2121日目・・・「2121」です・・・「剣の碑文」(+NDXOXCHWDRGHDXORVI+)」ですか・・・2つの文字列を挟む「+」は十字架は「キリスト教徒」は判るとしても、「NDXOXCHWDRGHDXORVI」の文字列は。「1825年にイギリスで発見され、その後大英図書館が管理保管している剣・13世紀ごろにドイツで製造されたとみられるこの剣に刻まれている碑文の解読をネットに呼びかけている・言語時代不明なため宗教関連の文章だとみられるが1世紀近く解読を試みても解読できなかった」らしい・・・
他も「剣の碑文」が
「+ BENEDOXOFTISSCSDRRISCDICECMTINIUSCSDNI +」
「+ DIOXMTINIUSESDIOMTINIUSCSDICCCMTDICIIZISI +」
あるそうだ・・・「諸刃の刃」・・・
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日本では「1968年(昭和43年)、埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した鉄剣・全長73.5 センチメートル、中央の身幅3.15センチメートル、鉄剣の表裏に金象嵌の
115字の銘文、
表に57字
裏に58字
が記録
↓↑
鉄剣には、銀象嵌で、
表面に
「王賜□□敬□(安)」・・・王、□□を賜、敬□安
裏面に
「此廷□□□□」・・・・・・此の廷(刀)、□□□□
銘文を読み下すと、
「王、□□を賜う。敬(つつし)んで安ぜよ
此の廷(刀)は、□□□□」
↓↑
表の銘文
「辛亥年
七月中
記
乎獲居臣・・・乎獲居
↓↑ 乎=コ・オ(ヲ)・・・π+丂
小篆=π+丂
甲骨=川+丅
金文=小+丁
↓↑ ↓↑
乎=か・や・かな
ようすを表す語に付ける助字
確乎・儼乎(ゲンコ)
純乎・断乎・炳乎(ヘイコ)
茫乎(ボウコ)・凜乎(リンコ)
牢乎(ロウコ)
鬱乎(ウッコ)=草木の茂っているさま
物事の盛んなさま
「か、
や」=助字で、
「どうして〜か?」
感嘆を表す語で「あぁ」
「に・より・よぶ・コ・ウ」
乎=発音→hū・hú
丿+八+一+亅
感歎の意を表す
形容詞の語尾に添へる助字
郁郁乎・巍巍乎・蕩蕩乎
呼びかけに用ふる辭
「乎(コ・ゴ・ヲ・か・かな・や
「か・かな・や・に・お(を)・より」
漢文の助字
文末に置いて疑問文を作る
由、誨女知之乎
由よ、なんじに「誨女を知る」
とはどういうことか、教えよう
論語・為政第二・17節
↓↑ ↓↑
「誨女」の
「女」は「汝」であるらしいが?
「女=おんな」は「おんな」である?
「誨=カイ・クヮイ・こと・のり
知らない者を教えさとす
誨淫(カイイン)・教誨・訓誨」
子曰、
「由、誨女知之乎。
知之為知之、
不知為不知。
是知也」
「況いわんや」
や
「安いずくんぞ」と結びついて
抑揚形を作る・・・
「死馬且買之。
況生者乎。
馬今至矣・(戦国策・燕策)」
不亦〜乎=なんと〜ではないか
已矣乎(やんぬるかな)
のような定型句を作る
前置詞として
於や于と同義の置き字に使われる
↓↑ 「固」を代用字とすることがある?
上祖
名-意富比垝
其児
多加利足尼・・・・・ココに「名」が欠落しているが?
其児
名-弖已加利獲居・・・獲の居だが、
「カイ=甲斐」だろう?
其児
名-多加披次獲居
其児
名-多沙鬼獲居
其児
名-半弖比」
裏の銘文
「其児
名-加差披余
其児
名-乎獲居臣
世々
為
杖刀人首
奉
事来
至今
獲加多支鹵大王・・・鹵=ロ・鹽=しお=塩
岩塩を含んだ、不作の土地
「歯(は・シ)」の旧字体は
「齒」で、「鹵」ではない
だが
「歯」=「止+米+凵」である?
寺在
斯
鬼宮時
吾
左治
天下令
作
此
百練
利刀
記
吾
奉事
根原也」
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↓↑
江田船山古墳(えたふなやまこふん)
1873年(明治六年)以降発掘され
熊本県玉名郡和水町(旧菊水町)
前方後円墳
清原(せいばる)古墳群の中で最古・最大の古墳
日本最古の記録文書である
大刀の刀身の平地の
片面に花と馬・・・・花と馬
他面に魚と鳥・・・・魚と鳥
が銀象嵌
75文字の銀象嵌(ぎんぞうがん)銘をもつ大刀が出土
↓↑
「台(治)・・・・・・「台」は「邪馬台国」の「臺」?
天下
獲
□□□鹵大王世・・・「□□□」は「?」である
奉事典曹人
名-无□(利ヵ)弖
八月中
用大鉄釜
并四尺廷刀
八十練
□(九ヵ)十振
三寸上
好□(利ヵ)刀
服
此刀者
長寿
子孫洋々
得□恩也
不失其所統
作刀者
名-伊太□(和)
書者
張安也」
↓↑
1978年に
埼玉県行田市稲荷山古墳から
「獲加多支鹵大王」という
文字が発見され鉄剣だが
この文言の
「獲□□□鹵大王」の「□□□」が
「獲加多支鹵」の「加多支」とは「?」である・・・
↓↑
「獲加多支鹵」・・・「雄略天皇」?
↓↑ 第21代天皇
在位、
安康天皇3年11月13日
〜
雄略天皇23年8月7日
大泊瀬幼武尊
(おおはつせわかたけるのみこと)
大長谷若建命
大長谷王(古事記)
大悪天皇
有徳天皇
↓↑
父は
↓
允恭天皇
仁徳天皇64年?
〜
允恭天皇42年1月14日)
第19代天皇
在位は
允恭天皇元年12月
〜
同42年1月14日
雄朝津間稚子宿禰尊
(おあさづまわくごのすくねのみこと)
男浅津間若子宿禰王
↓
母は
忍坂大中姫
(おしさかのおおなかつひめ)
允恭天皇の皇后
木梨軽皇子(允恭天皇の皇太子)
第20代安康天皇
第21代雄略天皇
の母
父は
稚野毛二派皇子(応神天皇の皇子)
母は
弟日売真若比売命(日本武尊の曾孫)
意富富杼王(継体天皇の曾祖父)
の同母妹
允恭天皇2年春2月14日
(413年3月31日)
に立后
名代部として
刑部(おっさかべ)が設定
設定された名代部の一つが
火葦北国(ひのあしきたのくに)で
熊本県八代・葦北地方・・・の説
阿蘇ピンク石という石材が
河内平野の古墳の石棺に用いられた
允恭天皇
允恭天皇元年12月(454年)
〜
42年1(?)月14日(454年)
↓↑
42年12 月14日(454年1月28日)
安康天皇の即位と同日に
皇太后となった・・・
↓↑
19・・・允恭天皇42年1月14日死亡?
20・・・安康天皇3年11月13日死亡
↓↑ 21・・・雄略天皇23年8月7日死亡
で、
「ワカタケル大王」と読む・・・?・・・「嗚呼!?」ッ・・・
ーーーーー
・・・で、「獲加多支鹵」がどうして、「ワカタケル大王」と読めるのか・・・?・・・「獲」は、
「獲」・・・獵(リョウ)の獲る所なり
犬(犭・豸・豕?)に従ひ、
蒦を聲(音声)とす(説文解字)
・・・「説文解字」は
「拙文化意字」で、
「拙文怪(カイ)事」であるカナ?
犬=狗・戌
獲=犭+蒦(艸+隹+又)
蒦=ワク・クワク・キャク・カクヤク
カク・ヤク
はかる・ものさし・のり・はかり
える・とらえる・カク・クヮク
ワク・コ・カク・カ・コク
動物などを捕獲
獲得・漁獲・捕獲・乱獲
狩りをして
魚や鳥獣を捕まえる
取る・取り入れる
ぶんどる・奪い取る
えられる
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・・・???・・・魚(まな)や鳥(とり)、獣(けもの)を捕(獲)まえる「獲」である・・・「嗚呼ッ!?」・・・