「東京少年」という特別な言葉

東京少年

先日観た「東京五人男」で、古川緑波は、疎開していた一人息子のために食糧や履き物を恵んでもらうべく苦労していた。子どもたちが帰ってくるときには駅まで迎えに行っている。子どもたちは列車にすし詰めになって戻ってきて、戻ったあとも駅前の広場で責任者(校長先生?)の長い訓示を聞かされ、うんざりする。訓示の場面は台詞が早回しなってピーピーという甲高い雑音で表現されるあたりが笑えた。この場面を観ていたら、小林信彦さんの新作東京少年*1(新潮社)を思い出さないわけにはいかなかった。
昨日書いた重松清さんの『きみの友だち』*2(新潮社)で、現代の子どもたちの陰湿な人間関係の話を読んでいたら、疎開先でいじめにあったことが書かれているであろう『東京少年』をまたもや思い出した。買ってからというもの、早く読もうと思いつつわけもなく我慢していたのがたたったようだ。
『波』に小林さんの疎開時のことを書いた自伝的小説が連載開始されたということを知って以来(2003年6月)、完結して単行本になるのを首を長くして待ち焦がれていたのである。エッセイなどで、「いつか疎開のことは小説に書くつもりだ」ということをたびたび書いていたことを思い出し、とうとう機会到来と喜んでいたのだった。
待望の『東京少年』は実に興味深い小説だった。小林さんご本人をモデルにした主人公の「ぼく」は、二度の疎開を体験する。一度目は集団疎開国民学校六年生だった「ぼく」は、昭和19年8月、弟と一緒に、学校の仲間たちと埼玉県飯能町の山寺に集団疎開する。
そこでの生活は悲惨だった。食糧が徹底的に欠乏し、ひもじい思いをしながら蛙などを捕って食べねばならぬほど、追いつめられた。子どもたちの心もすさみ、主人公はイジメにあう。
ついで昭和20年3月末、10日の東京大空襲で家を焼かれた両親と一緒に、新潟県高田市(現上越市)の親類を頼って個人疎開(縁故疎開)する。4月になるというのに、記録的な豪雪により雪は屋根の高さまで積もっていた。親切で友達思いの友人に恵まれ、ここでの暮らしは集団疎開よりはずっとましだった。
しかしながら「ぼく」は、家と、家のある東京の下町がすっかり焼けてしまっているというのに、東京に帰りたいと心から切望する。生まれ故郷に執着する「ぼく」の気持ちに、子供の自分がその立場(故郷から離れ疎開する)だったらやはり同じように考えただろうかと想像しようとしたら、いまさらながら重大なことに気づいた。自分の生まれた田舎はむしろ疎開児童を迎える側にあたり、疎開などする必要がなかっただろう、と。
そもそも疎開をするというのも限られた人に過ぎなかったのではないかと、これまた当たり前の事実に気づいた。そこで調べてみると、あるサイトに次のような記述を見つけた。

1944(昭和19)年6月30日、政府は「学童疎開(がくどうそかい)促進要項(そくしんようこう)」を閣議決定しました。疎開区域にある3年生以上の国民学校初等科の子どもたちを疎開させることにしました。疎開区域とは、東京都の区部、横浜市川崎市名古屋市大阪市尼崎市、神戸市、と今の北九州市(当時は門司、小倉、戸畑、若松、八幡の各市)でした。→http://ha4.seikyou.ne.jp/home/jouhoku/heiwa/si-sokai.html
ここで触れられている「学童疎開促進要項」にもとづき、「ぼく」は集団疎開を余儀なくされたわけである。疎開対象は東京や大阪などの大都市部に住む児童だけだったのか。しかも国民学校の3年生以上と年齢も限定される。ちなみに「ぼく」は6年生で弟は3年生だから、ちょうど対象に合致する。
つまり学童疎開とは、きわめて限定された子どもだけが味わった特別な体験で、むしろそうした体験を共有しない子どものほうが圧倒的に多かったはずだ。東京に住む国民学校6年生の「ぼく」(ここでは「小林信彦さん」と言い換えてもいいだろう)が属した集合は、日本全体の子どもの集合のなかでもごく小さな部分に過ぎない。
そこに後年「小林信彦という作家」になる少年が属していたことは、集団疎開という歴史的事象の何たるかを理解するうえでとても大きな「偶然」だったと言えるだろう。これを「偶然」という一言で片づけることに、作者自身は異を唱えるかもしれないが。
戦争→空襲→子どもたちの疎開という流れを当たり前の歴史的事実のように頭に刻んでいるのは、その時期東京などの大都市で子ども時代を過ごした人びとが書いた本を好んで読んできたせいかもしれない。本書を読んで、むしろ集団疎開という体験をした子どものほうが、例外と言わないまでも珍しいほうに属することを自覚したのは大きい。
いろいろと触れたい挿話は多いが、とりわけ強く印象に残ったのは、次の挿話だ。広島と長崎に「新型爆弾」が投下されたという報を知り、次は近くの新潟市だという噂が飛び交っていた頃だから、もう敗戦が間近に迫っていたある日、「ぼく」は地元の友人と歩いていると、大谷派東本願寺新井別院が見えてきた。
「あそこに疎開児童がいるの、知っていなさるかね?」
「ああ……」
 あまり触れたくない話題だった。色が白く、虫のように集まって、いつも日光浴をしている子供たちがいた。
「庫裏とお食堂に百三十人くらいいる。東京の葛飾というところから来たんですわ」
葛飾、ね」
 彼らはつい、この春までのぼくの姿だった。彼らを見るのは、醜い自分の姿を見るようだった。(194頁)
第一部で描かれた悲惨な集団疎開生活を知っている読者は、「ぼく」の目に映った葛飾の集団疎開児童たちのひもじさを想像し、気分が重くなるのである。
孤独な集団疎開(というのは矛盾するようだが、この形容に誤りはないようだ)を脱し、家族と一緒に、相対的にある程度余裕のある疎開生活を送っている少年が、かつての「醜い自分」を見る思いで葛飾の集団疎開児童を見つめている。その葛飾の子どもたちの家は、親はどうなったのか、個人疎開・集団疎開両方を味わった少年の目から、疎開の重層的構造を知り、その奥にある悲惨な東京の人びとの暮らしが広がる。主人公の立場をはっきりと理解できる印象的な一瞬である。
本書のタイトル「東京少年」はだから、戦争中にあってはきわめて特別な意味合いを付与される言葉であるべきなのである。たんに「東京」に生まれ育った「少年」という一般的な言葉の結びつきではないだろう。

まぎらわしい書名

  • 最寄駅南口の古本屋
赤瀬川隼『白球残映』(文春文庫)
カバー、200円。また赤瀬川さんの野球小説が増えた。本書は直木賞受賞作らしい。ISBN:4167351080
小林信彦イーストサイド・ワルツ』(新潮文庫
カバー、300円。手にとってめくり、目に入る文字を見て「これは持っていない」と判断して買ってきたら、すでに持っていた。小林さんの小説はタイトルが紛らわしいなあ。と、未読を棚に上げて書名のせいにしてしまう。ISBN:4101158290

やわらかい方言

  • フジテレビ
スウィングガールズ」(2004年、東宝
監督矢口史靖上野樹里竹中直人渡辺えり子白石美帆小日向文世谷啓桜むつ子

ストーリーは全然ひねっていなくて、そこが気持ちいい。やっぱり映画は最後に愉快にならなくちゃ。この映画であれば、映画館でも観ることができたなあ、そして、きっと観終えたあと映画館から出るときの気分はすこぶる爽快であったろうなあ、と、映画館に観に行かなかったことを後悔する。
ないものねだりになるが、山形人としては、出演者の方言が固すぎるのが気になった。何でも「べ」と「ず」を付ければいいってものではない。やはり渡辺えり子は地元なので違和感がなく、かつもっとも話し方がやわらかい。白石美帆はとがっている。