Paul Frankl 「建築史の基礎概念」

卒論生、M1の研究室読書会に混ざりました。
「建築史の基礎概念」(パウルフランクル著、香山寿夫)
2,3年前に読んだときはさっぱりわからなかったのですが、再読すると名著だなと改めて思いました。
WIKI日本語に著者紹介は出ていませんが、英語で出てました。
http://www.dictionaryofarthistorians.org/franklp.htm
Paul Frankl は20世紀前〜半ばの建築美術史家。ヴェルフリン(「美術史の基礎概念」)学派です。ヴェルフリン学派の共通点は、美術作品の形態的特色を徹底的に分析し、それら特色は歴史や技術ではなくて内部的な必然性によって変遷すると考える点です。例Gギーディオン。

「建築美論の歩み」(井上 充夫著)によると「本書ではヴェルフリンの『ルネッサンスバロック』のテーマと方法を継承し、それを補足・修正する意図をもってかかれて」いるそうです。「美術史〜」は、対概念で区別していくことで16,7世紀芸術の様式展開を、時代に特有の視覚形式と解明することで説明しようとしたものです。芸術作品を詳細に観察する過程で、ルネッサンスバロックから5組の対概念(線画的、平面的、閉ざされた形式、多数性、明瞭性)を設定しました。
「〜史の概論」共通してすごい点は、設定した対概念であらゆる時代の作品を観察し語ることができる、言語化が可能だということです。

研究会で後輩が「建築史〜」の第二章「物体形態」のまとめるに、パウルが用いたメタファを各段階ごとに記載していて、目から鱗でした。
パウルさんが本論でしたことは、ルネッサンスから19世紀までを4つの段階としました。各時期の建築を4つの要素(空間・物体・可視・目的)に関して検討し、その特色を抽出したことです。第二章では建築の「力の表現」の特徴を表すのに、ルネサンスは「小さな島にただ一人満足気に立つ英雄」であり、バロックでは「圧倒的な潮流に立ち向かって泳ぐヘラクレスのような人物」とたとえています。ルネサンスの「力の表現」は力強さの発生する源で放射で広がる。それに対してバロックは力の伝達で、浸透する力への抵抗がみられる。
パウルフランクの使う言葉が詩的なんだけどわかりやすい!というかそれが説得力のある形態論なんだあ。気づいていた後輩もすごいし、パウルもすごいっす。

Paul Frankl 「建築史の基礎概念」パート2 要約

(表は「建築美論の歩み」を参考に私が再度つくったものです)

第一章が具体的でわかりやすいです。
加算的空間。
サンピエトロのブラマンテ計画案を参考に見るとわかるんですが、全体の平面フォルムは単純なギリシャ十字に十字の先端に半円が付属しています。中心点でさらに十字平面を45度回転してコピペしたみたいな形になっています。中心十字に対してコブみたいに礼拝堂がついています。塀面全体としてはそれぞれの空間で独立性を保っていて、空間的魅力が倍増するわけじゃない。掛け算というより足し算的に礼拝堂がついています。

割り算的空間は、部分よりも全体が優先していて、それぞれの部分的な空間は独立性も完結性ももたない。平面では円や長方形が相互に貫通し合っている。
私流で説明します。CAD操作で例えると、こんな感じ。
加算的はそれぞれ円と長方形が独立して接近している状態。

割り算では「結合」ツールを使った後の状態に近い感じ。それが断面的にも割り算的である。たとえばヴェネツェアのサンジョルジョマッジョーレは平面は身廊側廊が一体となっていますが、断面的にみると異なる幾何学の天井が接しています。身廊の天井がルネット(半円形アーチ)で側廊交差ヴォールト。部分が全体空間の断片にすぎないというのが割り算的です。
今度ロココはその結合の仕方がさらに複雑でぐにょぐにょーんとした結合操作しています。立体的とかS字曲線のてんこもりです。

断面でも幾何学が食い違ってくっ付いているように見える。

19世紀はどうかというと、、、、ニュートラル。共通特色がないっていうんです。あらー。強烈な個性を打ち出したロココの後は、つかみにくい空間形態。


パウルさんの論は細かく見ていくと、その観察眼と豊富な語彙で非常に参考になります。が、19世紀を如実に語ってほしかったのお。

伊坂幸太郎 『終末のフール』

生きることの意味を考えるのに、生の反対「死」を想定する。
もし同じ場所にいる人がみんな同じ時に消滅すると分かっていたら。

8つの短編物語。全物語に共通の背景は、8年後に地球滅亡すると予告されてから5年。
予告直後は映画「アルマゲドン」のようにパニックに陥った世界も、小康状態にある。
仙台の団地住民たちが終末までのわずかな時間で人生を見つめなおす。自然消滅前に残された時間で何をするのか、生きることの意味は?

崩壊した家庭の再生とか、ボクシングに打ち込む青年とかいろんなストーリーがあるのですが、私の一番おすすめの編は「冬眠のガール」です。
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終末が来る前に急に恋人を作ろうと思い立った少女の話。
両親が滅亡予告直後に自殺して取り残された少女が、家に引きこもり、父親の書斎にある膨大な量の本を読み続ける。4年かけて読破し、スーパーに行った先で偶然会った同級生に「彼氏なしで終末を迎えるのは悲しいよね」というようなことを言われる。よし、作るか、と思い立つ。
父のビジネス書にあった『新しいことをはじめるには、3人の人に意見を聞きなさい』という言葉に習って、彼女は1人目はあこがれの人に、2人目は理解不能な人に会いに行く。
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このストーリーは彼氏探しのためのアドバイスをもらう旅がメインです。彼女の生き方から、終末前というより週末前にやり残してる宿題をみつけて、月曜日までにやるかという気長な感じの印象を受けました。冬眠前の熊さんが栄養を少しずつ貯めていくようなスピードで。
死にたくないと必死にもがこうとする人がいる一方で、限られた時間の中でマイペースにやるべきことをやろうと生きる人がいる。

この本を通じて、
限られた時間・空間の中で、マイペース、マイスペースをつくる過程、それが経験であり、経験の蓄積がひとつの人生なんだなと思いました。
逆にいえば、ひとつの人生があるから、その人がみているモノがあって、立っている空間があって、そこで何かをしていたという時間もある。ひとつの人生を何人分もつなぎ合わせていったら、広がった空間と無限の時間の存在を確認できる。
あれ?よくわからん。考えがまとまらん。今日はおわり!

すっごくひさしぶりです。
ブログ再開です。というか、期間空きすぎ。新設に近いです。
帰国したからreiko-belgiumも改名しよーかと思ったのですが、
ベルギ―の名前を残しといたら、また海外に行ける機会があるんじゃないかなと☆
いまの近況は、やっと身辺落ち着きまして
就活から修論モードに入りますっ。
今後は修士論文のことを中心に更新していきたいと思います。










私は建築意匠設計の研究室ってことで、何かしら建築の意匠論を書くつもりであります。

机の上でうううううううぅと考えているのは私の性に合わない。外でのんびり体伸ばしながら考えたいな、という甘い考えでテーマを決めました。

テーマは19世紀あたりの「時間・空間・温室建築論」です。
「温室育ち」だからというわけではないです。

ベルギーでラーケン温室に行って感動したんですが、なにがすごかったと、空間的魅力をどーしても伝えられなかった。それがどうももどかしくて、論文のテーマに取り上げようと思いました。
なんで感動するんだろう。
なんにも考えないで訪れると、なにか大きいものを感じました。
産業革命以降の鉄の技術が〜、とか、従来の様式に囚われない装飾性の〜、用・強・美の跛行状態が、とか、うんちくは抜きにして。

温室にするかはまだ決めていませんが、「鉄とガラスの大空間」を空間記述していきたいと考えています。
前回の研究会でお尻にちょっと小さな火が付きました。
今後ちょこちょことアップしていきます。

三島由紀夫

長らく日本語で感情を考えないと、言葉を忘れることよりも心情を忘れるスピードが早くなりました。

最近では、ベルギー生活、おもしろかったんだけど、なにがどうおもしろかったんだっけ?と思い返しながら、伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」読んだりしてます。撮影話とかまあおもしろいんだけど、日本語でいってもおもしろくないジョークを全文日本語訳したり、共感できないとこもある。文章のだらだら加減がちょうどいいです。


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帰国後、急に読みたくなったものが「三島由紀夫」。
ヨーロッパで見たものの多くは、ゴシック建築をはじめ人工的な美が多かったけれども、なかには写真や一言ではあらわせられない美があったと思う。はっとするような青空など日常的なものから、人には理解されがたいことであったり。
「女神」の美。一番目につきやすく、見てだれもが認めるが、外ばかりに気を取られて芯までは気付きにくい。とってもおもしろかったです。


三島由紀夫「女神」。

女性美を追求し続ける男と妻子のストーリー。美から醜へと転落し夫への憎悪を抱く妻。外見・中身ともに女神の娘。

場面は美娘と父のショッピングからはじまる。娘の服装、持ち物、しぐさ、考え方、すべてに口出しする父。
妻は絶世の美女であった。長い外国生活の中、夫は理想の女性に仕立て上げるため妻の妊娠すら認めなかった。しかし、妻は娘をみごもり、東京大空襲で顔に火傷を負った後は部屋に引きこもり、夫への復讐に燃える。やがて夫は中学生になった娘をみて、妻ゆずりの美しさに気づく。偏執的な美教育がはじまる。品評会の犬のような教育を受け入れる娘。妻娘の人工的な美しさは父によりつくられる。娘は父に反対されながらもけが人をとっさに助けたりと、内面の美しさは自然と形成されていく。最後は失恋・破局・母の復讐を受けて、娘はひとりぼっちになる。失意のどん底の父は娘に許しを請う。ラストは「やっと二人っきりになれたんだわ。」の一言が父の幸福をみたす。父の目には本当の女神に映る。

帰国準備

今週は帰国のために身辺・荷物整理。

プリンターをクリーナーで磨いては、スタジオのチームメートとの冬のやりとりを思い出し、食器棚を洗剤で磨いては購入時の状況を思い出す。
リストをつくって、収納箱やらドライヤーやら破格の値段で売り払ったらちょっとすっきりした。
高値をつけるより、知ってる人にもらわれたほうがうれしいと思って。

あとは今週末にインターンをおえて、あとは1週間イギリス+スコットランド行き、日本帰国です。あっという間。

6月 ”An image can take the place of a word in a proposition”

6月25日 
夕方荷物をまとめはじめる。本だけで段ボール2箱になった。紙やパンフレットためすぎかも。旅やブリュッセルの生活の思い出、感傷に浸る。ゆっくりやっていたら夜中までかかった。



6月26日
朝 マイケルジャクソン突然の死、事務所ではその話題でもちきり。
ブリュッセルは7月10日からビルディングホリディーで2週間デザイン・建設・作業がすべてストップする。最近事務所内、昼間は他事務所との会議が多い。




先日、マグリット美術館にいった。6月にオープンしたばかり。
日本を離れる前に、友人から「ベルギーと言えばマグリット」と言われてはじめて知った。おがち教えてくれてありがとう。パリ組の子が2月に「王立で闇の帝国ぜったいおすすめだよ!」と推薦してもらって、4か月たったいまやっとでみた。「やっばい」の言葉しかでない。ほんと実物をみれてよかった。青空の下、真っ暗な森。上半分は昼間、下半分は夜という矛盾した絵。木々の中に一件の家。暗闇の中、家の前に1本の街灯がぼーっと家の玄関前を照らしている。2階部分だけ雨戸が開いて、2つの窓から家の中の明かりが漏れている。

あり得ないでしょ、と思うけど、夏のベルギーの夜はそうかも。10時まで明るく青空がみえる。秋冬春の暗さがうそみたいだ。「闇の帝国」のわたしの勝手な解釈。「夏の夜。外にでて遊ぶのもよし、家の中でゆっくりするのもまたよし。」

マグリットのなかで私が好きな言葉
”An image can take the place of a word in a proposition”
「なにかいわんとしたとき、ひとつのイメージがひとつの言葉におきかえられる。」(reiko訳 あってるかな?)
何かを考えるとき、単語と一部分の言葉が宙にういている。「これって、こういう感じで」というときに「これ」を手でしめして、「こういうかんじ」を体で示したり。フランス語で"Comme ca!"ってすごく便利。言葉がわからなければイメージで示して。