WBC閉幕

さすがでした。松坂はそこまでよくなかったけど、攻撃に関しては横綱野球を見せて貰いました。先制・中押し・ダメ押しという見事な得点でした。特に先制点をもぎ取ったデットボール、あれは避ける気一切ないという決意が込められていたように見えました。守備に関しては、高校生でもやらないミスが続いてガッカリもしましたが、ほんの少し日本に運があったと思いました。渡辺俊はひどい。キャッチャーも。あの状況で初球ねらわれているのに、常にストライクを投げ続けた無謀さには驚きましたが、まあこれもプレッシャーのなせる技としときましょう。

傭兵の二千年史

傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

それなりに。内容としてとても近世〜近代が多く、ほとんどの部分を占めてしまっている。確かに傭兵が近世に活躍したというのも頷けるが、俺としてはもう少し古代や中世のほうも記述して欲しかった。近世の傭兵についてはかなり細かく示してあった。非常に読みやすい内容。ただ、地図帳を片手に読むとよりよい。

周辺諸国家の変遷

明朝に中国本土を追われた元は、北元タタール部)となってモンゴルを支配した。明の圧力が衰えると東モンゴルのタタール部と西モンゴルのオイラート部が抗争を続けた。15世紀の半ばにオイラートエセン=ハンに率いられて強盛となり、1449年正統帝をとらえる土木の変を起こした。その後はタタールが強盛となり、ダヤン=ハン内モンゴルを統一した。その孫アルタン=ハンはしきりに華北に侵入したが、西方に進出するため明と和議を結んだ。以後青海・チベットを従え、中央アジアにまで遠征した。その結果、チベットから黄帽派ラマ教がモンゴルに伝わり、モンゴルが平和的宗教的な民族に変わる契機となった。
清の康煕・乾隆時代の遠征によって、ジュンガルは滅ぼされ、天山南路のウイグル人を平定し、これらの地を藩部新疆として理藩院の直轄下においた。
チベットは14世紀末、ツォン=カパが現れてチベット仏教の改革を行い、黄帽派を興した。ツォン=カパの後継者がダライ=ラマとなって政教両権を握り、ラサを首都として支配した。ダライにつぐ権力者がパンテェン=ラマで、タシルンプ寺に住する。清はチベット・モンゴルを征服して藩部としたのち、ダライ=ラマなどを保護してモンゴル・チベット人を懐柔した。

李氏朝鮮の建国

14世紀末倭寇の激化によって、高麗は国防費を費やし財政が窮乏した。倭寇を討伐して功名を上げた李成桂親明反元を表明して、1392年に李氏朝鮮を建国した。都は開城から漢陽に移し、内政の改革に着手した。両班と呼ばれる文武の世襲官僚制を作り、朱子学を国教とするなど官僚的中央集権体制を建設した。銅活字が作られて印刷技術が進歩し、15世紀には訓民正音という音標文字が制定された。
両班は絶大な権力を持ち、やがて利害によって結ばれた党派が生まれた。彼らは私的な党争に熱中し、王位継承を巡る内紛などを起こした。16世紀には豊臣秀吉による壬辰・丁酉の倭乱が起こって荒廃し、清国の侵入を受けて1637年に服属国となった。

ヴェトナムの黎朝と西山朝

15世紀初め明の永楽帝は陳朝復興を名目に完全に征服した。黎利は独立運動をまとめて明を撃退し、1428年黎朝ハノイに建てて大越国と称した。明朝にならって官僚制を基盤とする王権の強化に努めたが、実権は鄭氏と阮氏の手に移った。鄭氏ハノイで黎朝の実力者となり、阮氏はユエに広南国を建てて、南北対立が始まった。
18世紀後半になると西山の阮氏が鄭・阮両氏を倒し、西山朝を建てた。清は遠征軍を撃退されて西山朝を承認したが、広南の阮氏一族阮福映ピニョーを通じて仏の援助を得、西山朝を滅ぼして1802年ユエを首都にヴェトナム(越南)を建てた。

シャム(タイ)とビルマミャンマー

南詔が滅んだ後シャム族の大理国が興り、北ビルマには11世紀にビルマ人のパガン朝が成立したが、いずれも元朝の征服で滅んだ。このとき南下したシャム族がカンボジアを破って1257年スコータイ朝を建てた。しかし14世紀半ばにアユタヤ朝がシャムを統一し、小乗仏教の国として栄えた。1767年ビルマ軍の侵入で滅びたが、このとき華僑の血統であるピヤ=タクシンビルマ軍を撃退して王位につき、トンブリを建国した。彼が人望を失うとピヤ=チャクリラーマバンコク朝(チャクリ朝)を開き、ラーマ1世となった。
パガン朝滅亡後、16世紀半ばトゥングー朝ビルマを統一した。ペグーに都を置き、小乗仏教として栄えた。滅亡後はアラウンパヤー朝が興って統一した。これは東西に領土を拡大し、一時はアユタヤも支配下に置いたが、1790年以来清の属国となった。

東南アジア諸島

ジャワ島では13世紀にシンガサリ朝が栄えていたが元朝の遠征を受けた。このころヒンドゥー教マジャパヒト王国が拡大し、14世紀にはマライ半島などを支配して栄えた。14世紀末にイスラム教が広まり、マラッカ王国の侵略を受けて衰退した。マジャパヒト王国が滅んだ16世紀頃には東南アジアの諸島はイスラム化され、各地にイスラム王国が出現した。