明るい部屋:映画についての覚書 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter



イエジー・スコリモフスキ『イレブン・ミニッツ』 [Blu-ray]

大和屋竺『裏切りの季節』[DVD]、『毛の生えた拳銃』 [DVD]


---

評価の目安: ★(興味深い); ★★(見たほうがいい); ★★★(とにかく必見); ★★★★(大傑作、あるいは古典)

2017-01-16

[]『超短編映画集 ONE PIECE 矢口史靖×鈴木卓爾監督作品 テトラパック』『殺人者はバッヂをつけていた』ほか





リチャード・クワイン『殺人者はバッヂをつけていた』 [DVD]

キム・ノヴァク主演のフィルム・ノワールの傑作。この作品については、ちゃんと紹介したことはなかったが、これまでたびたび触れてきた。昨年末に、知らない間に日本でもソフト化されていたらしい。


『西部劇 パーフェクトコレクション 西部の掠奪者 DVD10枚組』


ルーベン・マムーリアン『たくましき男』ほか。


リチャード・サラフィアン『荒野に生きる』 [Blu-ray]



コンプトン・ベネット『追想のヨーロッパ映画~死ぬまでに観たい名画 100 かくてわが恋は終わりぬ』 [DVD]


リッカルド・フレーダ『追想のヨーロッパ映画~死ぬまでに観たい名画 100 神秘の騎士』 [DVD]


ヴィリ・フォルスト『追想のヨーロッパ映画~死ぬまでに観たい名画 100 罪ある女』 [DVD]


『珠玉のフランス映画名作選 DVD-BOX 3』

「ボヴァリー夫人」「モンパルナスの夜」「ろくでなし」「悪魔の手」「最後の切り札」の5作品を収録。


『【初回限定版】ユーリー・ノルシュテイン作品集 2K修復版』 [DVD]、『【初回限定版】ユーリー・ノルシュテイン作品集 2K修復版』 [Blu-ray]


イエジー・スコリモフスキ『イレブン・ミニッツ』 [DVD]、『イレブン・ミニッツ』 [Blu-ray]


足立正生『裏切りの季節』 [DVD]、『毛の生えた拳銃』 [DVD]


森達也『FAKE ディレクターズ・カット版』 [DVD]


庵野秀明『シン・ゴジラ Blu-ray2枚組』『【早期購入特典あり】シン・ゴジラ DVD2枚組(シン・ゴジラ&初代ゴジラ ペアチケットホルダー付き)』


たむらまさき『ドライブイン蒲生』 [Blu-ray]


『超短編映画集 ONE PIECE 矢口史靖×鈴木卓爾監督作品 テトラパック』 [DVD]



ウォーターボーイズ』『スイングガールズ』の矢口史靖と『私は猫ストーカー』『ゲゲゲの女房』の鈴木卓爾による固定カメラによる1シーン1カットの1話完結短編映画作品集!

2017年2月11日に公開の矢口史靖最新映画『サバイバルファミリー』に合わせて、矢口史靖監督と鈴木卓爾監督のライフワーク短編作品集を緊急リリース!
■2001年以降の作品がパッケージ化されるのは初!
矢口史靖×鈴木卓爾の対談の他、BOXには豪華特典満載!



『超短編映画集 ONE PIECE 矢口史靖×鈴木卓爾監督作品 水玉 COLLECTION』 [DVD]、『超短編映画集 ONE PIECE 矢口史靖×鈴木卓爾監督作品 チェック COLLECTION』 [DVD]、『超短編映画集 ONE PIECE 矢口史靖×鈴木卓爾監督作品 花柄 COLLECTION』 [DVD]


2017-01-12

[]ラリー・コーエン『ディーモン/悪魔の受精卵』





ラリー・コーエン『ディーモン/悪魔の受精卵』(God Told Me To, 76 未)★★½


有名でないわけでは決してない。才能にも恵まれている。しかしなぜかどうにも影が薄い。そういう映画作家がいる。ラリー・コーエンもそんな監督の一人だ。

『God Told Me To』は、『悪魔の赤ちゃん』などと比べると日本での知名度は極端に低いが、コーエン初期の代表作であり、これを彼の最高傑作と考える人も少なくない。しかし、この映画もやはり、低予算で撮られた地味な作品であり、いかにも一般受けしそうにない映画だ。実際、アメリカでも公開当時の興行成績はふるわなかったという。

映画は、ニューヨークの街なかで、スナイパーによる乱射事件が起きるシーンでいきなり始まる。ビルの屋上の貯水槽の上から眼下の通行人をライフルで無差別に射殺していた犯人は、説得に当たった主人公の刑事ニコラス(トニー・ロ・ビアンコ)に犯行理由を尋ねられて、ただ一言、「神のお告げだ (God told me to)」と言い残して、飛び降り自殺する。このような殺人事件が、あちこちで起きていた。一見、それらの間にはなんの関連性もなかったが、唯一の共通点は、いずれの事件も、犯人が冒頭のスナイパーと同じ「God told me to」という言葉を口にしていたことだった……。

このように、最初は刑事映画のように始まった映画は、ニコラスの捜査が進むにつれ、SF映画めいたとんでもないものへとなってゆく(詳しくは書かないが、エイリアンが出てきたりするのだ。なんだそれ?)。まさに荒唐無稽な物語である。だから、もっとあざとく、パンチの効いた演出をすれば、わかりやすいカルト映画になっていたかもしれない。しかしコーエンは、そんな派手な演出には興味がなく、終始一貫して抑えたトーンで撮っている。結果、刑事映画でもあり、ホラー映画でもあり、SF映画でもあろうとして、結局、そのどれにもなりきれなかったような、舌足らずな印象を残す映画になってしまった。しかし、この未完成さは、この作品の欠点であると同時に魅力でもあると言っていいかもしれない。来たるべき壮大な完成作を想像しながら、そのために描かれたスケッチを見るようにして、この映画は見ればいいのではないだろうか。

実際、ラリー・コーエンの映画は、その欠点が魅力であるような、そんな映画なのである。例えば、ロビン・ウッドが指摘している、刑事ニコラスが病院を尋ねる場面。ナースから、廊下の左側の病室だと教えられたニコラスは、なぜか右側の病室に迷わず入ってゆく。一見、なんでもないシーンだが、観客は映画を最後まで見終わったときに初めてこの場面の意味に気づくことになる(もしも、その時この場面を覚えていたならばの話だが)。普通の監督ならば、これみよがしに音楽を流したり、わざとらしくカメラをズームしたりして、そこに何か意味がありそうなことを匂わせたりするはずである。しかしコーエンはそういう演出は決してしない。ただ淡々と、何の変哲もないシーンのように撮るだけだ。この渋い演出は映画好きには好まれこそすれ、一般の観客には面白みに欠けると思えるだろう。とりわけ、数分おきに派手な見せ場がなければすぐに飽きてしまう今の観客には、こういう映画の面白さはなかなかわからないに違いない。

描かれる物語の新奇さとは裏腹に、コーエンの映画は、同時代の映画よりもむしろハリウッドの古典映画に近い無駄なのなさとシンプルさに貫かれている。デ・パルマウェス・クレイヴンなどの監督たちと比べて、ラリー・コーエンの影が薄い理由はおそらくこういうところにあるのだろうが、それはまた彼の映画の魅力でもあるのだ。

過去のハリウッド映画に対するリスペクトは、コーエン作品の配役にも現れている。『God Told Me To』では、シルヴィア・シドニーやサム・レヴィンといった俳優が重要な役どころで起用されていて、作品に重みを添えている。また、『悪魔の赤ちゃん』の音楽を書いたバーナード・ハーマンに作品が捧げられていることも見逃せない。こうした目配せも、デ・パルマヒッチコックへのオマージュと比べると地味なものに見えてしまうが、こういう部分もコーエンらしいといえるのかもしれない。

『God Told Me To』は、決して完成度の高い作品ではないかもしれないが、ラリー・コーエンが撮った最も実験的な作品の一つであり、のちの映画作家たちに与えた影響も大きい。ホラー映画・SF映画のファンであるならば必見の作品である。


ラリー・コーエンは『悪魔の赤ちゃん』のせいで何かホラー映画の監督というイメージが付いてしまっているが、実は、デビュー作はコメディだったし、30年代ギャング映画を黒人キャストで取り直したようなブラックプロイテーション映画『ブラック・シーザー』なんてものや、エドガー・フーヴァーの伝記映画まで撮っている。しかも、そのほとんどすべてを自分で脚本を書いているだけでなく、原案も自分で考えている。そういう意味で、かれは完全な〈映画作家〉である。脚本家としての実績も含めて、ラリー・コーエンという作家の全貌はまだまだちゃんと語られていないといえる。機会があればまた取り上げたい。


ところで、この映画は「God Told Me To」というタイトルで作られたのだが、〈神〉が犯罪を行わせるという意味の原題は、保守的な観客などから批判され、結局、「Demon」(悪魔)というタイトルに変更されてしまった(実を言うと、この映画では宗教問題とからめて同性愛が問題となっていて、それが余計に物議を醸すことになったのである)。しかし、この映画に描かれているのは、クローネンバーグの、『スキャナーズ』を彷彿とさせる、曖昧模糊とした〈善〉と〈悪〉の対立であって、どちらが〈善〉であるかも途中でわからなくなり、最後も、結局、誰が勝ったのか判然としない終わり方をしている。これを〈悪魔〉の話にしてしまうと、切っ先が鈍るどころか、作品の意味がほとんどなくなってしまいかねないだろう。それにしても、カトリック国でもない日本でも、なぜ「ディーモン/悪魔の受精卵」などというタイトルをつけて、〈悪魔〉の話にしようとしているのか、意味がわからない。

---

下の日本版 DVD は見ていないのだが、「4:3」と書いてあるし、写真を見る限り、どうやらオリジナルのヴィスタ・サイズをスタンダードにトリミングしたもののようだ。ワイド版になっているとコメントしているレビュアーもいるようだが、「ワイド」の意味がわかっていないか、他のエディションと間違っているのだろう。わたしなら海外版の Blu-ray を買うが、もちろん日本語字幕はついていない。


2017-01-05

[]G・W・パプスト『財宝』――パブストが撮ったただ一つの表現主義映画



明けましておめでとうございます(今年になって、この言葉を初めて口にした、というか書いた)。今年も、昨年同様、のんびりとやってゆきます。


G・W・パプスト『財宝』(Der Schatz, 23) ★★

パプストのデビュー作であり、彼の最初にして最後の真に表現主義的作品。

リアリズム、というよりも自然主義的な作風で知られる*1パプストだが、この監督デビュー作においては、冒頭の家の外観を捉えたショットからラストに至るまで、文字通り表現主義的なスタイルが貫かれている。表現主義の影響ならばその後のパプストの作品のあちこちに見て取ることができるが、これほどあからさまに表現主義に近づいた映画は、パプストのフィルモグラフィーにおいてこの作品だけだろう。「光と影の美がしみついた表現主義映画監督であるならば、だれがこの映画の監督であってもよかったであろう」(ロッテ・アイスナー)というは多少言いすぎであるにしても、この作品にはパプストらしさがいささか欠けていることは確かである。

マリボル(現在のスロヴェニア)で、鐘作りをしている職人の家が物語の舞台である(鐘作りというと、タルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』の荘厳な鐘づくりのシーンを思い出すが、あんなに大規模なものではない。家族だけでやっているようなもっとこじんまりしたものである)。かつてこのあたりの土地はトルコの侵攻を受け、そのときどこかに莫大な財宝が隠されたと言う。だれもまともに取り合わないそんな噂を、鐘作りの親方の助手(ヴェルナー・クラウス)ただひとりが信じこんでいる。

舞台となる家は、外側にも内側にもひとつとして直線がない。家の内部の壁や天井は手で粘土をこねて作ったようなぐあいで、まるでポール・トーマス・アンダーソンの映画に出てくる狐が住んでいた穴倉のようだ。バルネットの『トルブーナ広場の家』に出てくるものにも似たむき出しの階段が家の上下をつなぎ、家の中心には大黒柱ならぬ、大黒樹とでも呼ぶべき一本の太い木の幹が据わっていて、その枝が家全体を支えているように見える。

真夜中に、洞窟のような薄暗い廊下を、ろうそくの明かりだけを頼りに、『エル・スール』のオメロ・アントヌッティが持っていたような2本の探知棒(?)を手にして、うろつきまわるヴェルナー・クラウスの姿が不気味だ。財宝の噂を信じこんでいるクラウスを、親方とその女房は最初は笑いものにしていたのだが、クラウスが大黒樹の幹のなかに宝を見つけたと知るや否や(実際は、親方の娘の恋人が最初に見つけたのを横取りしただけなのだが)、ふたりの態度は一変する。親方の娘に片思いをしていた醜いクラウスが、財宝を譲る代わりに娘をくれと頼むと、親方と女房はあっさりと、娘をクラウスにやる約束をし、お宝を酒の肴にして酔いつぶれる。こういう醜い人間の姿は、パプストの以後の作品でも繰り返し描かれるものだ(人間の貪欲さについていうならば、前に紹介した『懐かしの巴里』における守銭奴のシーンが思い出される)。

親たちが財宝に酔いしれているあいだに、金には興味がない娘はクラウスの求婚をきっぱりとはねつけ、恋人の彫り物細工師と一緒に家を出て行く。恋に破れ、自分にはもはや財宝しかないとばかりに、クラウスは、まだ宝が隠されていないかと、大黒樹の幹を狂ったようにまた掘り返す。すると、樹の幹が崩れ落ち、それと同時に樹に支えられていた家全体が緩やかに崩壊し、親方夫婦とクラウスはその下敷きになって息絶える。

たしかに、パブスト本来の資質が今ひとつ発揮されていない作品かもしれないが、デビュー作からこれだけの堂々とした演出を見せているところはさすがだと思う。クラウスの財宝への執着が、親方の娘への性的欲求と並列に扱われているところも興味深い。のちに『心の不思議』などといういささか幼稚な精神分析映画を撮ることになるパブストだけに、この財宝とはいったい何を象徴しているのだろうかと考えてみたくもなるが、まあ、そんなつまらない話はやめておこう。


*1:ディテールに異常にこだわる彼の〈リアリズム〉はときとして悪夢のような世界に通じ、同時代の新即物主義の流れに近いものとして捉えられれることも多い。

  
最近紹介したDVD