ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

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 友達が自分の地元の蕎麦屋を話題にしていた。それじゃ、出かけるついでに今日のランチはそこにしようというんで出かけた。出かけるついでに免許を書き換える。来月が誕生日で切り替えだけれど、それが70歳になるというので、先月高齢者講習を受けに教習所へ行った。
 あの時驚いたのは実際に教習所の中で運転させられたことで、執拗な視力検査もあり、費用が4,500円も取られたことだった。実はS字で脱輪し、一時停止標識に気がつかなかった。
 警察の書き換え受付に行ってみると、突然前回免許証取得の際に登録した暗証番号4桁を二つモニターに再現しろという。一つはもちろん覚えているんだけれど、なんで二つ共をここに想い出さなきゃならんのかと驚いた。うちに帰ってきてからつれあいにこのことを伝えると「え〜っ!」と驚いていた。そんなの覚えちゃいない。
 この書き換えそのものに2,500円かかり、合計したら免許の書き換えに7,000円かかったことになる。高くつくもんだ。そうやって諦めさせようとしているのだろうなぁ。
 久しぶりに銀座へ出る。買いたいものがあった。しかし、良く行く店はなんと正午にならないと開店しないというので、自社製品しか扱っていない店に行った。10年以上着ゴアテックスのウィンドブレイカーの汚れがひどくなったので、とうとう買い換えた。さすがに袖口がよれよれだ。池袋の某山屋さんで買ったもので、当時は清水の舞台から飛び降りるようにして買ったもので、色も綺麗でみんなが良い色だといってくれたものだった。しかし、今度はその色がない。あんまり気に入った色がない。
 京橋から墨田区両国へどうやって出て良いのかがわからない。ところがiPadがなかなか動かない。とりあえず日本橋へ出て、東西線門前仲町まで出れば大江戸線に乗れることを思いつく。昔だったら京橋から日本橋なんてひと駅なんだから歩く。しかし、どうせその先乗るんだからと京橋から銀座線に乗った。この「どうせ」がいけない。
 門前仲町で乗り換えたのは初めてだ。エスカレーターが行く先々にあって、やっぱり新しい路線は便利だと、歩かないね、これじゃ。両国で地下鉄を降りたら、そこは昔の墨田区役所が建っていたところだった。国際ファッションセンターと書いてある。その北側が昔の陸軍被服廠跡である横網公園で、3.10と9.01に必ず人が集まって慰霊をする東京都慰霊堂がある。その傍らに震災の時にデマが飛んで何人もの惨殺された朝鮮人の人たちを慰霊する碑が建っている。小池百合子が今年、その慰霊式に都知事としての言葉を出さなかったと報道された事件のことだ。彼女はもちろん日本会議という歴史修正主義者の集まりの一員だから、そんな事件はなかったという卑怯者の一員なのだ。
 その角を清澄通りから錦糸町方面へ折れる。石原一丁目の交差点で、反対へ折れると蔵前橋を渡ることになる。
 三ブロックほどをいくと、そこに「寿々㐂家」という蕎麦屋が今日の目的地。到着したのは1時を過ぎていた。メニューを見ると友人が写真をあげていたのが「つまみ揚げ天麩羅せいろ・竹 千円」だったのがわかった。これを注文。店内にはどこかの現場で仕事をしている若者。近所の人とおぼしきおばさん。どうやらこの「つまみ揚げ」を知って寄ったとおぼしき私と同年齢の夫婦。
 驚いたのは「つまみ揚げ」というのは海老を二本一辺にくっつけてあげてあるものだったこと。しかもそれが三組、つまり海老が小さい海老だけれど、六本。そして野菜が、小さいけれど四種類。これで千円。お勘定の時に思わず「海老六本で千円とは申し訳ないです」といってしまう。ベトナムに数年駐在していた友人の弁によれば、ベトナム産のバナメイエビじゃない?という。安いんだそうだ。
 さて、帰りだ。どうやって帰って良いのかがわからない。元の両国から地下鉄に乗っても降りてから結構歩くことになる。さればというので、JR両国駅からなんとひと駅錦糸町へ出て、錦糸町から都バスで帰ってきた。一番前の運転手の後ろに乗っていて気がついたんだけれど、シニアパスで乗る人が実にたくさんいる。これが手に入ったら、まず亀戸から日暮里行きに乗ってみよう!
 8,781歩

ぶるぶる

 なぜ釣りという行為は人を魅了するんですかねぇ。なんであんなに嬉しいものなんですかねぇ。ブルブルッと来たときに、思わず「来たっ!」と心の中で叫んでいますよ。時には本当に小さな声で、「ぐわっ!」とかいっています。それも際限なく釣りたくなるようで、束なんて単位で語っている人たちだっていますよ。
 もう竿を出さなくなって20年経ちました。タックルを友達にあげるといって、まだあげていないなぁ。開けるのが怖いが。

震災虐殺

 墨田区横網公園・元陸軍被服廠跡にある朝鮮人被害者の慰霊碑)












小池氏は1日の定例記者会見で、朝鮮人虐殺の有無について「色々な歴史書の中で述べられているところだ。様々な見方があると捉えている」「歴史家がひもとくところだ」と述べていた。(朝日新聞2017年9月26日22時47分)

 だから、小池百合子はどう思っているのかと聞いている。逃げているだけだ。しかし、これまで歴代の都知事が(石原慎太郎ですら)震災時に朝鮮人虐殺が起きたことに対して哀悼の意を表しているのに、震災で死んでしまった人も、虐殺事件で死んでしまった人も同じだといっている。「死ぬ」という状況は同じでも、殺され方に大きな違いがある。小池百合子はこういうところを逃げるという卑怯な思想の持ち主なのだ。
 何が何でも日本人は中国人、朝鮮半島の人々に対して謝らないぞという思想に凝り固まっていそうだ。

鉄面皮

 夫唱婦随ッてぇことをいってございますが、いや、このご夫婦ほど、この言葉にぴったりなお二人を見たことがございませんね。いやいや、誰のことだって、安倍晋三安倍昭恵の二人のことでございますよ。それにしても安倍昭恵ってのは肝っ玉座ってますよ。昵懇の間柄の夫婦が逮捕勾留されてても知らん顔だものなぁ。にっこにこ笑って「ファースト・レディよ!」ってんでNew Yorkなんぞにチャラチャラ行きながら、スマホで平気で写真撮っている公式行事だったりしますよ。
 旦那だって平気で「丁寧にご説明してきた」とかいっちゃって国会も開かずに逃亡解散ですからね。それにしてもテレビに出てきて壺を聞かれたら、慌ててしどろもどろになるところなんぞかみさんよりも気が小さいんでしょうねぇ。かみさんに至っては平気でどこへでも行っているけど、ひとっことも喋らねぇものなぁ。あいつは鉄面皮っていうよりも感性が鈍くて何が良くて、何が悪いのか、全くわかってねぇんじゃねぇかと思うくらいだわ。
 しかし、良くこいつがこんな立場に立っているよねぇ。沈む国にはふさわしいのかも知れないな。

問題

 いくらネット右翼レイシスト集団がそんなことはなかった、嘘をつくなといっても日本軍はそうした業者に任せた格好にして半島から来た女性や、日本人の女性を春をひさぐ仕事に従事させていたことは否定のしようがない。これは当時の日本では当たり前で江戸時代、いやいや、ずっと前からそういう商売はあったんだという主張は間違っちゃいないけれど、多くの女性達が仕方なく苦界に身を沈めただけではなくて、無理矢理引っ張ってこられてそうされていたことは目をふさいでいようが、耳をふさいでいようがあった。仕方なくそういう商売に足を踏み入れた人たちだって、その生活を想像したら考え込まないわけがない。
 問題は植民地として弾圧していた地域から半ば強制的に従事させたことにあって、それを頭から否定して、そんなことはなかった、ねつ造だと否定することは無茶というものだ。徴兵してしまってたりなくなった労働力を女子どもを動員し、それでも足りなくて、第一次産業の現場に半強制的に植民地の労働力を宛て、捕虜を充当してきたことも事実だけれど、戦後の大企業は知らぬ存ぜぬを貫き通した。それを認めて謝罪した旧三菱金属(現三菱マテリアル)の件はマスコミには大きく取り上げられず、知る人しか知らない。他の企業は一貫して知らん顔をしてきた。政府と同じように、資料はすべて戦争で焼けてしまったからわからないと主張してきた。だったら戦前の資料だって焼けちゃっていておかしくない。つまり、その辺だけない、ということにしている。
 旧日本軍は「捕虜」という存在を誠にぞんざいに扱ってきた。自軍の将兵には「恥と思え!」といった以上「元捕虜」には世間は冷たかった。「捕虜」となった敵兵はどんな待遇を与えようとかまわないというやり方だった。内地へ送り込んで強制労働をさせた。これは生き残った連中がなにしろ最後に勝った連合国の国民だったから、なかったことには出来なかった。それでも、個人が「私はこの工場で働かされ、理不尽な扱いを受けた」といってきても、当時の資料も、証人もいないからわからない」とはねつけてきた。
 捕虜収容所の現場で監視の職務に就いたのは半島から連れてこられた軍属や、米国生まれといったメンバーだった。その結果彼らは戦後「戦犯」とされた。帰米二世だった米国生まれの若者は戦後アメリカで国家反逆罪となった。
 こうしたすべてのことに、頬ッかむりをして70年以上を過ごしてきたのが私たちだったのだということは忘れてはならないと思う。
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2017年09月26日のツイート