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雨の日は本を広げて

2013-09-23

このブログで読んだ本を並べてみました

100冊の本を読んで発達障害について考えてきました。私の中ではブログ全体がひとつのブリコラージュ、パッチワークのようなものです。最後に表紙を並べて全体を眺めてみたいと思います。

ソーシャルブレインズ入門――<社会脳>って何だろう (講談社現代新書) 発達障害は治りますか? 死んだ金魚をトイレに流すな―「いのちの体験」の共有 (集英社新書) 人間は遺伝か環境か?遺伝的プログラム論 (文春新書) 共感する女脳、システム化する男脳 発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190) 自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心 「片づけられない!」「間に合わない!」がなくなる本―ADHDタイプの「部屋」「時間」「仕事」整理術 ねこは青、子ねこは黄緑―共感覚者が自ら語る不思議な世界 天才はなぜ生まれるか キャンパスの中のアスペルガー症候群 (こころライブラリー) 天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー) 図解 よくわかる 大人の アスペルガー症候群 「脳科学」の壁 脳機能イメージングで何が分かったのか (講談社+α新書) 「自閉症」の子どもたちと考えてきたこと がんこな肩こり-筋肉の疲労をとり、血行をよくしよう (ホーム・メディカ・ビジュアルブック) 人は、なぜ約束の時間に遅れるのか 素朴な疑問から考える「行動の原因」 (光文社新書) 脳のしくみ―ここまで解明された最新の脳科学 (ニュートンムック Newton別冊) 竹岡広信の「英語の頭」に変わる勉強法(DVD付) 「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書) ADHD集中できない脳をもつ人たちの本当の困難―理解・支援そして希望へ 脳を休める 脳科学と睡眠の新しい常識 中途失聴者と難聴者の世界―見かけは健常者、気づかれない障害者 王様は裸だと言った子供はその後どうなったか (集英社新書 405B) 眼力の鍛え方 (新潮新書) 〈不安な時代〉の精神病理 (講談社現代新書) わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書) まっくらな中での対話 (講談社文庫) 精神科セカンドオピニオン2―発達障害への気づきが診断と治療を変える (精神科セカンドオピニオン) 首こりは万病のもと―うつ・頭痛・慢性疲労・胃腸不良の原因は首疲労だった! (幻冬舎新書) ほっとする良寛さんの般若心経 新編 家族の練習問題 ロボット化する子どもたち―「学び」の認知科学 (認知科学のフロンティア) 自己肯定感って、なんやろう? 発達障害とパーソナリティ障害―新たなる邂逅 (現代のエスプリ no. 527) 色弱が世界を変える カラーユニバーサルデザイン最前線 発達障害のいま (講談社現代新書) きよしこ (新潮文庫) 発達障害の子どもの「ユニークさ」を伸ばすテクノロジー 漫画でもわかるアスペルガー読本 知能指数 (講談社現代新書) NHKスペシャル 赤ちゃん―成長の不思議な道のり 自閉症スペクトラム入門―脳・心理から教育・治療までの最新知識 時代が締め出すこころ――精神科外来から見えること フェルデンクライスの脳と体のエクササイズ―健康とリラックス、フィットネスのためのらくらくエクササイズ ぜんぶわかる人体解剖図―系統別・部位別にわかりやすくビジュアル解説 七秒しか記憶がもたない男 脳損傷から奇跡の回復を遂げるまで 忘れられない脳 記憶の檻に閉じ込められた私 ことばでつまずく子どもたち―話す・読む・書くの脳科学 よみがえる脳 脳は環境の変化に対応し、何歳になっても、絶えず変わりつづける (サイエンス・アイ新書) ドラッカーの講義(1943-1989)?マネジメント・経済・未来について話そう? 愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書) 自閉症感覚 かくれた能力を引きだす方法 生きる力をつけるドイツ流子育てのすすめ 読顔力 コミュニケーション・プロファイルの作り方 (小学館101新書) 永遠のなかに生きる 児童心理 2010年 07月号 [雑誌] 活かそう!発達障害脳―「いいところを伸ばす」は治療です。 ねこ背は治る! ──知るだけで体が改善する「4つの意識」 エピジェネティクス 操られる遺伝子 自分の小さな「箱」から脱出する方法 単純な脳、複雑な「私」 DX型 ディスレクシアな僕の人生 オーバーフローする脳―ワーキングメモリの限界への挑戦 シック・マザー 心を病んだ母親とその子どもたち (筑摩選書) 体が硬い人のためのストレッチ (PHPビジュアル実用BOOKS) デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳 (ちくま学芸文庫) ワードマップ 認知的個性―違いが活きる学びと支援 学校って何だろう―教育の社会学入門 (ちくま文庫) こころのりんしょうa・la・carte 第28巻4号〈特集〉精神科診断の新しい流れ:病名だけが診断ではない? ドナ・ウィリアムズの自閉症の豊かな世界 「困った人」にひそむ「うつ」―性格の問題と片づけてしまう前に (シリーズCura) うつ病の脳科学―精神科医療の未来を切り拓く (幻冬舎新書) ダイバーシティ 欲ばり過ぎるニッポンの教育 (講談社現代新書) ぼくは考える木―自閉症の少年詩人と探る脳のふしぎな世界 心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界 不登校外来―眠育から不登校病態を理解する 音楽家ならだれでも知っておきたい「からだ」のこと―アレクサンダー・テクニークとボディ・マッピング 対人関係療法でなおす 気分変調性障害 やさしい発達障害論 (サイコ・クリティーク) 危ない!「慢性疲労」 (生活人新書) いまを生きるための思想キーワード (講談社現代新書) 子どもたちの高次脳機能障害―理解と対応 育児と日本人 子どものこころを見つめて──臨床の真髄を語る 心理学者に学ぶ 気持ちを伝え合う技術 アレクサンダー・テクニーク やりたいことを実現できる〈自分〉になる10のレッスン ウィニコットがひらく豊かな心理臨床―「ほどよい関係性」に基づく実践体験論― (明石ライブラリー) 自閉症スペクトラム障害――療育と対応を考える (岩波新書) 常識の社会心理―「あたりまえ」は本当にあたりまえか 脳のなかの身体―認知運動療法の挑戦 (講談社現代新書 1929) 現代「子ども」暴力論 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 異常とは何か (講談社現代新書) 子どもの「10歳の壁」とは何か? 乗りこえるための発達心理学 (光文社新書) 内臓感覚 脳と腸の不思議な関係 (NHKブックス) 育てる者への発達心理学―関係発達論入門 自閉症の関係障害臨床―母と子のあいだを治療する 脳の個性を才能にかえる 子どもの発達障害との向き合い方

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この続きは、新しいブログで展開します。
100冊を総覧し振り返りながら、総括的なことも書いていきたいと思っています。
しかしながら、新しいブログの全体としては、発達障害というテーマからいったん離れます。視野を広げて、さまざまな話題について書いていく予定です。よかったらお立ち寄りください。
 新たなブログはこちらです→ 水溜りに映る虹と、風と(フロびぃ) 
長い間、ご愛読ありがとうございました。

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2013-09-18

☆レビューのレビュー(その10)☆発達障害からみえるポスト・モダン

おかげさまで、目標の100冊を達成できました。ありがとうございます。

 
最後の一冊は脳の多様性についてでした。(→記事
 
生物や文化の多様性については様々なテレビ番組などでも紹介され、私たちの認識も少しずつ変わってきています。思い出していただきたいのですが、25年ぐらい前までは、ヨーロッパの文化は進んでいて他の国は遅れている、人間が全ての生物の中で最も優れているという考え方でした。劣等国とか下等動物などという言葉づかいが当たり前だったのです。
今は、それぞれの文化に特色や良さがあることを認め合うのが当たり前だし、生物が多様でそれぞれの役割を果たし地球環境が調和しているというと考えるのが普通です。
 
この考え方は、大きな流れとしてはポスト・モダンという枠に入るのだと思います。モダンとは近代のことで、ポストというのは「…の後」という意味です。つまり、近代的なものを超えていく、新しいものの考え方です。

この10冊の中には、ほかにも、ポスト・モダンな考え方が出てきました。

間主観性や間主体性といった「あいだ」の考え方です。

近代では、ものを細かく分析すること、客観的に対象を観察したり実験したりして研究することがさかんに行われました。動物や人間は生き物ですが、その身体がどのように働くのかを調べるために、死体を解剖していました。
人間もひとりで生まれひとりで成長するかのように記述されてきました。生きている人間と人間の「あいだ」が研究されるようになったのも、近代の枠組みを超えていこうとしていることの現れと読むことができます。(

そして、このブログで少しずつ扱ってきたもうひとつのポスト・モダンに、
身体性 があります。

最初は、脳を整えるのに身体を動かすのがいいのかな、というような軽い気持ちで取り上げたのですが、アントニオ・ダマシオの研究()や、イタリアの新しいリハビリ理論()、脳腸相関()などを知るにつれ、身体の感覚と脳を切り離して考えていてはこころの問題を理解することも解決することもできないのだと考えるようになりました。


このブログでは、脳の可塑性()やエピジェネティクス)についてもとりあげました。

20年前に科学の常識とされていたことが、通用しない時代になっています。
発達障害についての理解のされ方も変わってきています。
精神障害全般についても、少しずつ変わってきています。
いや、病気や障害というものについての考え方が、変わってきています。
脳と身体の関係だけでなく、からだとこころの関係についても、新しい見方が生まれつつあります。
 
 
しかし、振り返ってよくよく考えてみれば、
これらの「新しいこと」は、私たち日本人にとって特に新しいことだったのでしょうか。学問を離れた実際の社会生活の中で、日本人が古くから現実に対処してきたやり方の中に、多様性や間主体性や身体性の考え方がすでにあったのではないでしょうか。ポスト・モダンとは、西洋の考え方と私たちの考え方がやっと同じフィールドで論じられる時代になっただけなのではないでしょうか。

私は発達障害についての専門家のまことしやかな説明に、どこか腑に落ちない、納得がいかないという感覚をずっと持ち続けてきました。本を読んでレポートしながらも、全てをそのまま受け入れられない気持ちがありました。さまざまの角度から語られた発達障害やその周辺の話題を集め、パッチワークのように並べてみようとしていました。
 
発達障害というものは、所詮、西洋からの輸入品なのだと思うのです。それも20世紀特有の、標準からはずれたものに名前をつけるという考え方の産物です。人為的に、文化的につくられた標準からはずれたものにです。

これからは、私がぐずぐず考えなくても、発達障害というものは新しい見え方でもっとわかりやすく語られていくんじゃないかと思います。

私は、新しいブログに移って、視野を広げてさまざまのことを書いていきたいと考えています。長い間ご愛読ありがとうございました。

(これで終わりではありません。次回の更新で、新しいブログのアドレスへのリンクを張りますのでお楽しみに)


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2013-09-11

標準的な脳などどこにもない

** 脳の個性を才能にかえる 子どもの発達障害との向き合い方  トーマス・アームストロングアメリカ) **


障害じゃなくて個性と考えましょう、というようなフレーズをよく聞きますが、どこまで本音なのかわからないことがよくあります。

優劣じゃなくて違いなのだと謳っていても、多数派に近づきあわせるためのサポートしか用意されていないこともよくありますね。

この本は、アメリカの特別支援教育の現場から、脳の個性、多様性について書かれた本で、原題は、
 THE POWER OF NEURODIVERSITY
ザ・パワー・オブ・ニューロダイバーシティ 直訳すれば、「脳の多様性」です。



いちばん印象に残ったフレーズは、
「人間の脳は機械ではなく生態系に似ている」(p.26)です。

ニューロンのグループが環境の刺激に応じて優位をめぐる競争をくり広げている。(中略)人間ひとりひとりの脳は、むしろ、同じものがふたつとない雨林に似て、成長や腐敗、競争、多様性、淘汰に満ちている(p.28)


脳は森のようなものだというたとえからイメージを膨らませました。確かに、森にはいろいろあって、針葉樹の森、広葉樹の森、熱帯雨林など、それぞれにタイプがあります。また、同じ広葉樹の森でも、どの種類の木が多いか、下草は何が生えているか、どんな昆虫や動物が棲んでいるか、似ているようで少しずつ違います。

細胞が増えたり減ったり、バランスを保ちながら生きているのが人間の脳だから、ひとりひとり違っていて当たり前なんだということですよね。

このような考え方は一昔前までは取られていませんでした。
脳は機械のようだと考えられてきたし、今でもそのように漠然と考えている人が多いと思います。定型発達という標準的な脳があり、それと違っている脳は<障害>、機械に例えるなら故障や不良品のように考えられてきました。

しかし、私たちが当たり前のように思ってきた<標準的な脳>という見方も、実は200年足らずの歴史しかなかったということに気づきます。

おもしろいことに、『オックスフォード英語辞典』を見ると、「normal〔ふつうの〕」という言葉が一般的に使われるようになったのは、ようやく1840年になってからだ。(p.261)


統計学によってデータの平均値を求め、それを<ふつう>とみなすやり方は19世紀に始まっています。大量の工業生産品を作る、農産物や海産物を流通経路に乗せる、といった現代の経済活動は平均値に近いものと規格外のものを分けることで成り立っているし、ついついなんにでも同じような考えが当てはまるような気になってしまうのですが、ちょっと立ち止まって考えると、自然な状態のものにこれを当てはめるのは無理がありますよね。

人間の脳というものは元来、ひとりひとりが違っている個性的なもので、それを統計的に平均を出したところで、その平均値を持った典型的な<標準>人間がどこかに存在しているかというと、そんなものはないのだといいます。

確かに、シベリアの森と、アフリカの森と、アジアの森を平均して標準的な森としたとして、そんなものは頭の中でこしらえた非現実的なものでしかないです。

そして、連続して分布するなかの真ん中の方が望ましいとか、優れているとか考えるのも、偏った見方であろうと思います。


この本では、ADHD自閉症ディスレクシア気分障害不安障害、知的発達の遅れ、統合失調症について、それぞれの個性的な脳の特徴を検討し、それを社会の中でどう活かすか、また、活かすために社会をどう変えたらいいかといった視点で論じていきます。

違っていていいのだ、極端に違っていることに必要以上の引け目を負う必要はなくて、それなりの生き方を求めていけばいいのだというメッセージが全体から伝わってきます。

障害がないといっているのではないです。極端な脳であることで、困難は実際に生じます。早期発見も治療も必要です。でも、そのような脳を持つことによる困難と、劣等感を持ったり差別されたりすることによって生じるマイナスの面とは区別して考えたらいいということなのだと思います。


ダイバーシティ、多様性という考え方は、統計的な平均とそれ以外という構造で考える古い頭ではついていけない考え方です。ずっと染み付いてきた考え方を変えるのは大変ですが、新しい時代の潮流のひとつとして見えてきているという感触があります。

忘れてはならないのは、人間の脳は機械ではないし、一生変わらないものでもないということです。環境に適応し、あるいは自分から環境に働きかけて環境を変え、積極的に生きていくことで、脳はより自分らしい脳として整っていくのだと考えられます。

ダイバーシティの考え方を取り入れると教育の姿はまるで違ったものになるだろうと思います。社会での人々の働き方も変わっていくだろうと思います。そのなかで、発達障害精神障害もこれまでとは違う角度から議論されていく時代が、もうすぐそこまできているように思いました。




( 『脳の個性を才能にかえる 子どもの発達障害との向き合い方』 トーマス・アームストロング/著 中尾ゆかり/訳 2013年6月 NHK出版 THE POWER OF NEURODIVERSITY by Thomas Armstrong, PhD)  



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2013-08-30

<番外編>自閉症を関係性の障害と考えると

前回、前々回と、自閉症は人と人との関係性の障害かもしれないというような話を書いているのですが、
関係性なんてものに実体はないんじゃないかという感想を持つ人もそれなりいいらっしゃるんじゃないでしょうか。

関係性は目に見えないし、とらえどころがなく、客観的につかめない。
そのようなものを相手にするのは、「科学」ではない???

でも、いったん関係性というものが存在すると考え、それを基本に考えると、つじつまがあうことがたくさんあるような気がしてくるんです。

こころの科学171号:成人期の発達障害雑誌『こころの科学171』今の時点の最新号は、成人期の発達障害を特集していますが、この中には現場からのさまざまな報告が上がっています。

何人もの精神医学の専門家が、普通に生活している成人の中に多数、ASDの特性を持ちかつ障害となっていない人たちがいることに言及しています。本田秀夫氏が「非障害自閉症スペクトラム(ASWD)」と呼ぶこれらの人たちは、乳幼児期から支援され二次障害を予防できたASDの人たちとほぼ同じ状態だといい、生まれ持った素因がよく似ていても、条件さえ整えば社会適応に困難を生じない成長が可能であることを示唆しています。

それとは別な話で「一過性の発達障害」という表現もありました。

調子が悪く混乱している状況の時には顕著に思えた発達障害としての特徴が、しばらく時間がたって落ち着きを取り戻した時には目立たなくなる。(p.90,福田正人)

すべての人は発達障害と定型発達の両方の特徴を持っている(p.64-65,村上伸治)とも、天気予報のように、あなたの発達障害の可能性は○○%という診断にした方が良い(p.82,斎藤環)ともあります。

ASDの素因がある程度あったときに、発達障害かどうか、を決めるのは、置かれている状況や周囲との関係によって決まっていると考えた方がすんなりいくように思えてならないのです。

話が飛躍していてもう少し詰めていかなければならないことは認めますが、方向性としてはこっちのように思うのです。

また、別の本『赤ちゃんと脳科学 (集英社新書)』(小西行郎)には、こういうのもあります。
赤ちゃんと脳科学 (集英社新書)いわゆる「テレビによる言葉の遅れ」。3歳過ぎになっても言葉が出てこない子どもを、テレビ漬け生活を止めさせたらどんどんしゃべるようになるという現象なのですが、この本以外でも何人かの方が書いているのを見ました。
テレビの他に、英語のCDを一日中聞かせていて同じような現象が出たなどの報告もあります。
本の著者の小西行郎氏は、この現象を自閉症と区別しています。自閉症を持って生まれていないのに、一方的な音声を聞かせていると言葉が遅れてしまうといいます。

この本では、親世代のなかに、CDやテレビの音を聞かせることが言葉や知識の獲得に役立つという誤った認識が広がっていることを指摘しています。乳児のテレビやCDのほか、幼児期の読み聞かせなども、内容よりも「気持ちのやりとり」が大事なのだということを強調しています。

「気持ちのやりとり」は、目に見えません。客観的には測れないですが、
これが、人を人として成長させるためのキーワードなのだということなんです。

目に見えないものを相手にするのは、20世紀的な考え方での「科学」ではお手上げです。そういう<測れないもの>は無視することにしてきたんですよね。
別の見方をしないといけないんだと思います。

科学であろうがなかろうが、子育てにも人生にも大昔から情緒的な交流はあり、人と人との関係性はありました。
それを研究から締め出していた科学の方がヘンでしょう。
関係性という視点に立つと、発達障害そのものが、いや、精神の障害ぜんたいが、まったく別な風に見えてくるのかもしれないという予感がしています。



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2013-08-25

<番外編>何を学習するかが遺伝している

関係性の発達を扱った本を2冊読みましたが、読んでいて思いだしたのが、
このブログのずいぶん最初の方で読んだ、
人間は遺伝か環境か?遺伝的プログラム論 (文春新書)』(日高敏隆)です。
(→記事へ

鳥のひなを親鳥と隔離して育てるとさえずりを覚えないが、他の鳥をあてがっても別のさえずりは覚えない。何を学習するかだけが、遺伝している。
遺伝的に決まっているのは予定表だけで、プログラムを実行していくのは環境である、というような内容でした。

人間は社会の中で育つようにできていて、環境が整わなければ遺伝的な特質を開花することができないのだ、と。


これまでの教科書的な発達心理学の理論では、子どもはガラスケースに入れておいても勝手に発達してしまうような印象を受けます。誰がどんな育て方をしようと、時期が来ればしゃべりだし、算数ができるようになり、抽象的な概念を理解して大人になっていくように錯覚してしまいます。

でも、実際の子どもは周囲の大人と情緒的に交流し、伝えたいという気持ちを育てることではじめて言葉をしゃべりだすのであり、たくさんの年長の人間との暖かい交流を通して学習し社会の一員となっていくというのは、子どもを育てたことのある人なら当然だと思うのではないでしょうか。

人間関係というものは年月の積み重ねによって育まれるもの、例えていうなら漬物のぬか床のようなものじゃないかと思います。大人の中にも情緒的交流が豊かに育まれている社会の中ではじめて子どもはすくすくと育っていけるといえるのかもしれません。
そう考えていくと、現代の子育て事情には厳しいものがあります。


育てる者への発達心理学―関係発達論入門』(小倉)(→記事)には、お母さんとだけうまく行っていない例が出てきましたが、なるほどと思ったのは、この例であっても医師によって自閉症と診断されていたと記述されている点です。自閉症の診断は子どもの状態を診断基準に当てはめることで可能です。原因を問わずに診断できるのです。

しかし、自閉症の定義としては環境要因によるものは含まないことになっているので、これは本当は自閉症じゃなかった、ということになります。
ややこしい話です。

しろうとだから思い切って言いますが、
診断のやり方じたいに大きな矛盾を抱えているように見えます。


自閉症の関係障害臨床―母と子のあいだを治療する』(小林)(→記事)では、注意深く努力して母子関係を作ることで改善していく例を見ました。この子どもたちは生まれつきの感覚の過敏性を持ち、外界の関係のとりかたの最初のほうでつまづいてしまったのだと考えられています。

適切な療育を行うことでそのような育てにくい子どもとも交流の回路をつなぐことができ、その子が本来持っている遺伝的な素質を開花することができたとみなすことができるように思います。

となれば、似たような過敏性を持った子どもでも、たまたま環境がうまくいった場合はたいした問題を起こさずに育っているのだと考えられないでしょうか。

自閉症の生まれつきの素因の中に、言葉を覚えられない素因や社会性を獲得しにくい素因というようなものを想定するのはおかしいということになります。

遺伝しているのは、何を学習するかというプログラムだけだからです。


自閉症の関係障害臨床』(小林)でも自閉症成因論について論じた部分があります。器質因と環境因の複雑な絡みあいによるものでどちらも特異的な要因ではないのではないかと書いています(pp.277-278)。生まれつきの特別な素因でもないし、特殊な育て方のせいでもない、さまざまな条件が絡み合ったときに自閉症という状態が出現するのだと。

私はこの見方にかなりの共感を覚えます。

おそらくその条件の絡み合いは何通りもあって、今後分類が可能になっていくかもしれません。今の段階では、結果としてそのような状態になったものについている名前が自閉症であるというそれだけのことなんだと思います。

自閉症が一生つきまとう遺伝的な欠陥であるかのような理解のしかたはもうしなくていいように思います。その代わり、偶然が積み重なった事故のようなものだと理解できるかもしれません。
それはそれで重たい現実だけれど、より正しく理解することによって対処のしようがあるかもしれないです。
 



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