宗教法人幸福の科学大阪正心館にて、全国婦人部交流会 11月7日(木)
宗教法人幸福の科学大阪正心館にて、11月7日(木)12:00〜15:25
全国婦人部交流会が、執り行われました。
その中の黒川白雲常務講話「いざ世界宗教へ」の中で心に残った御言葉は、
エル・カンターレの使徒、仏弟子、光り輝く菩薩達を増やしていく。
力を合わせてやっていこう。
シンク・ビッグ。大きな理想を抱け。
ヘルメス神。
信念の力。
「私は、幸福の科学を世界宗教にします」と、大川隆法総裁先生の御言葉。
大川隆法総裁先生、ニューヨークヤンキースタジアムにて、5年以内に、世界の大救世主宣言をする。
映画『仏陀再誕』300万人以上動員目標。「全国民観るべきである」大川隆法総裁先生ビジネスセミナー『必勝への道』より
ヘルメス神は、運命を切り開く神。
ユートピアとは、結論において「私は幸福です」と言い切れる人を数多くつくることです。
説得力。PR力。PR能力。
アメリカ人は、自己PRが得意。
「自分をPRできないと、教団をPRすることは出来ない」
「世界宗教に向けて、宗教が発展したかったら、説得力が必要です」
「もっと、もっと、打って出て行きたい」
人間関係作り。(人間関係や活動される方を)5倍、10倍に増やしていってほしい。
多くの仲間をつくっていく。
お祭り、地域へのボランティア、作務など、地域への参加をどんどんしていって、人間関係を拡げていく。
光を届けること。
同時代に、伝え切ること。
『仏陀再誕』
大川隆法総裁先生の息子さんの大川宏洋(ひろし)君、19歳の大学生。理事に昇格。映画『仏陀再誕』のシナリオ完成。躍動感溢れる映画。仏陀説法が入っているので「映画館が支部になる」
本当にこの教団を、世界宗教にしていこう。
大川宏洋(ひろし)君は、本質を掴む超天才。
「何のために、これをやっているのか?」「今、なぜ、仏陀再誕?」・・・全人類の魂を、幸福にするため。
一般の人の目線を持つ。
若い人が関心を寄せてくれるのか、常に考えています。
今回300万人動員目標。前回の7.5倍。
活動される方を増やす。
冬〜春にかけて、友達作り。人間関係増やしていく。
全体の46.8パーセントの人は、宗教団体がどういう活動をしているのか分からない。
もっと外へ出て、外の活動をする。知らないが故の偏見を無くしていく。
顔の見える活動。
喜びの連鎖。
以下、ブラジル・原田サンドラさんインタビューより、印象に残った御言葉は、
どこの書店さんに、幸福の科学の書籍があるか、チラシに印刷して、心を込めて、祈りを込めてポスティング。
命懸けの伝道活動。
2008/11/07
宗教法人幸福の科学 福知山支部所属 三帰誓願者 前川謙一
以下、「愛、無限」〜偉大なる信仰の力〜大川隆法著(幸福の科学出版刊)第2章 愛、無限 より抜粋させていただきました。
④パウロとペテロの劣等感
ところが、それまでイエスの弟子達を迫害していたサウロが、逆に福音を宣べ伝えはじめましたものですから、イエスの弟子達とパリサイ派の人たちの両方から信用されませんでした。
イエスの弟子たちは、「彼こそが、われらを迫害していた張本人ではないか。その彼が福音を宣べ伝えるというのは信じられない。これは罠に違いない」と用心しました。
また、サウロの仲間であったパリサイ派の人たちからは、「彼は気でも狂ったのではないか。われらと一緒にイエスの弟子たちを捕まえていた人間が、こともあろうに改宗してしまい、イエスの教えを布教しようとしている。何かに取り憑かれてしまったか、何か異常なことが起きたに違いない」と見られました。
このように、サウロは両方から不信の目で見られたのです。
そのとき、サウロは非常な悔恨にかられて、「私は自分を、神の子として立派な人格者だと思っていたのに、こんな間違ったことをしてしまい、取り返しのつかないところまで来てしまった。いま私は両方から不信の目で見られているが、やむをえない。行動で、実践で証明する以外に方法はない」と考えました。
そこで彼は、いかに疑われようとも、どのような迫害を受けようとも、断固として、信念を持って伝道を始めました。これがキリスト教の世界伝道の始まりです。
サウロ、のちのパウロは三カ国語が自由自在に話せ、非常に教養のあった人です。語学ができるということが、彼の伝道をずいぶん助けました。いろいろな土地に伝道に行っては、その土地の人が分かる言葉で話すものですから、石をぶつける手が止まってしまうのです。また、彼はローマの市民権も持っていました。こうしてパウロは熱心に伝道していき、最後には殉教しました。
これがパウロの身に起こったことです。
パウロは、言葉においては劣等感を持っていませんでしたが、自分の過去の行いについて、深い劣等感、罪の意識を持っていました。この罪の意識とは、彼にとっては魂のおくれのことです。
「イエスの弟子達は、最初からイエスを信じることができ、その教えを一生懸命に布教していた。しかし、自分はおくれをとってしまった。彼らを迫害したあとで、やっと気がづき、心を入れ替えて布教するような自分――」
彼は非常におくれをとったわけですから、それについて劣等感を感じていたのです。
一方、ペテロは、アラム語以外に何も語れないことに劣等感を持っていました。彼はイエスの弟子になる前は漁師であり、魚を捕っていただけですから、もちろん教養のない人だったわけです。そのため、伝道に非常に苦労しました。
キリスト教会の最初の設立者ともいわれているペテロではありますが、教養がなくて非常に苦労したので、その後、「学問をしなければいけない」ということを、魂に深く刻み込みました。そして、約二千年後に日本に生まれ変わったときには、キリスト教を宣べ伝えるとともに、深く学問を修めました。矢内原忠雄(やないはらただお)という、東大の総長をした人です。
このように、人間は魂の奥底に、悔恨の思い、あるいは深い劣等感を持ちながら、それを変えよう、改造しようとして、努力しているものなのです。
⑤自他一体の目で見る
言葉を中心に話をしてきましたが、人間は地上で生きているあいだに、さまざまなことで心に劣等感を抱くことがあります。たいていの場合は、他人と自分との比較、彼我の比較において、自分が劣っていることを自覚すると、そのあと、深い責めさいなみが始まります。
そして、このときに心を入れ替えることができるならば、そこから天国的なる道も開けるのですが、その技法を知らなかった場合には、地獄へ近づいていく道もまた用意されているのです。
要するに、劣等感というものは、他人との比較において持つべきではなく、仏との比較において持つべきなのです。
仏の子として創られ、本来、仏の性質をそのまま引き継いでいるにもかかわらず、それをそのままに生きていくことができない自分――その悔しさ自体に劣等感を感じることはよいのです。それは、仏へと向かっていくための原動力となるでしょう。しかし、そうではなくて、地上的なる自分の生きやすさを求め、他の人との比較によって苦しみつづけることは愚かなことです。
自分自身がすばらしくなろうとも、自分以外の人がすばらしくなろうとも、同じく仏の子の栄光であることには変わりがありません。また、それは、仏の成功でもあります。自分が成功するか、他の人が成功するか、そうした違いは問題ではないのです。仏の子が地上にて仏の栄光を表すことができたということは、それ自体がすばらしいことなのです。
したがって、他の人に対しては、劣等感を感じるべきではなく、もっともっと温かい目、自他一体の目で見ることが大事だと言えます。
以上、「愛、無限」〜偉大なる信仰の力〜大川隆法著(幸福の科学出版刊)第2章 愛、無限 ④パウロとペテロの劣等感 ⑤自他一体の目で見る より抜粋させていただきました。このような教えを、お説き下さった、宗教法人幸福の科学 大川隆法総裁先生に心より感謝申し上げます。