ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

今年のヨム・キプールは...

昨夕から今日にかけてはヨム・キプール(大贖罪)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081007)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090404)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120922)。
昨夕は、マックス・ブルッフ(1838-1920)の“Kol Nidrei”op.47とエルンスト・ブロッホ(1880-1959)の“Schelomo”を久しぶりに聴き、(やっぱりクラシック音楽っていいなぁ、ヘブライ文化って高度だなぁ)としみじみ痛感した次第(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080411)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090210)。
今年のユダヤ新年の10日間は、精力的で強気に前進を続けるダニエル・パイプス先生のおかげで、彼我の文化相違を考えさせられたり、気の若さにいささか呆れかえったりなど(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120922)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120924)、予想に反して、随分、楽しませてもらいましたよ!
正直なところ、これは単に私の好みですが、もうちょっと上品にお手柔らかになれないものでしょうか?お気持ちや主張はわかりますが、「沈黙は金」ってことも、西洋文化ユダヤ文化の知恵として含まれていませんでしたっけ?
うちの主人も言っていましたが、本心では書きたくないような文章でも、ウェブで幅広く人寄せをするためにも、思い切ってテーマを広げて何でも書いておくという方針なのかもしれません。ただ、書いているうちに、表面的に読者およびメディアに迎合してエスカレートする傾向もあるので、そこは要注意ですね。
本当のところは、最新原稿をいち早く訳してもらってアップしたい方針のようなのですが、そうは言っても、訳者の都合(および力量)もあり、言語文化による比重が違うので、いつも繰り返すように、今ではその点、何もおっしゃっいません。私にとっては、古い原稿でも、できる限り幅広いテーマを訳して、パイプス先生の文章力や知的作業(やはりこれは才能と努力でしょうねぇ)を広く知っていただければと願っています。一見、何でもないようなことをわざわざ書いているように思えたり、いかにもコロンブスの卵のような感触もあったりするのですが、未発表原稿も相当あるようですから、意味と思い入れがあってウェブで公開されているのでしょう。
ただし、「私には、不満を溜めながらも、陰謀論について長らく未発表の原稿がたくさんある」「個人的には、言論と写真において、私に同意しない人々からの下品な悪意の奔流と共に生きることを学ばざるを得なかった。あなた方には、私が泣き言を繰っているのが聞こえないでしょう」などと、愚痴をこぼしている点は、いささか気になっているところです。
まぁねぇ、あれだけ大量に、言いにくいこともハッキリと書きまくっていたら、そりゃ、いろんな悪口も非難も言われますよ、先生。普通の人達は、それを避けるために、言いたいことを言わずにぐっと我慢したり、いささかずる賢く逃げたりしているのでしょうが、そこはそれ、有名税と考えなければならないのでは?
私から見れば、ユダヤ系と一口に言っても実はいろんな方がいますが、さまざまな意味で非常に学ぶところの多い民族ですし、宗教的にも深い知恵が集積されているし、いわゆる世間的に成功する人は、何事もとことん突き詰めるので、大変に輝かしい側面がたくさんあると思うんですけどねぇ。確かに、人類史にプラスの貢献をしている面もあれば、あれっというような妙な思想を広める人もいたりして、なかなか陰翳と含蓄に富んだ興味深い軌跡だと思いますが。
ショスタコーヴィチhttp://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120124)が言ったとされる言葉によれば、ユダヤ民族史は‘Joy and sorrow’の繰り返しである、と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070929)。確かに、ヘブライ語聖書(キリスト教で「旧約聖書」を指す)に記されている物語も、まさにその反映のように思われます。
今日一日おとなしくして、明日から14本ぐらいたまった訳文送りに励みましょう。イスラーム映画とやらの反米騒動で慌ただしかったユダヤ新年でしたが、かえって「ヨム・キプールが終わるまで、この10日間、送信を控えましょうか」と自ら提案しておいて賢明だった、と我ながら思います。そうでなければ、「仕事日なのだから、是非、翻訳を送ってきなさい」とパイプス先生から言われた私の方も、ついでに何かと反応してしまいそうでしたから。

ところで、マラヤ大学法学部の華人女子学生さんから、私宛のメール・インタビューを含めたプロジェクト完成稿が送られてきました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120412)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120819)。ワードに5本ぐらい分散しての力作で、読むのが楽しみです。確かに、あの暑いマレーシアで、華人として不利な立場に置かれていても、こんなに頑張ってきちんとしたリサーチができる若い女性が現れたなんて、非常に励ましになります。
日本では一人でやってきたテーマで、確かに、パイプス先生が愚痴るように、変なことを言う「博士号取得」の「大学研究者」の一部の態度については、私だってこれまで嫌なこともたくさんありましたが、結局のところ、このテーマを続けてきたおかげで、ダニエル・パイプス先生とも個人的に知り合いになって、アメリカ社会の断層にも触れることができたばかりか、視野が広がり、新鮮な学び(と反芻)という刺激的な機が与えられました。また、そればかりか、このように、マレーシアの若い世代から直接、連絡をいただいて、私のささやかなリサーチ経験が少しでもお役に立てたならば、これほどうれしいことはありません。
一つは、これもインターネットのおかげです。私が始めた1993年頃は、マレーシアのコンピュータ環境の劣悪さ(停電が頻繁で、電源が入らなかったり、うまく起動しない壊れたパソコンがマラヤ大学の中央図書館にも平気で並べてあった)は、非能率この上なかったですから。彼女も、恐らくは上手にパソコンを利用して、情報を最大限、入手したのでしょうねぇ。将来が非常に楽しみな学生さんです。
第二次世界大戦中はマラヤ華人を相当数、虐殺した日本なのに、あれから60数年が経ち、マレーシアの若い世代から、このような成長の姿を具体的に見せていただけると、やはり、関係は長く続けるものだな、と思います。