅しました。開け放していた扉から、デフィニティーボが入ってきたんです」

 「決定的なもの」を意味する「デフィニティーボ」を擬人化した掌篇。
 

アラバスターの壺」(El vaso de alabastro,1923)★☆☆☆☆
 ――ニール氏はエジプトの古代魔術に関する対話集会を開き、自分の体験をわたしに話してくれた。ハトシェプスト女王の墳墓に関わったカーナーヴォン卿が死んだ。感染症だと思われたが、現地の助手によれば、壺を開けて死の香水を吸い込んでしまったからだという。ニール氏が助かったのはほとんど嗅がなかったからだ。そのとき通り過ぎた女からえもいわれぬ香りが……。

 エジプトの死者の呪いという陳腐な内容と、またもや取って付けたような最後のひとこまでした。
 

「女王の瞳」(Los ojos de la reina,1923)★☆☆☆☆
 ――ニール氏が「突然の病のため死去した」という記事を読んで、ニール氏はあの女のためにみずから命を絶ったのだと思い当たった。女王は鏡をのぞき込んだ者を罰するため、その不吉なまなざしを、美と死のまなざしを、鏡のなかに永遠に封じ込めたのです。自殺した作業員はすっかり鏡の虜になってしまいました。

 作中でも言及されている通り、「アラバスターの壺」の続き。という蛇足。
 

「死んだ男」(El hombre muerto,1907)

「黒い鏡」(El espejo negro,1898)

「供儀の宝石」(Gemas dolorosas,1898)

「円の発見」(El descubrimiento de la circunferencia,1907)

「小さな魂《アルミータ》」(Las almitas,1936)

「ウィロラ・アケロンティア」(Viola acherontia,1899)

「ルイサ・フラスカティ」(Luisa Frascati,1907)

「オメガ波」(La fuerza Omega,1906)

「死の概念」(La idea de la muerte,1907)

「ヌラルカマル」(Nuralkámar,1936)

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『紙魚の手帖』vol.16 2024 APRIL【駅×旅】

紙魚の手帖』vol.16 2024 APRIL【駅×旅】

「きみは湖」砂村かいり
 ――毎年同じ日に同じ場所で購入された切符。いなくなった恋人が集めていたそれを頼りに、わたしは「湖に浮かぶ駅」に降り立つ(惹句より)

「そこに、私はいなかった。」朝倉宏景
 ――高3の夏、真央の応援にたどり着けなかった「私」。彼の一軍初登板の今日、再び西に向かう(惹句より)

「雪花の下」君嶋彼方
 ――突然、子供を連れて実家に帰ってしまった夫と、夫の兄。翠と義姉は、それぞれの夫を追ってふたり北海道へ(惹句より)

「明洞発3時分、僕は君に撃たれる」額賀澪
 ――不倫報道から一年後、ソウルの街で再会した二人と、その跡を追う週刊誌記者。これは果たして逃避行なのだろうか――(惹句より)

 額賀氏を除いて未知の作家ばかりだったので期待したのですが、似たような雰囲気の作品ばかりでがっかり。
 

「創立70周年記念企画 エッセイ わたしと東京創元社芦辺拓綾辻行人貫井徳郎日暮雅通宮部みゆき、ピーター・スワンソン

 こういう類のエッセイは当たり障りのないものになってしまいがちですが、芦辺氏の開き直ったかのような「自著語り」がそのまま「わたしと東京創元社」というテーマに沿っていたのがお洒落でした。
 

「暮林紅子の誤算」東川篤哉 ★★☆☆☆
 ――ミステリ界の大御所、暮林耕造がひとり暮らしを営む豪邸『銀嶺館』。すっかり雪化粧したその屋敷に、今は五人の人間が滞在していた。耕造の姪、暮林紅子は若手女優で、何よりお金が大好きだった。紅子は脚本家志望の下村に、叔父殺しを持ちかけた。自殺に見せかけて密室のなかで殺そうというのだ。耕造に酒を飲ませて倉庫に運び、ロープで吊り下げて殺したあと、倉庫を密室に仕立てるのだ。紅子は裏口の錠を確認し、正面扉の錠を剝がしてから外に出た。雪の重みで開かない扉を、錠が掛かっていると錯覚させようというトリックだ。

 「〜を読んだ男」同様の犯人の失敗譚です。自らが仕掛けたトリックに足許をすくわれるという構図は面白いものの、ギャグもトリックもしょぼいのが残念です。【※実は裏口の錠は閉まっておらず雪の重みで動かないだけだったのが、トリックのため正面扉に雪を移動させたため裏口が開いて密室ではなくなっていた。
 

「創元ホラー長編賞受賞作決定」選評:澤村伊智・東雅夫・編集部
 選評だけであらすじも詳しいところはわからないので何とも。
 

「第6回 鵺の記録」熊倉献
 ――私の父は鵺でした。父の場合、頭は虎、胴は猿、手足は人間、尾はセンザンコウでした。覆面作家としてミステリー小説を書いていました。顔が虎では働きに出る訳にもいきません。私と両親に血の繫がりはありません。私の頭にはキバタンの冠羽が生え……。

 原点回帰とでもいうのか、1話のテイストに戻った感があります。
 

「〝たかが〟とはなんだ〝たかが〟とは」赤野工作 ★★★★☆
 ――ソビエト連邦科学アカデミーの主任研究員、グレゴリー・キーロフも、〝手土産〟を持って亡命を試みた内の一人だ。「〝行く当てがないようなら、是非うちにいらっしゃいませんか〟」「〝ありがとう、では西までうかがうよ〟」繰り返し、メモに書き込まれた合言葉を復唱する。待ち合わせ場所に車が近づいてくる。合言葉を済ませると、キーロフは後部座席に乗り込んだ。「CIAのロバート・クロウリーです。もちろん偽名ですからご安心を……遺伝子工学の研究資料はどちらに?」「ここだよ」トランクを胸元に強く抱えた。「我々がどれほどの犠牲を払ってきたかご存じですか」「何を大袈裟な……遺伝子工学は児童の知能開発を建前に計画されたプログラムだ。これは〝たかが〟……」「〝たかが〟はないでしょう、博士。遺伝子工学にはそれだけの力がある」「君は、遺伝子工学が人民の人格破壊かなにかの為に作られたと、そう考えているのか?」

 ソ連から西側に亡命するコンピュータ技術者にまつわる、二転三転する国際謀略小説――だと思いながら読み進めていくと、何と陰謀ではなく陰謀論の話でした。話が通じないまま同じようなやり取りを繰り返す、悪夢のような対話は、スパイ小説の戯画でもあり現実の戯画でもあり。読み終えてからエピグラフを振り返ると、なるほどそういうことかとニヤリとしてしまいました。
 

「みすてりあーな・のーと その3 艋舺《ばんか》謀殺事件」戸川安宣
 1898年、台湾の新聞「台湾新報」に連載された、日本語で書かれたミステリー。
 

「乱視読者の読んだり見たり (11)ナボコフの「スタイル」――『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』の書き出しを読む」若島正
 批評家のマイケル・ウッドについて。
 

「第24回本格ミステリ大賞予選会選評・選考経過」市川憂人・今村昌弘・宇田川拓也・織守きょうや・嵩平何、霧舎巧福井健太
 予選委員も小説家が務めていて、予選の選評もこうして公開されることを、初めて知りました。霧舎巧は運営委員なんですね、新作を発表して欲しい。
 

「INTERVIEW 期待の新人 白川尚史『ファラオの密室』」
 古代エジプトが舞台のミステリ。振り切った感じが面白そうです。
 

「INTERVIEW 期待の新人 真門浩平『ぼくらは回収しない』」
 第19回ミステリーズ!新人賞受賞作「ルナティック・レトリーバー」を含む作品集。
 

「INTERVIEW 注目の新刊 浅倉秋成『家族解散まで千キロメートル』」

「BOOK REVIEW」
 『黄土館の殺人』阿津川辰海は、シリーズ最新作。

 『三十九階段』ジョン・バカンは、新訳ではなくエドワード・ゴーリーの挿絵を付したもの。

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 紙魚の手帖 vol.16
 

『秘密(下)』ケイト・モートン/青木純子訳(創元推理文庫)★★★☆☆

『秘密(下)』ケイト・モートン/青木純子訳(創元推理文庫

 『The Secret Keeper』Kate Morton,2012年。

 ローレルは事件について弟のジェリーに相談するとともに、ヴィヴィアンについて調査を進めてゆきます。そうして明らかになるドリーの噓、ヴィヴィアンの半生、ドリーとジミーのその後の成り行き。

 作品を読み始めた当初は、すれ違いや誤解による悲劇なのだろうとばかり思っていましたが、まさか完全に思い込みと悪意によるものだったとは。そんなドリーを嘲笑うかのように、運命は転がってゆきます。それはもう絵に描いたようなお約束の展開に。

 そこからは相次ぐどんでん返し、という名のお約束の連続でした。お約束もこれだけつるべ打ちすれば、意外などんでん返しになるのだというのは新発見でした。

 自分を無視したヴィヴィアンに復讐するため、ジミーと協力して浮気の現場写真を捏造しようとするものの、ヴィヴィアンの浮気はドリーの思い込みだったことが判明。

 ヴィヴィアンとジミーが互いの人柄に触れて、いい感じに。

 しかしヴィヴィアンはジミーとドリーの浮気現場捏造計画を知ってしまう。

 ドリーとジミーに謝礼と称して大金を手渡し、ジミーとの別れを決意。

 これで丸く収まった――と思ったところで運命の悲劇が引き起こされます。

 ところがここで黒幕の巨悪みたいな出てきて興醒めでした。

 あまりにも都合のいい急展開だと思いつつも、空襲ですべてが無に帰し、かくてヴィヴィアンの最期もドリーとジミーが結ばれなかったわけも判明してひとまずすっきり。

 けれどまだ最後の秘密が残されていました。これもまたベタなのですが、大きすぎるがゆえに最後まで見えませんでした。

 読後の満足感こそあるものの、ちょっとひねりがありすぎて食傷気味でした。

 第二次世界大戦中、ローレルの母ドロシーは、ロンドンの裕福な婦人の屋敷に住み込むメイドだった。向かいに住む作家の美しい妻に憧れていた彼女には婚約者もいたが、ロンドン大空襲がすべてを変える。2011年、ローレルは死の近い母の過去を知りたいと思い始める。母になる前のドロシーの過去を。それがどんなものであったとしても……。翻訳ミステリー大賞・読者賞W受賞の傑作。(カバーあらすじ)

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