日経社説 中・東欧発の危機再燃を防げ : NIKKEI NET(日経ネット)
2004年に欧州連合(EU)に加盟したラトビアは08年秋の金融危機後、新興国からの資金流出の動きを受けて苦境に陥り、昨年末に国際通貨基金(IMF)やEUの金融支援が決まった。ところが実施条件である財政赤字の削減策づくりが難航し、今月初めの国債入札が不調に終わって市場の不安が高まった。
ラトビアは歳出削減の悪影響もあり、今年はマイナス18%成長と深刻な景気悪化が見込まれる。通貨当局は大量の為替介入でラト売り圧力に対抗したが、いずれは通貨の切り下げに追い込まれるとの疑念が強まった。ラトの相場が下がれば、外貨建て借り入れの返済負担が膨らむ。ラトビアに多額の融資をするスウェーデンの銀行の損失も拡大する。
EU首脳会議が支援の着実な実行を宣言して緊張は一服したが、懸念は続く。綿密な監視と対処で中・東欧の危機再発を防ぐ必要がある。
西欧の有力銀行をはじめ、域内の金融も不安定だ。4月の鉱工業新規受注が減少幅を広げるなど、不況の出口は見えない。不良債権の増加がさらに重荷となる公算が大きい。
メモ。まあ、米国よりEUのほうが傷が深いんじゃないかと思ってので驚きはしなかったが、個人的には損したな。
この動向だがよくわからない。
産経社説 【主張】児童ポルノ 根絶へ所持規制は不可欠 - MSN産経ニュース
産経がですかというか、産経って実は朝日新聞に似ていて、それをいうなら、日本の右派左派は……。
産経社説 【主張】NHK番組 訴訟を機に徹底検証せよ - MSN産経ニュース
日本の台湾統治を取り上げた番組に偏向・歪曲(わいきょく)があったとして、視聴者らがNHKを相手取り、損害賠償請求の訴訟を起こした。
へぇと思ったので、メモ。
毎日社説 社説:クローン牛 評価と「食」とは別問題 - 毎日jp(毎日新聞)
科学者には納得しやすいとしても、消費者が不安に思うのは当然だ。流通させるなら表示をしてほしいという声ももっともだ。
食品の安全性については、科学的評価だけでなく、消費者の受け止め方にも十分な配慮が必要だ。
なんともはや。
読売社説 「徳育」提言案 実践に役立つ具体的な内容に : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
大学の教員養成課程でも、道徳教育を充実させ、教師の力量を向上させることを検討すべきだ。
漢文でも勉強させたら。
読売社説 物価大幅下落 デフレ退治に最善を尽くせ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
今後はデフレが金融政策の主戦場となろう。数値目標を掲げる全面的な量的緩和に踏み切り、物価がプラスになるまで続けると約束してはどうか。
日銀は、悪性のデフレを防ぐ決意を示してほしい。
この機に言い出すのは追米やつかな。でも、いいからさっさとインタゲしろよと思う。というかインタゲじゃなくてマイルドインフレはごく普通の金融政策なのだが。
朝日社説 asahi.com(朝日新聞社):社説 2009年6月27日(土)政治献金疑惑―説明してから選挙に臨め
政治資金の規制を強めても、そのすき間を縫うように新たな疑惑が発覚する。その繰り返しにうんざりする人は多かろう。
いやこんなくだらない話を国政選挙前に繰り出す愚かさにうんざりする。政治はまずアウトプットである。現下の日本にどう政治が機能すべきかがプライマリーな問題なのに。
NHK 戦場を駆けた少年兵たち 〜沖縄県・鉄血勤皇隊〜、見たよ
⇒証言記録 兵士たちの戦争 戦場を駆けた少年兵たち 〜沖縄県・鉄血勤皇隊〜
太平洋戦争終盤の昭和20年3月、アメリカ軍の上陸が近づいた沖縄で、14歳から17歳の中学生たちが兵士として招集された。その名は、鉄血勤皇隊。軍国主義教育を受けてきた彼らは、軍服と銃を支給され、喜び勇んで入隊する。しかし、初めて体験する本物の戦場は、少年たちの想像以上に過酷なものだった。聞かされていた戦況とは異なり、圧倒的な戦力で沖縄に上陸したアメリカ軍は、日本軍の頭上に砲弾の雨を降らせる。激闘は続き、後方支援要員であった少年たちの命も、次々に奪われていった。
本土決戦を遅らせる防波堤の役割も担わされた沖縄戦。番組では沖縄県立第一中学校の元少年兵の証言から、子どもたちが目の当たりにした地上戦の実態を描き出す。
大田先生の監修だった。ので、そのトーンといえばそのトーンなのだが、出てくるおじーたちの語りに独特の味わいがあった。中学生が手榴弾で死のうとして、その前に今生のタバコを吸おうと、恩賜タバコを吸ったらかびてむせてウチナーグチで思いを語り大笑いし、そして信管を抜いたら不発でまたうちなーぐちが出て笑う。じんわりと泣ける、リアルな悲惨がある。少年たちの愚かさといえばそうだが、少年たちの純真でもある。この子たちを日本兵がどう扱っていたか、彼らにどう見えていたか。日本軍の真実はこのようなものだった。山本七平が描き出したあの軍そのものだ。軍の体をなしてない。
昭和31年まで公式には伏せられていたというのだが、そのあたりの戦後の経緯も知りたい。番組では8.15の終戦を語らせていたが、それは沖縄戦ではあまり意味はなかったのではないか。
話すとごちゃごちゃするのだけど
増田⇒http://anond.hatelabo.jp/20090627065218
中華料理は歴史が古く範囲が広すぎる上にラーメンも日本に渡ってから変わりすぎてるから中国までルーツたどるのは難しい。
「中華料理の歴史」って存在しないのではないかな。それがあるかに見えるのは、華僑料理であり華僑が国外に出たからではないか。
それ以外で「古い」というならどの民族でも昔からなんか食っていたわけで「古い」し。
たぶん、50%の運と50%の執着だと思う
⇒一万時間の法則 1%のひらめきと99%の努力
成功する人は、運と執着が全然違うと思う。
執着は才能の内ともいえるけど、身近にいるとたまらん。
運というのは、たぶん、ご先祖様が生前で報われなかった分の配当のようなものではないかな(マジでそう思うわけでもないが)。
なんかモッコリ盛り上がってる
⇒はてなブックマーク - 『Santa Fe』を1年間で処分すべしとする与党案に驚く - 保坂展人のどこどこ日記
そういえば私の世代からちょっと下あたりが、れいの激写、ってやつ。
今思うとあれ、みんなアウトかな。
日本女性のひんぬうは幼女に見えるっていうのもあるな。
David Hamiltonどうなっているのかな。
この問題ね
そうかこのぐらいの時代から 男性の皆々様は女の子に「やってもいいですか?」とお伺いをたててから やるようになったのだな、これがのちに歴史で語られる第538次恋愛革命である!か、どうかは知らない。(嘘のごさんぱち!)
自分の記憶では、団塊・全共闘世代の青春物でもそうだし、戦後・戦中もそうみたい。というか、漱石の「それから」なんか、壮大な「やってもいいですか?」みたい。
で、この年こいて言うと、男子が「やってもいいですか?」というのは、たいていはそういう状況を女子が設定している場合だと思う。そして、この設定において、「やってもいいですか?」と言ったらたぶんその時点で負けている。
あるいは、処女信仰があった時代はそれ一種の、一生捧げます的な意味があったかも。
いつの時代もやっている男子はこんなこと言わないです。
自分の中で、愛と欲望の違いがよくわからない。憧れが 好奇心なのか 愛情なのか 肉欲だけなのか?自分の感情にほかならないのに わからない。
愛というのは責任の伴う飼育型ゲームみたいなものだから、サンクコストがでかい。ので、サンクコストを考えるくらいひんやりした視点があれば違いはわかる。肉欲はただのリスクなので、リスク計算が重要。多項式的。
動機や理由付けはあとからもっともらしく大脳がこさえてくれるだろうけれど、魂を揺さぶる力がどこからくるのか、言葉では説明がつかない。相手を損なうとわかっていたら好きになるべきではなかったのにどうしようもない、とか、そういう...悶々煩悶反芻。
「もっともらしく大脳がこさえてくれる」はそのとおり。で、「魂を揺さぶる力がどこからくるのか」はこれはどうしようもないと思う。愛というのは時にとても不道徳で反社会的なんだけど、その内情からすればもうどうしようもないというのはあるときはある。正義とか偉そうなこと言っている人たちはそういうものに人生遭遇したことはないんじゃないか。