着想

エネルギー問題、というが物理学的に言えばエントロピー増大問題というのが正しい。
エネルギー保存則はエネルギーの総量が不変といっているのであるから、それが無い、枯渇するというのは本来おかしい。
 
秩序あるエネルギーは無秩序なエネルギーに変わっていく。
核エネルギーが熱エネルギーに変わっていく。
ポテンシャルエナジーが運動エネルギーになっていく。
石油のような使い勝手の良いエネルギーが、熱のように使い勝手の悪いエネルギーになっていく。
 
福岡伸一先生によると生命というのは、
宇宙全体のエントロピー増大に逆らって、むしろ積極的にエントロピーを増大させることによって、
逆に局所的にエントロピーを減少させる、秩序を得る仕組みであるという。
誰かの言葉で言えば、エントロピー増大の飛び地、である。
 
昔、大学で学んだのは、光合成の反応は、オゾンなどの大気を通過して地表に到達できる太陽の可視光、
青(Soret band)と赤(Q band)の光で2段階の励起状態を作り上げて、
水の電気分解に必要な1.23eV(紫外領域)以上のエネルギー(ATP:アデノシン三リン酸)を得るというものだった。
これにより紫外領域以上の過酷な電磁波から守られながらも、効率の良いエネルギーを得る仕組みができた。
 
養老孟司先生によると、人間は石油というエネルギー源にエントロピー増大を押し付けることで、
生活が楽になる仕組みを作っただけであって、人間の生物としての価値が上がった、進化した訳ではないというような指摘は
目からうろこである。
 
石炭燃料と蒸気機関によって、人間は近代文明を作り上げた。
昔は奴隷に人力で行わせて反感を買っていたような肉体労働に対して、
石炭の燃焼に急速にエントロピー増大を押し付けることで、
今までに得られなかったような圧倒的な生活の利便性を得ることができるようになった訳である。
 
秩序を得るというとまるで警察官の仕事のように思えるが、エントロピー的には
あらゆる仕事というのは何かしらの秩序、(放っておいては発生しないような、確率の低い状態)に局所的にでも到達することである。
この局所的、というのが西田幾多郎氏の多の一というのと似ている気がする。
 
統計力学を我々の日々の仕事や生活に応用して見ていくことができれば、
いままで数値化できていなかったようなことを科学的に解釈できるようになると思う。
 
0歳児の息子を見ていて、物心というものは、脳の化学反応のエントロピー縮小過程であるように思える。今はまだ、普通の化学反応で、
これが組織的に運営されるようになって、局所的なエントロピー縮小の過程、蝋燭の炎、のようなものが人の心であるように思える。
逆境を乗り越える、というのが人間の心でもある。
人間の心は脳のどこにあるのか、というのは蝋燭の炎が蝋燭のどこにあるのか、と聞いているのと同じである。
解剖した脳を、火が消えた蝋燭を見ても本質は見えない。
 

絶対矛盾的自己同一

9文字なので、半紙に書こうとすると
絶対矛
盾的自
己同一
であるが、改行の位置が悪い。意味的には
絶対矛盾的
自己同一
の改行が良いだろうけれども、大分狭くなる。この言葉がとっつきにくい一因ではないか。

なんとなく仕事や生活に行き詰って、昔大学一年の一般教養で必修の空いた時間に取った哲学を思い出した。
理系の大学だから、専門ではなくて導入だけである。
前期がヘーゲル弁証法で、後期が西田の絶対矛盾的自己同一だった。
年表的に時間を考えると、現在というのは過去から未来に流れているが、
砂時計的に考えるとガラスのくぼんだ、砂が上から下へ、未来が過去から流れ去るところが現在である、
未来は未だ来たらざるものでありながら、その元となるものは現在にすでに表れている、
過去は過ぎ去ったものでありながら、その痕跡は現在にも残っている、
という話が印象的だった。
 
Youtubeで絶対矛盾的自己同一と検索すると、生物学者福岡伸一先生がそれを読み解くという本が紹介されていた。
動的平衡と西田哲学の解説本を読む。
 
昔、戸山高校の数学の谷畑先生が「足し算を教えるのが一番難しい」といっていたのを思い出した。
りんごが2つあるのを見ているとき、りんごという認識に当てはめてそう認識できるものが2つあると解釈しているけれども、
実際、左にあるりんごと、右にあるりんごは異なるものである。
AさんとBさんは同じ人間であるが、同一人物ではない、と考えると分かりやすいかもしれない。
ロゴスとピュシスというと分かりにくいが、りんご2個と見るか、別々のりんごと見るか(そもそもりんごと識別しない)、そういう話であるように
思える。色即是空、空即是色も関係あるか。
 
生命という確固とした存在があるわけではなく、ぼんやりとした流れがある。ライフゲームもグライダーは動いているように見えるけれども、
実態はそれぞれのマスが、わずかなルールに従って動いているだけである。
大学で量子力学を学ぶ。古典物理的ではなくて、波動性と粒子性をもった確率分布であると聞かされる。
オームの法則も極低温では大きく外れ、温度のマイナス何乗かに比例した項が無視できなくなる。
 
コンピューターウイルスとウイルス対策ソフトの進化は終結を見ない。
アンパンマンバイキンマンの戦いは終わらない(酵母菌もばい菌も人間の役に立つかどうかの違いであって、同じ仲間である)。
 
この一年、子供の誕生や親の死が起きて、感情の動きが大きい。ようやく落ち着いたところだ。

実感なき人生

自分でとらえた獲物を自分で食べる。
自分で育てた作物を料理して食べる。
自分で掘った穴に自分で住む。
自分で編んだ服で生活する。
 
普段こういったことをすることは限られている。
釣りとか、家庭菜園とか、DIYとか、編み物とかあるけど、それがメインではない。
 
実際の日常はほとんど分業制だ。金銭によって賄われる。
もっぱら普段の仕事はお金を稼ぐことである。
その仕事が自分が普段生活で実感していないことであれば、生きがいを意識しずらい。
 
例えば、悪い仕事をすると給料が下がるとかリストラされるとか仕事をはずされるとかであればよいが、そうはならない。
とにかく色々と理由をつけて、興味もないような面倒な仕事を押し付けられる。
それでも給料が極端に上がったり下がったりしない。いや、別に給料はもう足りている。
だからもう仕事はそんなに増やしたくないのだが、とにかく仕事を増やされる。別に給料はいい。でもそうならない。
調節したくてもできない。
もし、嫌ならやめるしかない。極端だ。
生活ができる分の給料だけ受け取ってあとは休んでいたいのだが、そうさせてもらえない。
 
同期は始めはいたのだが、徐々にいなくなっていった。会社に対する愛着もあまりない。

強いもの

強いものというのは組織的・体系的、継続的・循環的なものである。
 
将棋が強い者は先読みが出来ている。
その局面局面だけの損得だけでなく、ゴールまでの道筋が立っている。
 
スポーツ選手も、ニュースキャスターも準備をしている。
段取り8分だ。
段取りもいきなり出来るものではない。
1つ1つのことをやっていって積み重ねている。
 
集中力で速度は違うかもしれない。
万全になるには休息が必要だ。
闇雲に休んでも、良くない。
計画的な休息である。
 
幸福になるためにはある程度、強くなければならない。
無計画で悩むならば、少し計画を持って悩んだほうが良い。
 
ある一点に到達することだけでなく、それが循環し続くことが重要である。
今が幸福だと考えるならば、ここに戻ってこれるように動く必要がある。
ただし、止まっているだけでは状況は悪化するだけである。
なぜならば、我々は腹が減り、歳をとるからである。
 
何かを得ようとすると必ず傷つく。
それから逃げて諦めるのか、立ち向かうのか。
 
自分の過去について、反省は必要である。
どこで間違ったか。そうならないためにはどうするのか。
作戦を練る。
習慣化する。
ある程度記憶と記録が必要である。

はまっているなと思ったら、離れたほうが良い。
 
はまっているときは心が逃げている。
見たくないものから目を背けている。
一度、5分「止まる」ことに時間を使う。
自分の心の状態を知る。
そこでさらに止まる必要があれば必要な時間を決めてまた止まる。
地図とカレンダーを見直したほうが良い。
それだけでも前進している。

困惑

休日にもかかわらず苦悩している。そんな休日ももうまもなく終わりだが。
 
1.
今の職場になってまもなく2年になるが、精神的にものすごく働きにくい。
残業代が十分につけられない。実際の残業に対して半分くらいの申請しかしていない。
システム上、実際の残業時間をつけることは可能だが、つけると上司から睨み付けられる。
また職場の雰囲気もそんな感じになっている。先輩社員が率先して少ない残業時間を申請している。
明らかに3時間近く残業しているのに「1時間」とか。
そういえば、ああやってグループの昼礼で残業時間の申告をさせているのは、
グループ内での負荷状況を共有して業務の負荷を見直し、分散しようという意識というよりは
実際の残業時間よりも少なく申請しなければいけませんよ、という圧力のように感じる。
愛社精神というものだろうか。賛同しがたい。
 
仕事が終わらないのは効率の悪いせいということにされる。 
実際効率が悪いのかもしれないが、効率の悪いことと残業時間を申請しないのは別のことのように感じる。
実際悪いのであれば、もっと上司は踏み込まなければならないはずである。
 
実際の仕事のアウトプットが弱いというのは事実だろう。
原因は仕事の仕方が前の職場と違う上に、そのギャップを埋めるサポートがほとんどなされなかったことと思っている。
にもかかわらず、「もう8年目だろう」と言われると、どう言い返してよいのか分からない。
 
以前の上司の対応は異なっていた。
残業代は残業した分だけ必ず申請しなさい、とどの場面でも言っていたし
最悪上司が手伝うとまで言ってきた。
その場合、さすがに手伝ってくださいとは言わなかったが、そこまで言われれば
「もう少しこちらでがんばろう」という気持ちにもなる。
結果的にやっていることは同じなのかもしれないが、そういう気持ちというのは大変重要であると思う。
 
2.
もう一つの苦悩は時代の変化である。
最近ワークライフバランスという言葉をよく耳にする。
仕事と生活の両立の重要性を訴えている。
実際今の仕事はもっと踏み込んでやればうまく回せるような気がするが、体がついていかないような気がする。
線の引き方を間違えると、病気になりそうだ。
 
高齢化する前の終身雇用制度の元では
妻がライフ、夫がワークでよかったのかもしれないが、
社会保障の税金がアップして終身雇用制度も不安定となり
生活費が不安定になると夫婦で働かなくてはならない。
そのような状況の中で子育ても介護もする、となると仕事と生活の両立というものを強く意識せざるを得ない。
だが、今の職場は旧態依然でありそのような方向に目を向けようという雰囲気が感じられない。
寧ろもっと儲けるために、よりいっそうとことん社員を遣い潰そうという雰囲気が増しているように感じられる。
 
今の職場だけが悪いのであれば異動希望でよいが、会社全体が時代にそぐわない方向に突き進んでいるように思う。
 
 
仕事の効率化にはスキルアップと考えて取り組む。
それ以上の問題はいよいよ訴えねばならないか。

            • この記事は1/4に書かれたものである------

と1/4で色々言ってみたが、今後は2つのことを実施する。
行きの電車では、業務のたな卸し
帰りの電車では、5S
家ではきちんと休む。
 
である。
理由付けとしては業務のたな卸し、整理整頓はアウトプットを生まないし、
人によってはあえて時間を設けなくても出来ていることである。
 
 
スキルアップは必要である。
今後単純な業務はロボットが出来るようになる。
課題解決能力が人に求められるだろう。
今はまだ修行中だ。対価を請求できない。
 
「腐る経済」
実力を伴った仕事ならば食いっぱぐれない。
 
数学とITをベースとしたエンジニアをめざせ。勉強を続けよ。

結婚式後記

11/15 七五三の日に無事挙式を終えた。
とにもかくにも、まともに出来て、ほっとしたというのが正直な感想である。
残念ながら祖母が来れない、父親の挨拶が微妙、謝辞が詰まった、手紙、いちごなど細かいことはあるが、9割方思っていた形にできたのが良かった。
当日は寝不足でふらふらでテンパッていた。

ここ数ヶ月はほとんど結婚式の準備が頭から離れなかった。 
新幹線が止まる、急な欠席者、遅刻者が出る、急な出張を言い渡される、親戚にご不幸がある、母の容態が悪化するなどの不安がずっとあった。
ようやく一息、である。あとはお返し、新婚旅行準備、年賀状などである。
しかし、仕事のほうも容赦がなかった。本当に良くやったと思う。
 
ここからは少し真面目な話をすると
結婚式というのは家として重要なイベントである、というのを感じた。
新郎新婦だけのものではないな、と。
迎えるにあたり、その自覚はなかった。
これは式をする本人たち、というよりもその周りの人たちの意識でもある。
そういう意味でやったほうが良い、やるように薦めてみるということである。
親戚一同が会す機会など、そうそうあるものではない。
やはり、やって良かったなと思う。