古市古墳群は、大阪府藤井寺市から羽曳野市にかけて、東西・南北約4kmの範囲に広がる古墳群。 墳丘長400mを超える巨大な前方後円墳の応神天皇陵古墳から、一辺10mに満たない小型方墳まで、120基を超える様々な墳形と規模の古墳からなる。 現存する45基のうち、墳丘長200mを超える巨大な前方後円墳は7基も含まれている。
前回の続き。全国的にも珍しい #水鳥形埴輪 が出土した #津堂城山古墳 考察。#古市古墳群 中の最古級、最大の応神天皇陵に次ぐサイズ。さてどのような人物が埋葬されていたのでしょうか。#消された河内の古代史 #恵我5か村 目次 津堂城山古墳・考 津堂八幡神社(旧 深居神社) 「恵我、えが」地名は古代勢力のこん跡? 忘れられた河内の古代勢力 本文 前回(津堂城山古墳)の続き。 www.zero-position.com 津堂城山古墳・考 津堂城山古墳 後円部の墳丘 応神天皇陵(誉田御廟山古墳、惠我藻伏崗陵/5世紀初頭=古墳中期)を中核とした世界遺産・古市古墳群の最北に位置し、 津堂城山古墳 墳丘か…
新大和川ウォーキング中 #二上山 の雄岳と雌岳の真ん中に手前の丘(羽曳野市飛鳥)が重なる所を探していたら #津堂城山古墳 に。世界遺産 #古市古墳群中、最古級の前方後円墳で、ここからは最大最古の #水鳥型埴輪 が出土しています 目次 大鳥を正面に見る場所を探して寄り道 津堂城山古墳(つどうしろやまこふん) 二上山の大鳥を正面に見晴るかす所 「近つ飛鳥」と「遠つ飛鳥」 本文 大鳥を正面に見る場所を探して寄り道 www.zero-position.com 前回、志貴皇子の万葉歌「鴨の羽交(はがい)」を紹介しましたが、 手前の丘が、二上山の雄岳と雌岳のちょうど真ん中におさまって「大鳥」のように眺望で…
連休の中日はまたも夏日。紅葉を観に行くって感じではないので近場でなにか…ってことで、2年位前の日経夕刊で知った、歩いて登れる古墳群あたりを散策しようかなと(近場というほど近場ではなかった) 天王寺駅から近鉄に乗り換え、土師ノ里駅へ。 駅を出てすぐ、古墳が見えますね! でもまずそっち(南東側)ではなく、北側の古墳1基見なくては!(手前の登ったけどね) で、駅を背に右側に向かうと北側が市野山古墳(允恭天皇陵)。 170号を北上するのですが、ぜんっぜん見えない。道路沿いに並ぶ住宅の裏っかわですね… 角っこを曲がってようやくチラッと。 曲がっても、また民家の裏っかわが続きます。 200mくらい、ほとん…
本日は2023年10月22日。先週は55km。今週はどこに行ったものかなーとということで、今回の安治川トンネルの反対側よりスタート。エレベーターには大体5台くらいの自転車が乗れるのですが、何時も一杯で、需要の多さを感じます。 では、漕ぎだしていきましょう。最初の目的地まではしばらく距離があるので、どのようにして車通りを避けながら進んだもんかなーと思ったのですが、 阪神高速下の道路が良さそうでした。 阪堺電車の線路を渡り、 50分ほどで南海電車の住之江車庫を覗きに針路をとったのですが・・・高架車庫でしたか。 大和川に到達するまで約1時間。 更に堺市内の名所めぐり看板を見つつくねくねと道を変えてい…
2019年「百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群」が世界文化遺産に登録されました この地区には200基を超える古墳がありますが そのうち49基が世界遺産構成要素となっています ※23基は大阪府堺市にある百舌鳥(もず)古墳群にあり 26基は大阪府羽曳野市と藤井寺市にまたがる古市(ふるいち)古墳群にあります 2つの古墳群は それぞれ約4km四方の範囲に広がり しかも距離が10km以上離れているので 49基全部の古墳を一筆書きに見て回るのはなかなか大変そうです 今回 すまりんたちは あえて 『世界遺産 百舌鳥・古市古墳群を 一日で全制覇🐾🐾』 にチャレンジしてみました! ※基本は徒歩ですが 両古墳…
前回のアイセルシュラホールから北北西に200mほどに鉢塚古墳があります。 その道沿いに、色とりどりのバラが咲く素敵なお宅がありました(5月下旬) 枝道に入ると、鉢塚古墳の後円部が。 後円部側は行き止まりだったので、北側を回って前方部側へ。 幼稚園と民家の門の先に見えているのですが… 墳丘裾も金網で囲まれています。 それ以上は近寄れないと思ったのですが、藤井寺西小学校沿いの案内板(右が北)をよく見ると、墳丘の南裾に路地があったので、戻って回ってみることに。 回り込むと辺りが開けて説明板も! (ちゃんと下調べをしておけば良いだけですが…) 墳丘への扉も開いていました。戻って良かった! 鉢塚古墳国史…
峯ヶ塚古墳を見た後、峰塚公園の西の丘上にある小口山古墳を訪ねました。 公園を一旦出て、北側の竹内街道を上りました。竹内街道は坂の途中で北(右)に折れていきます。 それとは逆に左(南)の枝道に入ってさらに登ると、峰岸公園の木立が。 上記を左折して再び園内に入り、最頂部を目指します。 その手前の解説板は、広範囲をカバー。 峰塚公園周辺の文化遺産■古市古墳群4世紀末から6世紀前半までの約150年間にわたり、現在の羽曳野市・藤井寺市・松原市にかけての東西5㎞、南北4㎞の範囲に、応神陵古墳・白鳥陵古墳などの巨大な前方後円墳をはじめとして、帆立貝形古墳、方墳、円墳など、大小100基以上の古墳が造られ、「古…
前回の白髪山古墳(清寧天皇陵)の拝所前の道を400mほど北へ歩くと、峯ヶ塚古墳の後円部裾に出ました。 道路脇の土盛りに速足で登りました。 そこは、”現代の”内濠の堤でした。右が峯ヶ塚古墳で奥が前方部。 前方部側から、右奥へ後円部。 前方部右裾の角です。 前方部左裾を引いた位置から。 そこに小さな解説板。かつてはここが内濠の隅だったようです。 史跡 古市古墳群峯ヶ塚古墳峯ヶ塚古墳は、一般の立ち入りが規制されている陵墓の多い古市古墳群にあって、古墳を間近に見ることができる数少ない前方後円墳の一つです。古墳の構造や当時の社会などを理解する上で欠かせないことから、昭和49年に国の史跡に指定されました。…
前回の小白髪山古墳から道路を挟んで向かいの西側に、白髪山古墳(清寧天皇陵)の後円部。 道路は国道170号・大阪外環状線。そこに後円部先端の壕の堤を接しています。 前方部が大きく開く前方後円墳。 道路中央に柵があるので横断できません。北と南に150mに横断歩道で、ちょっと迷って南側を渡りました。 ということで、墳丘の南側を見ながら前方部側の拝所を目指します。 柵越しの駐車場の先に墳丘。右奥に後円部方向。 その先で右折して、マンションの駐車場の奥に見えた周濠をズームで。 マンションの前の道を進んで行くと右側に拝所が。 来た道を振り返って。緩やかな上り坂です。 拝所はやはり前方部先端側の中央に設けら…
白鳥陵古墳から白髪山古墳へ向かう途中に、小白髪山古墳へ寄りました。 白髪山古墳の長軸線上にある、全長46mの前方後円墳。 民家の間から後円部。 背後には分譲中の土地区画も。 国道170号に向けた前方部側。 振り返った向こう側には白髪山古墳。 相対的には小さくとも、前方後円形が明瞭です。 ぺんさんも、その美しさに言及。 小白髪山古墳【大阪府羽曳野市】清寧天皇陵である白髪山古墳の東側に存在している全長46mの前方後円墳。古市古墳群中では決して大きな古墳とは言えませんが、残り具合も良く、非常に美しい前方後円墳だと思います。 pic.twitter.com/ILQ8ivSHQM — ぺん@古墳巡り (…
引用:Google Map KTクオリティの1つ「関西イチの増解結のプロ」が、ここ古市駅で見られます。 KTってのは近鉄の略。 近鉄独特の技や、頭のおかしな編成(ブツ10)や変わった歴史を全部ひっくるめてKTクオリティと言われてますね。(?) 古市駅では頻繁に増解結が行われてますが、ただの増解結ではなく、ちゃんと貫通扉を開けて繋げるようにしています。 なのにメチャクチャ早い。 これがKTクオリティの1つです。 この記事の内容 古市駅の歴史と特徴。KTクオリティが見れるぞ 古市は市場が由来ではなかった。古墳の町の謎 世界遺産だけじゃない、他にもある古市の観光スポット 南大阪線 駒ヶ谷>> 長野線…
津堂城山古墳(大阪府柏原市、古市古墳群)で出土した #水鳥形埴輪(3体セット)が #巣山古墳(奈良県広陵町、馬見古墳群)でも出ていたことを知り #大和川 流域の二つの古墳が対を成すのではないかと見学に #広陵町文化財保存センター #準構造船 目次 ともに水鳥型埴輪3体セットが出土した同時代・同サイズの古墳 二上山はどのように見えたか? 巣山古墳(奈良県広陵町/馬見古墳群) 水鳥の一族(海人集団)のこん跡?準構造船が出土 本文 3回シリーズで紹介した古市古墳群・最古級、二上山を見晴るかす津堂城山古墳(前方後円墳、4世紀後半、墳丘長200m超)からは水鳥型埴輪(3体セット)が、古墳に付随する祭祀場…
・ ・ ・ 関連ブログに6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・ 百済は親日であり、古朝鮮・古新羅・高句麗・渤海は知日であった。 ヤマト王権は、滅亡した親日知日諸王国から逃げてきた人々を避難民・逃亡者・亡命者として無条件に受け入れ、官位と土地を与えた。 古代の日本は、難民国家であった。 ・ ・ ・ 2024年5月2日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「百済系渡来氏族かつ貧乏だった長岑高名が異例の出世を遂げた理由、皇位継承や政権抗争の陰にある、下級官人層の営み © JBpress 提供 (歴史学者・倉本 一宏) 百済系の渡来氏族 長…
播磨国風土記「継潮(つぎのみなと)」 編集 植山古墳東石室馬門石製家形石棺 熊本県に暮らす者にとって、ここが嘗て「火(肥)国」と呼ばれた地域であった事は誰でも知っているものの、火の国がどこで発生しどの様な勢力であったのか等、具体的な話になると依然としてよくわかっておらず推測やイメージの域を出ない。 そこで少しでも火国の実態に近づくことができればと考え、風土記の中からこれまであまり知られていなかった記事を元に、当時の火国や火の君の置かれた状況について見いこう。 1. 播磨風土記に記された火の君の祖先伝承 近年、『播磨国風土記』のみに記述された、『継潮(つぎのみなと)』の地名説話の中に、火の君の祖…
前回の続き。摂津河内と大和の #阿部 を繋ぐこん跡を探して #柏原市安堂 へ向かう途中の #津堂城山古墳。親子三羽の #水鳥型埴輪 が祈ったものからうかがえる #ヤマト創世 の歴史。#海人族アド #春日 #鹿島 #安曇磯良 目次 摂津河内と大和の「阿部」を繋ぐ「安堂」 海人族・安曇(アド)の動き 被葬者は海人族・安曇(アド)の長!? 河内と大和。二上山で繋がる鹿島と春日 本文 前回 www.zero-position.com 摂津河内と大和の「阿部」を繋ぐ「安堂」 大和川の河川敷を安堂(柏原市)まで歩いたのは、奈良県桜井市阿部(安倍寺跡、安倍文殊院)と阿部王子神社(旧安倍村、阿倍野区)を繋ぐ「…
今回の3泊4日の前半の2日間は百舌鳥古墳群から古市古墳群、そして大和川の付け替えが行われた場所のあたりまで歩きました。 事前に航空写真で確認していた時には大阪側の周濠の付近にはほとんど水田がないことがわかっていたのですが、実際に歩いてみても周濠の水面には心が惹かれるものの、用水路や水田の痕跡がほとんどない風景でした。 近鉄安堂駅から近鉄大阪線に乗ると水田の広がる奈良へ「早く帰りたい」という気持ちになり、山あいに入り府県境を越えるとすぐに奈良平野が見えて全く違う風景になりました。 この先にあの吉野川分水西部幹線水路が潤す田んぼが広がっています。 そして近鉄五位堂駅を過ぎると見える高台にはるばる吉…
玉川上水への関心から都内の川や水路ぞいを歩くようになった頃、次はどこを歩こうかと地図を眺めていて川と川が交叉している場所に目が行くようになりました。 最初はそのどちらも最後は海へと流れ着くのだろうと思っていたところ、二ヶ領用水のように、一方は多摩川からの取水で、もう一方は多摩川へ流れる水色の線もあることを知り、ますます目が離せなくなりました。 二ヶ領用水は江戸時代に造られたにしても、そこに水路を交差させるなんてマジックのような技術は近代以降だろうと思っていたところ、江戸時代にはすでに掛樋や伏越という技術があったことを見沼代用水沿いを歩いて知りました。 ほんと江戸時代は決して遅れた時代ではないし…
古墳内にも村があったことに驚きながら、近鉄恵我ノ荘駅から藤井寺駅に向かいました。 ほんとうはその間にもいくつかため池や古墳があるので歩いてみたかったのですが、とてもとても時間も体力も無理そうです。 実は今回の大阪内の周濠を歩く計画を立てていた時はまだ古市古墳群と呼ぶことを知らず、「羽曳野のあたりの古墳が多い場所」とか「大和川左岸のため池と周濠が多い場所」の認識でした。 こうして思い出しながら散歩の記録を書くためにあれこれ読み直して、「百舌鳥古墳群・古市古墳群」であることを知りました。 藤井寺駅から土師ノ里駅までの間の古墳をいくつかつなげながら歩く計画です。 ところで土師ノ里(はじのさと)駅も、…
大阪府堺市の百舌鳥もず古墳群は、大阪府藤井寺市~羽曳野はびきの市の古市ふるいち古墳群と合わせ、「百舌鳥・古市古墳群」として世界遺産に登録されており、日本一著名な古墳群。 私は中学2年生から堺市在住で、あまりにも慣れ親しんできたため、ブログに記事を投稿するのをスッカリ忘れていました。今更この記事をご覧になっても、新しみは全く無いと思いますが、今までの百舌鳥古墳群周辺の古墳散策記事の「まとめ」として掲載します。 百舌鳥古墳群の中心付近 先ずは堺市のHPに百舌鳥古墳群関連の記事があり、良くまとまっています。 百舌鳥・古市古墳群を「知る」 堺市 百舌鳥古墳群リスト 堺市 百舌鳥古墳群リスト(詳細ページ…
大阪の古墳とその周濠を見て歩く計画は、2019年からのやり残した宿題でもあります。 遠出を始めたばかりの2019年2月に木曽三川からぐるりと紀伊半島を回って新大阪へと戻る時に夕闇の中で気づいたのでした。当時はまだ古墳にはそれほど関心もなかったのですが、特急で通過した時には平地にしか感じなかったのに、ちょうどブラタモリで「見晴らしの良い高台に古墳群が造られた」ことを放送していたことが記憶に残り、いつか歩いてみたいと思っていました。 「百舌鳥」という地名にも惹きつけられますしね。 そのうちに奈良の古墳の周濠の水は田んぼに利用されていたことを知り、大阪のこの周濠もやはりそうなのだろうかと気になってい…
こういうアカウントに偶然出会ったTweets by SakiKofungun twitter.com 上のプロフィル欄からreadyfor.jpというのが伸びている。その前に、これに対してムムッと気になった理由、前段階を記しておこう。 m-dojo.hatenadiary.com にまとめていたが、NHKが数年前、こんな番組を作ったんです。 決戦!関ケ原「空からスクープ 幻の巨大山城」 1/28(土)14:30~16:30 BSプレミアム での再放送 こちらは本放送時の内容紹介天下分け目の関ヶ原の戦い。戦国の一大決戦の通説が覆る!? NHKは航空レーザー測量を実施し、関ヶ原全域の赤色立体地図を…
修習生だった頃の話・・・ 6月頃、暑い中大阪地裁でややこしい殺人事件の起案に四苦八苦していた僕は、修習が終わる17時以降の時間が暇すぎたのと、「進歩してる感」が無いから何か資格でも受けようかと思って探した。 そして、せっかくなら「バックパック旅行」という趣味と絡んで話のネタにでもなるものがいいなと世界遺産検定を受けることに。 というのも、修習してると自己紹介とかスピーチをする機会が多いが、そのときにキャラを立たせるためにも趣味の話をすることが多い。 大阪修習での友人には例えばラーメン食べ歩きが好きすぎてラーメン作りを趣味にしている人がいて、「ラーメンの◯◯君」みたいになる。裁判官が「〇〇君にラ…
植山古墳東石室馬門石製家形石棺 熊本県に暮らす者にとって、ここが嘗て「火(肥)国」と呼ばれた地域であった事は誰でも知っているものの、火の国がどこで発生しどの様な勢力であったのか等、具体的な話になると依然としてよくわかっておらず推測やイメージの域を出ない。 そこで少しでも火国の実態に近づくことができればと考え、風土記の中からこれまであまり知られていなかった記事を元に、当時の火国や火の君の置かれた状況について見いこう。 1. 播磨風土記に記された火の君の祖先伝承 近年、『播磨国風土記』のみに記述された、『継潮(つぎのみなと)』の地名説話の中に、火の君の祖先伝承に関する記述が見られる。 その風土記の…