Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

松江泰治さんの「cell」と少しかぶってますが、内容、コンセプトともに異なっています。


Multiplies http://www.nobuhiro-fukui.com/frame_portfolio.html
( 2007, pigment print mounted on plexiglass, each 480 mm x 720 mm
...and daily additional photographs, pigment print, each 121 mm x 121 mm )


◇ 2008-09-16 - 入院(完了)生活

松江泰治写真展「Nest」@TARO NASU GALLERY

今回はカラーの俯瞰的な写真以外に、それらの写真からトリミングされたと思われる正方形の写真も同時に展示されていた。そのトリミング写真のほうは『cell』という写真集として赤々舎から出版もされる様子。
まだ、印象的な物言いしかできないけれど、ぱっと見たとき、トリミングされた写真は暗室的よりはフォトショップ的な感覚を持った。分割された画面から所与の部分を拡大。グリッドの拡大。 感覚としてはマウスをクリックし、ホイールを回転させ拡大させていく感じ。暗室で行なうトリミングという印象はない…かな。実際どう制作されているかは分からないけれど、ここで用いられている正方形は情報処理的、極小単位的(つまりは数学的か?)な質を有しているようにみえる。アナログ的トリミングとデジタル的クローズアップというような区分けは可能か(ただ、Medium Specificityではなく)。あるいは、もうそういうことは言われているのか。

もひとつ、福居伸宏さんの以前の展示(2008年6月グループ展「Invisible Moments」@アップフィールド・ギャラリー)も合わせて考えたほうがいいかなと。こちらも「トリミング」された「正方形」の写真を出しており、考察すべき要素を多く持っている。とりあえず、この2名を軸に「トリミング」「正方形」「クローズアップ」を考えてみようかな。

http://d.hatena.ne.jp/BunMay/20080916
調文明さん(http://www.geocities.jp/tunecivilization/)のはてなダイアリーより。


>>>「東京画」展_2Fの増殖する壁_2007年6月7日時点

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070624
http://www.tokyoartbeat.com/event/2007/A19D



Circultion    

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070608#p2


>>>『殺しの烙印』のモザイク風にあらわれる永パ防止キャラ


Circulation   

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070625#p1

'Invisible moments' installation view (2008)


>>>「Invisible moments」@UP FIELD GALLERY(坂本政十賜 福居伸宏 湊雅博 山方伸)は昨日終了しました。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080630#p4


◇ 遅ればせながら「Invisible moments」展をみて - につき(はてな
http://d.hatena.ne.jp/kachifu/20080701/p2
末永史尚さん(http://www.k3.dion.ne.jp/~fumisue/)のはてなダイアリーより。

「web complex」更新  …………  アーカイブ『現代美術の最前線』

1984年に画廊パレルゴン2から刊行された現代美術カタログをPDF化。
今年7月に開催されたシンポジウムの討議記録も近日公開されます。
以下目次から。

『現代美術の最前線』 前半(図版)
i 序文:ニューウェイヴの現場からの歴史として 藤井雅実
ii 作家別図版
芥哲也 天野博之 井口大介 池ヶ谷肇 伊藤誠 岩瀬京子 大村益三 岡崎乾二郎
荻野裕政 奥野寛明 海発準一 加藤真治 金子靖憲 加茂博 川島清 菊池敏直
黒川弘毅 後藤寿之 小林重之 小林亮介 酒井信一 佐々木悦弘 島久幸
菅野由美子 須崎敬文 関口敦仁 高木英章 高橋裕二 竹田康宏 田代睦三
田中睦治 玉置仁 藤堂良浩 沼尻昭子 花井重信 平林薫 平原正明 松居永樹
松浦寿夫 丸山常生 ムラカミヤスヒロ 八百板力 矢野美智子 山崎克己
山本裕子 山本正弘 吉川陽一郎
カラー図版

『現代美術の最前線』 後半(テキスト)
作家コメント
座談会
[1] 受動的能動――現代の戦略
井口、奥野、海発、金子、関口、(大村)
[2] 理論と体験、あるいは作品の力
岡崎、酒井、松浦、(吉川麻利)
[3] 制度の物語とコードの自主管理
池ヶ谷、大村、佐々木、藤堂、小林(重)、加藤、八百板、伊藤七男
[4] 開かれたエクリチュールとしての美術
大村、荻野、黒川、矢野
[5] 「作品」のリアリティ
川島、島、吉川、(大村)
「美術」の解体=懐胎、あるいはポリプラクティス 藤井雅実
I "前衛"とその"終焉"の「歴史=物語」(イストワール)
I-1 "前衛"の二極的展開の物語
I-2 「終焉」="自己言及の逆理"(セルフリファレント パラドックス)
I-3 遊動する名辞(シニフィアン)"美術の蘇生"
II とりあえず「新潮流」(ニューウェイヴ)、形成史と諸戦略
II-1 「新潮流」形成の歴史(物語)
II-2 「新潮流」;"戦略"と"布置"
II-3 47の示差的分類と分類の自壊
III 「裏の形而上学」と複数的な相互実践
III-1 「美術」「美学・美術史・批評」
III-2 異化の再編成"大衆"と"前衛"
III-3 懐胎された揺動(ゆらぎ)と複数実践(ポリプラクティス)

http://genbaken.com/
http://genbaken.com/genbaken/minutes0807special.html


◇ 2008年4月19日(土)「現場」研究会討議記録 テーマ:80年代アヴァンギャルド美術について  北澤憲昭
http://genbaken.com/genbaken/minutes0804.html


>>>発行:画廊パレルゴンII(1984年3月1日 第1版発行)


※Murrariさんの日記「なかったこと」(mixi)より

確かに80年代はなかった。そういう事になっている。国立新美術館の安齋重男の「私・写・録」展で、80年代が大量に展示されていたが、こんな事でもない限り、80年代を回顧しようなどという試みなどある筈もない。何と言っても美術手帖的な「現代美術正史」からはすっかり抜け落ちてしまった10年間だ。恐らく一般的な現代美術ファンは、安齋展の写真で初めて目にした80年代の作品も多い事だろう。そこには美術手帖的な「現代美術正史」から無視された、別の「現代美術史」が数多く写っている。それを踏まえて、安齋は「正史」に対する「私・写・録」という名前を選択したのだろう。

※Murrariさんの日記「なかったこと」(mixi)より

この本が出た時点で「現代美術」から退場する事を選択した人間は多いし、その後の数年でそこから去ってしまった名前は数知れない。或いは大学という名の収容所にまんまと収まり、その意味で死んでしまった作家も少なくない。「正史」を無邪気に信じる一般的な現代美術ファンに対して、この中で今ライブな意味で作品を評価しろと聞けば、誰も見つからないというのが正直なところだろう。ここには見事なまでに出ていないが、「海外評価」なる物も勘案すれば、川俣正と宮島達男のたった二人で80年代は決まりである。それが「正史」だ。「正史」の根底にあるのは実に単純極まりないダーウィニズムである。適者生存だ。それは本当か。

※Murrariさんの日記「累々」(mixi)より

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071024#p6



>>>「現場」研究会特別編 シンポジウムのお知らせ

80年代におけるアヴァンギャルド系現代美術
――画廊パレルゴンの活動を焦点として――


「現場」研究会では、今年の7月に80年代アヴァンギャルド美術を再検証するシンポジウムを開催します。シンポジウム開催のきっかけは、1984年に画廊パレルゴンが発行した活動記録『現代美術の最前線』を「現場」研究会のホームページcomplexに掲載しようという計画でした。


                *


80年代に先立つおよそ10年のあいだ、神田エリアの画廊街では、銀座の画廊を舞台に展開される優雅なアートシーンに対してアヴァンギャルドな表現活動が果敢に展開されていました。神田は、もの派の登場以降、アヴァンギャルドのメッカとなっていたのです。


しかし、オイルショックを契機とする保守回帰の動きが進行するにつれ、神田エリアの活動は徐々に相対化され、80年代における絵画・彫刻復権キャンペーンは、アヴァンギャルディズムと共に神田エリアを過去化し去ってしまいました。さらに画廊の都内各所への拡散、美術館による現代美術へのコミットメントが、そうした動きを加速してゆきました。


ただし、これによってアヴァンギャルド系現代美術が消え去ったわけではなく、また、後退したわけでもありません。絵画・彫刻の復権をもくろむ勢力がアヴァンギャルドへの抑圧としてはたらいたのは事実だとして、しかし、アヴァンギャルド系現代美術は潰え去りはしなかったのです。潰え去るのではなく、また後退するのでもなく、それは伏流化したのでした。どっこい生きていたわけです。


80年代末のバブル経済は、アヴァンギャルディズムの再出現を促し、90年代になると、美術界は、絵画、彫刻に拠点を据える新保守派勢力と、新興アヴァンギャルド勢力による二重構造を呈することになりますが、80年代の美術は、そこに至る境界ゾーンに、ちょうど位置しており、伏流化するアヴァンギャルド系の動きと絵画、彫刻への復帰の動きとが――あたかも汽水域のように――混じり合う興味深い現象が、ところどころで観測されました。この興味深い現象に場を提供したのが画廊パレルゴンであり、その現象の記録が『現代美術の最前線』なのです。


しかしながら、80年代のアヴァンギャルド系現代美術と90年代のそれとはバブル期を挟む断絶の相において捉えられる傾向が強く、おおかたの歴史叙述はバブル期以前に終始した80年代アヴァンギャルドをネグレクトして、80年代美術を、絵画、彫刻への回帰という線に一本化しようとしがちです。これは80年代の実相を看過しているという点で問題であるばかりか、歴史というものの捉え方に関する誤りでもあります。歴史は、つねに複線的に展開してゆくものであるからです。


これまで80年代美術が、まっとうに顧みられることがなかったのは、単純な歴史観のせいばかりではなく、歴史化するには時代的に近すぎたからであったとも考えられますが、21世紀の最初のディケイドを終えようとしている現在、われわれは、その全体像を想い描くことのできる歴史的時点に、そろそろさしかかりつつあるのではないでしょうか。80年代の文化全般を省みる動きは、90年代早々に始まっていましたが、多くは「オタク」や「バブル」をめぐるものでした。しかしながら、以上に簡単に述べたように、80年代の美術状況は「オタク」や「バブル」の観点から語りきれるものではないのです。


                *


上述のような見方に立って、「現場」研究会では80年代の美術状況を、画廊パレルゴンの活動に焦点を絞ってHPとシンポジウムを通じて再検証します。HPでは、『現代美術の最前線』の影印版と共にシンポジウムの記録を掲載する予定です。シンポジウムのパネリストとしては、パレルゴン運営の中心にあった藤井雅実、パレルゴンを拠点に活動を展開した大村益三、そしてパレルゴンの近傍で活動を展開していた吉川陽一郎、同時代に批評活動を開始した市原研太郎の四氏に加えて、現在の視点からの“介入者”として暮沢剛巳氏を予定しています。


パネリスト:市原研太郎、大村益三、暮沢剛巳、藤井雅実、吉川陽一郎 (50音順)


開催日程:2008年7月6日(日) 午後1時30分〜4時00分 入場無料


開催場所:京橋区民館 定員40人(先着順)

       東京都中央区京橋2-6-7 2・3号室


主催:「現場」研究会

連絡先:genbaken_event★mail.goo.ne.jp 

(迷惑メール防止のため、送信の際は★を@にしてからお問い合わせください)


【パネリスト プロフィール】

市原 研太郎 (いちはら けんたろう)
1949年生まれ。美術評論家京都造形芸術大学教授。著書に『マイク・ケリー"過剰の反美学と疎外の至高性"』、『ゲルハルト・リヒター/光と仮象の絵画』、『最新世界のアーティストファイル100』(共著)ほか。また、「After the Reality」など展覧会企画も行う。


大村 益三 (おおむら ますみ)
1957年生まれ。美術家。1979年より発表活動。パレルゴンでは1981年と1982年に個展を行う。他、個展グループ展多数。現在「Peeping dinosaur」展開中。2008年より80年代出身作家中心による「ラディカル・クロップス」展を前本彰子と共に企画。


暮沢 剛巳 (くれさわ たけみ)
1966年生まれ。美術評論家跡見学園女子大学女子美術大学多摩美術大学、武蔵野美術大学非常勤講師。著書に『美術館はどこへ』、『「風景」という虚構』、『美術館の政治学』、『現代アートナナメ読み』など。


藤井 雅実 (ふじい まさみ)
美学、芸術哲学研究。1981〜83年、画廊パレルゴン創設・主宰。編著:『現代美術の最前線』。共著:『人はなぜゲームするのか』、『こんなスポーツ中継はいらない』他。監修・翻訳:CD‐ROM『レオナルド』『ドラクロワ』他。共訳:ニード『ヌードの反美学』、カミング『深読みアート美術館』他。


吉川 陽一郎 (よしかわ よういちろう)
1955年生まれ。多摩美術大学彫刻学科非常勤講師。1981年より発表。1982年「現代美術の最前線」ギャラリーパレルゴン(東京)、同時期、神田にてスタジオ4Fを、玉置仁、内倉ひとみ氏と共同企画運営企。1995年「視ることのアレゴリー」セゾン美術館(東京)、2007年「Primary Field」神奈川県立近代美術館(葉山)など。


http://genbaken.com/genbaken/minutes0807special.html
http://genbaken.com/

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080624#p2

パレルゴン/エルゴン Parergon/Ergon - Art Words - artscape

それぞれギリシア語のπαρερνουとερνουを語源とする用語。エルゴンは「作品」を、その接頭辞であるπαρは「外に、そばに、傍らに」を意味していることから、パレルゴンは「作品とは無関係な部分」「付属物」「アクセサリー」等々と解される。カントの『判断力批判』が両者への言及を含んでいることは以前から知られていたが、書物の行間に埋もれていたその事実は、J・デリダの『絵画における真理』(高橋允昭+阿部宏慈訳、法政大学出版局、1997)による独自の再解釈によって、現代に甦ることとなった。絵画の額縁、彫刻の衣紋、神殿の回廊などの例を取り上げて検証するデリダにとって、芸術の真理とはパレルゴンの側に、パレルゴンとエルゴンの境界にこそ潜むものであり、その真理のイデオロギー的機構を暴こうとする意識は、書物の中にも空白を太く縁取ったパレルゴンを再現するほどに徹底したものであった。デリダのこの読解は、『判断力批判』が未だ近代美学の出発点とも呼ぶべき重大な文献であり、この書物をどう解釈するかが美学的態度の分岐点であることを明らかにした。なお、1980年代初頭の東京で営まれていた現代美術の先鋭的な画廊「パレルゴン」は、この用語に着想を得たものである。

http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/artwords/k_t/parergon_ergon.html



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