京都から、広子さんとスティーヴは松山に着いて、

京都から、広子さんとスティーヴは松山に着いて、

{その後、二人は松山に着いて、すぐに、広子さ
 んの父親が亡くなって、広子さんの兄、妹、そ
 して、広子さん自身も継母を追い出して、松山
 市内目抜き通りにあった化粧品の店をたたみ、
 父親の遺産を分け合い、広子さんはそのお金で
 スティーヴと英語学校経営に乗り出した}

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(75)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(106)

▼△第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘(12)△▼

・死んでもいい人間を用意・(その2)

自衛隊に退去命令が出され住民たちを置き去りにしていった
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(71)

▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈8〉△▼ ・学者・専門家の責任・
専門家が専門家の矜持を捨てて、政治家になってしまった

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(75)

◇日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん(62)◇ ・広子さんは英語学校経営のビジネスウーマンに(その1)
京都から、広子さんとスティーヴは松山に着いて、
《「 ☆Shingo Kunieda of Japan takes gold in the Wheelchair Tennis (Shingo Kunieda of Japan celebrates victory over Stephane Houdet of France in the men's Wheelchair Tennis gold medal match on Day 10 of the London 2012 Paralympic Games at Eton Manor.) ☆Masahiro Okamura of Japan leads a group of runners in the men's T12 Marathon (Masahiro Okamura of Japan leads a group of runners in the men's T12 Marathon on Day 11 of the London 2012 Paralympic Games.) ◇ロンドン2012パラリンピック日本代表Official Site その後、二人は松山に着いて、すぐに広子さ んの父親が亡くなって、広子さんの兄、妹、 そして、広子さん自身も継母を追い出して、 松山市内目抜き通りにあった化粧品の店をた たみ、父親の遺産を分け合い、広子さんはそ のお金でスティーヴと英語学校経営に乗り出 した。 芸術家同士であったはずなのに、絵を描くの は放っちらかして、ビジネスに精を出すよう になったのだ。 「私は芸術家だから、三千代さんやほかのロ ンドンでたむろしている日本の女の子と私は 違うの」 腰まで垂らした黒い長い髪、黒いタートルの セーターの上から白黒プリントのエプロンの ようなスモックを着て、マキシのスカートを 履き、黒い毛糸の長いソックス、黒いペタン コの靴を履き、化粧っけなしでも能面のよう な白い顔だった広子さんはそう言い続け、孤 高の女性のように振る舞っていた。 その人が日本へ帰ると、普通の日本人に戻っ てビジネスウーマンになった。ロンドンの広 子さんのあれは何だったのだろうか。 ロンドンに戻ることを諦めた私は京都に一人 で残り、生きていくために祇園でホステスに なって暮らしていた、 私の住んでいる東山区のしもた屋の古い家並 みは、西洋人にしか貸さないという家主の方 針で、外国人ばかりが二十人住んでいた。 私の住まいは裏も横もアメリカ人、ドイツ人、 英国人、フランス人、イスラエル人、そのほ かが住んでいた。 その地域は、そこに住む外国人が「ガイジン ・ゲットー」と名付けていて、夫が出ていっ たあと、私一人が日本人だった。 」》 ◎いまや、アメリカでは離婚率は50%を超 えています。したがって、離婚家庭で育って いる子が半分以上にもなります。 親としての義務は 離婚後も父親、母親半々 に課せられていますので、一週間の間に父親 と母親の間を行ったりきたりする子供が大勢 います。母親のところで数日暮らし 残りの 数日を父親の家で過ごしとかのケースも。 子どもの犧牲は大きいですね。 たまたま。NHK海外ネットワーク(2012年 9月8日)で、「アメリカ離婚ビジネス最前線」 をリポートしていました。 アメリカらしいのは、シカゴ近郊のホテルで、 「ザ・ディボース・エキスポ」(離婚博覧会)、 離婚に関する情報を一堂に紹介するイベント が開かれるほどなのです。 会場には、突然の離婚への対処法を記した本 や、離婚にまつわるあらゆる指南書が集めら れ、離婚手続きに精通した弁護士事務所や、 財産の分割を専門に扱う会計事務所も出店。 離婚に伴う様々な問題に直面する人たちが訪 れ、大盛況でした。 なかでも、興味を引かれたのは、ネバダ州ラ スベガスで「離婚パーティープランナー」と いうビジネスが新登場したことです。 プランナーのグリンダ・ローズさんは、「離 婚のつらさに耐えるには、何かイベントが必 要だと思った。大都市では、すぐにパーティ ーをしようということになりますから、大き な市場だと思う」と話していました。 企画によれば、離婚パーティーのクライマッ クスに「ウェディングケーキ」ならぬ「離婚 ケーキ」がが登場します。 ケーキには、クライアントがデートを重ねた 思い出の川がデザインされ、真ん中には、川 底に固定された元夫の人形をあしらい、元夫 との思い出をいっしょに記憶の底に深く沈め てしまおうという意図を込めてたそうです。 余談ながら、今月、トム・クルーズ&ケイティ ・ホームズの離婚が成立しました。破局から、 たった2カ月で離婚を正式に成立させたのは、 珍しいのケースです。両親とも、子どものス リちゃんの立場を優先に早い解決を図ったよ うです。 ハリウッド界では泥沼の離婚裁判が起きるこ ともしばしばで、場合によっては数年かかる こともあります。 ☆ケイティ・ホームズ&トム・クルーズ (つづく) (1129dys-753ent) **『外国の男と結婚した日本の女たちの話』 単行本:222ページ 出版社:展望社 (2012/02) 《――英国から万感の思いを込めてレポートする―― Inter Marriage と 日本女性のメンタリティ。異国に あってこそわかる……「日本」のこころ。〈東日本大 震災〉をとおしていっそう深まった母国への「愛」。 東日本大震災福島原発事故の現状を知って以来、私 は自分自身ががいかに「日本人」として母国に愛着が あるか改めて思い起こし、「日本」を書こうと決意し た。もう経済大国でも何でもない母国日本が、今は愛 しいと感じるようになった》 〔表紙帯から〕 〔目次〕 ・マルキストエジプト人と結婚した明子さんの場合 ・ロンドン生まれの英国人と結婚した三千代さんの場合 ・日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん   の場合 ・ジャマイカ人の男と結婚した友子さんの場合 〔著者〕 ☆高尾 慶子(たかお けいこ)☆ 1942年姫路市生まれ。私立播磨高校から調理師専門学校に 進む。カトリック系病院の調理師、カトリック系身体障害 児施設の職員を経て、1972年に英国へ。イギリス人音楽家 と結婚。1976年二人で帰国し京都で暮らす。1982年離婚。 1988年に再び英国へ。ロンドンの日本レストランのウェイ トレス、映画監督リドリー・スコット氏邸のハウスキーパ ーなどを経て、1998年『イギリス人はおかしい』を発表し、 注目を浴びる。現在は、英国政府から年金の給付を受けつ つ執筆活動に専念している 著書は『イギリス人はおかしい』『イギリス人はかなしい』 『イギリス人はしたたか』『まだまだ言うぞイギリス・ニ ッポン』『書かずに我慢できないイギリス・ニッポン』『イ ギリス・ニッポンの政治の品格』ほか。 外国の男と結婚した日本の女たちの話 参照: ・2009-11-30『まだまだ言うぞ イギリス・ニッポン』を読む2011-06-24『イギリス・ニッポン政治の品格 』(1)

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(75)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(106)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−    「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】  ▼△第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘(12)△▼

・死んでもいい人間を用意・(その2)

自衛隊に退去命令が出され住民たちを置き去りにしていった
《「――「たしかにドキドキしましたね。不謹慎かもしれなけれど、 それはどっちかといえば楽しい気持ちで……。そりゃあたくさんの 人が困ってるんだから、俺たちが頑張らないといけないっていう使 命感はありましたよ。でもそれを自分で言ったらマンガでしょう? あと、当てつけみたいな気持ちありました。これまで威勢のいいこ と、偉そうなこと言ってた人間がビビってたんで、『よし、じゃあ 俺行ってきてやる』みたいな。 (1F〈東京電力福島第一原発〉に向かう)バスの中、みんな青白 い顔して泣き出しそうなんです。話しかけられる雰囲気じゃなかっ た。でも俺、わくわくしちゃって、みんな写メしてました。 20代とか、若いヤツらのほうが元気だったですね。みんながみん なじゃないけど、歳をとればとるほどブルってたですね。なにかあ っても死ぬだけなのに。 ぼちぼち1Fも落ち着いて、いまになって復活してきたゾンビもい るれけど『あんた、あの時バックしたよね?』って言いたいです」 佐藤の話はどこまで本気で、どこまで冗談なのか、簡単には判断付 きかねる。修羅場を経験した一時のテンションが、彼を調子づかせ ている可能性はある。それだけ、水素爆発直後の1Fは悲惨だった。 自衛隊に退去命令が出され、住民たちを置き去りにしていったほど、 一帯は放射能に汚染されていた。 ヒロイズムの酔いしれている可能性を考慮し、佐藤のインタビュー には時間をかけた。まる一日原発のことは触れず、酒を飲み、ソー プをハシゴし、馬鹿話をした。 ――」》 ◎今日、日本学術会議は、全国の原子力発電所で発生する使用済み 核燃料と再処理後に出る高レベル放射性廃棄物について処分方法の 抜本的見直しを求める報告書を内閣府原子力委員会に提出しました。 報告書では、現行政策を「白紙に戻す覚悟で見直さなければならな い」を提案しています。それは、当然として、内容を読むと、何か 白昼夢のなかにいるようです。身体が溶けていくようです。 いわく、 ・地中に“数万年”以上埋めて ・暫定的に“数十〜数百年”保管する方式 ・地中深くに“数万年”以上埋設する施策 まさに宇宙に浮遊しているような感覚です。 ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 →第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘 第4章 ついに潜入!1Fという修羅場 第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(71)

《経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。  『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし新書!  本書のテーマは、犠牲のシステムとしての福島と沖縄  である。それは、一九四五年の敗戦以後、今日までの  日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、  戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシス  テムを表しているからだ。》【表紙帯から】 ▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈8〉△▼ ・学者・専門家の責任・
専門家が専門家の矜持を捨てて、政治家になってしまった
《「――第一章でも強調したが、そもそも原子力発電という近代科 学技術のシステムを構築、運営していくためには、学者・専門家の 知識が不可欠である。 政治家や官僚はこの点ではふつう素人にすぎない。リスクの評価、 安全性にかかわる判断も、学者・専門家の専門的な判断によって、 そのお墨付きを得て初めて承認されるので、原発システムについて は学者・専門家の責任が、ある意味で最も重大であると言っても過 言ではない。 原子力工学や関連分野の多くの学者・専門家の一端は、前掲の川村 湊『福島原発人災記』や広瀬隆、明石昇二郎『原発の闇を暴く』で 明らかにされている。 これを見るだけでも、学者・専門家の判断が、それによって得られ る自らの利益を求めて、政治、経済に従属してしまったいた面は否 定できない。 放射線医学の専門家で事故後、南相馬市の除染作業をヴォランティ アで指導・支援してきた児玉龍彦氏は、こう述べている。 「今までの原子力学会や原子力政策のすべての失敗は、専門家が専 門家の矜持を捨てたことにあります。国民に本当のことを言う前に 政治家になってしまった」(児玉龍彦内部被曝の真実』)。 ことの真実を突いた言葉だと思う。 ――」》 ◎唯一の被爆国なのに、原発利用に舵を切ったこと事態が、大きな 過ちでした。 読売新聞社主故正力松太郎氏に請われて、湯川秀樹博士が原子力委 員会委員長に就任し、1年後に辞任しとはいえ、正力にだまされた ことの責任は軽くありません。仮にも原子力平和利用に賛同したの ですから。

福島県 3・11 から1年6ヶ月後も県内外に16万人が避難生活中

福島民報社のニュースサイト 犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)集英社 (2012/1/17) ・〈目次〉・ 第一部 福島 ・第一章 原発という犠牲のシステム ・第ニ章 犠牲のシステムとしての原発、再論 ・第三章 原発事故と震災の思想論 第ニ部 沖縄 ・第四章 「植民地」としての沖縄 ・第五章 沖縄に照射される福島 ★★★本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今日ま での日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、戦後日 本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表しているか らだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上稀に 見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サンフランシ スコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政下に置かれ、 一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国の米軍専用施設の 約七四パーセントが沖縄に集中しているという、このことをさして いる。

沖縄戦は終わっていない。今も戦争PTSDに苦しむお年寄り。

琉球新報のニュースサイト沖縄タイムスのニュースサイトWikipedia:沖縄県の歴史沖縄戦と民衆 沖縄戦と民衆

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔秋〕 天文  ひっそりと進むフェリーや星月夜
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

≫平成万葉集

読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
山里の棚田棚田に影置きていよいよ澄みゆく三更の月
内倉就昭(80歳)鹿児島県 ◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇ 《芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫) ・幻滅した芸術家・  或一群の芸術家は幻滅の世界に住している。彼等は愛を 信じない。良心なるものをも信じない。唯昔の苦行者のよ うに無何有(むかうま)の砂漠を家としている。  その点は成程気の毒かも知れない。しかし美しい蜃気楼 (しんきろう)は砂漠の天にのみ生ずるものである。百般 の人事に幻滅した彼等も大抵芸術には幻滅していない。  いや、芸術と云いさえすれば、常人の知らない金色の夢 は忽(たちまち)空中に出現するのである。彼等も実は思 いの外、幸福な瞬間を持たぬ訣(わけ)ではない。〈25〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

我慢強さが彼の強み。
Patience is his strength.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆◎

エドモンド・ブレア-レイトン“トリスタンとイゾルデ
(Tristan and Isolde) (1902 年・個人蔵) エドモンド・ブレア-レイトン (Edmund Blair Leighton〈21/09/1853〜01/09/1922〉) ・イギリス ラファエル前派・ エドモンド・ブレア・レイトンはイギリスの画家。 ヴィクトリア朝特有の甘美な画風が特徴。中世の 騎士物語などの文学作品をモチーフにした作品も 多い。父は肖像画家のチャールズ・ブレア‐レイ トン。ロイヤルアカデミーに学び、1878年から、 40年にわたって毎年アカデミーに出展。高完成 度の高い装飾的な画風はこだわりの職人技といえ る。生涯、アンチ・アカデミーを通す。 ☆Edmund Blair Leighton - painter of the old virtues☆ (MaroCR さんが 2012/07/18 に公開) 【This is my tribute to Edmund Blair Leighton,  victorian artist and one of my most favorite  painters. Enjoy beautiful art with music by  Daniel Landa and Loreena McKennitt】