雑感 政治について

不信任案は否決されたものの、野田さんに対する批判や、あるいは批判と呼ぶには値しないような単なる悪口雑言が随分世間には満ち満ちているようである。


再稼動反対のデモにおいても、どうも反原発というよりも、倒閣が自己目的化してるんじゃないかと思われるような主旨の煽りや情報がツイッターで駆け巡っている。
もっとも、そういうのは一部なんだろうけれど、困ったもんだなぁと思いながら見ていた。


とはいえ、それを見ながら、ふと自分を振り返ってみると、自分も若い頃はけっこう過激な考えだったかもなぁと、省みられた。


たぶん、どの政権も、どの首相も、それなりにいろんな難しい状況やそれなりの課題を抱えて呻吟しているわけだけれど、政治の外にいる若い一般市民にはなかなかそこまでは考えが及ばない。


今は三十代になって、多少はいろんな文脈も見えるようになってきたし、政治というものも多様な主体の複雑な営みの中で決まってくるものなので、総理一人が決めるわけでもないし、総理一人を叩いたところでどうにもならないというぐらいのことは私にも多少はわかる。


ただ、二十代の頃はそういうことは、よく私もわかってなかった。


今考えれば若気の至りだったけれど、小泉さんと竹中平蔵さんってのは、本当にどうしようもない政治家で、一日も早くとりのぞくべきではないかと、物騒な、血気盛んなことを思っていた。


ただ、その後、竹中平蔵さんとは二回ぐらい直接質疑応答する機会があって、考え方は違うとしても、竹中さんなりになかなか大した信念のある人だと思うようにはなったし、何よりも非常に丁寧に言葉を尽くして論理的に語る人だなあということには感心させられた。
また、小泉政権も、社会保障の圧縮によるひずみは実に弊害が大きかったと思うことは今も変わらないけれど、不良債権処理などそれなりに成果もなかったわけではないと思うようになった。


小泉・竹中政治には確かに弊害が大きかったわけだけど、彼らだけが悪いというわけではなく、それ以前からの自民党政治の害毒の大きさというものを、彼らなりに不良債権処理等でどうにかしようとした面もなかったわけではないし、膨大な財政赤字や日本経済の没落については、小泉・竹中時代よりはそれ以前の問題が大きいことも確かだとは思うようになった。
いかなる政権もそれなりに成果もあれば負の面もあるわけで、小泉・竹中政治は社会保障面に関しては負の側面が大きかったと同時に、不良債権処理などそれなりに成果もあったと見るのがフェアな見方だとは今は思う。


ただ、総合的な差引では、私は弊害がけっこう大きかったと、今もわりと批判的には見ているけれど、小泉・竹中だけが悪者で、彼らを斬れば世の中良くなるというのは、いかにも単純すぎる、杜撰な考えだったということは、今は反省をこめて思う。


野田さんを今叩いている二十代の若者の中には、あと十年もしたら、野田さんなりに苦しい状況の中で、それなりにゼロシナリオを含めたシナリオを提示して国民にパブリックコメントを求め、ゼロシナリオ支持が多いとわかったらその検討を命じたり、社会保障と財政の維持のために与党の分裂や野党のつきあげに苦慮しながらなんとかギリギリのところで政治をしていた、と思うようになる人もいるかもしれない。

とはいえ、五、六十代の中高年で、熱烈な小沢支持者で、ひたすら小泉・竹中や、菅さんや野田さんの罵倒をしていれば自分が正義の味方のように思っている人々も世に多いことを見ると、ただ単に年をとるだけで考えが変わるというわけでもなさそうではある。


自分もちょっと前は随分過激なことを考えていたことを思えば、あんまり今過激なことを言っている、少なくとも自分より年下の人には必ずしも文句は言えないわけだけれど、ただ、彼らに心がけて欲しいのは、とりあえず聞く耳はもって、相対する陣営の側の考えに耳を傾けたり、機会があれば質疑応答をしたり対話をすることは忘れないで欲しいということだ。


これは野田さんにも言えるし、またかつての小泉さんにも言えると思えることだけれど、彼らにも問題や不十分な点が仮にあるとしても、それ以上に、すでに膨大な財政赤字を抱えていることや、精神的な面における日本の社会の荒廃というのは、彼ら一代か二代ぐらいでできあがったものでも急速に悪化したものでもなく、相当に根深いものであるという認識は大事だと思う。
制度的なものでいえば、バブル崩壊の根っこには、1940年体制の問題があるし、精神的な面で言えば、物質偏重の戦後復興や高度経済成長の問題、あるいは明治にまでさかのぼる宗教性の放棄や無視の問題もあるかもしれない。


一朝一夕にそんなに世の中を劇的に良くする術はないし、悪玉に思われる首相を取り除いたからといって世の中が良くなるとも限らない。
物事の複雑な仕組みや長い時間の中で考えることを、できれば二、三十代もした方が良いと思うのだけれど、なかなか難しいことだろうか。
というより、五、六十代の人々の多くにも、絶望的に歴史感覚や社会科学的教養のない人が多すぎることを考えれば、ましてやあんまり若い世代にそれを求めることは、なおのこと無理なことなのかもしれない。

リア充という正体不明の言葉に振り回されるのではなく

リア充になるには?
http://news.nicovideo.jp/watch/nw334782



この記事の質問には、私だったらこう答える。


1、自分は自分、人は人と心得て、人と比べずわが道を行くことを心がける。

2、死を意識する。人間いつ死ぬかわからない無常の存在と心得て、その時その時、今ここ、一刻一刻を大事に生きる。

3、慈悲の心を育てる。そうすれば、自分も元気になって楽しくなってくる。自分から人に与えることを心がけ、「生きとし生けるものが幸せでありますように」と念じながら生きる。


とりあえず、この三つを心がけると、リア充かどうかはわからないけれど、それなりに自分も幸せに生きることができるのは確か。

にしても、リア充っていまいち意味のわからない言葉と思う。

誰にだってそりゃあ、恋人がいる時期もあれば、いない時期もあるだろう。
順境の時もあれば、逆境の時もある。

うまくいっていない時期が非リア充ってことになるなら、誰だってそんな時期は必ずあるはずだし、この言葉ってリア充(と思われる)人々に対する羨望だけをつのらせるだけじゃないか。

いまいち正体のわからんリア充とかいう言葉に振り回されるよりは、自分が充実しているかどうか、自分が楽しいかどうか、自分の心が穏やかであるか、そういうことを基準に考えた方が自分にとってもわかりやすいんじゃないかと思う。

「幸せに生きるためのコツ 五つ」

「幸せに生きるためのコツ 五つ」


1、自分は自分、人は人と心得て、人と比べずわが道を行くことを心がける。


2、死を意識する。人間いつ死ぬかわからない無常の存在と心得て、その時その時、今ここ、一刻一刻を大事に生きる。


3、慈悲の心を育てる。そうすれば、自分も元気になって楽しくなってくる。自分から人に与えることを心がけ、「生きとし生けるものが幸せでありますように」と念じながら生きる。


4、生涯を貫くライフワークを持つこと。


5、善い友にめぐりあい、善い友を持つこと。善い友を大事にすること。

絵本 「1000の風 1000のチェロ」

1000の風・1000のチェロ

1000の風・1000のチェロ


すばらしい絵本だった。

阪神大震災の復興チャリティの1000人のチェロ演奏に関する絵本。

私も、自分の人生のチェロを、他の人の心と合わせながら弾き続けたい。

そうこの絵本を読んで、思った。
不思議と癒される絵本。

絵本 「雲のてんらん会」

新装版 雲のてんらん会 (講談社の創作絵本)

新装版 雲のてんらん会 (講談社の創作絵本)


空の雲の様子を描いている絵本なのだけれど、不思議と泣ける。

心に深い悲しみを持った人には、なんとなく伝わってくる深い思いがある。

そうした大人こそが、手にとって読むべき絵本と思う。

美しい絵本だった。

ミヒャエル・エンデ 「モモ」を読んで


本当に素晴らしい本だった。
これほど豊かな、これほど豊饒なイメージとテーマとメッセージと物語の本が、まだこの世界にあったとは。


この本、実は、二十数年前近所の家のおばあさんの蔵書にあって、最初の部分だけ読んだことがあったのを、読み始めて思い出した。


たしかに、この最初の部分だけ、その時読んだ。
二十数年前の記憶なのに、しっかり覚えてたのが不思議だった。


考えてみれば、実際にきちんと読むまで二十数年かかったのか。
もっと早く、子どもの時から若い頃にしっかりこの本を読めていたら、「時間」の不思議さやからくりをもっと鮮やかに自覚して自由に生きてこれたかもしれない。
でも、いま読むことができて、本当によかった。


人の話をじっくり聞くモモの姿勢。


「俺は俺なんだ。世界中の人間の中で、俺という人間はひとりしかいない。だから俺は俺なりに、この世界で大切な存在なんだ。」


「いちどに道路全部のことを考えてはいかん。わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけ考えるんだ。いつもただつぎのことだけさ。するとたのしくなってくる。それが大事だな。たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめだぁ」


などのセリフ。


時間と生活。生活とは人の心の中にあるもの。人間が時間を節約するほど、生活はやせほそってなくなっていく。


現在がないと他の二人(過去と未来)はいられない。


時間は一種の音楽。いつも響いているので、とりたてて聞きもしない音楽。とても静かな音楽。風が水の上を吹くと起こるさざなみ。


心が時間を感じとらない時は、その時間はないも同じ。


人間は自分の時間をどうするかは自分自身で決めなくてはならない。


役に立つことばかりだと忘れていく「他のあること」があること、つまり楽しいと思うことや、夢中になることや、夢見ることがあること。


などなどのメッセージは、とても深く心に響いた。


カメのカシオペイアが三十分先だけ見通すことができ、ゆっくり歩むというのも、本当は人は三十分先だけ考えれば十分で、かつせかせかと急がずゆっくりと歩むべきなのかもしれないと考えさせられた。

「道は私の中にあります」
「遅いほど早い」
「先のことはわかります。あとのことは考えません」


というカシオペイアのセリフも、なかなか考えさせられる。


ミスター・ホラの「お前の人生の一時間一時間が私のお前へのあいさつだ」というセリフも、深く心に響いた。


星の声と時間の花という、本当に美しいビジョンも、本当に深く心に刻まれた。


これほどの詩、これほどの物語はめったにない気がする。
まさに、現代人にとって魂の書だろう。


思えば、十八ぐらいの時から、私もかなり灰色の男たちに浸食され、やられてきたような気がする。
とはいえ、完全にやられていなかったからこそ、今この本を読むことができたのだろうか。


もうちょっと早く読んでたならと思うこともあったけれど、きっと人にはしかるべき時にしかるべき縁があるのかもしれない。
今読むことができて本当によかった。
また時を置いて、繰り返し読んでみたい。

菅さんと与謝野さん

菅さんが、税・社会保障の改革の最大の功労者として、与謝野さんの名を今日のブログであげていた。


菅直人社会保障と税の一体改革の功労者』
http://amba.to/PJ0zoZ


私も全く同感。
与謝野さんは損得抜きで、あらゆる誹謗や中傷に耐えながら、黙々と菅政権を支えた。
昨今の政治家にはめったに見ない立派さだったと思う。


与謝野さんの昨年最後の記者会見も本当に胸打たれた。


菅総理の印象は、やはり真面目で仕事熱心であるということであって、世間で言われている人間像とはおよそ違うものがあると私はいつも思っておりました。」
http://www.cao.go.jp/minister/1101_k_yosano/kaiken/2011/0830kaiken.html 


菅・与謝野は浜口雄幸井上準之助の如し。
本当にそう思う。


ギリシャ危機の二の舞と日本がならないために、あらゆる罵倒や艱難辛苦に耐えて、日本の財政と社会保障のために不惜身命で取り組んだ菅さんと与謝野さんは、後世が必ず正しく評価するだろうし、評価されるべきと思う。


もっとも、御二人とも、あまり世間の評判や毀誉褒貶には無関心で、ひたすら国家社会のためというタイプの政治家なので、「男子の本懐」を果たした満足を、他の人は知らなくても自ら知ればよいと思っておられるのかもしれない。


原発政策に関しては必ずしも一致しない二人だったわけだけれど、与謝野さんが最後まで菅さんを裏切ることなく、無私無欲の精神であえて火中の栗を拾い続け、菅さんを支え続けたのは、本当に知る人ぞ知る、わかる人のみわかる、実に見事な振る舞いだったと思う。


男というのはああなくてはならないと、菅さんと与謝野さんを見ていると本当に思う。

柳田邦男 「人生がちょっと変わる 読むことは生きること」

人生がちょっと変わる―読むことは生きること (新潮文庫)

人生がちょっと変わる―読むことは生きること (新潮文庫)



少し前のエッセイ集だけれど、いろいろためになる言葉がいっぱい散りばめられていた。
さすが柳田さんの本である。

特に、

「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」

という言葉は、心に響いた。

また、生きていく力を高めるには、自分の活動への高遠な目的意識、生への意欲、ユーモア、の三つが大切というのも、なるほどーっと思った。

「志を立てる」という言葉や、三十代以降である程度成熟した眼から自分の人生を選択し直すという生き方についての紹介も、興味深かった。

「いつまでも あると思うな 親と金 ないと思うな 運と災難」

という昔の歌の紹介も、私は上の句だけ知ってたので、面白かった。

死を前にした難病の末期患者が、より良き生を彫刻のように刻みつけて生きようとする、という姿勢の紹介も、とても感じ入るものがあった。

キューブラ・ロスの「人生に偶然などはない。起こったことは起こるべくして起こったのだ」「いのちの唯一の目的は成長することにある」という二つの信念の言葉も心に響いた。

ノンフィクションは物語であり、「コンステレーション」つまり星座を見つけるように、事実と事実に物語を見つけていくこと、星座を見つける営みだ、というのも、なるほど〜っと思った。

良い一冊だった。