初めて来た頃はヒッピー時代の真っ只中だった

初めて来た頃はヒッピー時代の真っ只中だった

{ロンドンの変わり様にまったく驚嘆した。雰囲気
 が何もかも保守的に変わっていた。あの自由を謳
 歌したロンドンは、どこかへ消えてしまっていた}

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(57)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(88)

▼△第ニ章 放射線 vs 暴力団専門ライター(34)△▼ ・NHK取材班の前で爆睡・(その4)
保存した幹細胞は使わず済ますべきもの、勘違いしないで

福島県 3・11 から1年5ヶ月後も県内外に16万人が避難生活

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(53)

▼△第ニ章 犧牲のシステムとしての原発、再論 〈27〉△▼ ・3・11以後の日本の課題・(その1)
軍国主義」「原発主義」、「不敗神話」「安全神話

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(57)

◇日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん(44)◇ ・私はすでに夫と別居(その4)
初めて来た頃はヒッピー時代の真っ只中だった
《「 ◇Japan clear the ball during the men's Football semi-final. (Hotaru Yamaguchi of Japan in action during the men's  Football semi-final match between Mexico and Japan,  on Day 11 at Wembley Stadium.) 七〇年代の初め、私が初めてロンドンへ来た 頃は、ヒッピー時代の真っ只中だったけど、 みんな、のんびり穏やかだった。ところが、 一九七九年に政権が変わったというだけで、 街は何となくせわしい雰囲気で、人々の歩く 速度も速くなっていた。 ロンドンの変わり様にまったく驚嘆した。雰 囲気が何もかも保守的に変わっていた。あの 自由を謳歌したロンドンは、どこかへ消えて しまっていた。 男はほとんどがスーツにネクタイ姿で、みん なビジネスマンになってしまったようだった。 ブルースは音楽の仕事から手を引き、ウィス キーのビジネスをやっていた。私に日本へ 「GRANT」と「GLEN MOLENGIE」を売りたいの で、日本へ帰ったら輸入元を探してくれと言 った。 しかし、あの頃の日本でそんな高級なウィス キーの名を知る人がわずかだったのだ。 すぐのちにサッチャーの息子のマークが、あ んな安物のウィスキー、「カティサーク」の TVコマーシャルで、あんなまずいウィスキ ーがスコッチとしてもてはやされたんだ。 今では、超スコッチ「MACALLAN」まで日本に 行っているけど……。 私は京都の祇園のクラブでホステスをしてい たので、宝酒造の社長に「GLEN MOLENGIE」 の話をしたら、宝酒造はすでにスコットラン ドの蒸溜所と別のウィスキーの契約している と聞かされた。 」》 ◎この時期、変貌したのは、なにも英国ばか りではない。日本も驚くほど、大変貌をとげ ています。 1970年代、昭和時代後半の人口約1億人にか けて、日本国民の大多数が自分を中流階級だ と考える「意識」を指して「一億総中流」と いわれました。 「中流」がどの程度の生活レベルなのかの定 義もないまま、自分を中流階級中産階級だ と考える横並びな国民意識が広がりました。 大量生産によって商品の価格が下がったこと、 経済成長によって所得が増加したこと、終身 雇用および生命保険の広まりによって労働者 の中長期的な信用が増大し、信用販売が可能 になったこと等により、それまで上流階級の 者しか持ち得なかった商品が多くの世帯に普 及したためと考えられています。 一億総中流社会では、マイホームには住宅ロ ーン、自家用車にはオートローン、家庭電化 製品には月賦などが普及し、さらに、使用目 的を限らないサラリーマン金融も普及して、 支払い切る前から物質的な豊かさを国民が享 受できる消費社会になっていきました。 そして、バブル崩壊後の「失われた10年」に なり、グローバリゼーションの名の下にアメ リカ型の新自由主義経済システムが日本でも 普及しました。 人事面で能力主義成果主義が導入され、終 身雇用が崩壊し、非正規雇用が普及すること になり、労働者の長期的な信用は縮小して信 用販売のリスクが増大しました。 一億総中流社会は、うたかたのように消えて しまいました。 そして、あっという間に、格差社会の到来。 階層間格差が大きく、社会的地位の変化が困 難になり、社会移動が少なく閉鎖性が強い状 態の社会になってしまいました。 ☆映画「ALWAYS三丁目の夕日'64」見どころ 感動編 (kuroiso7 さんが 2012/01/17 にアップロード) 【2012年1月21日(土)公開】 ☆貧困社会 ごく普通の若者がホームレスに (toshihafpdaさんが 2012/06/19 に公開) 【続きは http://sesoukiru.blog.fc2.com/】 (つづく) (Y364-160) **『外国の男と結婚した日本の女たちの話』 単行本:222ページ 出版社:展望社 (2012/02) 《――英国から万感の思いを込めてレポートする―― Inter Marriage と 日本女性のメンタリティ。異国に あってこそわかる……「日本」のこころ。〈東日本大 震災〉をとおしていっそう深まった母国への「愛」。 東日本大震災福島原発事故の現状を知って以来、私 は自分自身ががいかに「日本人」として母国に愛着が あるか改めて思い起こし、「日本」を書こうと決意し た。もう経済大国でも何でもない母国日本が、今は愛 しいと感じるようになった》 〔表紙帯から〕 〔目次〕 ・マルキストエジプト人と結婚した明子さんの場合 ・ロンドン生まれの英国人と結婚した三千代さんの場合 ・日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん   の場合 ・ジャマイカ人の男と結婚した友子さんの場合 〔著者〕 ☆高尾 慶子(たかお けいこ)☆ 1942年姫路市生まれ。私立播磨高校から調理師専門学校に 進む。カトリック系病院の調理師、カトリック系身体障害 児施設の職員を経て、1972年に英国へ。イギリス人音楽家 と結婚。1976年二人で帰国し京都で暮らす。1982年離婚。 1988年に再び英国へ。ロンドンの日本レストランのウェイ トレス、映画監督リドリー・スコット氏邸のハウスキーパ ーなどを経て、1998年『イギリス人はおかしい』を発表し、 注目を浴びる。現在は、英国政府から年金の給付を受けつ つ執筆活動に専念している 著書は『イギリス人はおかしい』『イギリス人はかなしい』 『イギリス人はしたたか』『まだまだ言うぞイギリス・ニ ッポン』『書かずに我慢できないイギリス・ニッポン』『イ ギリス・ニッポンの政治の品格』ほか。 外国の男と結婚した日本の女たちの話 参照: ・2009-11-30『まだまだ言うぞ イギリス・ニッポン』を読む2011-06-24『イギリス・ニッポン政治の品格 』(1)

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(57)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(88)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−    「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】  ▼△第ニ章 放射線 vs 暴力団専門ライター(34)△▼ ・NHK取材班の前で爆睡・(その4)
保存した幹細胞は使わず済ますべきもの、勘違いしないで
《「――「放射能がどれだけ体に悪影響を及ぼすか、専門外の私には よくわかりません。でも、無呼吸はかなりひどかったし、タバコの悪 影響は言うまでもない。鈴木さん、仕事でストレスがたまるのはわか りますけど吸い過ぎです。いまのままでは被曝以上に体に悪いです」 「禁煙する気は……ありません。谷口先生にも山本先生にもJTビル でよく会います」 虎の門病院の横にあるJTビルの入口前には、通称“喫煙者の小道” と呼ばれるスペースがあり、街路樹の切れ目にある石造りのベンチの すべてに灰皿が据え付けられている。採血をして検査の結果が出るま での1、2時間、私はいつもここでタバコを吸っていた。 谷本と山本と鉢合わせし、話し込んだこともある。谷口は繰り返しこ う言っていた。 「造血幹細胞を保存してあるからといって、危ないことをしていい、 というわけじゃない。保存した幹細胞は使わず済ますべきもので、勘 違いしないで欲しい。よくいるんだよ、勘違いするヤツが」 ――」》 ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 →第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘 第4章 ついに潜入!1Fという修羅場 第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◎東京電力は6日の記者会見で、福島第一原発で社員1人が今年1月 に線量計「APD」をつけずに働いていたと発表しました。管理態勢 の不備に加え、これまで公表せず国にも報告していなかったのは不適 切だったと認めました。 東電は当時すぐに気づいていたのに、国に報告していませんでした。 なお、、今月3日にも、下請け作業員がAPDをつけずに働いたこと が発覚した際の記者会見でも、この問題を公表しませんでした。 松本純原子力・立地本部長代理は6日の会見で「APDの貸し出し と返却のプロセスに問題があり、見直しを検討している。公表しなか ったのは不適切だった」と述べています。 もしもし、下河辺和彦会長さん、何とかなりませんでしょうか?

福島県 3・11 から1年5ヶ月後も県内外に16万人が避難生活

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(53)

《経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。  『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし新書!  本書のテーマは、犠牲のシステムとしての福島と沖縄  である。それは、一九四五年の敗戦以後、今日までの  日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、  戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシス  テムを表しているからだ。》【表紙帯から】 ▼△第ニ章 犧牲のシステムとしての原発、再論 〈27〉△▼ ・3・11以後の日本の課題・(その1)
軍国主義」「原発主義」、「不敗神話」「安全神話
《「――以上。四つの点から、原発が犧牲のシステムであることを 考えてみた。このような犧牲なしには成り立たないシステムである 以上、原発推進には大きな問題があったと私は考える。 日本は今後、原発推進の国策を転換し「脱原発」社会をめざすべき である。たとえ原発廃炉にすること自体また難しく、犧牲とは言 わないにせよ、甚大なコストを要することが確かだとしても。 歴史的に考えてみよう。「原発震災」という言葉を創って3・11 を予言したともいえる地震学者、石橋克彦氏(神戸大学名誉教授) は、戦前・戦中の日本が「軍国主義」国家であったとすれば。戦後 日本は「原発主義」国家であった、と喝破した(「まさに「原発震 災」だ)」『世界』二〇一一年五月号)。 「軍国主義」も「原発主義」も、莫大な国費を投入して推進された 国策であり、「不敗神話」や「安全神話」をつくり上げて一切の異 論を排除し、「大本営発表」によって国民を欺き続けた挙句、破綻 したという点で実によく似ている。 私の言葉で言えば、軍国主義とはヤスクニという犧牲のシステムで あり、原発主義とはすなわち原発という犧牲のシステムであった、 ということになる。 ――」》 ◎畑村洋太郎氏は、政府事故調の委員長に就任した時、こう発言し ました。「東電福島原発事故の調査・検証は、個人の責任を追求す るものではない」と。この発言には、これは、アカンわと、大いに 落胆させられました。クサイ、ガックリしたのを覚えています。 畑村洋太郎氏のことは、「失敗学」の権威として、その著書も何冊 か読んで、たいへん尊敬していました。しかし、福島原発事故の原 因を調査していくのに、関わった人間の責任を問うことなしに、真 相に肉薄できるものなのかと、率直な疑問を抱きました。 →首長ら不満の声 政府事故調の最終報告書説明会 政府の東京電力福島第一原発事故調査・検証委員会は7日、7月に 公表した最終報告書の説明会を福島市で開いた。県内市町村の関係 者から「最終報告としたことが残念」「がっかりした」などと不満 の声が相次いだ。   事故調から畑村洋太郎委員長、委員の古川道郎川俣町長らが出席。 県と県内市町村から約70人が参加した。東電や政府、県の事故対 応を検証した最終報告書の説明後、事故調メンバーと市町村関係者 が意見交換した。双葉町の井戸川克隆町長は「地域が事故前の姿に 戻らなければ事故が終わったとは言えない。われわれのもがきを調 べ、記してほしかった」と述べた。(2012/08/08 福島民報☆記事全文へ福島民報社のニュースサイト 犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)集英社 (2012/1/17) ・〈目次〉・ 第一部 福島 ・第一章 原発という犠牲のシステム ・第ニ章 犠牲のシステムとしての原発、再論 ・第三章 原発事故と震災の思想論 第ニ部 沖縄 ・第四章 「植民地」としての沖縄 ・第五章 沖縄に照射される福島 ★★★本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今日ま での日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、戦後日 本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表しているか らだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上稀に 見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サンフランシ スコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政下に置かれ、 一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国の米軍専用施設の 約七四パーセントが沖縄に集中しているという、このことをさして いる。 ☆琉球新報のニュースサイト沖縄タイムスのニュースサイトWikipedia:沖縄県の歴史 ★血であがなったもの― 鉄血勤皇師範隊/少年たちの沖縄戦 [単行本] 血であがなったもの―鉄血勤皇師範隊/少年たちの沖縄戦

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔夏〕 時候   割烹の前の盛り塩片陰り
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

≫平成万葉集

読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
冬月が凍てつく道を照らしだすぼくの足下いくつもの道
和泉良太(17歳)静岡県 ◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇ 《芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫) ・修身・(後段)  良心は我我の口髭(くちひげ)のように年齢と共に生ずる ものではない。我我は良心を得る為にも若干の訓練を要す るのである。        *    一国民の九割強は一生良心を持たぬものである。     *  我我の悲劇は年少の為、或は訓練の足りない為、まだ良 心を捉(とら)え得ぬ前に、破廉恥漢の非難を受けることで ある。    我我の喜劇は年少の為、或は訓練の足りない為、破廉恥 漢の非難を受けた後に、やっと良心を捉えることである。     *  良心とは厳粛なる趣味である。     *  良心は道徳を造るかも知れぬ。しかし道徳は未(いま) だ甞(かつ)て、良心の良の字も造ったことはない。     *    良心もあらゆる趣味のように、病的なる愛好者を持ってい る。そう云う愛好者は十中八九、聡明(そうめい)なる貴族 か富豪かである。〈7〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

これって懐かしいよね。
This brings back memories.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> Wikipedia:岩村圭南 ※この番組の放送は4月1日で終了しています。

◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆◎

エドモンド・ブレア-レイトン“バーレー卿、テニスン
(The Lord of Burleigh, Tennyson) (1919年・個人蔵) エドモンド・ブレア-レイトン (Edmund Blair Leighton〈21/09/1853〜01/09/1922〉) ・イギリス ラファエル前派・ エドモンド・ブレア・レイトンはイギリスの画家。 ヴィクトリア朝特有の甘美な画風が特徴。中世の 騎士物語などの文学作品をモチーフにした作品も 多い。父は肖像画家のチャールズ・ブレア‐レイ トン。ロイヤルアカデミーに学び、1878年から、 40年にわたって毎年アカデミーに出展。高完成 度の高い装飾的な画風はこだわりの職人技といえ る。生涯、アンチ・アカデミーを通す。 ☆Edmund Blair Leighton - painter of the old virtues☆ http://www.youtube.com/watch?v=Rf2d5IYPoW0:movies:w300 (MaroCR さんが 2012/07/18 に公開) 【This is my tribute to Edmund Blair Leighton,  victorian artist and one of my most favorite  painters. Enjoy beautiful art with music by  Daniel Landa and Loreena McKennitt】