五十(イソ)と百十(モモソ)の間で 〜 五百蔵の晩餐会 〜

全然UPできなくて本当に申し訳ありませんが神名ブレスも少しずつ無くなってきています。大天使のほうもありますので合わせてご検討頂ければうれしく思います。意識をフォーカスして内側のスピリットとつながることが目的でございます。より深いテーマが内側の神的バイブレーションを増幅させ、哲学的かつ随神的に生きることをサポート致します。

前提として、昨日書きました土蜘蛛のことなどを知って頂いているとわかりやすいかと思います。朝廷が討伐しました私たちの先住民族国津神/葛/国栖/九頭竜)は、ユーラシアのあらゆる宗教/文化を結合させた豊かな文化を持っていました。それを中国1色の律令国家にしていったのが上代の中央集権国家構築です。

非常に大きなトリックがあり、律令国家が出来て大和が文化的に開国していったという幻想が皆にありますが、全く逆で、律令国家とは鎖国であり、中国の文化を取り入れながらも本質的には唐のような自由な文化/自由な宗教を認めない戦時体制でした。

他民族/他宗教な古代大和が存在したということを思い出して頂ければと思います。私たちの心の中には天使信仰もマリア信仰も、ゾロアスターもミトラもマニ教もルーツとして存在します。大和とはそれらの統合を表した国の名前です。

私たち大和民族アイデンティティは大和という国家にあるのではなく、あらゆる宗教/民族を統合する意志を持った平和を愛する大文字(ダイモンジ)の精神に帰属します。それが京都の大文字焼きのルーツです。それを国家という枠に付け替えようとする者たちは今も昔も同じように存在します。そういうことをする人たちは他を支配することによってでしか自分を安堵させることができない弱い方たちです。弱さを認めることも必要ですが、弱さを断ち切ることも必要です。弱さを断ち切れないことは甘さにつながります。一方で甘さを認めないことは厳しさにつながります。何よりもバランスが重要です。

なぜ、女性首長たちが団結して朝廷に対抗していたかと言えば、過去に緩やかな連帯の連合国家のバックボーンがあるからです。どこの馬の骨か分からない野蛮人が連帯して朝廷に立ち向かうなどということはあり得ないことです。

連帯を促していた宗教意識、そして神がいたはずです。

ケルトローマ帝国の問題を考えれば、日本のこの問題もかなり深く見えてきます。私の大好きな映画wikipedia:ブレイブハートですが、ローマ帝国の手が届きそうで届かないスコットランド。半分征服されて半分独立を果たした微妙な国です。最期に『フリーダム』と叫ぶシーンが印象的です。大和高原の先住民族も都からは距離的には近いですが、本質的にはスコットランドに近いと思います。

ケルトもマヤもフェニキアも古代大和の先住民族も国家を持たない民族なのです。明治維新時に日本という国家(nation)を認識できた人間は、国内で数人程度しかいませんでした。たぶんこれを聞くと意味がわからない人が多いと思います。と同時に国家がないということが何を意味しているのかを認識できる人も少ないと思います。それだけ現在の常識や偏見を自分の内において変革していくことは難しいのです。

『土』は地面に十字架を立てるという行為も隠喩しています。左が欠けると『上』になります。古代、『左』は”助ける”ということを意味しましたから、上(神)は人間の助けがいらないという意味になります。しかし、本当にそうでしょうか?wikipedia:猿飛佐助は、”猿が飛んで(桃尾)、神(皇)の助けとなって活躍する”という為政者にとってはとても都合の悪い隠喩になっています。

佐助は柘植の出身とされていますから、桃尾の滝のすぐ南側にある都祁(つげ)はおそらく、猿飛〜び(猿桃尾)と深く関わっているのでは?と思います。昨日書いたように大和高原の先住民族サイヤ人でしたから、伊賀/甲賀忍者のルーツは大和高原の先住民族にあるのは、ほぼ確実だろうと思われます。

”飛ぶ”ということに関してこれまで、【鳥/兎/猿/蛙】などが出てきていますが、昔の人が飛ぶことに対して神を感じていた様子が伝わってきます。トウトイことを貴ぶ(たっとぶ)とか尊ぶとか言いますが、おそらくこの飛ぶ文化を背景にしていると感じます(この大和高原の猿の文化は山王信仰につながっていったと考えられるのでかなり広範囲な文化圏を有していたように思います)

そうすると『和をもって貴ぶ(貴し)となす』という言葉の裏に何が隠れているのかが気になるところです。古代大和の人たちの心の中には、飛ぶことが和をもたらすという意識があったような気がします。確かに山の上から下界を見下ろせば、今まで自分が悩んでいたことがバカらしくなります。そういう俯瞰的視野の獲得のことを言っていたのではないでしょうか・・

些細な小事に捉われず、十問い(尊い)ことに目を向けよ、ということだと思います。普遍的なメッセージですね。

石上神宮大神神社の間に隠れる問題は冷静と情熱の間です。イソとモモソ。青と赤。五十と百十。『ソ』こそクロス(十字)であると思いました。つまり、十をトオではなくソオと読んでいたグループもいたのではないでしょうか。十河をそごうと読むのはその名残であると思いますし、そもそも祖先/祖神/祖廟などに使われる祖は、この十(ソ)であると思います。クロスしている中心から何かが生まれてきたという思想です。磐長姫とサクヤ姫が統合されていた時代のイワナガサクヤ姫エナジーにそっくりです。

これはかなり古い概念ですよね。戸の概念が必要ないので、トオは後になって入ってきていると思います。つまり、宇宙が『割れ』によって始まったとする信仰です。

この部分を追求していくと磐にヒビが入ってそこから水が染み出してくるようなイメージがやってきます。これはイワシミズですよね・・たぶん元は『イワミズ』です。スは素ですがソも素です。そしてwikipedia:因幡の白兎も実は素兎です。

石上神宮の神使いは兎。そして桃尾の滝奥には御山大神を祀る大国見山の巨石群。あまりにも稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)的環境が整っています。完全に水場があったとしか考えられません。山科と同じくワニが近くまで遡上してきていたのです。

昨日はソソウ神のことについて触れましたが、ひょっとしたらノーザンクロスやサザンクロスからミルクがこぼれてきたなんていうことも古代の人は感じていたかもしれませんね。天御中主もそんな感じの神さまでしょう。そうすると岩清水ではなく岩ミルクになりますよね。水を使ってそのミルクを作ろうとしたのが白いお酒だったとしたら、それ自体がソソウですよね・・・最初にこぼれた一滴がチョン神だとしたら深いですね。wikipedia:屠蘇も気になります。

それと石上のイソ(五十)は昔、ヒソ(一十)だったのではないかとも思います。足すと『土』ですし、日(一)の神はニギハヤヒにもつながります。ヒソの付け替えがイソ。ヒソヒソ話なんていうのはここからきている可能性もあります。十一面観音のルーツもここでしょう。これはユーラシアにはないような古代大和独自の信仰である可能性が高いです。




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