ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ふとした時に

 例えばベランダから中に入ろうとして足元を見た時に、あぁ、良くここに佇んで入ろうとするのを待っていたなぁ、とか、ご飯を食べ終わった時に、あれ?どこにいるんだと思ったりと思いもよらないふとした時に、死んでしまったあの猫を想い出してしまうことがある。眠くなってひとりで蒲団に入ろうとした時に、足下にふとあいつの尻尾があたる感触を想い出してしまったりする。ひどい時は思わず「あれ、どこにいるんだろう?」と声に出しそうになる。連れあいもできるだけ相手を刺激しまいとしているらしいのが見える。私もそんな声を出してしまったら、連れあいを辛い目に遭わせることになるだろうと、慌てて声を呑み込む。まだ少し続きそうだ。

否定

 先日、南京事件の生存者、夏淑琴への東中野修道亜細亜大教授による名誉毀損損害賠償訴訟の東京地裁での判決があったというニュースをテレビで見た。その時は中身も気に掛けなかったけれど、新聞で見るとその判決文は「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」としており、展転社東中野修道教授に400万円を賠償するようにという判決だったと報じられている。「学問研究の成果というに値しない」とはこれはまた決定的な表現である。『東中野教授の話「非常に心外で、控訴する」(2007年11月2日23時42分 読売新聞)』とコメントしているというが、まだ一審でもあり、意地でもここで降りるわけがなさそうである。原告は当時8歳で、現在78歳。「bayonet」という単語を初めて知った。

責任

 そうだ、戦争といえば、あの戦争(悪いクセで、これで自分では特定できたつもりでいるところがまずいなぁ)、アジア太平洋戦争に関していえば、昨日のビデオのHDD整理でちょろっと見たNHK「証言記録 兵士たちの戦争」シリーズや、同じくNHKの「学徒兵 許されざる帰還〜陸軍特攻隊の悲劇〜」なんかを見ると、結局わが國の軍隊が取った作戦であるとか、広報、兵站、士気高揚といった戦争遂行のための手だてについては合理性を欠いているものが目白押しで、他に思いつかないから失敗した手だてをそのまま繰り返すといった行為も散見されるようだ。しかも責任を取っていない「責任者」は次から次に名前が挙がっている。
 こうした番組のレポートを見ていると単純に「あぁ、この辺は今の官僚社会とまったく変わっていないんだなぁ」と思いが至る。薬害エイズにしても今語られている肝炎についても、あ、そうだ、わかりやすいところでは社会保険庁の問題にしても、「こいつだっ!」と指摘されてはいない様な気がする。守屋某もこれで終わりなんだとすると、社会的名誉は失墜したかも知れないが、20年以上に亘ってゴルフ三昧、接待三昧の日々を楽しんできたわけだし、これから先、多分彼のことだから20年以上は余生を謳歌し、金には困らないだろう。もしここから先、彼が退職金の7600万円を国庫返納しても、生涯賃金が3.5億円とかいわれていたんだから、そんなの眼じゃないだろう。
 そうだ、この話とは関係がないけれど、憲政記念館重光葵の展示をやっているんだそうだから、いってみようかな。と、思ったら8日(木)からだった。

 楽器をしまっている倉庫にほど近いところでライブらしい。みんなが楽器のセッティングをしている。ところがギターアンプが一台しか出していない。なんでそれでみんながまぁいいかぁとしているのがわからなくてたまらなくイライラする。大きな声でみんなにそれを訴えていると、段々声がかすれてくるのがわかる。まずいなぁ、これで本番で声が出るんだろうかと不安だけれどしょうがない。何人かを追い立てるように倉庫まで行ってもう一台のギター・アンプを出す。そこで眼が覚めた。なんだか知らないが、疲れるのだ。

FETE

 どうやら先週末はシドニー日本人学校のFETEだったらしくてシドニー在住の人たちのブログを見ると軒並みこの話題だ。しかし、古本屋も今年はなかったらしいし、なんとかレンジャー・ショーなんかあったりして随分昔とは変わってきているらしい。最初の年は私はコテッジ・ポイントに釣りに行きたくて、連れあいと娘を学校に降ろし、そのままの足で釣りに行き、帰りに学校によって二人をピックアップして帰ってきたという、まったく協力体制にない夫であった。次の年は徹底的に手伝った。連れあいが増やした大葉の苗を販売。古本を徹底的にチェック。最後の片づけが全部終わるまで手伝った。疲れた。次の年は娘の最終学年だったからこれまた手伝った。その次の年はもうすでに単身赴任だったから、友達と連れだって純粋に遊びに行った。田舎にあるから良い設備なんだけれど、今や生徒の数が激減しているのだそうだ。

Into the wild

荒野へ (集英社文庫)

荒野へ (集英社文庫)

 もう半年ほど経ってすっかり忘れていた。Jon Krakauer著、佐宗 鈴夫訳の「Into the wild (邦題:荒野へ)」がショーン・ペンのシナリオとプロデュースで映画化がされているというのは聴いていたのだけれど、今年の9月に米国ではすでに公開されていたそうだ。町山智浩週刊現代にこの映画に関して書いたと自身のブログに書いている。
 半年前にこの本を読んだ時に、こうした考え方というよりも感じ方というのは随分昔に私の周りのあっちにもこっちにもごろごろしていたような気がして、何か懐かしさを感じる破滅的方向性の行き着く果てだったのではないかという感覚と共に、痛々しさと、すがすがしさが同居するという複雑さ(自分でも絡み合っていて良く交通整理されていない。多分これを巧く解きほぐすことができるのが、頭の良い、そして人に名前を知られる様になる人々なのだろう)のなかにある。
 多分それも米国から伝えられたものが始まりだった。ここにも何回か書いたことがあるのだけれど、僕らがまだまだ若くて血気盛んで、底なし沼のような推し量ることの出来ない、あるのかないのかわからない可能性、あるいは不可能性の中にいる自分が何ものなのか一向に見当がついていなかった頃、ジャック・ケルアックやら、時代は随分違うがヘンリー・D・ソロー、マーガレット&オラウス・ミューリーやら、ジョン・ミューアなんていうところをどれだったか想い出せないんだけれども、雑誌なんかで知らされて読みあさった時にぶるぶるっと震えた、あの感覚に彼は本当に動かされて北へ、北へと向かったんだろう。そこには「人間は生まれてきた時には何もなかったし、退場する時にも何も持って行けないんだ」という原則に貫かれている。ところが不思議なことにその間のほんの数十年にはあれも手中にしたいと思うし、これも掴んでおきたいのだ。多分彼はそれを徹底し、サイクルの再現性すらも無視しようとしたのではなかったのか。
 太った豚になるよりも痩せたオオカミでいたい、と強がりだったのか、負け惜しみだったのか、稚拙だったのか、単純だったのか、崇高だったのか、そう思った瞬間があったなぁ・・と眩しく想い出す。そんな時のまなじりを結した顔つきからもう何十年も経った。だらぁ〜んとした顔つきに、濁った眼で過ぎ去った日々を振り返るのも辛いなぁ。
 この映画は多分素晴らしい景色と共に考え込んで出てくることになるだろうと予測はつくがみたい映画だ。果たして日本で公開されるだろうか。日本の映画会社は興業会社ではなくて投資会社だから無理かなぁ・・・。
はじめてのシエラの夏 (アメリカン・ネーチャー・ライブラリー)

はじめてのシエラの夏 (アメリカン・ネーチャー・ライブラリー)

森の生活 (講談社学術文庫)

森の生活 (講談社学術文庫)

わが野性のワイオミング (アメリカン・ネーチャー・ライブラリー)

わが野性のワイオミング (アメリカン・ネーチャー・ライブラリー)

ぴったんこカンカン

 TBSテレビの番組宣伝を見ていたらちらっと昔見たような人が映っていたので、夜になったら警戒(てぇこともないけれど)していた。いつものようにNHKのニュースを見ていて、はっ!と思い、TBSに回したら安住アナウンサーの番組で勘三郎が出てきて二人で「金田中」に入るところだった。昔から政治家が良く出入りするところが映し出されたあの料亭である。テレビが入ったのは初めてだと云うが、最近はこうしてテレビが入ったことがないという店がどんどん取材OKになる。背に腹は代えられないというものなんだろうか。
 浅草の仲見世を二人は歩く。なぜか浅草のこの手の取材というと必ず登場する「文扇堂」という扇子屋が登場する。何か不文律があるかのように、こうした番組の取材は浅草では必ずここが出る。勘三郎は来年の年末にまた浅草寺境内に中村座を張るんだそうだ。ここから鶯谷に行くと聞いて、あぁやっぱりここで登場するのかとわかった。
 かつて宮田容洋・布地由起江という漫才がいた。もう今や人の口にのぼることもない。子どもの頃はよく聞いた名前だ。この宮田容洋の弟子で、宮田容かんといった人がやっている店だ。随分昔に遊ばせて貰ったことがある。その時も面白い歌を唄っていた記憶がある。そういえば前回の浅草寺境内での中村座の時に容かんご夫妻をお見かけした。なるほどそういう関係だったのかとその繋がりがわかって面白かった。私はご夫妻とはそれほどお話をした時間はないが、ひとり息子の「みつ」とは結構長い時間を過ごしたことになる。彼もそろそろ25-6歳になるんだろう。

散歩

 【写真左:「夜景モード」という設定で撮ってみるとこんな具合に撮れるのだ。写真右:通りかかる人が何人もカメラを向けているので、何事かとそっちを見ると銀座の松屋がこんなことになっている。なんだか物欲しそうでブランドもののためだったらサラ金から追いかけられても買う、という一種の依存症になっている人がデザインしたのかと思うほどだ。なんとも安っぽいことになってしまったものだ。まぁ、松屋も苦しいんだろうなぁ。】
散歩ついでに本屋に行く。
1) 雑誌「論座12月号」なんだか今月号の目次を見ると八方ふさがりの今の現状をあぶり出しているかの如く成り。また、疲れそうなテーマに活字で取り組まなきゃならんのかなぁという雰囲気になる。いつもだったら、おっ!どんな論争になるって云うんだ、と血が騒ぐんだけれどね。
2) 「絵本・落語風土記江國滋 河出文庫 2007.09:どうやら1970年に青蛙房から出版されたものの中からいくつかを割愛したもので、江國の没後10年ということで文庫化したらしい。お友達が「志ん生の右手」という同じ河出文庫から出ている矢野誠一の本をmixiの日記で語っておられたので、その短いエッセーを立ち読み(すんまへん)した時に隣に置いてあったものである。ぱっと開けたところが「吾妻橋」のところで、「昔から落語で身投げだてぇことになると出てくるのは吾妻橋ということになっている。東京都は20年経ったらキレイになりますと云うが、こんな汚ねぇ川が昭和60年にそんなことになっているとは思えない」と書いてあって興味を引いたのである。確かに昔の隅田川は水がとにかく黒くて、夏になると川に面した窓を開けると臭ったのは事実だ。しかし、それも今やそんなことは全くない。当時の東京といえば東京オリンピックの頃だから都知事東龍太郎だ。あれからもう40年が経過した。この本のあちこちにちりばめてある挿絵は全部著者の手によるものだという。恐れ入りました。
3)「枢密院議長の日記」佐野眞一著 講談社現代新書 2007.10:私が知る限りではもっとも分厚い新書ではないだろうか。集英社新書ノーム・チョムスキーの「覇権か、生存か」(2004.09)の350頁、同じ講談社現代新書鬼界彰夫の「ウィトゲンシュタインはこう考えた」(2003.07)の418頁を超えて430頁である*1。1946年に数えにして96歳で没した倉富勇三郎の膨大なる日記がその材料である。佐野の説明によれば倉富は甚だしき日においては一日に四百字詰め原稿用紙に換算して50枚にも及ぶ日記を認めたというのである。巻頭の自筆原稿を見ると甚だ書き慣れた文字が流麗に流れている(実は広津和郎みすず書房創業者の小尾俊人がそれぞれチャレンジしたがあまりの難字に頓挫したのだという)。司法省畑から宮内庁にあがった男爵だそうだ。「膨大な日記」と聞き思わず手にする。

*1:なんと「言論統制 情報官・鈴木庫三と教育の国防国家」佐藤卓己著(中公新書 2004)は437頁であることを発見

笑うしかないか

 「(Asahi.com 2007年11月06日22時54分)辞職願を提出していた民主党の小沢代表は6日夜、鳩山由紀夫幹事長らに「もう一度がんばりたい」と語り、辞意を撤回する意向を伝えた。」
なんだよ、それって。結構あのおじさんも短気な人だってことか。「なにっ!?みんな反対?! よし、良いよ、良いよ、辞めだ、辞めっ!師匠にはもう帰っておもらいっ!料理なんてみんなに呉れてやれ!その代わり、明日から長屋は出て貰うからねっ!」あ、それじゃ「寝床」に出てくる素人義太夫の旦那じゃねぇか。
1,300歩