明るい部屋:映画についての覚書 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


『珠玉のフランス映画名作選 DVD-BOX 2』 、今は予約化になっている。

蓮實重彦『伯爵夫人』

『論集 蓮實重彦』

2016-06-24

[]『高慢と偏見ゾンビ』、『希望のかたわれ』





最近読んだエンタメ系の小説を2冊、簡単に紹介する。

ジェーン・オースティン+セス・グレアム=スミス『高慢と偏見ゾンビ


サマセット・モームが「世界の10大小説」の一つに選んだ文学の古典、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』に、ゾンビという要素を加えたらいったいどうなるか。そんな驚くべき、というか、馬鹿馬鹿しい発想から出発して書かれたのがこの小説だ。

6年ほど前に日本でも翻訳されてかなり話題になったようなのだが、わたしはついこの間初めてこんな小説があることに気づいた。気になってすぐに読んでみたのだが、これが意外にも面白い。一気に読み終えてしまった。

パロディといっても、この小説のなかには原作に登場しない人物は出てこないし、原作に登場するのにここに出てこない登場人物もいない(はず)。『高慢と偏見』の9割はそのままなのである。

オースティンの原作が書かれたのは、フランス革命ナポレオンの登場、相次ぐ戦争に、ヨーロッパ全体が揺れ動き、イギリス国内では産業革命によって経済が大変革を遂げつつあった時代だった。しかし、そうした社会の動きなどまるで存在しないかのように『高慢と偏見』は書かれている。原作の舞台となるイギリスの田舎町ロンボーンには、軍隊が駐留していて、ベネット家(この小説の中心に描かれる地方地主の一家)の娘たちが軍人たちに夢中になるというエピソードに、戦争の影はかろうじて描かれているだけだ。『高慢と偏見ゾンビ』は、ここを巧みに、というか強引に利用して、この町に駐留している軍隊は、町にあふれるゾンビを駆逐するためにいるのだということにしてしまっている。

どこに出かけるにもいつゾンビが襲ってくるかわからないという状況のなか、ベネット家の娘たちはみなゾンビと戦うための武術を身につけていて、毎日のように訓練を続けている。いちばん笑ったのは、ダーシーの叔母で、娘をダーシーと結婚させようとしているキャサリン夫人が、ダーシーとの仲を疑ってあまり心よく思っていないエリザベスを、日本の忍者(!)と戦わせる場面だ。キャサリン夫人は、中国で学んだというエリザベスの武術などたいしたことはないと高をくくっているのだが、エリザベスは何人もの忍者を一瞬で殺してしまう。ほとんどマンガである。

しかし、不思議なのは、このようにめちゃくちゃな設定にもかかわらず、読後の印象が原作のそれとそれほどかけ離れたものではないということだ。「ゾンビ」という言葉の破壊力は凄くて、これを加えるだけで原作の世界などもろくも崩れ去ってしまいそうに思えるのだが、さにあらず、原作のエッセンスはそのまま傷つかずに残ってる。これはどう考えればいいのか。セス・グレアム=スミスによるマッシュアップが巧みだからか。それとも、オースティンの原作のフォーマットが揺るぎないということか。

それはともかく、この小説は、むろんオースティンの原作を知っている人が読めば、より一層楽しめると思うのだが、原作を読んでいない人が読んでもきっと面白いと思う。今いったように、原作のエッセンスはそのまま残っているので、2世紀も前に書かれた文学の古典など自分には縁遠いと思っている人には、この小説は、『高慢と偏見』という傑作に近づくための絶好の入門書になるに違いない。


ちなみに、この小説は映画化されて、今年公開された。最初はナタリー・ポートマン主演を予定されていたのだが、結局、別の女優がヒロインを演じることになった。


メヒティルト ボルマン『希望のかたわれ』


ドイツの女性ミステリー作家メヒティルト・ボルマンが、福島原発事故をきっかけに書き始めたという2014年刊行の最新作。非常に読み応えのある骨太のミステリーだ。

ドイツの田舎町。ほとんど裸同然で、靴も履かず、何者かに追われるように歩いていた若い女を、それまで一人静かに余生を送っていた初老の男が、自分の意に反して家に匿ってしまうところから物語は始まる。

ロシアドイツオランダと国境を越えて行われている女子学生人身売買。組織によって拉致された娘と、彼女を匿ってしまったドイツ人の老人、チェルノブイリ立ち入り禁止地区「ゾーン」に住む娘の母親、そしてこの事件を追う者たち。お話自体は特に目新しいものではない。しかし、時間軸と視点を変えながら、同じ事件が複数の切り口から平行して語られてゆくにつれて、事件の背景となっているロシアの闇が浮かび上がってくる。「大祖国戦争」とロシアでは呼ばれている第二次大戦中に起きた悲劇、スターリン時代の弾圧、そしてチェルノブイリ原発事故。全てがどこかで繋がっていて、「しあわせ」を「ふ・しあわせ」に変え、21世紀を生きる者たちの運命さえをも狂わせてしまう。

一つ印象的な場面がある。チェルノブイリ原発の事故の瞬間、遠くに煙が舞い上がるのを目撃した登場人物の一人が、あとでその時の印象を、ドイツ表現主義の画家フランツ・マルクが描いた「青い馬の塔」のイメージと重ね合わせるところだ。動物たちに純粋で無垢な存在を見てきたフランツ・マルクだが、彼の絵に描かれる動物たちには、たしかにそういった不気味さがないわけではない。同時に、わたしには、原発事故によって汚染され人の住まなくなった無人の荒野に動物たちが解き放たれたイメージが目の前に広がり、しばし考えさせられた。

こういう事故が起きると、おもに狂信的な外国人だが、「それは天罰だ」と無神経に声高に叫ぶ人間が必ず現れる。百歩譲ってそれが天罰だとして、では、同じく事故の犠牲となった動物たちはどんな罪を犯したというのか。キリスト教には動物の苦しみという視点が全く欠けている……。

むろん、そんな話はこの小説には出てこないのだが。


2016-06-18

[]新作DVD――『珠玉のフランス映画名作選 DVD-BOX 2』『長く熱い週末』ほか





『珠玉のフランス映画名作選 DVD-BOX 2』

サッシャ・ギトリ『あなたの目になりたい』、ジャン・ルノワールショタール商会』、ジュリアン・デュヴィヴィエ『幻の馬車』、ジャン・グレミヨン『高原の情熱』、アベル・ガンス失楽園』の5作品を収録。

第1弾も凄かったが、第2弾は、さらにレアな(だがいずれも必見の)作品を集めた、びっくりするような内容になっている。これは買わざるをえない。

最近、東京などで少し上映される機会のあったサッシャ・ギトリに興味を持った人は、クライテリオンから出ている DVD-BOX 『PRESENTING SACHA GUITRY』をどうぞ。


ジョン・M・スタール『模倣の人生』 [DVD]


サークの『悲しみは空の彼方に』のオリジナル版。これはこれで傑作。


『ハリウッド サイコ・サスペンス映画傑作選 DVD-BOX Vol.1』

[サイコ・サスペンス映画の傑作を一挙収録したDVD-BOX第1弾!本作は、「追求」「執拗なサイコ」「高い壁」「ヒッチ・ハイカー」「M」の5作品を収録]


基本的には、再パッケージものですかね。

ジョン・フォード『馬上の二人』 [DVD]、『最後の歓呼』 [DVD]


アナトール・リトヴァク『栄光の都』 [DVD]

ワーナー&キャグニー。


チャールズ・ヴィダージョージ・キューカー『わが恋は終りぬ』 [DVD]


ジョン・マッケンジー 『長く熱い週末 HDリマスター版』 [Blu-ray]

英国映画協会による「20世紀のイギリス映画ベスト100」で 21位に輝く犯罪映画の傑作が日本初ソフト化!]

日本では意外と知られていない作品だが、ギャング映画の傑作としてすこぶる評価は高い。


クリント・イーストウッド『愛のそよ風』 [Blu-ray] 、『白い肌の異常な夜』 [Blu-ray]

トッド・ヘインズ『キャロル スペシャル・エディション』 [Blu-ray]、『キャロル』 [Blu-ray]、トッド・ヘインズ『キャロル』 [DVD]


映画をよく知っている映画ファンの間では、今年の洋画ベスト1との呼び声も高い傑作。


ダリオ・アルジェント『サスペリア』 <HDリマスター/パーフェクト・コレクション> [Blu-ray]


ニコラス・ジェスネール 『白い家の少女 HDリマスター版』 [Blu-ray]

カルトな人気のあるサスペンス映画。


ピエル・パオロ・パゾリーニ『豚小屋』【HDリマスター版】Blu-ray, 『豚小屋』 【HDリマスター版】 [DVD]


ピエル・パオロ・パゾリーニ『アッカトーネ』/大きな鳥と小さな鳥』 【HDリマスター版】 Blu-ray


ルキノ・ヴィスコンティ『山猫 4K修復版』 [Blu-ray] 、『ルートヴィヒ デジタル修復版』[Blu-ray]


アンドレイ・ズビャギンツェフ『裁かれるは善人のみ』 [DVD]



クロード・ミレー『死への逃避行』 HDリマスター版 [Blu-ray]


ロベール・ブレッソン『白夜』Blu-ray

Blu-ray のみで、いまのところ DVD の発売はないらしい。つい最近発売されたばかりなのに、なぜか定価より高値が付いている。


アルノー・デプレシャン『あの頃エッフェル塔の下で』 [Blu-ray]


ノエミ・ルヴォウルキー『カミーユ、恋はふたたび』Blu-ray『カミーユ、恋はふたたび』DVD



小川紳介『牧野(まぎの)物語・養蚕編+牧野(まぎの)物語・峠(2in1)』 [DVD]、『クリーンセンター訪問記』 [DVD]




村山三男 『囁く死美人』 [DVD]

黒沢清が東西の「ホラー映画のベスト50」の一つに選んでいる作品(48位という微妙な位置だが)。

「黒々とそびえる古風な大病院。その寂しい廊下を白衣の男がゆっくりと歩いてゆく。陰惨な表情を浮かべた川崎敬三だ。物語は『悪魔のような女』にも似た犯罪もので、厳密に言うとこれはホラーではない。だが、暗澹たる画面作りとアンソニー・パーキンスかと見まごうばかりの狂気に満ちた川崎敬三の存在によって、雰囲気という点では第一級の作品に仕上がっている」(黒沢清


原節子主演のレアな作品がまとめて DVD 化。

木村恵吾『幸福の限界』、吉村廉 『白雪先生と子供たち』
吉村廉『時の貞操(総集版)』 [DVD]


小津安二郎『麥秋 デジタル修復版』 [Blu-ray]





あと、ついでにこれも。

『ジョージ・キューカー、映画を語る』


キューカーは監督としては素晴らしかったが、人間としては結構いやな奴だったという、自分のなかでの思い込みがあるのだが、この本を読んでそれが間違いであったということになればよいと思っている。


2016-06-11

[]ジュリアン・デュヴィヴィエ『殺意の瞬間』ーーデュヴィヴィエとトリュフォーの密かな関係





「もしも私が建築家で、映画のモニュメントを建てることになったなら、入り口にはデュヴィヴィエの銅像を置くだろう」

ジャン・ルノワール





ジュリアン・デュヴィヴィエ『殺意の瞬間』(Voici le temps des assassins*1, 1956)


第二次大戦を機にアメリカに渡っていたデュヴィヴィエがフランス帰国してから撮った、晩年の作品の一つ。フランス本国では、これを彼の戦後の最高傑作と考える人も多い。意外に思えるかも知れないが、例えばフランソワ・トリュフォーは、この映画が公開されたとき、次のような記事を書いて、賞賛した。

「私はただ一つの作品のなかに、いわばデュヴィヴィエの人間と映画作家を《発見する》。[…]デュヴィヴィエは57本の映画を撮った。そのうちの23本を見て、8本が気に入った。なかでも『殺意の瞬間』がいちばん良いと思う。この映画のなかに、人はあらゆる要素、つまりシナリオ、演出、撮影、音楽等々の全てが掌握されていることを感じることができる。それは、自分自身と自分の仕事を完全に確信するに至った映画作家による掌握である」(「アール」誌、1956年4月18日)



戦前、日本の観客を魅了したデュヴィヴィエ作品の多くは、暗いペシミズムによって彩られていた。強い友情や愛情によって結びつけられていた者たちが、嫉妬や憎悪によって、いわば運命的に破滅していくさまを、詩情豊かなセンチメンタリズムをもって描き出すというのが常だった。『殺意の瞬間』は、デュヴィヴィエが戦前のこの作風に戻ると同時に、そのペシミズムをいわば抽象的なまでに推し進めた作品であると言える。

この映画はまた、『地の果てを行く』『我等の仲間』『望郷』など、戦前に数々の作品で組んだデュヴィヴィエとギャバンが13年ぶりに顔を合わせた作品でもあった。


映画の舞台となっているのは、「パリの胃袋」といわれた中央市場レ・アル(築地のようなもの)。冒頭、キャメラが高い位置からレ・アルを見下ろすドキュメンタリー的な映像にはっとさせられるが、すぐにこの市場のなかにあるレストランのセットに移行してしまうので少しがっかりする。このレストランのオーナー・シェフ(ジャン・ギャバン)のもとにひとりの娘(ダニエル・ドロルム)が訪ねてくるところから物語は始まる。彼女は、ギャバンの別れた妻の娘であり、母親が最近亡くなったばかりで身寄りがないのだと語る。ギャバンは娘を引き取り、やがては妻に迎える。しかし、この天使の顔をした娘は、実は悪魔のような本性を隠していたのだった……。



ゾラ流の自然主義(この映画とは全く関係がないが、ゾラにはやはりレ・アルを舞台にした『パリの胃袋』という小説がある)は戦前のデュヴィヴィエ作品の底流にもあったが、そこには同時に、しっとりとした叙情が流れていて、人間の愚かさを愛情を持って見つめる豊かな人間描写があったのであり、それが日本の観客によって愛されたのだった。しかし、ここにはそのようなセンチメンタリズムは一切存在しない。この映画のデュヴィヴィエは、まるで昆虫観察でもするように、距離を置いたところから、人が破滅していくさまを眺めるだけである。デュヴィヴィエは、彼が本来持っていたペシミズムをこの映画で究極まで推し進めたといってよいだろう。映画の画面もまた薄暗い。この映画のなかでは、日中の屋外シーンにおいてさえ、太陽は一度たりとも姿を見せないのである。


ダニエル・ドロルム(昨年、他界した)が、『イヴの総て』のアン・バクスターをさらに病的にしたような、天使の顔をした悪魔を熱演している。実際にあった事件をもとにデュヴィヴィエらが作り上げたキャラクターだという。この映画の魅力の多くが、この人物のキャラクターによるものであることは間違いない。しかし、一方で、彼女にはいささか人間性が欠けていて、ほとんど非現実的な人物に見えなくもない。それはこの映画の最大の弱点の一つでもあるだろう。

彼女だけではなく、この映画に登場する女たちはいずれも一癖あり、強烈な印象を残す。薬物に溺れてホテルのベッドに寝たきりになりながら、ドロルムを陰から操っている醜悪な母親役のリュシアンヌ・ボガール。長い鞭をしならせて飼っている鶏を殺し、さらにはその同じ鞭でドロルムを折檻するギャバンの底意地の悪そうな母親(ジュルメール・ケルジャン)。他人のプライベートにずけずけと首を突っ込んでくる不気味な家政婦の老婆。どの女の描き方にもなんの暖かみもなく、ほとんどミソジニー女性嫌悪症)といってよいような空気がこの映画には充ち満ちている。


題材は私の好みだし、賛否の分かれるだろう陰惨なラストも嫌いではない。しかしなんだろう、もっと面白い映画になったはずなのに、結局、最後まで完全には乗り切れなかったというフラストレーションが残る。トリュフォーの高い評価にもかかわらず、ちょっと期待はずれだったという印象は否めない。たしかに技巧的には完成されているのかも知れないが、その技巧の機能の仕方がただただ虚しく思える、とでも言えばいいか。見ている間中ずっと、これがハリウッドの巨匠たちによってフィルム・ノワールとして映画化されていたら、どんな素晴らしい作品になっていただろうということばかりを考えていた。


ところで、この映画では女たちの存在感が強すぎて、ギャバン以外の男たちはあまり印象に残らないのだが、その中にひとりだけ、注目に値する若手男優が出ている。ギャバンが息子同然の愛情をもってかわいがっている若者を演じているジェラール・ブランという俳優だ。後に世界中のだれもが知るフランス俳優となる彼だが、このときはほとんど無名と言っていい存在だった。そんな彼を《発見》したのがフランソワ・トリュフォーだったのである。トリュフォーは、先に引用した「アール」誌における記事のなかで、この無名に近い新人俳優の演技を絶賛した。それに感激したブランがトリュフォーに連絡し、ふたりは会うことになる。その時同席したのが、当時ブランの恋人だったベルナデット・ラフォンだった。意気投合したトリュフォーとブランは、ラフォンも加わって、3人で短編映画を撮ることになる。それがトリュフォーのデビュー作『あこがれ』である(もっとも、この映画の撮影中、トリュフォーにラフォンを奪われるのではないかとブランが嫉妬し、トリュフォーとブランの仲は急速に冷え込むことになるのだが)。


というわけで、『殺意の瞬間』について書かれたトリュフォーの批評は、「フランス映画の墓堀人」とまで呼ばれた彼の、旧世代に属するフランス映画監督たちに対する態度が、一般に流通しているイメージとは少し違って、もっとニュアンスに富んでいたことを、改めて考えさせるものであるし、この映画がきっかけになって彼のデビュー作が誕生したことも興味深い。しかし、実は、トリュフォーとデュヴィヴィエの関係は、これだけではなかった。ふたりの間には、一緒に映画を撮る計画さえあったのである。連絡を取ってきたのはデュヴィヴィエのほうからだった。一緒に映画を撮りたいという話だった。1956年の春のことだというから、おそらくトリュフォーがこの映画の作品評を「アール」誌に書いた直後のことだったのだろう。ともかく、ふたりはカンヌで会うことになり、「大いなる愛」(Grand Amour)という映画の企画について話し合うことになる。しかし、デュヴィヴィエは当時、別の企画で忙しく、結局、この企画は実現することがなかった。その年の8月に、デュヴィヴィエがトリュフォーに宛てて手紙を書いているのだが、これがなかなか洒落ているのだ。

「昨夜、妙な夢を見ました。あなたとわたしはル・アーヴルにいて、巨大なオーシャン・ライナーに乗ってアメリカに向けて出発するところでした。「アトランティック号」という船の名もはっきりと見えました。わたしがあなたを船旅に誘ったのですよ! しかし、いざ出港というときになって、船の予約をしていなかったことに気づいたのです。あなたは激怒し、わたしに向かって二つ三つずけずけとしたことを言いました。それでわたしはチーフ・パーサーに会いに行きました。彼はわたしが1948年にもこの船に乗ったことを覚えていてくれて、部屋を用意してくれました。気がつくと私たちはもう海の上にいました。その時、突然、電話に呼び出されたのです。電話の主がだれだったのか、結局分からずじまいです。その瞬間、目が覚めてしまったからです。あなたにまだその気があるのなら、わたしはあなたと一緒に映画が作りたいと思っています。今どういうことに取り組んでいるのか、どんな計画があるのか教えてください。どうかわたしのことを、あなたを高く評価し、あなたを好ましく思っている友人だとお考えください」


この3年後の1959年に、トリュフォーは『大人は判ってくれない』でカンヌ映画祭のグランプリを受賞し、フランス映画の新しい波の存在を世界に知らしめることになる。そのことは映画ファンならだれもが知っているだろう。しかし、その時、カンヌの審査員席に座っていた人たちのなかに、ジュリアン・デュヴィヴィエがいたことはあまり知られていない。

「デビュー作を撮った後で、死ぬ直前のジュリアン・デュヴィヴィエに会ったとき*2、彼に認めさせようとしました(彼はいつも不満たらたらだったのです)。あなたには色とりどりで充実した素晴らしいキャリアがあり、結局のところ、大いなる成功を収めたのだから、満足すべきではありませんか、と。『その通りさ、幸せだよ。もしも映画の批評記事なんてものがなかったらね』」

「1974年にロサンゼルスに行ったとき、ハリウッドの大女優に、『舞踏会の手帖』の音楽をカセットに録音できるなら何でもするわと言われました。デュヴィヴィエがまだ生きていたら、この話を聞かせてやりたかった」(トリュフォー


* * *



トリュフォーのことばかり書いたが、ヌーヴェル・ヴァーグの作家でデュヴィヴィエを評価していたのはなにもトリュフォーだけではない。特に『殺意の瞬間』を念頭に置いた発言ではないが、クロード・シャブロルは、「デュヴィヴィエは、自ら名乗りはしなかったが、作家(auteur)だった」と言い、また、インタビュー本『クロード・シャブロルとの対話』のなかでも、ゴダールがシャブロルを「デュヴィヴィエ並み」だと言ったことに対して、「彼は非難のつもりだったかも知れないが、私にとってはそうではなかった」と語っている。

フランス本国やアメリカでは、ここ数年、デュヴィヴィエの回顧上映が盛んに行われるようになっている。昨年は、あのクライテリオンからデュヴィヴィエの30年代の作品に焦点を合わせた DVD-BOX が発売された。デュヴィヴィエの再評価は始まったばかりだ。


*1:原題は「今こそ暗殺者の時である」の意。冒頭に流れる歌の中にも出てくるこの言葉はランボーの『イリュミナシオン』の「陶酔の午前」の最後に出てくるフレーズであるが、映画とランボーの詩の間にはたぶんなんの関係もない。ちなみに、その前の部分はこう。「ささやかな陶酔の不眠の夜よ、それは聖なるものだ! それがたとえ、きみがぼくたちに与えてくれた仮面のためにすぎないとしても。方法よ! ぼくたちはきみを肯定するのだ。ぼくたちは忘れはしない、昨日きみが、ぼくたちの年齢のものに一人残らず至福を与えたことを、ぼくたちは、陶酔の毒を信じている。ぼくたちはどんな日にも、ぼくたちの生命をそっくり捧げることができる。/今こそ暗殺者の時である!」

*2:デュヴィヴィエが亡くなるのは1967年である。

  
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