Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

AERA 2007年11月12日号 表紙はマーティン・パー しかし 微妙に前ピン 口許というか 右鼻腔から飛び出した鼻毛に ピンがきてます そういう撮影意図なんでしょうか 被写体であるイギリス紳士のブラックユーモアを独特の透徹した手法で表現した 斬新かつ大胆なコンセプトが まさに「天を射る」かのような迫力で迫ってくるかのようです これが 中刷り広告の駄洒落にもみられる いわゆるアエラ・テイストというかアエラ・スタイルなんでし(以下4096文字略)

http://publications.asahi.com/ecs/tool/cover_image/?image=8546.jpg
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=8546
*1
*2


Circulation 


Circulation 

*1:テロンって感じでけっこう長めのが飛び出てます→「vibrissa」

*2:Mr. Parr! What are you doing up there - _valerian
  http://kenshukan.net/john/archives/2007/11/06/mr-parr-what-are-you-doing-up-there/

双風舎企画の「斎藤環と茂木健一郎のクオリアに関する公開討論」のその後に関するコメント - Comments by Dr Marks

しかし、ふと何かの検索で茂木健一郎の「詩的」なブログに行き着き、この討論を思い出したのでここにコメントすることにした。
「詩的」ブログを体験して頭がクラクラした後、双風舎のブログを再訪したところ、10月末になっても新しいブックマークが付いているではないか。第1信は6月であり、双風舎の説明では月1信の予定だったはず。まもなく11月だぞ。直にクリスマスで、ハッピーニューイヤーだ。人の命などはかない。どちらかが死んだり、読者が死なないうちに何か答えなくていいのだろうか。はて、斎藤環のたったあれだけの疑問に対して、茂木健一郎は大論文でも用意しているのだろうか。彼は自分のブログでも斎藤環との公開討論を宣伝していたのだから、ルールも承知のはずだろうに。(もっとも、囲碁将棋の対局でもあるまいし、持ち時間などと言ってはいけないか。)

http://d.hatena.ne.jp/DrMarks/20071030/1193718171


◇ Dr. Mogi? Who? -- Qualia? Ah, Junk Science! Right? Dead Right! - Dr. Waterman's Desk
http://markwaterman.blogspot.com/2007_09_06_archive.html

中平卓馬『なぜ、植物図鑑か』を読む。 - 【海難記】 Wrecked on the Sea

私がずっと写真表現一般に対して、とくに森山大道の写真に対して抱いていた警戒心は「手の痕跡」という言葉でまさに言い表されている。90年代以後に登場した日本の若い写真家がモノクロではなくカラー写真を使って、それこそ「図鑑」のような「記録」としての写真を撮り始めたとき、私ははじめて写真を面白いと思った。そしてその後、中平卓馬の「なぜ、植物図鑑か」を読むことで、ようやく私は、自分が森山大道荒木経惟の写真や、西井一夫の写真論になぜだかずっと感じてきた嫌悪感ーーとまではいかないが、それに近い釈然としない感情ーーは、ようするに中平卓馬がこのときに自問自答した問題を、それよりはずっと浅いレベルで感受していたにすぎないのだ、ということを悟ったのである。

中平の文章は、「写真を撮る」という行為が彼にとって「批評」にほかならないこと、その批評は世界に向けられるだけでなく、自分自身にも向けられていることを告げて終わる。写真評論家とか写真批評家という人を私はほとんど信用しないが、中平卓馬は写真そのものによって写真に対する批評を行ったという意味で、真の批評家だったのだということを、この小文は教えてくれる。

もちろん中平卓馬には遠く及ばないが、私も彼にあやかって、小説を「物語」として「読む」だけでなく、「事物」としての小説を「見」つづけていきたいと思う。

http://d.hatena.ne.jp/solar/20071103#p1

main(マン) [ No.01(1996.03)〜No.10(2000.6)]

[main(マン)]は2人の写真家・石内都楢橋朝子が編集・発行した写真誌です。
2人のイニシャルをあわせたmainはフランス語で「手」の意味で、
今までの場に加えてもう一つの「手」として刊行しました。

http://www.03fotos.com/main/index.html
http://www.03fotos.com/shop/index.html
http://www.gaden.jp/info/2004a/041127/1127.htm

当たり前のスピード - 写真の星

僕が想像してしまったのはあれだ。あのグニャリと曲げることができる超薄型液晶モニター。たぶんもう、人の気づかないところでその躍進は始まっていると思うけど、あれが街をジャックしたらどういうことになるんだろうと想像して恐ろしくなってしまったのだ。いろいろな形状に曲がることができる上、超薄型と来たら、広告業界は放っておかないだろう。街のポスター、駅貼りポスターは全て液晶動画に変わり、交通標識、車内の中吊り広告、大型宣伝カーから、バス、電車の外装まで液晶に変わる。そんな日も遠くない未来に現実としてあるんじゃないだろうか。さすがに本や雑誌など、紙媒体は大丈夫だと思うけど、表紙なんかは液晶のものも出てきたりするんじゃないだろうか。

http://murakamicamera2.seesaa.net/article/63370359.html

再録:例えば(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060816#p2)

そんなことは当分ないだろうし、あり得ないにしても、
仮にテクノロジーが進歩して、
どんな薄い紙媒体にでもスチルではなくムービーが
現状と変わらないコストで印刷できるようになると考えてみましょう。
そうなれば、商業印刷にスチル映像が求められるということがなくなります。
つまり、いわゆるフォトグラファーなるなりわいは成立しなくなります。
コマーシャルにしてもエディトリアルにしても、
すべてムービーカメラマン(そうなると映像作家とか、あるいは何か横文字の
もっと空疎な肩書きを名乗りはじめる人が増えるかもしれませんが)の
お仕事になります。だからおそらく、ひと握りの人々を除いて、
眠たいことを言ったりやったりして自我を肥大させてばかりのニセモノたちは
みんなムービーに移行することになるでしょう。
そんな状況になれば、写真に取り組もうとする人間ももっとふるいにかけられて、
先行する他のジャンルのように、より純度の高い厳しい姿勢で
制作に臨む者が増えてくるように思います。
少なくとも、ドリルの裏をめくるために写真をやっているような人々や、
お受験か何かのような態度でコンペに応募している人々や、
なかば女衒のような連中の顔色をうかがうばかりの人々なんかが、
写真の世界に存在しなくなることでしょう。
そうすれば写真も、少しはその可能性を
拡張することができるのではないでしょうか。

梅江田原望啓夫之

ウェブ時代をゆく - 池田信夫 blog

本書は、15分で読了した。何も新しいことが書いてないからだ。おまけに「リーダーシップ」だとか「ロールモデル」だとかいうありきたりな人生論が多く、ほとんど江原啓之化している。

ウェブ進化論』のころにはまだ目新しかったシリコンバレーの世間話が、「またか」という感じで延々と続く一方、日本の現実への言及がほとんどない。

日本には著者のほめるジョン・ドーアのようなベンチャー・キャピタリストはいないから、新しいビジネスと起こそうとしても担保がないと金を貸してくれない。P2Pのソフトウェアを開発すると警察に逮捕されるし、来年からはYouTubeからクリップをダウンロードしただけで逮捕されることになりそうだ。著者の期待する「1976年世代」の多くは、就職氷河期に遭遇してフリーターになり、「希望は戦争」だと叫ぶ。日本の名目成長率は、1990年代からほぼゼロで、主要先進国の「最貧国」グループに転落した。アメリカの成長の牽引力となったIT産業が壊滅したからだ。

補足 (池田信夫)

2007-11-07 16:26:07

梅田フリークから「バカヤロウ」という類のスパムがたくさん来ると思っていたら、意外にもDankogai氏まで、「内容については同意」してくれたりするので、梅田氏を少し弁護しておくと・・・

私は、彼のいわんとしている「シリコンバレー精神」そのものに反対しているわけではないが、日本の状況はそういう精神論以前の段階なんですよ。たしかに日本にもVCと自称するファンドはあるし、金はある。しかしIT産業そのものが製造業型の多重下請け構造になっていて、ベンチャーなんか起こしても、結局どこかのITゼネコンの下請け(あるいは孫請け)にならないと飯が食えない。

おまけに、技術がPDCB-CASのような「日の丸標準」に囲い込まれているので、世界のマーケットに出られない。また労働市場が成立していないので、正社員の残業と派遣の使い捨てが需給変動のバッファになっている。こういう資本市場と労働市場の改革をやらないかぎり、いくら「好きを貫こう」としても、転職さえできないのです。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/c3fd47bcbacc477d63e978c9ad7f04ce


さて、そういえば、『フューチャリスト宣言』の共著者である茂木健一郎氏はどうなんでしょうか?
あの、バズワードジャーゴンの活用ぶりからすると、*1
私には、茂木氏も「ほとんど江原啓之化している」としか思えないのですが。
存在それ自体がDQNアトラクター化(© id:contractioさん)しつつあるというか。。。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071107#p11

*1:「結局「何となく新しく面白そうな(その実、ずいぶん古く、ほとんど面白くない)価値観を、
  何にも知らない一般人にプレゼンテーション」という皆さんご存知のアレ」by 菊地成孔さん
  http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php?n=070804023322
  http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070805#p2