『久生十蘭全集4』久生十蘭(国書刊行会)★★★★☆

 第四巻収録作はすべて三一版全集未収録作。月報は宇月原晴明宇神幸男
 

「女性の力」(1940)★★★★☆
 ――少しも便りをくれなかつた伯母が、東京へ帰つて来いといふ手紙をよこした。たやすくは去りかねる聖安土女学院だつたけれども、真波は喜びの中に溺れ込んで同意してしまつた。(立派な青年が、あなたの帰りを待ちこがれてゐるのよ……)いつたい、何のために? あたしと結婚しようとでもいふので?……この考へは、たしかにすこし行き過ぎてゐるにちがいない。汽笛が長鳴りし、汽車がとつぜん急停車した。そのはづみに、通路に立つてゐた青年が、えらい勢ひで真波の方へ倒れかゝつて来た。

 ずいぶんと即物的なタイトルにかえって目を惹かれます。エキセントリックで勝気なお嬢様と、天真爛漫でまっすぐな主人公という黄金の組み合わせはもはや十蘭の独擅場なのですが、それよりも幸子の扱いが気にかかりました。章によって語り手が変わるうえに、主語が省略されている十蘭特有の文体なので、読むのに緊張感を強いられます(そこがよい!)。
 

「魚雷に跨りて」(1941.3)★★★★☆
 ――二月五日、日露の国交は断絶した。露細亜外務省で「糞喰へ!」と暴言を吐いたせいで帰国命令を受けた座間は、数日後、ヘンリイ・ヂキンソン氏を訪れた。「実は、魚形水雷を一個ご周旋願いたい」

 粋な(キザな?)セリフが頻発する、男気あふれる短篇。バルチック艦隊の史実に沿って、タイトルそのままの無茶な愛国的行動に出た一人の男の、日露戦争裏面史。
 

「蜘蛛」(1941.5)★★★☆☆
 ――好蔵にとつて、熱帯マラリヤと熱帯チフスは二人の息子の敵だつた。それで三男が医科大学を出ると、「風土病防遏整地作業」の監督にパラオに送つた。この残酷な風土病は、間もなく三男の命までも奪つてしまつた。「若い女の方がお見えになってます……」

 後半はわりとストレートなメッセージ・ストーリー。そんな本人の一言で信じちゃっていいのか。。。取りようによって生きるというメッセージとも戦争協力というメッセージとも受け取れそうな書きぶりがお見事。前半のお酒おじいちゃんもかわいい。
 

「フランス感れたり」(1941.6)★★★★★
 ――巴里が陥落する以前は、ペロオさんはこんな口のきき方をするやうなひとではなかつた。あの不幸な六月二十九日以来、ペロオさんはすつかりひねくれてしまつた。ペロオさんが絡む相手は、英吉利人にかぎらない。

 第二次大戦中フランスがドイツに破れ、日本の軽井沢で(悪戯に)孤軍奮闘するフランス人をユーモア調に描いた作品。自分がここにいるあいだはフランスはなくなってはない、という信念のもと、軽井沢に滞在中の各国人に全力の悪戯を仕掛けてささやか過ぎる抵抗を試みるペロオさん。不思議なタイトルの意味が明らかになる結末には背筋がすっとなりました。
 

「北海の水夫《マドロス》」(1941.6)★★★★☆
 ――いま、ペトロバウロフスクにゐる日本人といへば、去年密猟してゐる最中、監視船に発見され、こゝの監獄に抑留されてゐる海神丸の柏原貫三以下十三人が全部である。

 ロシアに密猟で捕まった荒くれ水夫たちが、露船を奪って脱走、日露開戦とともに日本のために一肌脱ぐ。これまた男気あふれる一篇。むしろ男気だけで、お国のために行き当たりばったりで突き進みます。
 

「生霊」(1941.8)★★★★☆
 ――松久三十郎は人も知る春陽会の驥足である。山旅ばかりしてゐるので、画壇では「股旅の三十郎」といふ綽名をつけてゐる。商人宿の上框に腰をおろすと、お爺さんが這ひ出してきて、三十郎の顔をひと目見ると、「貴方、弥之さんではござんしないか」と魂消たやうな声で叫んだ。

 狐が化けたり死者をお迎えしたり、古い民俗の残された片田舎。絵描きさんものりやすいというかのせられやすいというか、狐が踊っているなァなんて調子を合わせることのできる人なので、最後にシンクロしてしまうのも必然といえましょう。
 

「手紙」(1941.9)★★★★★
 ――一九三二年の夏、南仏のニース海岸で。三十歳ばかりの美しい婦人が、ホテルの土壇でも珈琲店でも、いつもひとりでゐる。ところで、どうしたものか、ひとのいゝ新聞売店のお婆さんも、愛想のいゝ花売娘も、その女にだけはいゝ顔を見せない。

 目立ちたがりの誇張癖(?)を持つ若い女が、その都度の自分の活躍(?)を手紙に書いて両親に知らせるという話です。モデルをしたら「絵描きになります」、病院で働いたら「立派な看護婦になります」、諜報に協力させられたら――。
 

「ヒコスケと艦長」(1941.10)★★★☆☆
 ――文化八年のことである。露艦デアーナ号の艦長ガローウニン中佐以下七名は、箱館まで護送されてゐた。ヒコスケといふ小柄な日本人が、平和な見せかけでデアーナ号の一同を安心させ、その油断に乗じて乗組をおびきよせようと企て、それは完全に成功した。

 『日本幽囚記』のゴローニン(ガローウニン)の幽囚記。でたらめな通訳、教えられた××な日本語、牛馬に食わすような食事……十蘭はこういう、滑稽と悲惨がないまぜになった文章がやけに生き生きしている。
 

「地の霊」(1942.1)★★★☆☆
 ――われわれは戦争といへば、電撃戦や殲滅戦などといふ華かな面にばかり眩惑され、さういふものだけが戦争の全部だと理解し勝ちである。しかし、かういふ現実を見、形容し難いこの忍苦と辛酸の実状に触れると……。

 わりと率直な戦争ものが続く。地味な活動に従事する兵士たちを「地の霊」と表現するあたりがさすがです。蠢いている感じで、むしろ怖い。
 

支那饅頭」(1942.2)★★★☆☆
 ――高橋信吉は財家の御曹子だつた。欠点と言へば、飽くことを知らない美食癖だつた。さういふ信吉がどの料理にもてんで箸をつけなかつた。この気障な通人ぶりが胸糞悪かつた。

 前線で飢餓を目の当たりに見た金持のぼんぼんが……という、これまた露骨な戦時小説。だけど胃拡張か何かの大食漢を持って来たためピントがおかしなことになってます。
 

「雲井の春」(1942.3)★★★★☆
 ――五年前、妻が亡くなつた時は、まるつきり娘のことなど顧みる暇がなかつた。それが、もう学び舎を出て世間の女にならうとしてゐる。ほんとに、いつの間に……。「卒業式がすんだら、飯でも食つて、あとは歌舞伎でも……」「ぢや、ね、お父さま、日比谷の交叉点で待つていらしてよ」

 女学校を卒業する娘に、卒業を真っ先に報告したい人がいると告げられた父親は……。父と娘の家族のひとこまに愛国を潜ませた作品。うまい。父親のやきもきする感じと卒業・成長の凛とした雰囲気にはじんと来ました。
 

「花賊魚《ホアツオイユイ》」(1942.4)★★★★☆
 ――やす婆さんの伜の与平が敗残兵に襲撃され、捕虜になつた。「与平がオメオメ拉致されたな、しよせん、あれが未練だつたからでごわせうか。わしや、重慶まで出掛けて行つて来ツと思ひます」

 八十日間世界一周ならぬ九十日間重慶往復の冒険物語。本巻にはめずらしく、細かいことを抜きにして第三巻収録の冒険ものみたいに楽しむこともできる作品でした。
 

「三笠の月」(1942.5)★★★☆☆
 ――癸巳十一月十五日、日本へ歸る遣唐使の一行はまさに蘇州の江岸を離れようとしてゐた。

 阿倍仲麻呂遣唐使の話。直木賞候補だそうです。
 

「海軍要記 水雷行/軍艦」(1942.6/11)★★★★☆
 ――「戦艦が入つてるウ!」と叫ぶと、ドタドタと教室へ駆けおりて行つた。「拝艦だ、拝艦だ」と走廻つたりしながら、校庭へ集れ、といふ先生の合図を待つてゐた。だが、この日はすこしやうすがちがつてゐた。命令もなければ提示も出なかつた。始業の鐘が鳴り、教室へ入れられてしまつた。

 「軍艦」の方は明らかに「最後の授業」ですね。十蘭の換骨奪胎の才は人の知るところ。後半の掛け声や木登りのクライマックスは、本歌にはない見どころです。
 

「英雄」(1942.7)★★★★☆
 ――まつたく、檜隈は日本人離れのした堂々たる体躯を持つてゐた。檜隈の噂が出ると、「とにかく、あいつは、英雄だよ」と結論するのがきまりのやうになつてゐた。しかし、意外な事情のために、この名声もどうやら影がうすれたやうなぐあひになつた。

 本当の英雄的行為とは――。大上段に構えたりはせず、社員や檜隈のとぼけた言動の果てに描かれるのはあくまで控えめ。抑えた抑えた後に明かされるからこそ、ぞくりとします。
 

『紀ノ上一族』(1942.7〜11)★★★★☆
 ――震災後、いちばん早く焼跡の整理をはじめられたのは、桑港のコンマーシヤル街だつた。市民は、唐突に出現した日本人の整掃団を疑ひを含んだ眼付で眺めてゐた。翌日になると、すこし調子が変つて来た。朝刊には「日本軍人、桑港の市街を統治す」といふ標題で、その翌日の朝刊には「整掃団、未成年婦人に労働を強制す」といふ写真を掲載して市民を激昂させた。

 単行本を底本に、という方針から、第四部だけは第五巻に収録らしい。米国の排日謀略をあくどく描いた反米小説……では済まない魅力がありました。奇妙な方言やとてつもない陰謀など、ほとんど伝奇小説みたい。
 

「消えた五十万人――イジユムの大殲滅戦」(1942.8)★★★★☆
 ――レニングラードとモスクワの周辺で戦争が始まつてゐるらしかつた。しかし、ザワリーシンはそれについては何一つ知つてゐなかつた。いつたい何が始まらうとしてゐるのかといふ疑問にたいしては、誰れも「私は知らない《ヤ・ニエ・マグズナチ》」といふ返事しか聞かれなかつた。

 そうか少なくともこの時期ならまだ、ロシア人とロシアが舞台でなら、こういう形で戦争を描くこともできるんですね。何もわからぬ素朴な人間が一人残されたおかげで、いなくなった五十万人が「いない」ということが、ぽっかりと響きます。
 

「国風」(1942.12)★★★☆☆
 ――デアーナ号の艦長以下六名の惨殺の報に、リゴールヅが焦々の思ひをしてゐた折だつた。舷門へ上つてきた日本人は、高田屋嘉兵衛、とこたへた。「気安くゐなせえ……艦長はじめ乗組の一統は、みな達者で松前にゐるよ」「黙りやがれ、悪魔め」「騒ぐな、野郎共」

 再びゴローニン事件。今度は高田屋嘉兵衛とリコールドが描かれます。
 

「遣米日記」(1942.12)★★★★☆
 ――西城から下つて居間に入るなり、家妻に、「おい、亜墨利加へ行つてくるぜ」といふと、「それは、御苦労様でございます」といふ手軽な返事デ、一向に動ずる色がない。かういふところからすると、どうやら家妻は亜墨利加が浦賀あたりにでもあると心得てゐる具合で、実にドーモ恐れ入つた次第だ。

 日米修好通商条約の時代を通したアメリカ批判(?)。それもガキのケンカみたいなしょーもない理屈なのが可笑しい。
 

「豊年」(1942.12)★★★★★
 ――松久三十郎は、人も知る秋陽会の驥足である。三十郎は木の間へ画架を立てた。さつき三十郎がきた岨道を、娘の群ががやがや上つてきた。「あんだい、これは」「紅葉だべさ」「……まるで、庵寺へ火がついたやうでねえか……やあ、水かけろ」みな、ドツと笑ひこけ、横つ飛びにドスンと体あたりをくはせた。

 本巻のなかでは久々にうわべ戦争や国粋から離れた作品です。十蘭の描く勝気な女はみんなカッコイイ。どろろみたいなガキ大将がうじゃうじゃ湧いて出てきて、可笑っしくって仕方がありませんでした。「生霊」と同じ出だしなのに、この違い(^_^)。直木賞候補。
 

「亜墨利加討」(1943.1)★★★☆☆
 ――高柳鉄太郎は馬鹿囃子の名人で、内職に締太鼓を叩きに行つてゐたことが知れ、役儀召放の上、小普請入仰付、といふ辞令をもらひ、せつかくの役を棒にふり、これでもう一生埋れ木、徳川の代では二度と浮びあがる瀬がないことになつてゐたところへ大政奉還になつた。

 馬鹿囃子に落ちぶれた(?)武士の矜恃。
 

「村の飛行兵」(1943.3)★★★☆☆
 ――「村長さん……電報ですよ」「至急報……誰れから?」「太郎さんからだわ」「次郎兄さんから危篤の電報が来たときも、こんなふうだつたわ」「およしなさいつたら」「お父さん、太郎兄さんから、たいへんなしらせが……」「な、なんと書いてあつた」「え? まだ読んでゐません」「……」

 戯曲。内容自体は取るに足らないのですが、本文よりもむしろ十蘭による解説の方に価値があります。
 

「公用方秘録二件 犬/鷲」(1943.3/6)★★★★★
 ――屯所では、使節随行のモーズ侯爵をモスの守と呼んでゐる。モスの守が散歩に連れて歩く洋犬リユリユの頭を、青沼は触つてみた。リユリユは上機嫌で尻尾を振りながら青沼の頬を舐めあげた。それを見たモスの守は「猿!」とひと声させ部と青沼をドンと突き、手巾でリユリユをいくども丁寧に拭き、冷然と歩み去つた。

 「犬」はフランス大使に馬鹿にされた日本人の抵抗。「鷲」は樺太の領有権を既成事実化するためにたった二人で樺太中央で暮らす。

 「犬」は「真福寺事件」のタイトルで直木賞候補。日本人の武士道な意地の張り方と、フランス人のスノッブな意地の張り方の違いが面白い。最後の最後にフランス人視点の記録が出てきて、実は勘違いなんだけど、でもなんだか丸く収まってます。
 

「隣聟」(1943.4)★★★☆☆
 ――「実は……伝右衛門さん、あなたとこのヨナ子さんを……お貰ひしてえと思ひまして……その……」「えーツ、ヨナ子を! それや、まあ、や、ヨナやー……ヨナー」……「あら」「こんにちは……あ、えゝと、あなたのところの落葉松山とわたしの雑木山までが隣合せになつてゐるお交際で……」「失礼ですけど、いま「わたしの雑木山」とおつしやつたやうですが……」「はあ」「あの山林が、あなたのところのものですって(笑ふ)あれは家のものよ」

 これも戯曲(狂言)。大事な話があるのに、みんな意地っ張りなせいで話がどんどんずれていく、典型的なコメディです。※追記。チェーホフ「結婚申込み」の翻案でした。
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