「核の傘…見直しを」 長崎、切なる祈り 原爆投下72年 - 東京新聞(2017年8月10日)

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https://megalodon.jp/2017-0810-0928-41/www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017081090071202.html

長崎は九日、原爆が投下されてから七十二年を迎えた。長崎市松山町の平和公園で、市主催の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ、原爆投下時刻の午前十一時二分、参列した市民らが黙とうした。田上(たうえ)富久市長は平和宣言で、例年訴えてきた原爆投下後の惨状を後回しにし、国連で七月に採択された核兵器禁止条約を「被爆者が積み重ねた努力が形になった」と評価。条約に加わらない日本政府に「唯一の戦争被爆国として、一日も早い参加を」と迫った。
田上市長は、宣言冒頭から核禁止条約に触れ、「ヒロシマナガサキ条約」と呼んで歓迎。核保有国と核の傘の下にある国に、安全保障を核に頼ることのないよう求めた。例年は原爆投下後の人々や町の凄惨(せいさん)な描写から始めていた。
東京電力福島第一原発事故放射線の脅威にさらされた福島にも七年続けて言及し、「被災者を応援する」と述べた。
その後、被爆者代表の深堀好敏さん(88)が「平和への誓い」を朗読。「町並みは消え、姉は息絶えた。世界が終わる、と思った」と回想した。
安倍晋三首相はあいさつで、広島市で六日にあった平和記念式典と同様、核なき世界の実現に向けて核保有国と非保有国の「双方に働き掛ける」と強調。条約参加への言及はなかった。
被爆者団体は式典後の安倍首相との面会で、「あなたはどこの国の総理ですか。私たちを見捨てるのか」と条約不参加に強く抗議。安倍首相は「核廃絶に努力する」などと述べるにとどめ、高齢化が進む被爆者の願いには直接応えず、平行線のままだった。

◆宣言冒頭 条約参加訴え
田上富久市長は、九日の平和祈念式典で読み上げた「長崎平和宣言」で、冒頭から半分を七月に採択された核兵器禁止条約に関する言葉に割いた。十年前の市長就任後の宣言でも、今年の「広島平和宣言」でも見られなかった異例の構成。田上氏がこだわった背景には、条約に動こうとしない日本政府に対する被爆地の焦りがにじむ。
宣言文をまとめる過程では、異論もあった。五月に始まった被爆者や研究者、学生ら十五人の起草委員会。計三回の議論で、被爆者ら複数の委員は「やはり、冒頭部分から被爆の実相に詳しく触れるべきだ」と訴えた。
それでも田上氏は譲らなかった。市職員の一人は「条約採択が核廃絶機運を高める最高のタイミングで最後の機会かもしれない」と田上氏の思いを代弁する。
宣言の最初に田上氏が使った「ノーモア ヒバクシャ」は、国連などで被爆者たちが叫び続けた悲願だ。その思いが国連加盟国の過半数が同意した史上初の禁止条約につながった。だが、被爆国である日本政府は「非現実的」と距離を置く。
平均年齢八十一歳を超えた被爆者の高齢化。なぜ今、動かない−。田上氏は「到底理解できない」と強い言葉を使った。従来通り、被爆の悲惨さが大半で政府批判にまで踏み込まなかった広島の宣言とは異なる内容に、ある被爆者は「勇気を得た」と漏らした。  (西日本新聞・重川英介、小川俊一)

(筆洗)きのうも長崎では、午前十一時二分に、サイレンの音が響きわたった - 東京新聞(2017年8月10日)

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きのうも長崎では、午前十一時二分に、サイレンの音が響きわたった。原爆投下のその時に合わせ黙祷(もくとう)をするためのサイレンだ。
長崎県内に住む吉田美和子さん(66)は三十三年前、その音を夏風邪で伏せっていた床で聞いた。静かに目を閉じ、合掌をしていると、おなかの中で日に日に大きくなるわが子が動き始めた。思わず両の手でおなかを包んだ。
そのとき…

ふいに サイレンの響きとはちがう
無数の唸(うな)りが
私の耳の中を 揺さぶっていく
あの日 あの時
母の温(ぬく)もりの中で
守られていた 小さな生命が
声ひとつ あげる間もなく
吹き飛ばされ 風と化していった…
(『原爆詩一八一人集』)

産声を上げることもなく、風になった赤ちゃんが何人いたことか。きのうの平和祈念式典で長崎市長は、各国の指導者らに、語り掛けた。
「遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください」
吉田さんは

ピカドンによって生まれた 小さな風たちよ
…この世のすべての人を 揺さぶる風になれ
…おろかなあの日を 知らしめる風になれ

とうたった。「もし自分の家族が…」と考えれば、小さな風の声が聞こえるはずだ。

72回目 長崎原爆の日 核禁止条約「参加を」 平和宣言、政府に迫る - 東京新聞(2017年8月9日)

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長崎は九日、原爆が投下されてから七十二年を迎えた。長崎市松山町の平和公園で、市主催の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ、原爆投下時刻の午前十一時二分、参列した市民ら約五千四百人が黙とうした。田上富久(たうえとみひさ)市長は平和宣言で、国連で七月に採択された核兵器禁止条約を「被爆者が積み重ねた努力が形になった」と評価。条約に加わらない日本政府に「唯一の戦争被爆国として、一日も早い参加を」と迫った。 
田上市長は、核禁止条約を「ヒロシマナガサキ条約」と呼んで歓迎。核保有国と核の傘の下にある国に、安全保障を核に頼ることのないよう求めた。日本政府には「憲法の平和理念と非核三原則厳守を世界に発信して」との注文も付けた。
東京電力福島第一原発事故放射線の脅威にさらされた福島にも、七年続けて言及。「被災者を応援する」と述べた。
惨禍を未来へ伝える大切さを田上市長が訴えた後、被爆者代表の深堀好敏(よしとし)さん(88)が「平和への誓い」を朗読した。「町並みは消え、姉は息絶えた。世界が終わる、と思った」と回想。
安倍晋三首相はあいさつで、広島市で六日にあった平和記念式典と同様、核なき世界の実現に向けて核保有国と非保有国の「双方に働き掛ける」と強調。条約参加への言及はなかった。
長崎市によると、式典に参列したのは、被爆者や犠牲者の遺族、計五十八カ国と欧州連合(EU)の代表ら。太平洋戦争末期に原爆を投下した米国は、オバマ前政権下の二〇一一年から参列するようになったが、トランプ政権となった今年も駐日臨時代理大使が出席した。
七月末までの一年間で、長崎市が新たに死亡を確認した被爆者は、三千五百五十一人。原爆死没者名簿に記された総数は十七万五千七百四十三人となった。今年三月末時点で市内に住む被爆者は三万八百十三人で、平均年齢は前年比〇・六九歳上昇の八一・〇一歳。
厚生労働省によると、全国で被爆者健康手帳を持つ人の数は、一六年度末時点で十六万四千六百二十一人。平均年齢は八一・四一歳。
長崎大の研究機関は、六月時点で米国やロシアなど九カ国が計約一万四千九百発の核弾頭を保有するとみている。

核兵器禁止条約> 核兵器の開発から保有、使用まで全面禁止する条約。前文に「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」と記した。永世中立オーストリアなどが主導し、国連本部で122カ国の賛成多数で採択された。核保有国や、米国の「核の傘」の下にある日本は不参加。9月20日から条約への署名が始まり、発効には50カ国の批准が条件となる。

<長崎原爆> 1945年8月9日、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」が長崎市へ投下したプルトニウム型の爆弾。「ファットマン」とも呼ばれる。午前11時2分、同市松山町の上空、約500メートルで爆発した。爆心地付近の地表温度は3000〜4000度に達したとされる。同年末までに約7万4000人が死亡し、約7万5000人が重軽傷を負ったと推計されている。被爆者の中には、白血病や各種がんといった放射線による健康被害に苦しみ続けている人もいる。

長崎市長、平和宣言で政府批判 「姿勢理解できない」 - 朝日新聞(2017年8月9日)

http://www.asahi.com/articles/ASK885GF2K88TIPE020.html
http://archive.is/2017.08.09-102800/http://www.asahi.com/articles/ASK885GF2K88TIPE020.html

長崎に原爆が投下されて72年となった9日、長崎市平和公園で平和祈念式典が開かれた。田上富久・長崎市長は平和宣言で、今年7月の核兵器禁止条約の採択を「被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間だった」と歓迎する一方、日本政府に対し、「条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」と批判した。
午前11時2分、原爆が投下された時刻に式典の参列者は1分間の黙禱(もくとう)を捧げた。田上市長は平和宣言で、核兵器禁止条約について「『ヒバクシャ』の苦しみや努力にも言及したこの条約を『ヒロシマナガサキ条約』と呼びたい」と述べ、条約を推進した国々や国連、NGOなどの「強い意志と勇気ある行動」に感謝の意を表明した。平和宣言の半分以上を条約への言及にあてた。
一方で、「これはゴールではない」として、「ようやく生まれたこの条約をいかに活(い)かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われている」と訴えた。条約に反対する核保有国や核の傘に依存する国々に対し、核兵器に依存する安全保障政策の転換を求め、核不拡散条約(NPT)が課している核軍縮の義務を果たすよう求めた。
日本政府に対しては、唯一の被爆国として核保有国と非保有国の「橋渡し役を果たす」としながら、条約交渉にすら参加しなかった姿勢を厳しく批判。「条約への一日も早い参加」を求めた。憲法の平和の理念と非核三原則の「厳守と世界への発信」も政府に求めた。
安倍晋三首相は来賓あいさつで「真に『核兵器のない世界』を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要」との考えを示し、「我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく」と述べたが、具体策には言及しなかった。
式典には国連軍縮部門トップの中満(なかみつ)泉・軍縮担当上級代表(事務次長)のほか、核保有国6カ国を含む58カ国の駐日大使らが参加。昨年まで参加していたインドとパキスタンは不参加だった。トランプ政権になり、「核なき世界」の実現を訴えたオバマ前政権の核政策からの後退が懸念されている米国も臨時代理大使が参加した。
この1年間に新たに死亡が確認された3551人の名前が記された原爆死没者名簿も奉安され、長崎原爆による死没者は17万5743人になった。(山野健太郎

長崎平和宣言 核禁止条約を育てよう - 東京新聞(2017年8月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017081002000142.html
https://megalodon.jp/2017-0810-0946-24/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017081002000142.html

田上富久長崎市長は平和宣言で、政府に対し核兵器禁止条約に加わるよう求めた。核抑止力より、人類に及ぼす非人道性をよく考えるべきだとも述べた。被爆地からの訴えは、一層重みを増した。
長崎平和宣言は被爆者と識者、市民による起草委員会で協議される。田上市長は七月に国連会合で採択された条約を「ヒロシマナガサキ条約」と呼び、被爆者の長年の努力が実を結んだと述べた。
政府に対し、条約への一日も早い参加と、米国の「核の傘」に安全保障を依存する政策を見直すよう訴えた。核がもたらす惨状を十分に理解しているはずの日本政府が、矛盾した政策を取り続けていることを強く批判した。
政府は米国、ロシア、中国など核保有国が条約に参加しない現状では実効性に疑問があるとの理由で、条約に署名しない方針だ。一方で、核を持つ国々と持たない国々の「橋渡し」をすると強調し、安倍晋三首相も広島、長崎両市での式典でこの点に言及した。
しかし、橋渡しとはどんな役割をするのか、具体的な政策が見えてこない。米ロ中などとの首脳会談、外相会談で、繰り返し核軍縮に言及すべきなのに、そのような発言は聞かれない。日本は核を持つインドと原子力協定を締結したが、今後の核開発に厳しい縛りをかけられるか、疑念がぬぐえないままだ。
禁止条約は非締結国に対しても、会議へのオブザーバー参加を認めている。日本は出席して、条約を支持した国々の声を正確に受け止める必要がある。
田上市長は宣言で「ようやく生まれたこの(禁止)条約をいかに生かし、進めることができるか、人類に問われている」と語った。条約は来年後半にも発効する見通しだ。一カ国でも多く参加し、核廃絶への国際世論を高めたい。
日本には被爆者の貴重な証言をはじめ、原爆投下の惨状を伝える多くの資料がある。政府はもちろん研究者、市民団体、個人でも世界に発信することができる。
第一歩を踏み出した禁止条約が核なき世界への道筋となるよう、粘り強く育てていきたい。被爆国の国民としての重要な責務である。
条約採択を受けて国際社会は、世界の核兵器の90%以上を保有する米ロ両国に軍縮を促さねばならない。大陸間弾道ミサイルICBM)開発を急ぐ北朝鮮には、さらに孤立し経済発展の望みも実現しないと伝え続けたい。

長崎原爆の日「あなたはどこの国の総理ですか」 - 毎日新聞(2017年8月9日)

https://mainichi.jp/articles/20170810/k00/00m/040/142000c
http://archive.is/2017.08.09-153545/https://mainichi.jp/articles/20170810/k00/00m/040/142000c

被爆者団体、安倍首相に 禁止条約に批准しない方針で
長崎への原爆投下から72年の「原爆の日」を迎えた9日、長崎市平和公園で平和祈念式典が開かれた。平和祈念式典後に長崎市内で安倍晋三首相と面談した被爆者団体代表は、核兵器禁止条約に日本政府が批准しない方針を示していることに強く憤った。
「あなたはどこの国の総理ですか」。長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長を務める川野浩一さん(77)は被爆者団体からの要望書を安倍首相に手渡した際に迫った。「ヒバクシャの願いがようやく実り、核兵器禁止条約ができた。私たちは心から喜んでいます。私たちをあなたは見捨てるのですか」
面談は式典後に首相らが被爆者団体から援護策などの要望を聞く場として設けられている。通常は冒頭で静かに要望書を手渡すが、川野さんは「子や孫に悲惨な体験をさせてはならないというナガサキの72年間の訴えが裏切られたという思いがあった」と異例の行動に出た理由を話す。川野さんは安倍首相に「今こそ日本が世界の先頭に立つべきだ」とも訴えたが、明確な返答はなかった。
式典に参列した被爆者も、あいさつで条約に言及しない首相への失望を口にした。8歳の時に爆心地から約2・8キロで被爆した嶺川洸(たけし)さん(80)は「核兵器禁止条約が採択され、今が一番大事な時だ。わざわざ東京から来てあいさつするのに、なぜ被爆者に寄り添った言葉を語らないのか」と語った。【樋口岳大、加藤小夜】

「焼き場に立つ少年」血にじむ唇 米写真家の被爆地記録 - 朝日新聞(2017年8月9日)

http://www.asahi.com/articles/ASK877VJMK87PITB00V.html
http://archive.is/2017.08.09-185541/http://www.asahi.com/articles/ASK877VJMK87PITB00V.html

原爆投下後の長崎で、亡くなった幼子を背負う「焼き場に立つ少年」。撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日の9日に著書が出版された。「投下した側」でありながら、投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている。
オダネルさんは被爆後の広島、長崎などで、私用カメラを使って約300枚を撮影。フィルムは封印していたが、1989年に反核の思いが込められた彫刻像を見たのを機に、「核戦争を繰り返さないことにつながるなら」と写真展を開いた。原爆正当化論が根強い米国で批判に耐え、2007年、8月9日に85歳で亡くなるまで各地で写真展を開き、戦争反対を訴えた。
本は「神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産」。掲載されている被爆地の写真で、著名な「焼き場に立つ少年」について、幼子を火葬にする少年の様子をオダネルさんはこう記す。
「炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいる」「少年があまりきつくかみ締めているため、血は流れることもなくただ少年の下唇に赤くにじんでいました」
妻で米在住の坂井貴美子さん(56)が2年ほど前に出版社の打診を受け、オダネルさんの遺志を尊重して、応じた。坂井さんは取材に対し、「人間の存在の原点を、占領者としてではなく同じ人間としてカメラに収めている」と表現。そして核廃絶へのメッセージとして、こう語った。「ただ『忘れない』ということが大切と思う」。
A5判192ページ。いのちのことば社(03・5341・6920)刊。(宮崎園子)

いま読む日本国憲法(58)第58条 基本的人権を念押し - 東京新聞(2017年8月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/imayomu/list/CK2017081002000201.html
https://megalodon.jp/2017-0810-0948-26/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/imayomu/list/CK2017081002000201.html



九七〜九九条の第十章は、憲法が他の法に優先される「最高法規」であることを明らかにしています。一〇〇条から先の条文は施行の手続きを示した「補則」なので、この章が事実上の憲法の締めくくりと言えるでしょう。
基本的人権」という言葉は一一条にも登場しました。「侵すことのできない永久の権利」という表現も同じです。二度も書いていることから、基本的人権を重視している憲法の意思が伝わります。


九七条の基になったのは連合国軍総司令部(GHQ)の草案一〇条です。基本的人権は「人類ノ自由タラントスル積年ノ闘争ノ結果」で「永世不可侵」だとしており、現行憲法の九七条とよく似ています。考案したのはGHQのホイットニー民政局長とされ、憲法に書き込むように日本政府側に要望したといいます。


GHQが草案をつくったのは、日本政府が作成していた旧憲法大日本帝国憲法)改正案が、以前と大きく変わらないことに失望したためです。日本側はGHQ草案をうのみにしたわけではなく、国内の憲法学者らが多彩な人権規定を提案することで、今の憲法に近づけていきました。
自民党改憲草案では、九七条はまるごと削除されています。草案Q&Aは「一一条と内容的に重複していると考えたため」としていますが、あえて二つの条文に盛り込まれた基本的人権は、憲法の核心でもあります。九七条の削除を「人権を安易に制限するものだ」と警戒する有識者もいます。




     ◇
憲法の主な条文の解説を随時掲載しています。

<脱 子どもの貧困>(下)「あれも、これも」の予算を 兵庫県明石市・泉房穂市長:東京 - 東京新聞(2017年8月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201708/CK2017081002000171.html
https://megalodon.jp/2017-0810-0948-26/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/imayomu/list/CK2017081002000201.html

子どもを核とした町づくりをしている。全ての子どもに対し、行政と地域が連携し、みんなで応援するというコンセプトだ。貧しい家庭の子どもだけでなく、誰ひとり見捨てずに支える。
親の収入で線を引いて支援をすると、こぼれ落ちてしまう子がいたり、どこで線引きをするかで議論が複雑化したりする。明石市は中学生までの医療費と第二子以降の保育料を無料にしているが所得制限はしていない。
相談のチャンスが失われると、問題は長引きやすい。支援は早期に、継続的にすることが大事だ。今年一月から、市が把握した妊婦全員への面談を始めた。早くに親の困り事を知り、フォローする。また児童手当は漫然と振り込まず、乳幼児健診などで本人の健康が確認できるまでは支払わない仕組みだ。
子ども食堂は、小学校区ごとに一カ所できるように整備している。子どもの目線に立てば、市内に一カ所程度では通えない。二〇一九年春、市内に児童相談所を設置する予定で、食堂と連携する仕組みをつくり、子どもの危機にいち早く気付ける拠点としたい。子ども食堂はブームのようだったが、これからは実際の課題に向き合っていく時期に来ている。
行政の政策で、予算を何に振り分けるかは「選択と集中」と言われる。子どもについては「あれか、これか」ではなく、「あれも、これも」必要だ。子どもの貧困というのは、子どもを貧しさに追いやっている政治の貧しさの表れだと言える。
明石市では、他の市に比べて、子ども施策に予算を投じている。結果として、人口は増加に転じ、新たに生まれる赤ちゃんが増え、税収も上がった。子どもにしっかりとお金を使うことは町の未来のためにもなる。予算をシフトすることで、子どもたちが救われる。

<いずみ・ふさほ> 53歳。明石市生まれ。東京大卒業後、NHKディレクター、衆院議員、弁護士などを経て、2011年より現職

兵庫県明石市> 瀬戸内海に面し、大阪市や神戸市に通勤する人のベッドタウン。子どもの医療費の無料化や教育環境の整備など、子育て世代への支援を充実させているほか、障害者施策にも力を入れている。人口は4年連続で増加し、17年7月時点で29万5296人。子どもの出生数も15年以降、2年連続で増えた。市によると、20代〜30代の子育て世代の流入が進んでいる。18年度からの中核市移行を目指している。

◆学習支援で「連鎖」絶つ
都内で就学援助制度を利用しているのは2015年度で16万2000人余りと、全体の20.4%を占める。13年度の22.3%と比べてやや減少している。首都大学東京の阿部彩教授(貧困・格差論)と都の16年調査によると、授業が分からないと感じる中学2年生の割合は全体で24%なのに対し、生活困窮層は52%と跳ね上がり、経済状況が子どもの学びに大きな影響を与えていることが浮かび上がった。
都の主な対策は、生活困窮家庭やひとり親家庭の子どもを対象に、学習を支援する事業などがある。生活困窮家庭向けは、16年度は39区市と西多摩福祉事務所で実施され、本年度は46区市に拡大。利用者も年々増えている。
「貧困の連鎖」を絶つ取り組みとしては、高校卒業程度認定試験の講座受講料を支援している。いずれの事業も、19年度末に都内全62自治体が取り組めるよう体制を整える目標を掲げている。 (木原育子)

是枝裕和監督初の法廷ドラマ 22年ぶりベネチア国際映画祭に出品 - 東京新聞(2017年8月10日)

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福山雅治を主演に迎え、是枝裕和監督がメガホンをとった映画「三度目の殺人」が30日にイタリアで開幕するベネチア国際映画祭コンペティション部門に出品される。近年は「家族」をテーマに撮り続けてきた是枝監督が初めて法廷ドラマで心理サスペンスに挑んだ。「人が人を裁くとはどういうことかを考え、描いた。私たちが持つ司法制度について考え、問題提起をしたつもりです」と話す。 (金森篤史)
福山とは「そして父になる」(二〇一三年)以来二度目。「監督と役者として相性がよかった」として今回、出演を依頼した。
「裁き」というテーマを選んだのは、知人の弁護士から「法廷は真実を明らかにする場ではない」と聞いたことが発端。たとえ真相が分からなくても、両者の言い分を基に、何らかの判決を下すのが裁判。「面白いと同時に怖いと思った」と明かす。
福山演じる弁護士の重盛は、強盗殺人の前科がありながら再び同じ罪で起訴された三隅(役所広司)の弁護をすることになる。解雇された工場の社長をカネ目当てに殺し、自供もしていたが、接見室で会うたびに発言が変わり、殺人の動機さえも二転三転する。なぜ殺したのか。いや、本当に殺したのか。重盛はそれまで弁護には不要だと思っていた「真実」を知りたいと願うようになる。
「真実なんて分からない。私たちは、不完全な人間による絶対的な裁きを許容している。果たしてそんな裁きができるほど、人間はいろんなことを理解しているのか」。是枝監督はそんな問いを突きつける。
七回ある接見室のシーンは、俳優の動きが制約される中で、見応えのあるものに仕上がっている。監督は「密室で顔とせりふだけでやるしかないが、役所さんと福山さんが火花を散らし、思っていたより数段いいものが撮れた」と話す。
ベネチア国際映画祭は世界三大映画祭の一つで、是枝監督の作品としては、一九九五年の同映画祭で「金のオゼッラ賞」(撮影賞)を受賞した監督デビュー作「幻の光」以来、二度目の出品。是枝監督は「ベネチアへの参加は二十二年ぶり。やはり自分自身の映画監督としてのキャリアがスタートした場所なので感慨深いものがある。今までにないチャレンジをした作品なので、イタリアで受け入れてもらえるのか楽しみ」などとコメントした。
本作は来月九日に全国公開される。