母は強し?
- 独立プロの監督たち@日本映画専門チャンネル(録画HDD)
世界恐慌のあおりを受けた不況で、借金にあえぎ、人身売買同然に出稼ぎに出ざるをえなくなった東北地方に住む一家の主人が宇野重吉。駅名が「横出」となっていたが、隣駅が「ごさんねん」(後三年)・「やなぎだ」(柳田)だったから、横手であることは明らか。いきなり宇野重吉一家がなじみのある横手に住んでいたという設定を知った時点で、居ずまいを正して観始める。
映画は、残された妻山田五十鈴と幼い男の子二人の苦悩の人生を描く。山田は子供を抱えて夫の働く北海道の炭坑に移ったものの、夫が坑内のガス爆発事故で死んだことを知らされる。それから山田自身が炭坑で働くことになる。
炭坑という重労働の現場で働きながら女手一つで子供を育ててゆく山田の戦中・戦後が描かれる。戦中における人権無視の強圧的で過酷な労働の実態や、戦後の組合運動の激化によるストライキと、経営者側と労働者側の対立という、左翼的な思想が一貫して流れている。作られたのは1953年だから、こうした民主化運動の高まりというのは、歴史ではなく現実問題であったのだろう。肌で知らないし、これまであまり興味を持ってこようとしなかったから、この映画で描かれた組合運動の実態がいまひとつ理解できない。
死んだと思われていた宇野重吉が実は生きており、戦後妻らが働く炭坑に戻ってきていて、妻が死ぬ直前に再会できたというシーン以上に、この映画で感動的だった場面がある。戦中中国から連行され、炭坑で強制労働させられていた中国人を加藤嘉が演じていた。脚気で足を痛め、仕事が捗らない加藤を、役人は容赦なく打擲する。
それを止めに入ったのが、山田の家族と懇意にしていた沼崎勲だった。その沼崎も召集され戦死してしまう。敗戦後加藤を先頭に、徴用されていた中国人集団が大勢で山田の家に押しかける。おびえる山田に、加藤は、帰国する前に、打擲されたとき助けてくれた沼崎にひと言お礼を言いたいと伝える。沼崎の戦死を知った加藤はじめ一堂は、黙って沼崎の遺影に黙祷をささげる。帰るときに次男の頭をなでながら、平和のために働いてくれと言い残して去ってゆく加藤らの集団。敗戦で立場が逆転したにもかかわらず、それまでの強制労働に対する復讐をするのではなく、恩義ある日本人に礼を尽くそうとする姿に感動した。
川本三郎さんの『続・映画の昭和雑貨店』*1(小学館)に掲載されているこの映画のスチール写真(「労働歌」項)は、映画のタイトルどおり、山田五十鈴が両腕を腰に添えて大地の上にすっくと立っているもので、「母は強し」を思わせるものだった。映画を観る前は、女手一つで気丈に子供を育て、男勝りに炭坑で働く強い女性が主人公というイメージを持っていたのだけれど、実際はそうではなく、運命の波に翻弄され、疲れ果て最後はボロボロになって死んでゆく悲劇の母親が主人公だったのである。
次男役の内藤武敏さん、若い頃の姿をじっくり見ていたら、「ああ、いまでもよく刑事役などでドラマに出てくる人だ」ということに気づいた。いまの姿とようやく一致したのである。
- 出版社/メーカー: 新日本映画社
- 発売日: 2004/10/22
- メディア: DVD
- クリック: 6回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
適材適所の大顔合わせ
- 「人間の條件 第1部純愛篇 第2部激怒篇」(1959年、にんじんくらぶ・歌舞伎座映画)
- 監督小林正樹/脚本五味川純平/脚本松山善三/仲代達矢/新珠三千代/山村聰/淡島千景/有馬稲子/石浜朗/三島雅夫/宮口精二/小沢栄太郎/芦田伸介/三井弘次/安部徹/小林トシ子/佐田啓二/南原伸二/殿山泰司/佐々木孝丸/山茶花究/東野英治郎/北林谷栄/織本順吉/岸輝子/中村伸郎
満鉄調査部に勤めていたヒューマニスト梶(仲代)が、「机上の空論家」ではないことを証明するため、老虎嶺という鉱山の労務管理者として赴任する。部長の中村伸郎から兵役免除という条件を提示されたことを受けての転勤である。タイピストの同僚新珠三千代にプロポーズして、夫婦で老虎嶺に赴く。
それにしても配役が多士済々にして適材適所である。「女ひとり大地を行く」が労働者側から炭坑の過酷さを描いたのと逆に、経営者・使役者側から炭坑の過酷さ、中国人強制労働の実態が描かれるのだが、小沢栄太郎・芦田伸介あたりが、血も涙もない現場監督を演じてはまり役。労働者を打擲して死に至らしめてもまったく反省しない小沢栄太郎。
鉱山の所長が三島雅夫。この丸顔温厚そうな人物が実は煮ても焼いても食えないような、見事にふてぶてしい中間管理職を演じて絶妙。温顔に浮かぶ薄ら笑いが何とも不気味。小沢らに徹底的に酷使される中国人捕虜集団のボス的存在に宮口精二。風格十分。その下でリーダー的存在なのが、南原伸二、殿山泰司ら。南原は慰安所の娼婦有馬稲子と恋仲になる。この映画での有馬稲子は毅然として凛々しく美しい。
慰安所のリーダーが淡島千景で、淡島は、仲代の下で働かされている小僧の石浜朗を色気で誘い込み、中国人捕虜脱走の手伝いをさせようとする。気が弱そうな役がこれまた石浜にぴったり。脱走がばれ、南原等は捕まって、憲兵の安部徹に首をはねられ、惨殺される。この権力を笠に着たように憎々しい憲兵の安部徹も見事。
唯一意外な感じだったのが山村聰。労務管理者として仲代の先輩、同僚となる。「青春怪談」や「あした来る人」での老紳士といった役回りのイメージ*1が強いゆえか、若干粗野で、仲代のヒューマニズムを理解しつつも、最後には現実との矛盾に我慢しきれず、暴発して捕虜たちを散々殴りつけるという荒々しい役回りに唖然としつつ、その変幻自在な役者ぶりに驚嘆した。
山茶花究や東野英治郎までは確認できたけれど、「満州浪人」という役の佐々木孝丸はどこに出ていたのか、まったく気づかなかったのが残念なり。
久しぶりの狂言
滅多に観る機会がないのだけれど、機会があるにしても身銭を切るわけでなく、知人からチケットを頂戴してばかり。積極的に打って出たいものだ。
能楽堂はこれまで千駄ヶ谷の国立能楽堂、松濤の観世能楽堂、目黒(上大崎)の喜多六平太能楽堂に行ったことがある。このほか、職場から神保町に歩いて出るときによく下る、忠弥坂の急坂のふもとに宝生能楽堂があることは知っている。それだけでなく、渋谷駅の南西にそびえ立つ東急セルリアンタワーの地下にまで能楽堂があるなんて、ぜんぜん知らなんだ。東京という都市は奥が深いものよと感心する。高層シティホテルの地下にある能楽堂、なんてみやびでハイソな空間なのだろう。紳士淑女が集っている雰囲気にどぎまぎする。
出し物の狂言はふたつ。『日本国語大辞典 第二版』に説明があるあらすじが拍子抜けするほど簡潔なので、それを紹介する。「蚊相撲」は以下のとおり。
狂言。各流。大名が太郎冠者の連れて来た新参の家来と相撲をとり、鼻を刺されて気を失うが、蚊の精とわかってうちわであおぎ、相手がふらふらするのを楽しむ。これは、大名と蚊の精がいざ相撲をとろうと組んだとき、蚊の精がストローのようなくちばしをくわえ、「プゥーン」と言いながら大名の顔にとりついた瞬間、大名がふらふらと気を失う様子を無邪気に笑うのが愉しみ方なのだろうか。
もうひとつの「月見座頭」。
狂言。大蔵流。中秋名月の夜、座頭と通りがかりの男とが虫の音を聞き酒をくみかわし楽しんで別れる。ところが急に男に残酷な心が生じ、ひき返して別人を装い座頭を突き倒して去る。これだけ読むと、人なつこさと残酷性という人間の二つの顔を見せるというドラマのようだが、果たしてそのように解釈すべきなのだろうか。座頭と男が仲良く酒を呑んで唄って名月を楽しんだあと、それぞれ自分は下京へ、自分は上京へ帰ると言って別れる。その後上京へ帰ると言った男は気が変わり、座頭が盲目なのをいいことに、別人になりすまして座頭を打擲し、まるでストレスを解消したかのように去ってゆくのである。これはあるいは京都における上京衆と下京衆の仲が悪かったことを表現しているのかもしれない。などとしたり顔に解釈しているが、「そんなの当たり前だろ」と言う声がどこからか聞こえてくる。