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河野洋平

社会

河野洋平

こうのようへい

政治家・前 衆議院議長(2009年7月現在)。

郵政民営化法案採決の際は議長なので参加していない。現在のところ、自民党総裁歴任者の中で唯一内閣総理大臣職を務めてない。

かねてより、衆議院の解散*1後の選挙には「立候補せず引退する」と表明している。

長男に自民党衆議院議員河野太郎。父は河野一郎衆議院議員。叔父に河野謙三元参議院議長。

自民党内の派閥 宏池会より離脱して1999年(平成11年)1月、河野グループを率い、そのご、麻生太郎へと継承させる。

衆議院議長は慣例により無派閥

しばしば中国寄りの発言をすることから、本名の読みをもじって「紅の傭兵」(紅=中国国旗)と揶揄される事もある。また、官房長官時代にいわゆる「河野談話」を発表したことでも有名。

河野談話

河野談話」とは、1993年(平成5年)8月4日に当時の河野洋平官房長官が出した慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話のこと。政府・軍の関与、強制を認め謝罪したことで有名。設置・移送・管理の全体を見て強制があったしている。

談話の意味

 河野洋平はその後のインタビュー(朝日新聞1997年3月31日)で自分の談話の説明を行っている。それによると強制があったと認めた理由は、慰安婦が慰安所で行動の自由がない(逃亡不可能)であること、元慰安婦からのヒアリングで本当に過酷な扱いを受けた人でなければ出てこない言葉がどんどん出てきたことをあげている。また強制連行の証拠となる書類が出てこなかった事には、そうしたものは組織の性格から作成されないだろう(命令書の中に強制連行しろとは書かないだろう)と述べている。

河野談話の要旨

慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。(平成5年8月4日)

核兵器持ち込みの密約

退任後のインタビュー記事で、『核持ち込みの密約について外相当時、説明は受けなかったですか。』との質問に対し『全く受けなかった。』と答えた。*2 と伝えられている。


自由民主党 

氏  名: こうの ようへい

河野 洋平

生年月日: 昭和12年 1月15日

選挙区神奈川県第17区 当選: 13回

http://www.yohei-kono.com/

<略歴・現職>

昭和42年 初当選

昭和47年 文部政務次官

昭和51年 新自由クラブ代表

昭和60年 科学技術庁長官

昭和61年 自由民主党復党

平成2年外交調査会長

平成4年12月 内閣官房長官(〜平成5年8月)

平成5年7月30日 自由民主党総裁(〜平成7年9月30日)

平成6年6月 内閣副総理(〜平成7年10月)・外務大臣(〜平成8年1月)

平成11年10月 外務大臣(〜平成13年4月)

平成15年11月 衆議院議長(〜平成21年7月21日)

<現職>

日本ハンガリー友好協会会長

日・タイ議員連盟会長

日本陸上競技連盟会長

日・英議員連盟会長

アジアアフリカ問題研究会会長

*1:2009年(平成21年)7月21日

*2中国新聞2009年7月31日付朝刊