トリビアの密室


海の怪物
海の怪物であるシーサーペントであるが、
1419年、大西洋沿岸を航行していたセントマリア号に乗船した3人の船乗りが、
巨大な海蛇を仕留めたという記録が当時の航行日誌に残っている。
それによれば、体長約65フィートで、2つの大きな目を持ち
牙は口の裏側まで生えており、異常なまでに臭ったとも書かれている。



昔、日本では水銀が薬として用いられていたことは、よく知られているが、
中世ヨーロッパではアルミナディと呼ばれ、狼憑きにかかった者を治療するのに使っていた。
使用法としては狼憑きになったものの体にこれを摩りこむのが一般的で、
狼憑きになったものがぐったりするまでこれを続けるとされる。
ちなみに狼憑きとは、狂犬病の類と言われている。


言葉
ロシアの宇宙飛行士ガガーリンが言った名言
地球は青かった」(正確には「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」)
を、ロシア語表記に基づいて、二進法で表すと、
そのバイト数は地球の公転日数である365になる


食べ物
江戸時代、鎖国状態であった日本で他国との交流が可能であった長崎の出島、
ここではかなりの他国文化が輸入されてきたが、国内の文化も他国に輸出されており、
そのなかでも珍しい例として、オランダには一度、日本の鮨文化が輸出されている。
オランダの貿易商であったマールテンは、自身の日記において
日本独特の食文化である鮨を挙げ、一度知り合いの船乗りや、
料理人を手配して、身内に鮨を振舞ったと書いている。
だが、レシピをもとに再現されたオランダ寿司は、
米酢ではなくヨーロッパ独特の果物酢を用いて、
脱穀された麦の実を蒸し、それに生の魚を巻きつけるというおぞましいもので、
元々生魚を食べない上に、見た目が非常に悪かったため、だれも食べず、
「日本の食文化はまれに見る発展途上なものである」と本人も記している程であった。


事件
アメリカのネバダ州にある地方都市のラジオ局で電波ジャックが起こった。
犯人達は数分間に渡り、自分達の思想を語り、「いつか血の革命によって
神を殺す」という発言と共に放送を終えた、その二日後、犯人グループが
警察によって一斉逮捕される。理由はなんともまぬけなもので
電波ジャックされた直後、犯人グループの一人が無線に向かい
主犯格の名前を呼びながら「完了した」という大声をだしていたため。



【参考ホームページ】
莱の実
http://lie-nomi.jp/04/01/

生まれ落ちたこと

オンナの声が欲しかった。
高く遠く、深淵に響き渡るその声が。
オトコの力が欲しかった。
強く大きく、何者をも御するその力が。


神さまは、僕にはどちらもくれなかった。
僕は泣いた。
なぜ、どうしてと、かすれた声で叫んだ。
手近な草を引きちぎり、力なく地面を叩いた。
冷たい雨が頬を撫でた。
何もない、僕には何もない‥‥
そうやって長いこと泣き続けた。


泣き疲れた僕は考えた。
戦えないし歌えない。
そんな僕は‥‥僕にできることは何か。


考えることだ。
悩み、考え、知識の礎としよう。
知ることだ。
探し、知り、思考の糧としよう。
教えることだ。
鑑み、教え、次代の標としよう。


僕は「声」を届けられる。
僕は「力」を信じられる。
僕は、すべてをもっていた。
いつもより青く晴れた空の下で、もう一度だけ泣いた。


-- 1774年、アルクゥ・サイクロペディア*1の手記より

*1:Arc Cyclopedia 
1769年4月20日-1821年4月30日

嫌悪


お母さん、太陽が怖いのです。
僕をいつもにらんでギラギラしている太陽が。
お父さん、虫が苦手なのです。
僕を罵るかのごとくブンブンと耳にまとわり付く音が。
叔母さん、雨音が嫌いなのです。
僕の行く手を遮り、訳知り顔の曇り空が。
叔父さん、猫を飼っていましたね。
僕は三度も引っかかれ、その度手の血を舐めていました
お祖母さん、僕は春が嫌いです
お祖父さん、僕は夏も嫌いです
無論冬も嫌いですが、秋は好きです
木の葉が積み重なって、靴で踏むとさくさく音が聞こえるから
兄さん、僕の作った草舟を返してください
弟達よ、僕から奪ったクロケットソーダ水、一切合財を返してください


家の扉は赤く塗られていました、いつでも。
それがモダンであるといいたげに。
でも僕はそれが嫌いでした、夕日がちらちらして、
日が暮れてもなお、そこだけ夕暮れでした。
初めてあの娘を抱いた日も、いつも真っ赤なあの扉が、
僕には見えていました。
子を身篭ったと聞いて、やっぱり目がちらちらしました。
あの赤い、赤い扉、僕はあの扉が嫌いです。


初めて間引きした日、僕に嫌いなものが増えました。
僕は子供が嫌いです、ぶくぶくと音を立てる水音も、
愛しい孫に着せると、お母さんが縫ったおべべも、
大嫌いです。全部。
あの愛しい人の血を、今は嫌いになりそうです。
この手に咲いたばらのような赤い赤い血を。
のこぎりは捨てます、歯がぼろぼろです。
骨は思いのほか硬いのです。
あの人を運ぶズタ袋は、あとで弁償します。お許しを。
ああ、本当に僕は嫌いだ!のこぎりも、あの人でいっぱいになったズタ袋も、
あの人の言葉も、全部!全部!全部!
ただ、僕に一つだけ好きなものが増えました。
あの人が髪に挿していた、綺麗な銀の髪飾りが。


大正2年7月21日、(以下、容疑者名)


*これは筆者が、
とある地方に起きた殺人事件後に発見された、
容疑者の遺書を再編集したものです。
参考文献 「地方犯罪年鑑 大正時代編」大鷽出版

 紙ラジオの逆襲!

笑われるかもしれないが、この年になって寂しさに囚われるようになった。
それは人と会う機会も減ってしまったことが原因かもしれないし、
ただ単に心の隙間が広がっただけなのかもしれない。
しかしそんなことをとやかく言う大人は皆無だ、
もしいたら、そんな大人はきっと『駄目な大人』だと、
周りの人たちから陰口をたたかれるに違いない。
そして愛が足りないだの恋が足りないだのと、
その人たちはそんな『駄目な大人』に茶々を入れるのだろう。


もう飽きた、その常識とか言う奴に飽き飽きだ。
僕は大人じゃない、オトナだ。
戦争を知らない、闘争も、革命も、血の滲む努力も知らない。
まともになんかならなくても良い。
寂しくても良い、傷ついたって良い。
そこまで考え、ふと足を止めた、やっとインターネットにたどり着けたのだろうかと。
所詮はあきらめ、幻影、インターネットは幻想の地、ユートピア
使う道具を持ち替えただけなのだ。
言葉を文章に持ち替えて、ちょっとばかし洒落ただけの話なのだ。


現実という薄布一枚の城壁の中では、
だれもが言葉のに血を流し、常識という十字架を背負ってゴルゴダを登る苦行者である。
逃げ出そう、刑場を。弱虫の異端者でも、いつかはユートピアに着けるはず。
別に良い、馴れ合いと呼ばれても、現実逃避と呼ばれても。
傷つきやしない、僕はオトナだから。


HELLO NEW INTERNET WORLD !!
ここはオトナの紙ラジオ、常識なんぞは捨てることにした。
長々馬鹿な文章をば、ここまで書いて言いたいことは一つ
お祭り騒ぎをしないか!?僕たちと!


というわけで、寄稿も大募集です!
文章書いたけどUPするところがない方、
僕らだけではアップアップなこの企画に参加したい方、
ぜひ寄稿おねがいします。


2006年 9月24日 1:35(もうこんな時間かよ(;´Д`)) 揚羽蝶