明るい部屋:映画についての覚書 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter



増村保造『大地の子守歌』[Blu-ray]
以前に情報がアップされたもののなぜか発売延期になっていたブルーレイ版がようやく発売されるようだ。

サミュエル・フラー『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』Blu-ray(輸入盤)

2016-07-29

[]アピチャッポン・ウィーラセタクンメコンホテル』





アピチャッポン・ウィーラセタクンメコンホテル』★★


アピチャッポン・ウィーラセタクンは映画作品を発表する一方で、映像を用いたインスタレーション作品を中心にした美術の個展をたびたび開いてきた。それらのインスタレーション作品は、彼が撮ろうとしていた映画から派生したものであったり、逆に、これらの作品から映画の企画が生まれることもあったようだ。彼の映画作品と映像インスタレーション作品は、このようにして同時発生的に作り出されてきたように見える。アピチャッポンが2012年に製作した1時間足らずの*1作品『メコンホテル』は、おそらく、そうしたインスタレーション作品と映画作品のいわば中間にあるような存在として見るべきなのだろう。


メコンホテル』のベースになっているのは、アピチャッポンがかつて脚本を書き、結局映画化されることのなかった『エクスタシー・ガーデン』という人喰い幽霊をめぐる映画の企画である。メコン河を一望するホテルが『メコンホテル』の唯一の舞台であり、そこでこの『エクスタシー・ガーデン』の撮影リハーサルが行われている、ということらしい。映画はそのリハーサルの風景と、合間の俳優たちの素の姿を交互に映し出していく。もっとも、「エクスタシー・ガーデン」という言葉はこの映画の中では一度もつぶやかれないはずであるし、キャメラや台本を持った撮影クルーが画面に登場するわけでもない。これが『エクスタシー・ガーデン』という映画の撮影リハーサルだというのは、あくまで映画外から得た情報にすぎないのである。冒頭、アピチャッポン自身が現れて、ギターを演奏する男と会話をする場面に、説明のようなものがわずかに感じられるだけだ。

たしかに、母親の幽霊が娘の肉体をむさぼり喰らうシーンがあったかと思うと、その直後に2人がホテルのテラスであっけらかんと喋っていたりするわけだから、ここでは撮影リハーサルと俳優たちのドキュメントが同時進行しているのだろう。しかし、そのリハーサルとやらがキャメラによって撮影されている時点で、それはもうリハーサルとは呼べないわけだし、フィクションを撮っているはずのその同じキャメラが捉える俳優たちの現実も、すでにドキュメンタリーと呼ばれるものからどこかずれはじめている。

ところで、このギターの演奏は、この映画の上映の間中ほとんど途切れることなく流れつづける。まるで、この映画自体が、この演奏を聴かせるために即興で撮り上げられたものにすぎないとさえ思えてくるくらいだ。アピチャッポンはミュージック・ビデオと言ってもいいような短編をすでに撮っているが、この映画をミュージック・ビデオと呼ぶことは決して間違いではないだろう。ギターを演奏している男はアピチャッポンが長い間会っていなかった旧友で、偶然再会した彼がミュージシャンになっていたことを知り、この映画に登場させることになったという。このミュージシャンとの偶然の出会い、撮られることのなかった映画の脚本、そしてメコンホテルという場所。これらによるコラージュ(あるいはブリコラージュ)によって生まれたのがこの映画なのである。


絶えず視界に広がるメコン河――、タイとラオスの国境の間を優雅に流れるこの河の存在が、この映画のテーマのありかを指し示している。ぼんやりと曖昧に揺らぎはじめる〈境界〉。俳優たちが〈ドキュメント部分〉で話題にするのは、タイを襲った大洪水であったり、移民の話であったりと、どれも境界線をなし崩し的に曖昧にしてしまう事柄ばかりだ。

人物がテラスに立つと背景いっぱいにメコン河の水面が広がる。まるで、このホテル自体が水面に浮かんで境界線上をゆらゆらと漂っている箱舟のように思えてくる。アピチャッポンの映画に慣れ親しんできた観客なら、この曖昧に揺れている時空に身を任せて、ゆっくりと心地よく漂っていられるだろう。しかし、そうではない観客にとって、はたしてこの映画はどこまで鑑賞に堪えうる作品になっているのだろうか。それは少しばかり疑問ではある。映画祭で見られるためだけに撮られた映画祭用の映画、というネガティヴなレビューが散見されたのもわからないではない。この映画は、映画作品とインスタレーション作品の中間のようなものとしてみるべきだと言ったのは、そういう意味である。

河を旋回する水上ボートと、ゆっくりと流されてゆく流木をフィックスで捉えた数分間はつづくラストショット(キアロスタミが『Five』で岸辺を漂う流木をクロースアップで捉えつづけたのと同じことを、ロングショットでやってしまったような)も、そのようなものとしてみるべきなのだろうか。インスタレーション作品を前にした鑑賞者が、思い思いの時間にその場を立ち去るように、この長い長いショットに途中で飽きればいつでも立ち去ればよいということなのか。

ところで、『メコンホテル』には、川岸の砂をシャベルカーが掘り出している様子を俯瞰で捉えたショットが出てくる。あれはいったい何をしていたのだろうか。『光りの墓』にも、シャベルカーで土を掘っている場面が出てくるのだが、あれも結局なにをしているのかわからなかった(こういうところだけはアピチャッポンに黒沢清に近いものを感じる)。一見無関係な2作品の見せるこの符合は単なる偶然なのだろうか。それとも、無意識のイメージの反復なのだろうか。掘り返される土=過去・記憶の回帰? 例によって、この映画も見終わった後にいくつもの謎を残すが、このシャベルカーのイメージは最大の謎の一つである。

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メコンホテル』は未公開だが、数年前に東京フィルメックスで上映されたらしい。『光りの墓』のブルーレイ(下写真)は、わたしが持っているものと同じものなので、特典に『メコンホテル』が収録されているはずだが、Amazon.jp の該当ページにはなんの記載もない。Amazon.com で同じ番号の商品を調べると、ちゃんと『メコンホテル』が収録されているとの記載があるので、間違いはないと思うが、念のために自分で調べてほしい。(『光りの墓』については、また別の機会にでも取り上げたいと思う。)


*1:この映画には、61分版と 57分版の二つのヴァージョンが存在する。

2016-07-24

[]新作DVD――マノエル・ド・オリヴェイラ『ブロンド少女は過激に美しく』、加藤泰『骨までしゃぶる』、小川紳介『1000年刻みの日時計 牧野村物語+京都鬼市場・千年シアター(2in1)』ほか




輸入盤からも気になるものを何本か。ツイッターではだいぶ前にふれたけれど、ここでは紹介していなかったものもついでに。まだまだあるけれど、追々。


エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件』(The Criterion Collection) [Blu-ray]





ジャック・リヴェット『Out 1 (LIMITED EDITION DELUXE BOX SET, DUAL FORMAT: 6 BLU-RAYs & 7 DVDs)』




ミゲル・ゴメス『Arabian Nights』




シャンタル・アケルマン『No Home Movie』 [DVD] [Import]




ジャン・ルノワール『La chienne』 (The Criterion Collection) [Blu-ray]

特典に『赤ん坊に下剤を飲ませろ』が入っている(はず)。



ガス・ヴァン・サント『追憶の森』 [Blu-ray] 、『追憶の森』 [DVD]

『ヴィクトリア』 [DVD]

全編140分ワンカットで撮影されたクライム・サスペンス。


『悪女映画傑作選 DVD-BOX Vol.2』

悪女映画傑作選を収めたDVD-BOXの第2弾。「乗馬練習場」「テンション」「容疑者」「ミルドレッド・ピアース」「ショックプルーフ」の5作品を収録。再パッケージものですね。


フィリップ・カウフマン『ワンダラーズ HDニューマスター版』 [Blu-ray]



ルチオ・フルチ『マッキラー -HDリマスター版-』 [Blu-ray]

そんなに大した監督ではないと思うのだけれど、『ビヨンド』とか、この『マッキラー』とかは、ホラーファン以外にももうちょっと評価されていいのではないかと思う。


『愛すべき女・女(めめ)たち HDリマスター版』 [DVD]

ジャン=リュック・ゴダール、オータン=ララらによるオムニバス映画。


フェデリコ・フェリーニ『カサノバ <HDニューマスター版> [Blu-ray]


マノエル・ド・オリヴェイラ

オリヴェイラの長すぎた晩年の若々しい二大傑作。『階段通りの人々』以後の作品の中では、ひょっとするとこの2本が私はいちばん好きかも知れない。『アンジェリカの微笑み』のメリエス的ファンタジーも忘れがたいが、とりわけ『ブロンド少女は過激に美しく』のあえて言うならばB級フィルム・ノワールのような簡潔な幕切れとラスト・ショットには震えた。



『ブロンド少女は過激に美しく』 [Blu-ray] 、『ブロンド少女は過激に美しく』 [DVD]






『アンジェリカの微笑み』 [Blu-ray] 、『アンジェリカの微笑み』 [DVD]


ナンニ・モレッティ『母よ、』 [DVD]




加藤泰『昭和おんな博徒』 [DVD]、『骨までしゃぶる』 [DVD]、『懲役十八年』 [DVD]、『真田風雲録』 [DVD]


小川紳介『ニッポン国 古屋敷村』 [DVD]、『1000年刻みの日時計 牧野村物語+京都鬼市場・千年シアター(2in1)』 [DVD]


増村保造『大地の子守歌』






蓮實重彦『伯爵夫人』




『論集 蓮實重彦』

2016-07-08

[]リチャード・クワイン『媚薬』『求婚専科』





リチャード・クワインのことなどいまさら話題にしてもさして興味を引かないだろうことはわかっている。たしかに偉大な監督とはいえないだろう。つまらない作品もたくさん撮っている。しかしわたしはかれが撮った何本かの作品が本当に好きなのだ。とりわけ『殺人者はバッヂをつけていた』『媚薬』『逢う時はいつも他人』、それに『悪名高き女』といった作品が。

「偉大な映画作家たちのひそかな核心を分析するあまり――その分析はたいていの場合成功しているのだが――、魅力、感受性、繊細さといった〈マイナーな〉資質がまったく無視されるようになってしまった。ラングやプレミンジャーやミネリにおいて、そうしたマイナーな資質が仕方なく認められることはある(そうした資質はかれらにおいては超越されているからだ。だれもいまさらミネリを、バレエ演出のことで褒めはしない)。だが、それらが演出全体の最終目的となってしまっている映画監督たちにおいては、そうした資質は軽蔑されるのである。名前を挙げるなら、チャールズ・ウォルターズ、ジョージ・シドニー、とりわけリチャード・クワインといった監督たちだ。なかでもクワインの『媚薬』と『逢う時はいつも他人』は、繊細さ、優雅さ、上品さの驚くべき結晶である」

カイエ・デュ・シネマ1962年8月号に掲載された「リチャード・クワインを導入=紹介する」という、クワインのインタビュー記事のなかでベルトラン・タヴェルニエは上のように書いている。たしかに、ウォルターズ、シドニークワインといった監督たちは、「作家」と呼ぶには弱々しく思え、「カイエ」の作家主義とはあまりなじまなかったものたちだったと言えるだろう。

こういうインタビューが行われていたわけだから、リチャード・クワインは「カイエ」で決して無視されていたわけではない。ゴダール1956年のベストテンの10位に『マイ・シスター・アイリーン』を選んでいるし*1セルジュ・ダネーも『求婚専科』についてのレビューを書いたりしている。しかし、クワインが「作家」として認識されていたかどうかと言うと、それは非常に疑わしく思える。2000年代になっても、『媚薬』がリヴァイヴァルされたり、『逢う時はいつも他人』が DVD 化されたりした際にクワインが「カイエ」で取り上げられたことが、わたしが記憶しているだけでも数回あった*2。しかし、やはり再評価と呼ぶにはまだ程遠い段階であるというのが、今のリチャード・クワインの現状であろう。


『媚薬』(Bell, Book, and Candle, 58)★★★

「―今までなにをやって来たんだい? まさか非米活動かなんかに関わってたんじゃないだろうね?
―いいえ、わたしは生粋のアメリカ人よ。大昔からいるアメリカ人」

「あなたはわたしに素敵なものをくれたの。わたしを不幸にしてくれたのよ」


まだまだ重要な作品を見逃しているのだが(とりわけ『マイ・シスター・アイリーン』『スージー・ウォンの世界』『ホテル』。特に『ホテル』)、わたしが見たなかでは、『媚薬』は、『殺人者はバッヂをつけていた』『逢う時はいつも他人』などと並ぶクワインの最高傑作といってよいだろう。

雪のちらつくニューヨーク。通りに面した怪しげなアンチーク・ショップのショーウィンドーがまず映し出される。場面が店内にかわり、棚や壁一面に並べられたアフリカのものらしき不気味な仮面や木彫りの彫刻をキャメラがなめるように画面に収めてゆく。ただのレプリカだとは思うのだが、どう見ても本物にしか見えない。昔の大映映画などを見ていても思うのだが、美術の小道具が、小道具とは思えない存在感を持ってそこにあるという感覚。こういう感覚は、最近の映画を見ていて抱くことはほとんどなくなってしまった。このアンチーク・ショップのオーナー(実は魔女)を演じる主役のキム・ノヴァクさえまだ登場しないこの出だしの数ショットを見た瞬間から、わたしはこの映画にすでに魅せられはじめている。

恋をすると魔力を失ってしまう都会の魔女(キム・ノヴァク)が、同じマンションに住む男(ジェームス・スチュワート)に恋をしてしまう……。ルネ・クレールの『奥様は魔女』を思い出させもする陳腐な物語ではある。しかしクワインが見せる上品で繊細な演出、ジェームス・ワン・ハウがこの上なく美しいカラーで捉えてみせる雪の舞うニューヨークの街路、ワイルダー作品に比べればずいぶんと抑えた演技をしていて好感の持てるジャック・レモン、そして何よりも、美しさと怪しさの化身のように現れるキム・ノヴァクの、力強くもありまた弱々しくもある可憐な姿を見れば、だれがこの映画を嫌いになれるだろうか。

ヒッチコックの『めまい』と同じ年に、同じノヴァクとスチュワートを主演にして撮られたこの映画を、ベルナール・エイゼンシッツは「『めまい』のオプティミスティックなヴァージョン」と評していた*3一人二役を演じるキム・ノヴァクに『めまい』のスチュワートが魅惑されると同時に引き裂かれるように、『媚薬』のスチュワートもまた、魔女としてのノヴァクと女としてのノヴァクという彼女の持つ二面性に翻弄される。

この映画には『めまい』のような螺旋階段も出てこないし、むろんキム・ノヴァクが高いところから落下する場面もないが、マジソン・スクエア・パークを遙かに見下ろす映像に画面オフから声が重なり、つづいてフラットアイアンビルディングの屋上でキスし合うノヴァクとスチュワートが現れ、やがてスチュワートがビルから投げ捨てた帽子が、ゆっくりゆっくりと落ちてゆき、雪に濡れた舗道に着地するまでを、キャメラがパンダウンして画面に収めるシーンが忘れがたい。

キム・ノヴァクが着る赤や全身黒の衣装も注目に値する。コスチューム担当は、ジャン・ルイ。『ギルダ』のあのエロティックな長い手袋をデザインした人物だ。


有名な話なので改めて書く必要もないと思うが、監督のクワインキム・ノヴァクは当時恋人関係にあった。ふたりは『殺人者はバッヂをつけていた』『媚薬』『逢う時はいつも他人』と作品を連発するが、そのあとキム・ノヴァクが『黄金の腕』で共演したフランク・シナトラのもとに走ってしまう。破局した後で二人はもう一本『悪名高き女』という映画を撮るのだが、そのなかでクワインはノヴァクに、夫殺しのうわさのある女を演じさせるのだ!


『求婚専科』(Sex and the Single Girl, 64) ★★


ゴシップ誌の独身記者(トニー・カーチス)がスクープ記事をものにするために、身分を偽り、患者として売れっ子の女精神科医ナタリー・ウッド)に近づく。記者は、うまく患者のふりをするために友人夫婦(ヘンリー・フォンダローレン・バコール)の抱えている問題をまるで自分のことのように女医に話して聞かす。記者にすでに惹かれはじめていた女医は、かれが既婚者だと思い込んで悩む……。

原題はたしか原作通りだったと思うが(物語に登場する女医が書くベストセラーのタイトルも同じ)、扇情的なタイトルが想像させるようなきわどい部分はまったくない。

映画の前半は、ナタリー・ウッドトニー・カーチスといった新世代の俳優たちによるアステア=ロジャース風のロマンチック・コメディ。嘘と誤解によって話がこじれてゆき、クライマックスは思いもかけない大カー・チェイスになる。関係者全員と、タクシー運転手や白バイ警官などが入り乱れ、乗り物を奪い奪われ、奪い返してのスラップスティックな大活劇は、なかなか面白いと言えば面白いし、古めかしいと言えば古めかしい。

こういうロマンチック・コメディはクワインが得意としたジャンルで、数多くの作品を撮っているが、わたしの印象では、こういう映画を撮っているときのクワインがいちばんつまらない。しかし、そのなかではこの『求婚専科』は最も成功した作品のひとつであるとは言えるだろう。





ほんとうは、『殺人者はバッヂをつけていた』『逢う時はいつも他人』『悪名高き女』についても書きたいところだが、いずれも見たのはだいぶ前なので、記憶があやふやな部分も多い。また見直したときに、改めてクワインについては論じたいと思う。

日本語でクワインについて書かれた文章はほとんど記憶にないが、『殺人者はバッヂをつけていた』については、山田宏一『新編 美女と犯罪』所収の「キム・ノヴァクはバッヂをつけていた」という素晴らしい文章のなかでふれているので参照のこと。

*1:ちなみに、この年のゴダールのベストテンは、1.『アーカディン氏』 2.『恋多き女』 3.『知りすぎていた男』 4.『バス停留所』 5.『悪の対決』(アラン・ドワン) 6.『アナタハン』 7.『抵抗』 8.『不安』(ロッセリーニ) 9.『ボワニー分岐点』 10.『マイ・シスター・アイリーン』

*2:実を言うと、わたしがクワインという監督に初めて興味を持ったのは、ステファン・ドロルムが『逢う時はいつも他人』について分析した文章、というよりも、それに付されていたこの映画のワン・シーンから取り出された連続写真を見たときだった。まるでダグラス・サークの映画のような影の濃いカラー画面にとても興味を引かれたのだった。

*3:出典は不明だが、ジョナサンローゼンバウム『Goobye Cinema, Hello Cinephilia』所収のキム・ノヴァク論にそう書かれている。

  
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