七〇年代のヒッピー時代は「物欲」がなかった

七〇年代のヒッピー時代は「物欲」がなかった

{昨今、英国はアメリカのようになってしまった。移民
 でひきしめ生存競争は激しく、みんな、隙あらば他人
 の物を盗むという社会になり果ててしまった。七〇年
 代のヒッピー時代、あんなに、みんな汚い格好をして
 いたのに、社会の秩序が保たれていたのはなぜか}
高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(22)
◇日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん(9)
一九七〇年代のロンドン情勢(その1)

七〇年代のヒッピー時代は「物欲」がなかった

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(53)

▼△第一章 私はなぜ原発作業員となったのか△▼

・福島コーリング・(その3)

●多数の被ばく患者が発生した際には、

福島県公表:避難者数、仮設に9万7599人5月12日現在

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(18)

▼△第一章 原発という犠牲のシステム〈18〉△▼
・責任からの遁走(その6)・

地元はそれを当て込んで原発を誘致したのではなかったか、とも

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(22)
◇日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん(9)◇
一九七〇年代のロンドン情勢(その1)

七〇年代のヒッピー時代は「物欲」がなかった

《「 ・The Flame reaches the summit of Snowdon (Sir Chris Bonington holds the Olympic Flame  on the top of Snowdon during Day 11 of the  London 2012 Olympic Torch Relay.) 七〇年代のロンドンは、真夜中に三千代さん が真っ暗なラッセルスクェアを通り抜けて帰 って来るような安全な町で、夫はパリに比べ、 ロンドンは女一人でも夜中に歩ける安全な町 だと胸を張ったが、その通りだった。東京は もって安全だった。 だから、ニューヨークのひったくりの話は、 アメリカ映画のとおり恐ろしいと思った。 アメリカはもともとが雑多な移民で出来上が った国だから、ナショナリズムの強い国と言 いながら、結局は、アメリカの誇りは英国と 違うのだと思った。 が、夫に言わせると、それは社会保障がなく 福祉国でもなく、貧富の差が激しく、自分の ことは自分で面倒を見ないといけない国、ア メリカンドリームを目指し、てアメリカへ出 かけて行っても、その夢に破れた者は泥棒に なってしまうと。 昨今、英国はアメリカのようになってしまっ た。移民でひきしめ生存競争は激しく、みん な、隙あらば他人の物を盗むという社会にな り果ててしまった。 七〇年代のヒッピー時代、あんなにみんな汚 い格好をしていたのに、社会の秩序が保たれ ていたのはなぜか。 むろん、ヴィクトリアンの道徳感がずーと引 き継がれていたのも確だが、あの七〇年代の ヒッピー時代は「物欲」がなかった。 物欲がなかったから、他人の物を盗むという 発想をしなかったのだが、社会保障の発達し た国家の国民は労働意欲にも欠けた。 アメリカや日本のように、物欲のための経済 成長には興味が薄かった。だから英国の経済 はどんどん下降していった。 金儲けのための発明や商品づくりには背を向 け、だだひたすら伝統の中の自己満足感のみ に浸ってきたので、平和であったが経済はい つもよくなかった。 それと階級社会というがんじがらめの中にい て、労働者階級は夢がなさすぎた。階級制度 の段差は福祉で補われた。 ・映画“Hippie Hippie Shake”(未公開)より 」》 ◎きょうの本文に“(アメリカは)自分のこ とは自分で面倒を見ないといけない国”とあ りました。 ここで想起されるのが、オバマ大統領再選の 大きなに関門の一つになっているの「医療保 険改革法」です。 オバマ大統領が「(奴隷解放宣言をした)リ ンカーン大統領の業績にも匹敵する」と鳴り 物入りで導入した医療保険改革法。 ところがです、この法案に、これまでフロリ ダ州連邦地裁やジョージア州連邦高裁などが 違憲との判断を下し、オバマ政権側は違憲判 決を不服とし、昨秋、連邦最高裁に上訴し、 その判決は6月下旬に予定されています。 この改革の最大の目的は、約4700万人といわ れる無保険者に健康保険を提供することです。 今世紀初頭から、国民皆保険アメリカの目 標であり続けました。 セオドア・ルーズベルト大統領も導入を試み たが失敗。その後、トルーマンニクソンクリントンの各大統領が同様の改革を目指し ましたが、実現できませんでした。 テレビのニュースで、アメリカの一市民が、 「なんで、私たちの税金で、彼らの医療費を 払わなくてはいけなのか」と憤慨をしている 姿をみたことがあります。 無保険者の多くはマイノリティーを中心にし た低所得者なので、どうして、貧乏人への経 済的な面倒までみる義務はあるのかと、ここ に、保守派の本音が隠されています。それが 少数派では、ないのです。 ギャロップ社の最新調査では、医療保険改革 に反対している人は国民の46%、賛成が49% でほぼ拮抗しているのです。つまりアメリカ 人の約半数は「国民皆保険はいらない」と思 っているのです。アメリカ人はそういう国民 です。 ちなみに、アメリカ合衆国憲法修正第2条が、 アメリカにおける銃規制反対の根拠になって いる現実と相通じるところがあります。 (つづく) (Y295-126) (Y296-127休)〜(Y298-129休) **『外国の男と結婚した日本の女たちの話』 単行本:222ページ 出版社:展望社 (2012/02) 《――英国から万感の思いを込めてレポートする―― Inter Marriage と 日本女性のメンタリティ。異国に あってこそわかる……「日本」のこころ。〈東日本大 震災〉をとおしていっそう深まった母国への「愛」。 東日本大震災福島原発事故の現状を知って以来、私 は自分自身ががいかに「日本人」として母国に愛着が あるか改めて思い起こし、「日本」を書こうと決意し た。もう経済大国でも何でもない母国日本が、今は愛 しいと感じるようになった》 〔表紙帯から〕 〔目次〕 ・マルキストエジプト人と結婚した明子さんの場合 ・ロンドン生まれの英国人と結婚した三千代さんの場合 ・日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん   の場合 ・ジャマイカ人の男と結婚した友子さんの場合 〔著者〕 ☆高尾 慶子(たかお けいこ)☆ 1942年姫路市生まれ。私立播磨高校から調理師専門学校に 進む。カトリック系病院の調理師、カトリック系身体障害 児施設の職員を経て、1972年に英国へ。イギリス人音楽家 と結婚。1976年二人で帰国し京都で暮らす。1982年離婚。 1988年に再び英国へ。ロンドンの日本レストランのウェイ トレス、映画監督リドリー・スコット氏邸のハウスキーパ ーなどを経て、1998年『イギリス人はおかしい』を発表し、 注目を浴びる。現在は、英国政府から年金の給付を受けつ つ執筆活動に専念している 著書は『イギリス人はおかしい』『イギリス人はかなしい』 『イギリス人はしたたか』『まだまだ言うぞイギリス・ニ ッポン』『書かずに我慢できないイギリス・ニッポン』『イ ギリス・ニッポンの政治の品格』ほか。 外国の男と結婚した日本の女たちの話 参照: ・2009-11-30『まだまだ言うぞ イギリス・ニッポン』を読む2011-06-24『イギリス・ニッポン政治の品格 』(1)

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(22)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(53)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−  「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】 

▼△第一章 私はなぜ原発作業員となったのか△▼

・福島コーリング・(その3)

●多数の被ばく患者が発生した際には、

《「――が、それから1ヵ月ほど経った5月20日、放医研はインタ ーネットの医療関係者専用ページに、『緊急被爆ネットワーク会議か らのお願い』を掲載した。 「放射線医学総合研究所(放医研)は、わが国における緊急被ばく医 療体制の中心的機関として、また東日本の地域レベルの三次被ばく医 療機関として位置付けられています。 今回の事故におきましても、被ばく患者の診断・治療、防災業務従事 者の放射線防御、被ばく医療テームの派遣、国内外への情報の発信、 専用機関としての助言、電話相談等を行ない、被ばく医療について積 極的に取り組んできました。(中略) 今後、放医研が緊急被ばく医療を実施するにあたり、医師等の派遣、 及び医療機関における診療協力など、可能な限り、協力を行ない所存 です。 しかしながら、もし不測の事態が起こり、多数の被ばく患者が発生し た際には、放医研を中心とした緊急被ばく医療ネットワーク会議が可 能な限り助言・支援等を行ないますので、各医療機関におかれまして は、患者治療についてご協力頂きますよう、よろしくお願い申し上げ ます」 ??? ――」》 ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 →第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘 第4章 ついに潜入!1Fという修羅場 第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◎きょうの本文中、“もし不測の事態が起こり、多数の被ばく患者が 発生した際には”(略)“よろしくお願い申し上げます”、とは、考 えてみれば、不思議なお願いです。謎は次回までお待ちください。

福島県公表:避難者数、仮設に9万7599人5月12日現在

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(18)

《経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。  『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし新書!  本書のテーマは、犠牲のシステムとしての福島と沖縄  である。それは、一九四五年の敗戦以後、今日までの  日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、  戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシス  テムを表しているからだ。》【表紙帯から】
▼△第一章 原発という犠牲のシステム〈18〉△▼
・責任からの遁走(その6)・

地元はそれを当て込んで原発を誘致したのではなかったか、とも

《「――3・11以後の破局が、ここに正確に“予描”されているよ うに思うのは、私だけだろうか。そして、この「完全無責任体制」に よって最初の犠牲とされたのが、福島県民であることを誰が否定でき るだろうか。 立地自治体は電源三法に基づいて多額の補助金を交付され、恩恵を受 けている。 たいした産業もない地域に何億という金が落ち、雇用も増え、地元民 は経済的に潤った。そもそも地元はそれを当て込んで原発を誘致した のではなかったか。それを今になって、「裏切られた」とか、「赦せ ない」とか、一方的な被害者然とふうまう権利はない、という議論も ある。「自業自得だ」などという暴論も含めて。 だが、経産省や東電は、あらゆる機会にあらゆる手段で、「多重防御 システムだ」「自然災害による事故も絶対ありえない」などと言って きた。 ――」》 ◎「私の責任で判断する」よく、言いますね。日本語が、またまた、 痩せていきます。狡猾な言葉の遊び、罪を知れ! 野田首相は、昨日、関西電力大飯原子力発電所3、4号機の再稼働 について、「関係自治体の一定の理解を得られたと認識している。立 地自治体の判断が得られれば、4大臣会合で議論し最終的には私の責 任で判断する」と述べ、ついに、再稼働に踏み切りました。 犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)集英社 (2012/1/17) ・〈目次〉・ 第一部 福島 ・第一章 原発という犠牲のシステム ・第ニ章 犠牲のシステムとしての原発、再論 ・第三章 原発事故と震災の思想論 第ニ部 沖縄 ・第四章 「植民地」としての沖縄 ・第五章 沖縄に照射される福島 〈参考〉 ・沖縄県民斯く戦えり・  発 沖縄根拠地隊司令官    (大田實・海軍少将)  宛 海軍次官  左の電文を次官に御通報方取り計らいを得たし  (略)  一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うる  のみなりという。沖縄県民斯く戦えり。  県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。              〈昭和20年6月6日〉

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔夏〕 地理  歩幅ちがふ足跡を追ひ夏の浜
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

≫平成万葉集

読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
匂いたつ新酒の季節めぐりきて杉玉飾る軒先ぬくし
堀越幾也(82歳)神奈川県

◆◇◆悪魔の辞典より◆◇◆

アンブローズ ビアス (著)、Ambrose Bierce (原著)、 西川 正身 (翻訳)
パンタロン(pantaloons n.)
教養のある男性の成人が下半身に着ける衣類。この 衣服は管状をなしていて、関節の屈曲部には蝶番が 取りつけられていない。おそらくユーモリストの発 明にかかるものであろうとされている。教養を身に ついけた連中はこれを「トラウザーズ」と呼び、卑 しい連中は「パンツ」と呼んでいる。 新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

彼は根っからの頑固者よね。
He's stubborn to the core.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。

◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆

J.W. Waterhouse“ヘロデ王の審査を終えて、処刑場へ向かうマリアムネ”
(Mariamne Leaving the Judgement Seat of Herod) (1887年・Forbes Magazine Collections, London) ヘロデ王には10人の妻がいました。マリアムネはヘロデ王 が一番愛した妻でした。しかし、サロメの策略で、マリアムネ は刑場へ向います。右側のヘロデ王の横にいるのが王の妹のサ ロメ。(ヨハネの首が欲しいと言ったサロメとは別) ヘロデ王ローマ帝国を後ろ盾にして、ユダヤ民族を支配しま した。ユダヤの宗教・文化を無視してローマ化を進め、ユダヤ 人たちからは反感をかいました。後年は猜疑心にとらわれ、人 々を次々を処刑していった、残忍な王でした。 ちなみに、現在、ユダヤの聖地となっている「嘆きの壁」は、 紀元70年のエルサレム崩壊時に唯一残ったヘロデの神殿を囲 んでいた壁です。 ◇ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス (Jhon William Waterhouse〈1849-1917〉) ・イギリス ラファエル前派・ ウォーターハウスは、父が画家でたびたびローマに滞在して いた関係で、ローマで出生。この年、イタリアではガリバル ディのシャツ隊がローマを占拠する統一戦争が起こり、イギ リスでは、アカデミズムに反旗を翻したラファエル前派の作 品がロイヤル・アカデミーなどの美術展に初めて出品された ました。 ウォーターハウスは、父親のアトリエで絵を勉強し、1870年 にアカデミー美術学校に入学。アルマ・タデマの影響もあっ て、古代史に題材を取った絵が多い。ロイヤル・アカデミー でも成績がよく、「魔法の円」が国に買い上げられたり、多 くの賞を取っています。後期の作品にラファエル前派的な作 品が多い。バーン・ジョーンズのように詩情にあふれていま すが、ウォーターハウスの方がより造形性、素描力が優れい ます。古典と新風がよく調和した画風を世におくりました。