見た映画のまとめ。今年初めて。やばい。


スティーヴン・スピルバーグブリッジ・オブ・スパイ

本当に恐るべき超弩級のド傑作。こんなの、もうスピルバーグでしか見れないんじゃないか、現代では。
まずファーストカットから度肝抜かれる。鏡と画家と肖像画、という選択でまず尋常ならざる気合を感じる。
そしてアベルの「この人を見よ」(ニーチェ!)からの"Standing man"、泣いた…。
トム・ハンクスを柱として、スピルバーグの諸作を思い起こさせる。まず出てくるのは『プライベート・ライアン』だろう。写真で示されるパワーズ、望まれないプライアー、という若者たちの救出劇。非英語で喋り倒すトム・ハンクスの姿からは『ターミナル』。鳴るのを待たれる黒電話、「犯罪者」との奇妙な友情からは『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』。勿論、並行する走行車(艶やかに黒光りする車体)と夜の闇の追跡劇は『ミュンヘン』の素晴らしさが蘇ってくる。ベッドに倒れこみまるで死体のように眠るドノヴァンは、民主主義の為に戦い疲れ果てたリンカーンの姿と重なる。
スパイや諜報活動を映画内で描くと、必然的に演じることについて(演技の二重構造)触れざるを得なくなる。その点で、所作や発音、その体躯(肩や胸板の厚み)で複雑性を体現したマーク・ライアンスは素晴らしい。言及するのも躊躇するけど、コインと、鼻をかむ仕草の使い方にもしびれる。これらの物品や行為が、他者同士を、異なる空間を(敵対する国々を)接続する。それはまるで転移のようだ。
また面白いのは、舞台がベルリンに移って俄然状況は緊迫するにも関わらず、コメディの様相を呈してくる所。責任者は誰か、ヒルトンと朝食、泣きじゃくる妻が次のカットで(まるで軍人のように)勇壮に歩き去る、娘はナディア…、など…。
映像的には慎み深さは無く、はっきりとわかりやすく表している(その量が多過ぎるのですごいのだけど)。空軍基地と裁判所、など対になる場所や人物を交互に写すカットバック。何より列車からの風景と塀を乗り越える人々の姿、の使い方のあからさまさに震えた。つまりなぜ、「彼ら」は撃ち殺され、「我ら(us)」はそうではないのか、という問いだ。そして、最高裁判所で放たれる、我々=アメリカとは何者なのか?、という問いかけ。
こういう言い方が正しいか、そもそもそんな表現ないけど本作は「留置」・「拘置」映画だ。だからこそ檻や強化ガラス越しに内部を見るシーンでの構図が考え抜かれてる。例えばジムとアベルがラジオを聴くシーン、檻によって画面が三分割(トリプティック)される。
偵察機墜落のシーン、凝ったカメラワークでかなりのクオリティの高さ(緊迫感の煽り方半端ない)。そもそもこの場面が無くすことも出来るわけで。そういう所があるからこそ作品の厚みが出る。
自宅を銃撃された後、ソファに座り娘たちを抱き寄せているドノヴァンの妻は、夫と見つめ合い微笑む。この笑みが意味するものは何なのか、すぐにはわからない。彼女はスパイの弁護に反対してたし家族が危険にさらされるのも懸念してた。
明確に発されるwarという単語、CIA?の《情報による戦争》とか、最高裁判所の《冷戦と言っても…》、ソ連「書記官」の《それを我が国では戦争行為(act of war)と呼ぶ》、など、直接的に使われてない。
トーマス・ニューマンの音楽も良い。エンドで流れる曲が好きだ。


ロン・ハワード『白鯨との闘い』

詳しいことは置いておいて、ポラード船長は、ヴァンパイアハンターリンカーンやってた人ですか?あの胸板の厚みと顔と首の感じが、『伝染るんです』に出てそうな…(下の人などいない!のやつ)。
出港時のトラブルをするすると解決する一等航海士を見る船長の目が完全に恋してたのでおいおい…と思ってたらその後「不仲な夫婦」なんてそのまんまの言葉も出てきて公式かよとなった。
考えれば考えるほどうまく言えない。あの映像の質感はなんなんだとか。あえて合成があからさまな感じ、セット感をうちだしてた。
キリアン演じるミスタージョイが、酒瓶を持ったまま(そしておそらく飲まないまま)…なんだろうなと思うとしびれた。
めっちゃアンソニー・ドッド・マントル節でした(いつも言ってる)。
やっぱり面白いけど、手放しで褒められない妙な感じがある、んだけど…。そしてやはり、反時代的なのでは?つまりやばいということだけど。


ロバート・ゼメキスザ・ウォーク

大きい「書類棚」みたいで住民皆が嫌ってる、フィリップが初めて訪れその巨大さにmonsterだと恐れおののく対象としてのツインタワー。けれども、NY(とそこに生きる「観客たち」)と(「永遠」に登れるはずだった)ツインタワーに感謝と敬意と賛辞をささげたのはフィリップだけでなくこの映画もだ。そしてそれ(後者だけでなく前者も?)は、エンドでゆっくりと暗闇に消えていくタワーの姿のように今はもうない、のかとしれない。
そしてフィリップの語りが自由の女神から始まったのは2人ともフランスからやってきたからだろう。一等席でNYの変容を見つめ続ける彼女は異邦人だ。では「異邦」とは?こんな店で通じるはずもないフランス語が通じてしまうという出会いが起こる街、中華料理店でシャンパンでの乾杯…。
insane、madness、crazy、そして、アナーキスト、反乱分子、破壊者。体制から逸脱し流れ流れて(「漂流」して)途方もない場所(それは「未来」や「過去」かもしれない)へ行き着いてしまう、ゼメキスの映画ではこうした存在を描き続けてるのだと改めて認識した。
中盤からケイパーものの趣きが出てきて俄然好きになった。そしてシャルロット・ルボン、めっちゃウィノナだなーと思って見てた。


リドリー・スコット『オデッセイ』

いきなり冒頭のピンチの時に間髪入れず出てくるワイヤーを切る為のナイフ、そのスピード感にまずもってかれる。迷いなし(宇宙飛行士に逡巡は存在しないかのようだな…ゼログラじゃないですが)。
そしてI Will SurviveやHot Stuffの使い方のそのまんまさね。サントラ(というかコンピレーションアルバム)最高。
若い男女が宇宙空間と宇宙ステーションの外と内で交わし合う視線(セバスタとケイト、せつねぇ〜)、それだけで二人の関係を物語る。
それにしてもカメラが、それ自体が撮る画像や映像は一方的(衛星による俯瞰)で双方向のやりとりには役立たない(画の代わりにカメラ自体の動きによってのみ伝達の役割を果たすという出来事すらでてくる)というのを、映画で表現するの、よく考えたらやばくないか。まるで、映像ではなくて、動き=アクションにしか力はない、と言わんばかり。


ニマ・ヌリザデ『エージェント・ウルトラ

戦闘描写も、物語も、結末も、ツメが甘い…。いやあの終わりは、全然違うなーと思うけど…支配からの脱出こそハッピーエンドだという考え方が間違ってんのかな??


ダニー・ボイルスティーブ・ジョブズ

唐沢なをき先生は見たんだろうか…電脳なをさん版読みたいな。
見て初めて知ったけどサラ・スヌーク出てて超うれしかったよ。
…というまともなこと書いてないっぷりなんだけど。


村川透『さらば あぶない刑事』

もうあのテーマソングとオープニングタイトル、空撮でもうやばいじゃない。それでもう満足。今作の、音楽(テーマ曲ももちろん、当たり前のような生演奏シーン)、ロケ(横浜市全面協力と思われる公道や河川での撮影など)、銃撃戦、ノーヘルバイクや車横転、人体の断面、なんてものがかつてはテレビで見れたのになぁ…と思ってしまった。それにまさか柴恭のダンスシーンや全力疾走が2016年に見れるとは…ありがたい…。
室内でのワンカットの量多い会話シーンが結構多いのも、ぽいな、という気もするし、東映イズムであるなというね。今だったら相棒とかなんでしょうけどね。
しかし爆発は元々そんななかったとしても、タバコは吸ってなかったっけ?という気がしないでもない。喫煙シーン全く無し。
『行きずりの街』見ないとなーという気にさせられる。


クエンティン・タランティーノヘイトフル・エイト

っぱり引っかかるのは、ティム・ロス演じるモブレーが、室内をアメリカに見立てるシーン。その"補助線"の引き方のストレートさが、安直すぎやしないか?と思ってしまう。
…いやもちろん、言ってる内容が安直って事じゃなくて、そこでのヒントの出し方、手段について、なんだけど。
しかしデイジー=ジェニファー・ジェイソン・リーはかわいかった。一番好きなの、みんなの前で紹介されて挨拶して首吊りの真似するシーンね。
ラストの、"リンカーンの手紙"の全貌が明らかになるグロテスクなシーン、この"手紙"の裏に隠蔽された出来事を、ある一つのシーン・画によって顕してしまうという意地悪さ。
詳しいことは省くけど、演じることが引き続きモチーフになり、建物のある構造を利用した描写もあり、かなりイングロリアス・バスターズを思い起こさせた。


アダム・マッケイ『マネー・ショート 華麗なる大逆転

えー…経済用語が…むずかしかったです…。
それはともかくとしてまず、クリスチャン・ベールの身体がむっちゃ厚かった。ブルース・ウェインの時ばりにできあがってた感じ。
本編終りの登場人物たちのその後の説明で、クリスチャン・ベールが演じたマイケル・バーリが、今投資してるものが"水"だとわかる。劇中の彼の先見の明(というよりももっと「暗さ」のある能力だけど)からして、この事実は何というかちょっと恐ろしかった。そして、「本当」の事を言ったせいで罵倒され人が離れていく(かつての盟友と裁判でないと話せなくなる)Dr.バーリのエピソードは『スティーブ・ジョブズ』を思わせた。
若い投資家の2人が破綻したリーマンブラザーズの社屋に忍び込んだ2人の会話での「ここには"大人"(grown ups)がいると思ってた」という言葉は、かつて2人がさらに大きい取引をするためにJPモルガンを訪ねた時、対応したのが2人と同年代の若者だったという出来事ですでにくつがえされてると言えるのかなと思った(それでも…ってことなんだろうけど)。


ジョナサン・デミ『幸せをつかむ歌』

めちゃくちゃよかった…最後の兄妹がステージにみな上がってくるところ泣きそうだ。
リッキーが、ドーナツのうまいダイナーで会った少女の"ジャーニー"という名前に「いい名前ね」と感じ入った後、結婚式の招待状でわかる"ジョシュ・ヘンドリックス"という名前、名字なのかミドルネームなのか。
最近の歌、と言ってガガとピンクをセレクトするのめっちゃ筋通ってる。2人ともindependentだから。
政治思想にまつわることが面白かったけど、あらかた色んな人が語ってるので特に触れなくてもいいという気持ち。


クレイグ・ガレスピー『ザ・ブリザード

最初乗り切れなかったんだけど、彼女の車が溝にはまって…のくだりからぐいぐいきたという感じ。エモーションというアクション。いや、エモーションだけでなく、物語、人間関係もアクションである、というかんじ。
にしてもケイシーが、私の見てきたケイシー史上最もセクシーなケイシー・アフレックだった。濡れて垂れ下がる前髪。「落ち着きすぎて妙か?」とにやりと笑う。しっかりと前を閉じ襟を立てたコートの着こなし。…見ていて身体は反応せずとも心では勃っていた…やばい…。個人的には『MUD』のマシュー・マコノヒーをセクシーさにおいて超えた。
女が女の肩を抱き(しかもそれは、恐らくは男物のコートによって、亡き夫の代替になる…)、男たちは黙って視線を交わし合う。それらを照らす途切れ途切れの光。その短いシーンでやられてしまった。
ミリアムが警備隊支局に乗り込んできて「他の娘や奥さんはここには普通来ない」やら「ここから出て行け!(get out my office!)」やら言われて反発するシーンが良い。不文律があからさまにされる。
コルマウクル『エベレスト』同様、"待機"の映画だなと。人が待つ姿をどう描くかに賭けられてる。助けられる側、見守る側だけでなく助ける側も、荒れ狂う大波にただ身を委ねるしかない(いや勿論、乗りこなす技術は存在するけど、それは「意志」の表れというか)。
しかしこの時代を描いた作品としてタバコを吸うシーンが全く出てこないの、さすがにディズニー頭おかしいのかよ!?となった。


ザック・スナイダーバットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生

とりあえず久々のバットマン新作映画見れてうれしいという気持ちが自分の中にあるのに気づいた。ベンアフバットマンは、傷ついてるというより老いていて絶望もしてる、タフかつcruel?ruthless?な感じ。
霧たちこめる湖畔にある、ブルースの、おそらく別宅と思われる一面ガラス張りの建物のシーンの静謐さ、とても短いけど心に残る。もちろん顔の見えない女の背中も、「空のワインセラーは受継ぎたくないですな」もよいけど。
やっぱジェレミー・アイアンズのアルフレッド、最高だったねぇ…「見てました」て!見てたんかい!!という。クラークと絡む所も想像してしまった…「あまりブルース様を危険な目に合わせないでいただけると」「わ、わかったよアルフレッド…」。「空からどうぞ」「2階からでよろしいですか?」のくだりもよかったねぇ。
つーことで要するに何が望みかと言えば、ベンアフバットマンで単発かましてほしいということだ。アメコミ知らんのが悔しいけど、なんかぴったりの原作をば…。
見てて、そりゃあスーパーマンよりバットマンだし、最終的にはキャップより社長の肩持ちたくなるなぁと思った。トニーもブルースもノイローゼっぽいとこが好きじゃないと思うときもあるけど、シンパシー感じる。
ロイスとのやり取りで『ロリータ』引用したり言葉遊び("lane")したりするのグッときたし、その他アリス使ったりとか、レックス・ルーサーまじ文学青年かよ…(好き…)ってなりました。…図書館の設定とどっちが先かは知りませんが。
ただ、簡単に言うとスーパーマンバットマンけんかするんですが、その経緯が…(てか劇中全ての物事の経緯が…って感じですが)もっとレックスがひっかきまわせよ!と思った。
あとDC知識全然無いので(まーマーベルもただ映画見てるくらいですが)いきなりぶっこまれてついてけない感もあった。FやAはわかってもC??みたいな。
そしてオープニングクレジットのバットマンオリジン、おっ『ウォッチメン』かよ…(あんま好きじゃ無いけどな)と思ったら本編全然そんなことなく。153分?あって足りないと思うって逆にすげぇなと。詰め込みすぎも勿論あるんだろーけど。スロー使わなきゃよかったんじゃないか(ザック…)。
それに、ブルースが墓地で見る幻覚、最後の敵とか、クリーチャー?的なものの造形が見た瞬間「ださっ」と思ってしまうんだよな…まぁ最後のはアメコミ通りなのかもしれませんが、見せ方ってもんがあるだろうと。いきなりカメラ引いたりして…。
暗闇のゴッサム路上、粉塵立ち込めるメトロポリス、からはっと目がさめるような鮮やかな青のインド洋、という画の変わり方はよかったな。


トム・フーパーリリーのすべて

凄まじい、劇薬のような映画だった。この作品が可能になった現代はとりあえず素晴らしいと言っていいのでは。
見る-見られる(男は見られることで女になる/女性は"見られ慣れている")、肖像画、真似すること、似ること、鏡、窓ガラスに映る、(性別/役割の)入れ替わり、"代理人"、同一化(同じナイトドレスを着る/"自分にキスをしているかのよう)、ある2つの存在・2者が映像/映画上で映像的に結びつく際の描き方のバリエーションの豊富さに圧倒される。
タイツやサテン生地の、触った/肌に触れた質感、衣擦れの音、スカーフの滑らかさ、…衣服の映画でもあるし、布(text)の映画である(からこそ、リリーの紡いだ日記というtextが現れる)。
ベン・ウィショー出てきた時まじウィショたん!!!!!!ってなった(意味不明)。つまり高まったということですわ。
エディ・レッドメイン主演の2作、今作と『博士と彼女のセオリー』、両方ともある男女が男性の変化に伴い恋愛から別種の関係へ変容していく(そしてそれが別れをもたらす)という意味で似ている話だ。


今日はここまでだ…つかれた。