木走日記

場末の時事評論

この際、防衛省で防衛大臣で防衛軍にしちゃえばいい〜オブラート表現なんか取っ払った方がいい

●「考えたくない事柄から人々の目をそらす」ためのオブラート表現

 今日(9日)の産経新聞コラム産経抄から・・・

 カン、カン、カン…。週末の午後、ラッシュ時でもないのに踏切がなかなか開かない。3分、10分、20分。待てど暮らせど電車は通過しない。車は大渋滞し、バス乗り場はみるみる長蛇の列となった。
 ▼「ジンシン事故ですってよ」という通りがかりの主婦の口コミ情報でやっと事態をのみ込めたが、鉄道会社が飛び込み自殺を「人身事故」とあたかも偶発的な事故のように呼ぶようになってもう何年がたつだろうか。

 ▼確かに電車が遅れたうえに「飛び込み自殺のため…」とアナウンスされれば、乗客の気分はめいる。だが、人身事故という無機質な言い方が、運転士や乗客、沿線住民ら他人も巻き込む悲劇的な自死をオブラートに包み、見たくない事柄から人々の目をそらすことに手を貸してはいないか。

 ▼日本の自殺者数は、昨年まで8年連続で3万人の大台を超えている。水戸市の全人口が8年で消えてなくなった計算だ。自殺の原因・動機で最も多いのはがんなどを苦にした健康問題だそうだが、40代以下で増えていることは見逃せない。

 ▼むろん、自殺の原因はさまざまで、悩んでいるヒトに「死ぬな」と説教をしても効果はしれているだろうし、特効薬があるわけではない。しかし、「借金を苦にして」といった動機なら解決する方策はいくらでもある。一人でも死なせない努力が政治の緊急課題だ。

 ▼話を冒頭の「事故」に戻すと、駅のホームから飛び込んだのは27歳の青年だった。その死によって1時間以上電車がストップし、約1万7000人が足止めをくった。なのに、小紙を含めほとんどの新聞は社会面でとりあげなかった。あまりに日常茶飯事化している自殺にわれわれの感覚もマヒしていないか。大いに反省したい。

http://www.sankei.co.jp/news/column.htm

 うーん、コラムの主旨としてはいっこうに減らない日本の自殺者に対する憂いとメディア人としてそんな日常茶飯事化している自殺に感覚がマヒしていることの自戒なのでしょう。

 で、話自体に異論はないのですが、気になったのは以下の下りです。

 ▼確かに電車が遅れたうえに「飛び込み自殺のため…」とアナウンスされれば、乗客の気分はめいる。だが、人身事故という無機質な言い方が、運転士や乗客、沿線住民ら他人も巻き込む悲劇的な自死をオブラートに包み、見たくない事柄から人々の目をそらすことに手を貸してはいないか。

 確かに「飛び込み自殺」と言わずに「人身事故という無機質な言い方が、運転士や乗客、沿線住民ら他人も巻き込む悲劇的な自死をオブラートに包み、見たくない事柄から人々の目をそらすことに手を貸してはいないか。」とは、その通りだと思いました。

 しかしなあ、他ならぬ産経抄にこう指摘されると、へそ曲がりの私などはいろいろと走馬燈のように「オブラートに包み、見たくない事柄から人々の目をそらすことに手を貸して」いる「ごまかしの用語」を考えてしまうのです。

 例えば、オブラートに包んだ表現としての代表例が8月15日の「終戦記念日」でありましょう。

 誰が考えても61年前日本は連合軍にこてんぱんに負けたわけでして「敗戦記念日」との表記が妥当だと思うのですが、「終戦」という言葉がウソであるわけでもないのです。

 まあ「飛び込み自殺」を「人身事故」とオブラートに包むのと、「敗戦」と呼ばずに「「終戦」記念日とオブラートに包むのと、考えたくない事柄から人々の目をそらすことに手を貸しているという点では同レベルの話なのでしょう。

 そもそも「終戦記念日」がなぜ8月15日なのか、第二次世界大戦は正確には対ソ戦は9月4日まで続いていたし、実際に休戦が発効し日本陸海軍が連合国軍に対して正式に降伏を行ったのはポツダム宣言受諾の休戦文書に調印した1945年9月2日であり、アメリカでは9月2日を対日戦勝記念日・VJデーとしているわけですが。

 あと「自衛隊」。

 なんで「軍」じゃないのか、国際比較しても欧米のミリタリー年鑑を紐解いても、日本の自衛隊の装備・規模からいったら、国際的には誰が見たって「自衛隊」はりっぱな「軍」なのであり、せめて「自衛軍」と称すべきなのじゃないか、と私などは単純に思うのですが、まあこの自衛「隊」も、前身の「警察予備隊」からの呼称の流れと当時の諸事情による「考えたくない事柄から人々の目をそらす」ためのオブラート表現なのでありましょうか。

 日本の「自衛隊」の装備・規模から考えれば、日本「自衛軍」もしくは「防衛軍」「国防軍」などの呼称が相応しいのは自明のことであり、海自、陸自、空自もいい加減いちいち「自」など付けないで「海軍」「陸軍」「空軍」でいいじゃないですか。

 そのほうが実態に即してると思うのは私だけではないでしょう。



●「防衛省」法案、閣議決定 秋の臨時国会へ継続審議方針

 今日(9日)の朝日新聞電子版速報記事から・・・

防衛省」法案、閣議決定 秋の臨時国会へ継続審議方針

2006年06月09日10時54分

 政府は9日午前の閣議で、防衛庁の「省昇格法案」を決定した。自衛隊の海外活動の本来任務への格上げも盛り込んでおり、同日中に国会に提出する。54年に発足した同庁を防衛省に格上げする法案が政府によって提出されるのは初めて。会期末が18日に迫り、政府・与党は法案を継続審議にして秋の臨時国会での成立を目指す方針。だが、教育基本法改正案など他の重要法案も軒並み先送りされるうえ、処理の優先順位の判断は次の首相に委ねられることになり、省昇格法案の成立の見通しは立っていない。

 安倍官房長官は同日の記者会見で「近年、防衛問題が重要性を増すなか、諸外国と同様に防衛庁を省と位置づけ、各種の事態により的確に対応することは必要なことであり、自然な流れだと考える」と述べた。

 法案は(1)防衛庁を「防衛省」に、防衛庁長官を「防衛相」に格上げする防衛庁設置法改正(2)自衛隊の海外活動を付随的任務から本来任務に格上げする自衛隊法改正――などの一括改正。

 現在の内閣府の外局から独立の省に格上げすることにより、法案提出などの閣議開催の要求や、予算の財務相への要求などが直接可能になる。不審船に対処する「海上警備行動」などの発令の承認を得る閣議の開催も要求できる。同庁は「危機に迅速に対応できる」と意義を強調する。

 本来任務に格上げする海外活動は、自衛隊法で雑則に定められている(1)国際緊急援助活動(2)国連平和維持活動(PKO)(3)周辺事態での後方支援、付則の(4)テロ特措法の活動(5)イラク特措法の活動――などで、国土防衛や災害派遣などと同等の重みを持たせる。

 同法案が成立しても、首相が自衛隊の最高指揮監督権を持つことは変わらない。国内外に根強い慎重意見に考慮し、同庁は「シビリアンコントロール文民統制)の基本的枠組みは変わらない」としている。

 省昇格法案は64年の池田内閣時にも閣議決定されたが、国会提出は見送られた。01年に旧保守党が議員立法で提出したが、03年の衆院解散で廃案になった。

 政府は公明党の要求を受けて法案の付則に07年度の防衛施設庁解体を盛り込み、了承を得た。

http://www.asahi.com/politics/update/0609/002.html

 おお、自民党が選挙公約にも盛り込んでいた、「防衛庁の省昇格法案」が、ついに、閣議で決定されました。

 まあ予算と人員規模から言えばとうに「防衛庁」は「省」並みの大所帯だったわけであり、世界5指にはいる軍備予算を有する軍隊の管轄が「庁」だなんて、これも「考えたくない事柄から人々の目をそらす」ためのオブラート表現だったのか知りませんが、実態にまったく即してなかったわけですね。

 こんなことを言えばリベラル派の方からご批判をいただきそうですが、私はいっそのことオブラート表現をとっぱらちゃってこの際「防衛省」に昇格して、「防衛庁長官」も「防衛大臣」にしちゃえばいいと思っています。

 軍備拡張派を勢い付かせる愚案だとの批判は十分承知していますが、そもそも日本の「自衛隊」もう十分に拡張して立派な「軍隊」に成長していますから、この際「防衛省」にしちゃったほうが、軍拡反対派も反対運動がしやすいのではないでしょうか。

 で、ついでに「自衛隊」という呼称も改めて「自衛軍」とか「防衛軍」とかちゃんと「軍」のついた正式な名称に変えてしまったらどうでしょう。
 ・・・

 え? 日本は専守防衛で自衛のための最小限の軍備しか保持できないはずだから、「防衛庁」のままで「自衛隊」のままでとどめておくべきだって?

 ・・・

 ふう。

 おっしゃることはごもっともですがね、軍の呼称なんて本来たいした意味なんか全くなくて名称に抑止力を期待しても「お花畑」な議論でありますよ。

 考えてみて下さい、「国防総省」(ペンタゴン)指揮下のアメリカ軍だって、「国防」のためにだったら「アフガニスタン」だって「イラク」にだってどこにも出撃できるでしょ。

 アメリカ「国防総省」と特に密に仲良しになる日本の軍隊が、日本「防衛省」となって「防衛」のためアメリカ軍とともにどこにでも出撃する日も近いことでしょう。



(木走まさみず)