田島正樹『正義の哲学』

(今回の、ETV特集神聖かまってちゃんのドキュメンタリーは、ちょっと考えさせてもらいましたね...。)
著者が既存の左翼運動が、マルクス主義的な階級闘争(上部構造と下部構造)から、むしろ左翼が国家、つまり、

に対して、デタッチメントな態度をとり続けてきたことに疑問を呈す。
それは、むしろアメリカにおける、さまざまな公民権運動、反戦運動の存在と比較してのことであった。
人々は、法というのは、なにかコンピュータのように、A→B、A、ゆえに、B。みたいに、議論が推移すると思っている。
しかし、もし法律がそういうものだと考えると、いろいろとおかしなことが起きてくる。

以前、クリプキが「規則に従うこと」についてのヴィトゲンシュタインのパラドクスをめぐって、おおよそ以下のような議論を展開した。法を正しく適用しているのかしていないのかの基準はあるのか。その基準を正しく適用しているのかいないのかを判定するさらなる基準があるのか。あらかじめ与えられてはいない無数の事例に関して、それ以後とんでもない適用の仕方をする人が出てきた場合、それは過った規則理解をしていたと言えるのか? 法というのもパタンだけれども、パタンを適用するときに変な了解をしている人を、あらかじめ排除するということは論理的にはできないだろう。

そもそも、一秒後は未来であり、未来とは、過去ではないのだから、過去において想定されていたものと違っているから、未来なのだろう。
この辺りは、ファミリー・リセンブランスとも関係して、つまり、未来はまったく過去と違うわけではない。でも、まったく同じでもない。
けっこう似ている。
でも違う。
つまり、違うわけだ。違うものを、あたかも同じであるかのように、同じルールを「適用」することが、同じことをやっている、ということにはならない。
こういった考えから、法を考えるのが、
法創造
となる。法とは、(人々がその法が、この場面に適用できるかを考える)あらゆる場面において、ある意味「その法の意味を新しく作り出している」と考えるべき、ということである。
つまり、日々、法「の意味」が生成される社会こそが、法社会だ、と。

たとえば、水俣病裁判で熊本地裁が画期的な法解釈を打ち出した。そのときに初めて水俣病公害病と認定され、企業や国の責任が認められた。公害を規制するような法がなかった時代の行為について、「これはどう考えても正義に反する」と判断し、熊本地裁(相楽甲子彦裁判長)は画期的な判決を出したのです。これ以外に、おそらく「企業の営業の自由」などを理由として企業に責任を求めない、という判決も考えれたでしょう。そのような判決が出た場合、公害問題解決したか考えてみると、決して解決できなかったでしょう。水俣病患者たちは納得できず、また何らかの運動を起こさざるを得ないし、おそらく他のところで別の公害が起こって、また別の住民たちが同じような裁判を起こす。その繰り返しになるだろう。これでは本当の問題解決にはならずに、社会が至る所に紛争を抱えたまま、傷の痛みに耐えながら持続することになる。つまり、社会が無法やアナーキーを抱え続けることになる。
実際に問題が解決したという公共的「認定」こそが、法の権威の内実ではないか? 実際に「それで納得せざるを得ない」という妥結点を出せば問題は解決となる。しかし、たしかに法律には営業の自由が書いてあるけれども、「罪のない人たちがこんなに苦しんでいいのか」といったような正義感覚が残り続けている限りは、妥結もなく、解決もない。

この感覚は、私の民主主義の感覚に近い。民主主義に、代表制はありえない。多くの国民が不満に思っている限り、その問題は、いつまでもくすぶり続け、
政治的イシュー
になってしまう。つまり、時の政権は、そのことを考え続けなければならない。判断を求められる。いつまでも、そのことを考えなければいけない、
コスト
を考えればわかるだろう。こればっかり、「なんとかしろ」と求められるから、他のもっとやりたいことに手が回らなくなるわけだ。
しかし、それでは政府機能は停止してしまっているのと変わらない。
以前に、何回か、以下の本を紹介した。

「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)

「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)

コンプライアンスは一見、有無を言わざず従うことが重要に思えるが、問題はそういった行為の一つ一つが人々の考える「法があるべき姿」から、認めうるか、正当性があるかなのであろう。
しかし、このように考えるということは、この程度でとどまるのか、という疑問となる。つまり、むしろ、法は、
日々生まれているのではないか。
たんに、法の「解釈」を創造するだけでなく、実際の「日常」が法を生成していく。つまり、
革命的法創造
これが、自然法ということなのだろうが、たとえば東京裁判にしても、ニュルンベルグ裁判にしても、もっと言えば、2001年の従軍慰安婦民衆法廷女性国際戦犯法廷)にしても、ベトナム戦争ラッセル法廷にしても、限りなく自然法に近い。

すると法というものは、「こういう手続きによって決めるものだ」という上位規範からの授権によって、その法を法たらしめているとは必ずしも言えない。初めて法が立てられるところでは必ずそれは革命法廷なのです。それは民衆法廷である。東京裁判ポツダム宣言の受諾によって授権されているという議論もありますが、いったい誰がこの決断の主体なのか、という問題があるのです。常識的に見れば、明治憲法下で主権者であった天皇の決断でしょう。しかし、旧憲法下で主権者が主権放棄するような決断ができるでしょうか? そのような決断は、明治憲法の精神を裏切る行為ですから、それ自体が明治憲法によって権威づけられことはできない。だからこそ、「ポツダム革命説」という憲法学説が出てくるわけです。たとえ形式上は明治憲法の手続きに則ったものであっても、明治憲法の権威による改正ではあり得ない。これが憲法改正の制限説と言われるものです。すると結局、法実証主義が想定するような授権をここで考えるとはできないはずでしょう。

しかし、こういったことは、逆からも言える。つまり、権力者が法を生みだしても、それが人々の「納得」の地平にない限り、その正当性を調達できないことになる。

実際、政治権力というものは実体的にあるわけではなく、政治権力を握っても何でもできるわけでもない。たとえばエリツィンが大統領になったとき、次から次へと大統領令を出しました。大統領というのは当時はっきりとした法的な規定がないから、言わば皇帝です。だが、すべてエリツィンの命令に従わなければならないことになっていたにもかかわらず、エリツィン大統領令に誰一人従わなかった。このときのエリツィンは無力な裸の王様でしかない。実際、多くの皇帝や専制君主たちの享受できた権力は、たいてい至って弱小なものだったでしょう。彼らの恣意的決定は、たやすく人を捕えたり殺したりすることはできても、精緻に官僚機構を制御したり、情熱的に民衆を動かしたりすることはほとんどできなかった。

これは、日本の天皇制についても言えるだろう。天武天皇辺りならまだ、自らの独裁者としての、権力の絶大さを実感できたのかもしれない。ところが、それ以降。天皇とは何者なのか。
権力者は、権力を行使できるのか?
なぜ?
おそらく、権力者であればあるほど、自分がなにものでもないことを嫌というほど、自覚しているのだろう。なにものでもない自分が、なにかを宣言して、どうして人々がそれに従ってくれると思えるのか。
その確信はどこから来るのか。
来ない。
しかし、来なかったとしても、その人にある確信があるなら、自分が権力者だろうとそうでなかろうと、それに「従う」ことは等値なのだろう。

英国で始まった反核運動に、ブラウシェアーズという運動があります。旧約聖書の中の言葉「つるぎを打ち代えて鋤となし」とあるところからこの名を取ったものですが、とくに宗教的なものではありません。どんな思想的背景をもっていてもよい、ただ実際に核兵器施設を金槌で打ち壊しに出かけるというものです。たとえば、トライデント搭載の核潜水艦及びその関連施設を破壊する。吉のフェンスを切断し、警備を突破し、ときには潜水艦に泳ぎわたって周辺機器の破壊を試みる。彼らはそれを非武装化と呼びます。いずれも狭義の意味で非暴力、直接的な行動です。詳しい話はトライデント・プラウシェアーズのホームページをご覧いただくとして、重要なのは、彼らが核兵器国際法上明白に違法なものであるという法意識に支えられ、それを「非武装化」する自分たちの直接行動の合法性を確信していることです。ですから彼らは、国家や警察を敵とは見なさず、常に対話と説得の対象としている。もちろん彼らは、たいていは逮捕され、場合によっては起訴される。裁判でも彼らは、ハーグの国際司法裁判所による判断などに依拠しつつ、核兵器の違法性を堂々と訴えます。
驚くべきことには、これらの活動はときには無罪判決を勝ち取っている。一九九九年六月八日、中年女性三人による「メイタイム」と呼ばれる関連施設非武装化のケースに対して、グリノック州裁判所判事は、「違法な行為を是正させるためには、違法な行動が許されることもある」というスコットランドの法に基づいて無罪としました。二〇〇三年アイルランドのシャノン空港で米国のイラク攻撃に加担しつつあった戦闘機の非武装化のケースは、三年余りの時間と三度の裁判ののちアイルランド陪審の全員一致の評決で、無罪を勝ち取っている。これらはやがて、大きな法の伝統をつきり上げていくでしょう。

まさに、正義論とも関係するが、自分が思っていることを訴えることは、つまり、それが、
自由
ということで、だれにも止めることのできない権利だとするなら、そういったところからしか「法」が生まれることもなければ、そういった人々の確信にしか、私たちは従う義務はない。
変な話だが、自由とはそういうことだった。つまり、これが正義論というやつで、正義はこうやって、実践的に勝ち取られるなにかでしかない。国家の実体などという、くだらない話はどうでもよく、つまり、

なのだ。法が正義でないというなら、それは法ではないんであって、国家がどんなにそれを法と呼ぼうが、だれも認めないだろう。逆に国家がそんな法は存在しないと言ったところで、人々が納得する地平に訴えられるなにかは、国家が定める法以上に法的に作用して、社会的な正義を体現し、実質的なルールとなっていく(いや、むしろ、こういったものを後付けで、意味付けているのが、実定法なのだろう)。
私たちの世界観は少しスタティックすぎるのではないか、という疑問がある。ある枠が決まっていて、その枠に自分を
どこまで
合わせられるかが、今までの義務教育から大学までの学究制度であり、就活以後の社会人生活だ、と。しかし、この次々と生まれ続けている今において、どうして、過去の遺物にすぎないルールなどというしろものが、作られたときから、何年も経っている、その当時には考えられていたはずもないことが次々と起きているのに、そのまま、
適用
できると思えるか。そういうことに気付くと、むしろ、そんな簡単なはずがないことぐらいだれでも分かるだろう。
生きることとは、常に、正義を再定義し続けることであり、つまりは、革命的に法を生成し続ける。つまり、日常が革命であるという...。

正義の哲学 (道徳の系譜)

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