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ベンチャー役員三界に家なし

2016-06-15 CFTやタスクフォースは男(女)を上げるチャンス このエントリーを含むブックマーク

ごきげんよう。お昼休みのひと時です。
さて、お友達のブランドコンサルティングを手掛けるインサイトフォースの山口さんがとても勉強になる記事をアップしてくれていました。

B2B営業を成果につなぐブランド戦略 最終回:
ブランディングとセールスの連動、「CMO待望論」より必要なこと (1/2)
http://marketing.itmedia.co.jp/mm/articles/1606/13/news045.html

ブランド戦略を絵に描いた餅にしない!生々しいCFT運営のコツ
https://note.mu/blogucci/n/nef48e9ea9585

※CFTとはクロスファンクショナルチームのことで部門を横断してメンバーを集めて課題に取り組むチームのことです。
詳しくはこちら http://gms.globis.co.jp/dic/00781.php

ブランド戦略というテーマから論じられていますが、実際にご自身が各企業に入り込んでお仕事をされている山口さんらしい全社課題に対して「実になる」結果を出す為の組織論としてもとても的を射ていると思います。

ちなみに田端さんがツッコミを入れていた議論には僕もリアルタイムで参加していたのですが、CFTというのは実は「なかなかうまく行かないやり方」として語られることもよくあります。
今回の山口さんの記事のよいところは(ポジショントークだとしても)それを超えて「やはりCFTだ!」と言ったことだと思います。

経営ないしは経営に近い視点からのCFTの有効性や運営については山口さんに聞いてもらうとして、僕があえてこの話に蛇足と知りつつ何か言うとすれば、CFTや、タスクフォースと言われるプロジェクトへの参加は部門の現場社員としてはチャンスだから死ぬ気で参加した方がいいと思うよという話です。

■CFTは部門ではお遊びだと言われる?

僕は会社員時代とあるメーカーのCFTにいくつも参加していたのですが、ここで多くのことを学びました。
でも、CFTの難しい面も沢山見ました。
僕が参加したいくつかのCFTの中で一番思い出に残っているのは、とある画期的な新システムを既存商品に標準装備することにより得られるデータを如何に各部門で活用するか?というCFTでした。

まずそもそもスタートから無茶苦茶でした。よく考えてみたらそりゃそうで、データを飛ばす装置を標準装備することをトップ決定してから活用をCFTで考えるのです。
初回から大荒れなわけです。まぁ各部門が頭を抱えたり、自分都合の話をしたり、そもそも論になったりと喧々諤々でした。

僕はというと、実はこのCFT。部門ババ抜きのババを引いたような感じで行かされたものでした。
一番立場が弱く、なんでもハイハイと行きたがる僕を部門長が生贄のように差し出したという経緯だったのです。

そもそもCFTは各部門で通常ミッションと別に編成されるものなので、専従ではありません。だから部門の本流では「仕事」とは認めてもらえない空気感がありました。
直属上司との評価面談シートなどでも、どや顔でメインの期中のアウトプットに「CFTがんばりました!」みたいに書くと上司にげんこつで報いられる感じなので、空気を読んで「その他の成果」の欄に「CFTに行きました。まる」みたいに書く感じでした。

やはり部門の数字や目標にコミットしているラインマネージャーからすると、部下のうちエース級をCFTに引き抜かれたり、若手が他の部門と交流して染まられると使いにくいから嫌なんですよね。
うん。器の大小はともかく部門を預かる責任者ならそういう気持ちになるのは仕方ない。(笑)
だから、部門ではCFTは空気的に冷ややかな感じになりがちです。

いやいや、経営層肝入りのCFTなんだから、チャンスじゃねーの?
というのは日本企業の入り組んだ政治ゲームを甘く見ています。意識の高さだけで生き残れたら苦労しません。
特に経営に近いCFTは設置を主導した人の子飼いや部門内のスパイと後々思われる可能性がある為、本気のエリートコースの人は様子見をすることも多いにアリだと思います。

■それでもCFTは学びのチャンス

僕はそれでもCFTやタスクフォースはチャンスがあればなんとか入るべきだと思います。
ここで重要なのは部門での立場を担保したままうまく参加することです。
部門の代弁者として僕がぶちかまして来てやりますよ!」と、若手の族議員部門では装って参加するとか、みんなが忙しいと思うので僕が、、、と押付けられたふりをするとか。そういうのがいいでしょう。

もちろん実際にCFTとしてワークするときには部門員としての専門家としての視点から、全社としてのあるべき姿に貢献できるように全力を出します。ちゃんと組成されたCFTであればスタッフ部門からはエース級が入ってることも多いですし、外部から戦略コンサルタントなどがファシリテイターや取りまとめに入って来ることもあります。
そういう人達はビジネスパーソンとして有能な場合も大いにありますので部門内でタコツボみたいな体育会系縦社会ばかりをやってるより彼らとの仕事は勉強になり、視野が広がります。給料は上がりませんが。

部門へはCFTの空気を単純に持ち帰らない

これはやり方ではありますが、うまく回っているCFTはとても仕事として面白くもあります。
自分が普段部門の中で向き合っている閉じた世界とは違い、様々な部門と会社全体のデザインについて意識できるからです。ここで若いと褒められているうちになんだか鼻持ちならない態度になったり、意識が上がり過ぎて部門に帰って同僚やひどいと上司に説教をたれる猛者が出たりします。
CFTではもちろん方向性等を部門の代表として部内へ持ち帰り、実務レベルで浸透させるエバンジェリストとしての役割も期待されているのでやれと言われたからやった振る舞いですが、まぁ、、、大体嫌われます。

大日本帝国陸軍大臣にして終戦の詔勅に同意して陸軍武装解除した阿南惟幾(終戦時に切腹自害)は、最期まで本土決戦を強行に主張していると陸軍内でも皆が思っていたからこそ、「あの阿南大将が納得したのなら。。」と陸軍が暴発せずに従ったという説があるそうです。こういうのを「腹芸」と言うわけですが、まさにこの腹芸なしには部門にCFTの成果はインストールできません。
部門の利害を最も強硬に主張していると部門内に思われておく」ことはとても大事です。

■CFT参加中は部門で今まで以上に働く!

結局のところ、CFT参加はビジネスパーソン個人として勉強になる経験ではあるものの、常にすべての会社のCFTが経営の後ろ盾をもち健全に運営される保証がない以上、CFTの参加で認められ経営企画などに取り立てられるなんて夢を見てたのに、結果は「本業もおろそかに経営改革ゴッコに参加して遊んでた。」という烙印を部門で押されることなんていくらでもあります。
いやぁ美しいですねぇ。ニッポンの大企業

それでもCFTは参加するのですから、自分で保険を掛けるしかありません。
つまり「CFTに参加中は部門で通常ミッションの遂行する為目の色を変えて働く!」
これしかありません。

■CFTは経営の疑似体験

会社というのは様々な利害が一つになった組織で、追い求めるKPIや成果の方向性部門によって異なるのが当たり前です。むしろガバナンスの視点では異なっていることが必要なのです。
これを超えて会社の成長に向かって自分の専門分野を生かしながら全体を俯瞰して最適解を作っていくCFTの作業というのは経営の手順そのものとも言えるでしょう。
こんな機会がもし自分の仕事の中で見えたら何がなんでも掴んでおきたいものです。若ければ尚更です。
しかし、CFTが設置されるということ自体が組織上で深刻な政治的な機能不全が横たわっているのは自明です。
故にべき論で片づけられない問題を直視して、組織内の有象無象の思惑も泳ぎ切り生きてCFTの成果を見ることができたらきっと企業内に居たとしてもマーケットで通用するビジネスパーソンになっていると思います。

まぁ、僕はいくつかのCFTを経て起業に参加してしまいましたので、有象無象を泳ぎ切れなかったクチです。
でもCFTに飛び込んだ経験は、自分が会社を創る上での組織作りや、大企業組織論理を理解した営業活動など、ベンチャーをやるようになってからもとても役に立っています。

というわけで来るべきCFT参加のチャンスを虎視眈々と狙いながらやるべきことは決まってますね。
今日も持ち場でがんばりましょう。

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2016-06-03 「一見無駄だと思う作業が大事」と中の人が言ってる業界こそ攻撃対象 このエントリーを含むブックマーク

『必ず「俺は聞いてない」というおじさんが出てきて邪魔をする。』だから、『何度も何度も同じ内容の説明会を開き』『壊れたテープレコーダーのように同じことを言い続ける』というのが大事だ。
という記事を読みました。

「聞いてない」というオジサン 2016.6.1.|木下斉/HitoshiKinoshita|note(ノート) https://note.mu/shoutengai/n/n81a1420a0a7e

僕はこれを読んで思うところがありました。
新規事業成功のキードライバーについてです。

この記事自体はとても現場感のある内容で本当にその通りだと思います。
「こういうオッサンどこにもおるよな〜あるある」というのは感想。
「そうか、、こういう一見無駄なように見える粘り強い作業は大切なんだな。」という学びもありました。

これは地方再生だけでなくあらゆるマーケット、事業推進の「あるある」でもあります。

さて、問題はここからです。


ここから思い至るのはこの記事で出てきた「事業を上手く推進する為の繰り返しの説明会」のような現状一見無駄なように見える粘り強い作業が実は事業を成功させる為のキードライバーになっているということが良くあるという事実です。
そしてそれはとりもなおさず「過剰なオペレーションをする能力、体制を持っている事業者が優位性を持っている市場である」と僕には見えます。
もちろん「過剰なオペレーションのコスト」はサービスなり成果物の販売価格に一定量転嫁されるはずです。

例えば門外漢がこれを上っ面だけのリサーチなどで理解すると、「巨大な非効率市場」に見えます。(実際にそうなのですが)

しかし、安易に新規参入するとうまく行かず討ち死にします。
まず、そもそも数字がついてきません。美しい事業計画、洗練された業務フロー、最新のICTをふんだんに使って鳴り物入りで参入しても、どうも受注が取れなかったり、せっかく受けた仕事もトラブルだらけになったりします。

業界や現場をよく知らない人ほど新規事業を立ち上げると、アイデアや理想を素直に実行しようとするので「無駄な慣習やオペレーション」を豪快に削ります。
でも実はそれこそがこの事業のキードライバーだったというオチです。

とはいえ、無駄を飲み込んでしまうと既存大手事業者に叶うはずがありません。あたりまえですよね。
彼らは長年「外から見たら無駄なことが必要だという経験値」を基にそれを洗練するということをして競争優位を確立しているからです。

ある意味「歪んだオペレーショナルエクセレンス」です。

例えば、最近だと「不動産テック」などというテーマなどまさにこの状態ですよね。
「『俺は聞いてない』っていうオッサン」が一番いっぱいリアルに出てくる業界ですから(笑)
そういう属人的な仕事のプロセスを飛ばして「ネットで完結!」とか言ってもうまくなかなかいかないわけです。

さて、シリコンバレー大好きの上滑りしたことばっかり言うにーちゃん達の肩を持つわけではないですが、僕はそれでもこういう業界は誰かが攻めるべきマーケットだと思います。

ではどうすれば、どういう人が切り込めるのでしょうか?

僕は事業責任者が「現場業務に『本当に飛び込む』ことを厭わないこと」、「ICTについて理解していること」がポイントだと思います。

巨大な非効率市場()で討ち死にする新規参入者の死体を見ていると

1.マーケットのあるべき姿を描く
2.生活者にウケる新しいアイデアを出す
3.本当に必要なビジネスプロセスの洗い出しをする
4.現状プロセスボトルネックの特定
5.ボトルネックを解消する新しいアイデア
6.アイデアのシステムへの落とし込み、設計、構築
7.新しいビジネスプロセス法律や業界ルール違反とならないように認めさせる交渉

を一貫して理解、実行できる人ってなかなか居ないんだなと気づきます。

最初の2つを理解している人は結構いますし声も大きい人が多いですね。情報も沢山あります。
しかし同時に3〜4の項目については理解している人はぐっと少なくなります。そして3〜4をできそうな「現場の人間」や「業界経験者」に任せてしまうと「目の前の業務」にひっぱられてしまいオペレーションは理想形にはなりません。
そして5〜6の部分はどちらかというとICTの知見がないと難しいです。
新しいマーケットに切り込む側は、チームを組むと1〜2が経営、3〜4が業務系の人、5〜6がシステム屋さんとかでやりがちなのですが、出来上がった事業はまず利益が出ません。
もしやるなら全て一貫して理解、実行できる人が居て全体をデザインしないと風穴を開けられないと思います。

7.についても少し言及しましょう。
これまでの常識を打ち破り新たなビジネスプロセスを実現したとしても、まだ最期の壁が残っています。
それが規制です。
旧来の「あたりまえの業務プロセス」は、「法律(業法)」「省令」「条例」「業界団体の自主規制ルール」などで守られていることはままあります。誰の都合かはここでは言いませんが、あるものはあるのが現実です。
これをないがしろにすると、まさにアンタッチャブルになってしまい、最悪「改革者」ではなく「犯罪者」にされてしまいますので新しい方法が適法であると認めてもらう必要があります。
ドン・キホーテが「テレビ電話薬剤師と相談できるから夜中に店舗に薬剤師不在でも薬を売っていいだろ?」とか、
QBハウスに対して「洗面台がないのは不衛生なので理容店として条例違反である。」とか言って揉めてたのがありましたよね。あれです。
ここもアイデアをひねり出して粘り強く交渉してクリアしないといけません。

ICTは人の仕事を徹底的に破壊するパワーを持って居ます。
僅かな人間だけでこれまで沢山の人間が手間をかけていたことを完璧にこなし、大きな利益を手中に収めることも可能です。
そしてその裏で善良な勤労者がそれまで当たり前に「仕事」だと思ってがんばってきたキャリアとスキルを無力化し、生活の糧としての雇用を根こそぎ破壊することも可能です。

とはいえ、人間が築いたオペレーショナルエクセレンスの城壁は高くなかなか、能書きだけでは実現しないねと。そういう話です。

必死で城壁をツルハシで穴をあける側として生きるか、いつか開く穴に怯えて暮らすか。
僕自身についてはとんでもない小心者で心配性なのでいつか失われるかもしれない居心地の良い場所で怯えて暮らすより、毎日必死で巨大な壁に挑んで四苦八苦する方が気がまぎれるのでテックベンチャーをやっています。

まぁ自分がどちらにいるとしても、やるべきことは決まってますね。

今日も持ち場で頑張りましょう。

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2016-03-18

「アジェンダなし」の打合せはやってはいけない?

ごきげんよう

ちょっとハードな交渉事がなんとかまとまって、一息つけた昼休みです。
さて若い頃、とあるメーカーの国内販売代理店をどんどん統合してゆく(つまりリストラです)仕事をしたのですが、そのプロジェクトの責任者だった役員がとても面白い人で今考えるとすごく勉強になったなぁとふと思いだしました。
すぐ忘れそうなので書き留めておこうと思います。

簡単に言うと東京本社で決められた大方針の下、統合の必要性と今後の手順等を全国を周って説明しながら系列会社を潰していくというひどい仕事だったのですが、本社ではそのためのタスクフォースが組まれて僕も何人かの若手と下っ端として資料作りなどを担当しました。

僕らは本社サイドの下っ端として、必要な手順等を連日徹夜などしながら準備をしていたのですが、やはり下準備や調査などで地方の販売会社に行くと、あまり良い話で来ているわけでもないので緊張感を感じたし、歯に衣着せぬ地方(どことは言わないけど僕の故郷である関西など)では露骨に「わしらクビにしに来たんやろ?そらご苦労様です。」などとキッツイことを言われお茶も出ないこともあるわけです。

こりゃただ事ではないぞ。と思って東京に逃げ帰って来て、必死で説明資料などを可能なかぎり緻密に作り、論理的に理解を求めようと準備をしました。もっと前向きな仕事したかったヨ。怒られるのやだし。と当時は思ってました。

いざとある地方の販売会社の社長、役員に最初の説明をしに行く日、僕はプロジェクト責任者の役員のお供でガクガクブルブルしながら付いて行ったことがあります。
資料などに不備がないか、数字に誤りがないか、説明の順序などに相手の気持ちを逆なでするようなものがないかなど行きの新幹線でも気が気ではなく既に逃げ出したい気分です。
絶対向こうは怒ってくるだろうし、最後は力関係があるとはいえ揉めたらプロジェクト自体が滞り、今度は僕らが使えないスタッフとしてリストラされる番でしょう。

しかし、上司の役員は50代の人だったのですが行きの新幹線から既に一杯飲んで、資料に目を通そうともしません。(ちなみにこの方、T大工学部出身でめちゃくちゃ頭の回転が速い人でした。)

現地の会社に乗り込んで、向こうの役員会議室で先方の会社の居並ぶ役員達に、僕ら下っ端が徹夜で作った資料を配った後、向こうの会社の社長が「突然の話で我々も驚いている。納得できる話を今日してもらえるんだろうな?」ってしょっぱなから凄んで来ます。
僕は重すぎる空気におしっこ漏らすのをガマンするのが精いっぱいの状況です。

そしたら、うちのおっさん。いや役員は、「は?今日は私にアジェンダはないですよ。今日は皆さんの話を『聞きに』来た。」と堂々と言って、「よいしょと。。」と言って折角僕らが作った資料を裏っかえしにして。メモにし始めました。

「さぁ、言ってください。私は聞きに来たんです。」

と。

そこからは、向こうから現状の不安や不満などが堰を切ったように出てきて、それを上司はウンウンと言いながら、僕らの徹夜で作った(しつこいですが、、)資料を裏紙にしてメモをしてゆく。

その日は結局、資料の説明はせず、僕らはホテルに、上司はえらい人達と飲みに行きました。
翌日は上司はさっさと帰京し、僕らは現場での説明会があったのですが、以前、事前調査に来た時と全然雰囲気が変わっていました。
どうやら先方幹部がすっかりうちのボスに「あの人は話のできる人だ」と心を許したようで、朝礼で僕らに協力するように現場にとりなしてくれたようです。

僕らは再編を知らず知らずのうちに全体の中での最善で論理的に考えた上での戦略だと。仕方ないことだと思っていたのですが、そういうことを相手に伝える方法は、何も中身を「論理的に説明すること」ではないのだなと。
何をやっても「上から目線」であったり「押付け」と捉えられて中身以前に受け入れがたいものとなるのだから、ロジックや正論などは語れば語るほむしろ物事がうまく進まないこともあるのかもしれないなと。
なんとも言えず目を開かされた気分になりました。

まぁ、僕は朝までに徹夜してでも作れと言われた資料を結局使ってくれない上に、裏紙にされたことを今でもムカついて覚えているので、もし自分が同じようなことを仮にするときが来てもメモには手帳を使おうとは思っています。

さてまぁ、社内政治的なものはくだらないとか、ロジカルだイシューの共有だといくら吠えても面従腹背で誰一人動かすことができないビジネスパーソンにはなりたくないなと思うことがありちょっと思い出しました。

さて、今日も持ち場でがんばりますよ。

では

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2016-03-17

ショーンマジックについて考える

ごきげんよう
ショーンK氏の学歴詐称について話題になっているようだ。

僕はこのショーンKという人自体騒ぎになって初めて知ったから完全に乗り遅れてる組なのだけど、ずいぶん人気者だったようだ。
一緒に仕事をしたことのある著名人などもコメントを出したりしているが、彼を知ってる人達の談話は概ね「学歴詐称はよくないけど彼は話も上手い男前なのは確かだよね」というものである。

ぶっちゃけスキャンダルになるまで知らなかったから流していたのだけれど、ちょっと目に入って面白かったのが、テリー伊藤さんが言っていた「ショーン川上氏は簡単なことを難しく言う(http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/03/16/kiji/K20160316012223690.html)」というコメントだ。
あぁなるほどなぁ。この手を使う人だったのかぁ。と。

この逆で「アタマのいい人は難しいことを簡単に(シンプルに)説明できる。」という話は割とよく聞く。
池上彰さんなんかが代表的なイメージだろう。

「難しいことを簡単に説明すること」と同様、もしくはそれ以上に「簡単なことを難しく言うこと」に需要があることは実は古くから知られていて特にエンターテイメントの世界で利用されている。
そもそもからみあった難解な事象を解き明かす為に学問と向き合うのがインテリジェンスなのだろうけど、僕ら中途半端な人間はむしろ「大して意味のない事に実は深い意味がある」ように勘違いして、努力せずに学問に触れた「気分になる」というエンターテイメントが大好きなのだ。

多分「ショーンK」のマジックショーはそういった類のものだったのだろう(見たことないから想像だけど)。
イケメンハーフ風の見た目に騙された!みたいな話もあるが、「イケメン」はいくらでもいるからやはりそれだけではないと考えたほうがよいだろう。やはり「ショーンマジック」があったと考えるのが妥当ではないか。

むしろ、テリー伊藤さんが言うところの「ショーンマジック」とは何か?について考えながら、ショーンマジックを学ぶことで僕らも人気者になれないか?を考える方が有益そうだ。

「衒学(げんがく)」という言葉がある。衒学とは学問や知識がある事を披露して自慢することで、平たく言うと「知ったかぶり」である。

通常「知ったかぶり」は嫌がられるものなのだが演出と共に行うとむしろ非常に歓迎され拡散されていく性質を持っている。
そしてそのことを知ってワザとやる人達がいる。
近年その手法で一番成功したのはエヴァンゲリオン庵野秀明氏だろう。数年前のNHKトップランナーという番組で庵野氏は「自分にとってフィルム作りとはサービス業であり、客に何かしらの満足感を感じてもらえるものを作りたいと思っていて、 エヴァの衒学的なストーリーもそのためである。」と大ヒットコンテンツとなったエヴァンゲリオンの謎に満ち、時に不条理なストーリーはそれ自体に真理も哲学もなく、「なんだか難しくスゴそう」であると感じてもらうこと自体が目的であったと語っている。

ショーンマジック」はそれをビジネスコンテンツに応用したテクニックなのだが、ショーンKはこれがツボに入ってしまいシャレで済まないところまで売れてしまったのだろう。

通常ならこういうのに騙されないようにしましょうね。という話になるのかもしれないけれど、僕は「人の心をざわつかせ」、「無視できなくし」、「誰かに話題にしてもらう」為のテクニックとしてこの手法はむしろ僕らが生き残る為の一つのテクニックとして理解し、適切に利用すべきだと思う。

僕は常にアカデミックなアプローチや体系立てた勉強をされてきた人達に敬意を持って居るつもりだけど、必ずしもそういう人達が「バカに対して伝わるように」話をし、「バカを動かし社会を変える」ことに積極的であるようには見えないこともある。むしろまともな人ほどそういうやり方を忌み嫌っているようだ。

頭の良い人は「難しいことを簡単に教えてくれる」が、それはぼくらが昼休みのひと時に求めているものではない。

僕らが欲しいのは宇宙の真理ではなく、僕らに手の届かなかった「学問」という宇宙の中に僕らも一時でも混ぜてもらえたような錯覚なのだから。

体系立てて物事を学んだ「ちゃんとした学歴のある人」が、難しいことを一度シンプルにした上で、仕上げのひとツマミのスパイスのように素人や無学な人間が食いつく程度に衒学的な要素を入れてあげれば、今まで何度説明してもピンと来てなかった人達が食い入るように話に聞き入るだろうし、言ったとうりに面白いように動くと思う。

メディア上で悪貨が良貨を駆逐するのはよくある話であり一番被害をこうむるのは、中身のない話を有難がって時間とお金を無駄にする僕ら、アカデミックなものに無縁で日々を現場で悪戦苦闘している人間だから、ホンモノの人には是非気乗りしなくてもそういうことを慈善事業のつもりでやって欲しい。

あと、そういう意味では衒学的なものに、むしろ本物が途中からツッコミを入れたり補足したりしてくれるツイッターなどの方が見る側が多少の目利きが効けばよっぽどまともな話を分かりやすくしているように思えるという話もある。
まともなインテリとショーンマジックを使うエンターテイナーがうまく相互に補完をしあってることもしばしば見えるからだ。

まぁ僕は明らかに「エンターテイナー」側だけど、そういうエンターテイメントに需要があることは実感しているし、僕はさほど興味ないけど、うまくすればそういうのでお金を稼ぐことだってできるだろう。
有用な技術だと言えると思う。

さて、今日はここまで。
今日も持ち場で頑張りましょう。

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2016-03-11 これといった被災地支援を出来なかったのに堂々としている人の話 このエントリーを含むブックマーク

ごきげんよう

東日本大震災から5年が経ちました。
5年前の今日あの時間僕は新卒採用の面接をしていました。
面接をした女子学生を連れて日枝神社避難したことを覚えています。

この5年の中で自分が何か被災地に対して支援が出来たかというと直後のささやかな寄付や支援物資を送るなどの月並みなことと、多少のプロボノをさせてもらった程度で大きく言えるようなことは何一つできていません。
正直なところ自分たちのことで手一杯だったというのが実情です。
会社は丁度創業事業の成長が鈍化して事業転換を迫られていた厳しい時期でしたし、プライベートでは息子が生まれたばかり、初めての子育てで夫婦共に余裕もない。そんな時でした。

先月のことなのですが、部下として僕の下でがんばってくれていた女性社員が退社することになりました。
出社最終日に僕はイベントでの登壇があり送り出すことが出来なかったのですが、夜会社に戻りデスクの上にチョコレートの箱がありました。
そこに小さな手紙が挟んでありました。
彼女が置いていったものでした。
手紙の中身は書きませんが、これまでの丁寧な礼と「親代わりと言ったのだから結婚式のご祝儀を期待しているゾ」という内容でした。
彼女はうちでの仕事を続けたい意志はもってくれていたのですが、フィアンセの海外勤務を機に結婚し夫と一緒に新天地で新しい活躍の場を探してみることにする事に決めたとのことでした。
もちろん僕にとっては大きな痛手ですが、本人の腹が決まれば気持ちよく送り出すことにしたという次第です。

彼女は5年前の震災のあの時期に内定を出した社員で、しかも大きく被災した地域の出身でした。
内定を出した時は地震前、被災したから内定を出したわけではありません。)

僕の部下であることはかなりしんどいことだと思うのですが、彼女はとても頑張り屋で挫けることなくついてきてくれました。
一度本当に仕事が大変な時に「がんばります。。。どうせ私、帰る場所(実家)ももうありませんから。」とポツリと言ったことを鮮明に覚えています。

彼女を預かり、ビジネスパーソンとして独り立ちが出来るように僕の知ってることは惜しみなく教えたつもりですし、一緒にいろいろと勉強をさせてもらいました。

別に震災があったからそうした訳でもないですし、他の社員でも同じくそうしているつもりですが、結果的に厳しい状況からのスタートとなった彼女が次のステップに進む為のプラットフォームとして自分の会社や自分が多少なりとも機能したのであれば、一人、たった一人に対するちっぽけでご都合主義的な話ですがこれも自分ができた震災復興支援と勝手に自分の中でカウントさせてもらっています。

今ふとあの時の自分はどう考えていたのだろうと、震災直後の社内SNSのログを見たらエントリが残っていました。

転記します。

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ひとりひとりができること

2011年03月14日14:30

想像を絶するとはこのことだ。
取引先や一緒に仕事をした先にも亡くなった方、行方不明の方が出ている。
亡くなった方には心からご冥福を祈り、行方不明の方はなんとか無事に救出されてほしいと心から願う。

ネットでは有象無象の情報が交錯して、また、居ても立っても居られない人の善意を利用した悪質なチェーンメールや、逆に各所に迷惑がかかってしまう義援行為の推奨が行われいる。
(例えば、消費財メーカーなどに物資を無償提供するよう要請する個人のメールで、サーバーパンクしそう、、など)

悲しいし、自分で何かできないかと考えること自体は非常に尊いことだと思う。
こういう時に一人一人はとても非力だし、自分がいつも通りちっぽけに幸せに暮らすことがなんだか居心地悪かったり、沈んだ気持ちになるのも確かだ。
でも、私は、こういう時こそ、いつも通り経済を回したり、消費をしたり、仕事をきちんとやることが重要だと思う。
一人ひとりの予定通り買ったものや、使ったお金、がんばった仕事を通して、また企業や誰かの仕事を安定させ、その企業や働いている誰かの家族や身内や友人を通して被災地の人たちには必ず支援につながっていく。
体のどこかを大けがして、悲しい気分になって食事もせず運動もしなければけがも治らない。
その場の傷口をどうにかすることはお医者さん(プロ)の仕事でもあり、我々も何かのプロとして日本の経済や仕組を命がけでまわすべきだろう。
それが、ニッポンという体を回復させる基本だと思う。

私が言いたいのは特別なことをしなくても、日頃から与えられている個々人の役割をこんなに悲しい状況の中でもちゃんと果たすことが必要だということだ。

危険な放射能と隣り合わせで原発の対応にあたってくれる人、被災地に入って救助に当たってくれるレスキューの方、避難者を励ます医療従事者の方には本当に感謝すべきだし、それ以上に彼らのプロフェッショナルとしての姿勢について私たちはもっと良く考えるべきだと思う。

悲しい気持ち、何か手助けしたい気持ちはぐっと心に留めた上で、まずは自分の持ち場を全うし、その上で生まれた、金銭的、時間的、人力的余剰があれば、それは、実のある形の消費なり、直接的な義援金なりにするというので十分な貢献になるはずだと思う。

何をしてよいかわからなければ、まずは自分の持ち場を全うしてください。

危険な状況でがんばるプロの邪魔をするのだけはやめよう。
私たちがもし何かのプロなのであればまず目の前の仕事をがんばろう。
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持ち場で頑張りましょうとあの時も言っていたようです。
そして残念ながら5年経っても殆ど進化がありません。

さぁ今日も持ち場でがんばろうと思います。

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