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ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜 RSSフィード Twitter

2018-04-08 哲学ってなんだろう? このエントリーを含むブックマーク

ロゴスの小径へようこそ。

哲学する、ってそもそもなんでしょうね?
最近「退屈」について二つの本を読みました。(正確には一冊読みかけ)

人間はそもそも根底の部分で退屈しているというテーゼ。

私は退屈なんかしていない、と思います?

退屈するような人は友達もいないし向上心もないし
仕事もやりがいがないような仕事をして
だらだら時間を過ごすダメな人、見たいに思ったりしません?

私はそう思っていました。

だからずっと時間を分刻みに刻んで予定を入れるように過ごし
常に勉強し、常に何かを目指して生きてきたように思います。

しかしそれでも
心の真ん中に空洞があるような何か虚しさを感じて生きてきました。

それを恋や仕事で埋めることは一時的には出来るのですが
すぐに飽きてしまいます。
つまりそれは退屈しているわけです。

退屈論ではハイデガーが有名です。

楽しいはずのパーリィwで
何もかもが充実しているような気がするのにどこか退屈している自分に気づいたりすること、
ありませんか?

無いのならいいんです。
それは幸せだと思います。

人間には根拠のない退屈が根底に横たわっていて
その問題はかなり古い哲学者からも指摘されてきました。

歴史的に見るとどうも1600年あたりが転換期だったようです。
それまでは、退屈とは貴族の証でした。

そうですよね、平民は日々の仕事、暮らしに忙しくて
退屈なんか感じる余裕がなかったのです。

一般市民の暮らしにだんだん余裕が出てきて現代に至っているのですが
そんななかで、貴族だけのものだった「暇」「退屈」が我々庶民にも広がっていきます。

そもそも貴族は、古くから退屈を紛らわすための知的遊びを発展させてきました。
それが文化ともいえますが

例えば日本なら 和歌や茶道や・・・

現代においても、たしなんでいる人しか楽しめませんよね。

庶民はたしなんでいないので、退屈を紛らわす術を知りません。

そこにつけ込んだのが資本主義ですね。

退屈を紛らわすために文化・・・しかし知的遊びには一定の訓練が必要です。
食べる楽しささえ、子供時代に舌を肥やしておかないと
味がわからない大人になってジャンクフードだけ食べていれば満足、ということに
なってしまいますから

本当の意味で退屈を紛らわすのは少しお勉強が必要なわけです。

でも、一般庶民はそんなことしたくない。

なので手っ取り早く、資本主義は「退屈」を紛らわす「刺激」を
売り物にしています。

それまでいろいろな「経験」が人生の退屈を紛らわすことだったはずなのに

今は自分ではやりたくない、

人のやったことに「いいね!」したりwetやテレビで刺激を受けたり
そうして退屈を紛らわすためにお金を使っています。

スポーツはしないのに、テレビで観戦して
あんなスイングじゃだめだ、とか走り込みが足りないからへばるんだ、とか言うだけで
退屈を紛らわせるのだから楽なもんですw

歌手の歌だけならまだしも、その歌手が食事をしたり旅をしたりするシーンをテレビで見て
人生をすり減らして生きているわけですw
まあそれが本当に楽しければいいんです、もちろん。

しかしそれはいつか飽きてしまう。
学生時代に夢中になった芸能人、とか
いつの間にか飽きちゃいましたよねえ・・・w

飽きた隙間にはiPhoneがどんどんバージョンアップして売り出されたり

私たちはそこで何を買っているのか?
その考察がこちら



面白かったです。哲学を知らない人にも読みやすいです。
倫理学の本なので、どうすれば退屈は解消されるのかというアイディア・・・というか、
本を読むことが退屈解消に繋がらざるを得ないような作りになっています。

現代は、文化を知らずに手軽に手に入れられる刺激で退屈を埋めている。

だからすぐに飽きて、

流行のものはあっという間に忘れ去られますよね。

でもそれでもいいとも言えます。

VRとか技術がどんどん発達して
退屈をどんどんお手軽に安く埋めてくれて生きて死ぬ。

それを虚しい、と決めることは本来できません。

いいじゃん毎日が楽しく埋まっていけば。そう思います。

私は一時、ニート(あ、まあ専業主婦ともいいますが・・・w)をして
毎日ゲームしたりアニメみたり映画みたりして過ごしていた時期がありました。

最初は楽だし楽しいし。

でも1年で飽きました・・・。

現代では最新のゲームとかなら飽きないんですかね?

数年前犬の介護で仕事以外はいっさい外出できなかった時期に
やはりゲームとアニメを見まくっていましたが(好きなんですねw)

飽きましたね・・・すぐに。

幸運なことにその後哲学と出会い
残りの人生はそれを学んだりしているうちに終わりそうなので
退屈しそうにありませんがw

しかし思想の底に深く潜ると、
そもそも人間は

退屈だから戦争をし
退屈だから結婚し
退屈だから子孫をつくる

とも言える、というところに行きつきます。
これは今読みかけの哲学書。読了したらまた書きたいと思います。

しかしそんな根っこの部分を考えることに意味はありません。

人間がなぜ存在するのかというような問いに答えはなく
それを気にせず

文化を学ぶことで退屈が埋まる、とした方が
生きていくうえでより「幸せ」になれると思います。

それでもその根っこの部分がどうしても気になるし
そこを考えているほうがむしろ落ち着くというごく少数の人は
哲学してしまうんでしょうね・・・。

『哲学的な問題の特徴は、方向を決定するものが何か欠けているということ』
ラース・スヴェンセン

どう生きればいいか、より幸せか、というようなことを人は求めるのに
その方向を決定するものが欠けていると思われるものが哲学的な問題の特徴だというのです。

同じ宗教とか、そういう枠内では決めることができます。

倫理学的には
「方向なんてない、人それぞれ」と言えます。大事なことです。
これを認めないと戦争になります。

哲学は何をしているかというと
方向を探しているのです。あると信じて。でもそれは欠けていて、無いものなんだとわかってもいるのです。

なぜすべては「無い」のではなく「存在」しているのか?

というような考えても答えのないことを探してしまうのです。

そこに「神様」を代入できれば幸せだったのですけれど・・・。


この話、通じそうで通じないんですよね・・・

私の先生の著書にも

そういう絶望した人と語り合うことが人生の楽しみ(とは書かれていませんでしたが、意味合いとしてはそういう感じで)とあって共感しました。

とはいえ、絶望した!と悲惨に生きているわけではありませんw

この世の全てはある意味無意味であると思えるからこそ

遊ぶように生きることもまた可能になるからです。(そういう人たちにとっては)


いかがでしたでしょうか。
共感が少ないのは承知の上w

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2018-03-08 「人生の目的」 このエントリーを含むブックマーク

ロゴスの小径へようこそ。

最近、言葉で泣けたことありますか?

ここのところ、山内志朗先生の著書を拝読しています。
(先生 付なのは、私の大学の先生だからです)



私は数年前哲学と出会い

「真理」らしきものを追求し
心の空洞は埋まるのではないのかと

哲学を学んできました。

そして、世界のある意味「真理」ともいえる、「イデア」のようなものは

世界にはないのだと知りました。

そんなものは世界にはない。
神様を信仰していれば、神様が真理です。

でも無宗教の人には真理がわからない。

それを科学だと

今はまだ解明されていないけれど、科学が今後「全てを」解明していくのだと
無邪気に信じられていればよかったのですが
しかしそれを信じると、
自分が人生の目的を持てなかったり、そこに到達できないのは

自分が欠けているから
努力が足りないから

とかそういう結論にたどり着いてしまいます。

科学とは一種の宗教だと教えてくれたのは父で
その意味は当時はわからなかったのですが
二年前科学哲学を学んでやっと気づいたわけです。

そしてさらに世界の虚しさを知ってしまった。

世界に真理はない。

ないのに探したくなる。

人は何のために生きているのか
なぜ存在しているのか。

無いと知りつつ、イデアを探す。
哲学者たちの本に
自分の納得するイデアであればそれでいいやと思いつつ


話を戻し

山内先生の著書の存在を知ったのは

たまたま参加した西田哲学についての哲学カフェで
とある大学の先生に、

私の考えている話をすると、山内先生がいらっしゃるじゃないですか

と教わったから。

正直中世キリスト教に興味ないしーー
スコラ哲学について知っていることなんか
私のほんの少しの哲学の知識の中の、そのまたほんのほんの少し

大学の講義でもスコラについて習ったことは今のところないし。

けれど
先生の著書を読んで

私は今朝カフェで泣きましたよ。


「幸せなはずなのに、なぜか虚しい」

このブログの紹介にもそう書いていますし
ずっとそう思ってきました。

けれど、

それは幸せなんかじゃないということ。

そもそも「幸せ」の定義を間違っていたということ


そして

世界には真理はない。それはそうなのだけど

だから虚しさに落ち込むのではなく

では
この世界で自分はどう生きるかというふうに

視点を変えればいいということ。


たった一つの答えでは世界は捉えられないというのは
東洋の思想です。空の思想とか。

そこは薄ぼんやりやっと気づいた昨今だったのですが。


私の哲学の知識はまだまだまだまだまだまだですが

こんな道があったんだ!


まあ、それを単純に世界は自分が思う通りに生きればいい!と
科学を信じるように
信じられる自分ならよかったんだけど、

だとしたらそもそも哲学なんかに迷い込むこともなかったわけでw

その思想は
ドイツ観念論やフランスの哲学思想に繋がっていくという意味も

先日先生の講義に参加して気づきました。

私の頭の中にある知識は

飛び飛びの知識だったんだ・・・



人生の目的なんて

そもそも、ない。

ないけれど
作ることはできるわけです。

でも人生の目的は自分で作ればいい!と単純に信じられた人なら

やはり哲学には迷い込みませんw
それは一種の信仰だから。

信仰とは理由なく信じること(だそうです)。

信仰の持てない人は

そうするしかないんだということを

論理的にも
ある意味科学的にも

自分で本当に納得できる形で知る必要がある。

自分でいくら単純に

今日からこんな風に生きよう、とか決めても
目的に向かって真っすぐ進もうとか決めても

その根底の部分に
信仰か
論理的な納得か

せめてどちらかがないなら

実行できるわけがない。


哲学を学ぶある意味虚しさを伴う行為。
もちろん宗教に帰依できない(できる宗教がいまのところない)以上

虚しさはやはり死ぬまで続きますが

一度きりの人生を思い切り生きようと
そう思えるような思想に触れて

私は泣けてしまいました。

その虚しさまで言い当てられていたことも余計に心が揺れました。


またもや乱文ですね・・・汗

説明したいことがいっぱいいっぱいあって
もはや説明は難しいことに気づきました・・・

次回から中学生くらいの子に向けて書いてみたいなと思っています。
中学生、このブログにたどり着かないかなw

大人の方でも気づきがあると思います。
私の言うことは本や講座からのご紹介なので
私の発案じゃないですよw
だからこそ、気づきがある、だなんて自信をもってご紹介できるのです。興奮すると乱文ですがw

今日も最後までお読みくださってありがとうございました。

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2018-03-01

思い通りの人生を

ロゴスの小径へようこそ。

今日は愛犬の49日です。
仏教を信仰しているわけではないですが

人生で49日を数える経験はそうないので
やはり意識してしまいますね。

愛犬がいなくなって
私の人生は「自由」になりました。

もちろん自由の定義はいろいろありすぎて「」付にするしかありませんがw


私を縛っていたのはもちろん犬ではありません。

私自身です。

つまり人は自分の思い通りの人生を生きているのだそうです。


人生なんか、思い通りにいかない!!!!と

思ったりもしますよね。
もちろんそれは正しいのですが

ある側面でみれば、人生は思い通りに「しか」生きられないものです。


例えば、この世は死後天国に行くための修行の場だ

と考える人にとって人生とは「修行」です。


そんな風に
人生をどう捉えているかによって、その人の人生が決まるわけです。
決まる、とはその人にとって、という意味です。
つまり決まる、というよりは自分で決めるわけですね。

人生はつまらない
意味が無い

と思う人の人生はその通りのものです。

私も以前はそれに近かったですね・・・

人生とは死を迎えるまで我慢するもの

いえ、楽しいんですよ
けっこう恵まれた人生だと思っています。

けれど

人生には意味がなく目的もないと思っていたので
ある意味虚しいわけです。

仕事の成功だとか
自分の成長だとか
そういう自分なりの目的をもって
イキイキと生きている人がうさん臭い、じゃなかったw
うらやましい、と本当に思うわけですが


けれど犬の病死という私にとっては大きな出来事が

私に気づかせてくれたことは

自分の人生をどう生きたいかは
自分で決めるのだということ。

つまり

辛い出来事や苦しいことは誰にでもあって
避けられません。

けれど
それをどう受け止めるかは人それぞれ。

試練を自分の成長の養分だと思える人にとっては
それは養分なんでしょう。

人間関係のストレスの大きい人にとっては
人にどう思われるかがその人の人生なんでしょう


オリンピックなんか見てると
スキーのジャンプとかあんなに高いところから滑るなんて
怖くて絶対やりたくないです。寒いし。
メダルもいらないからやりたくないです。

でも

当事者にとってはそれは人生の全てなんだと思います。

もちろん私にとっての人生の全てとも言えなくもない(弱っ!!w)ことはあります。

でもそれは他人にとってはどうでもいいことだったりもします。

そもそも哲学でチマチマと細かいことを深く深く考えるなんて
どうでもいい人にはどうでもいいことです。



そんな風に
自分の人生をどう生きるかは自分が決めるのです。


自分が決めて自分で生きる。
それが世阿弥の言うような「花」ということの意味ではないでしょうか、とちょっと考えています。

自分の人生を生きるのに

「でも子供がいるから」とか「犬がいるから」とか「お金がないから」とか
そういう言い訳は全て不要です。

言い訳した段階でもう既に

言い訳するのが人生、になっていますから

その人の思い通りの人生=言い訳

ということになりますねw


変えられないものは変えられないのですから

そこからどう生きるか、ということを真剣に考えるということをしないと
自分が本当にどう生きたいかがわからないなら

それを目指すことも難しいですよね。


もちろん自然体でそれをやっている人もいますけれどね。
例えば・・・

寅さんとか?!w


人がどう思うかとか関係ないわけです。

まあ、
自然体でそれができない「常識人」の私たちは


考えるわけです。どう生きたいのかを。


私は決めています。

私は風に吹かれる雲のように生きるのです。


予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず・・・


旅するように生きるつもりです。


この世とは
お釈迦様があの世から遊びに、観光に来ている場所なんだそうです。

だからあなたも私も、お釈迦様なんだそうですよw

ひろさちやさんの本にありました)


死して他の世界に行くまでに
この世界を遊ぼう

風に吹かれるままに
したいことをしてしたいところに行こう


そう決めました。

それは実際旅行にも行きますが、旅行というだけの意味ではありません。

小さいことですが例えば


今日は会社が暇だったので早退しました。
そして図書館に行って、週末講座を申し込んだ哲学の先生の著書を借りてきました。

会社が暇でも誰も早退なんかしません。
会社に印象も悪いですし
結果的には稼ぎも減ります。

でも

私はその時したいと思ったことをしようと
そう決めたわけです。

もちろん何がしたいか、何ができるのかは人それぞれですが。


うーん、文章にすると難しいですね。

そしてこうしてチマチマと文章を書きつつ理論導き出そうとしているあたり私は

まだまだ風に吹かれるようには生きてはいなくて

ロゴスの小径の迷路の中にいるんだと思いますw


いえ多分一生抜けれないと思います、ここからは。

しかしそれもまた私の思い通りの人生の中に織り込み済みです。



理論ばかり追いかけてきたここ数年。
週末は大学の先生の講義です。スコラ哲学です。

楽しみ!!!

お金がかかるな、とか
時間が、とか
難しいかな、とか

そういう全てを乗り越えるちょっとした努力というか勇気もまた
長年犬の介護(先代、先々代とずっと介護をしてきました)をしてきて
気軽に出かけることに慣れていない私には

自分の本当に生きたかった人生を生きる一歩になっています。

風に吹かれる雲みたいに
自分の「好き」に押されて流れてみよう。

2018-02-12 心の空洞を埋めるには このエントリーを含むブックマーク

ロゴスの小径へようこそ。

心の空洞を埋める方法を探すために
主に哲学から学んだ知識を消化しご紹介するために
立ち上げた独り言のブログが
このブログです。

心の空洞を埋める方法は案外簡単でした。

先日私は愛犬を病気で失いましたが

その介護をしている間は

心の空洞なるものは
全くなくなりました。

犬の命を救うべくできるだけのことをしつつ
犬との時間の全てを愛おしむ。

それに集中している期間は

虚しいだとか考える時間はありません。

それは誰でも同じですよね。
私の場合は愛犬でしたが

人それぞれだと思います。

ラッセルが『幸福論』で

もし自分の子どもが病気になったら
なんとか治そうと必死になる。

人間の本性とは・・・とか
人はどこからきてどこへ行くのかとか
人生の目的とはなにかとか
心が虚しいとか

そういう全てはもうどうでもいいことです。

世界の全てがどうでもいいことで
オリンピックなんか超どうでもいいし
戦争もどうでもいい
殺人事件もどうでもいい
天変地異もどうでもいい

とにかく目の前の愛する命を救いたいと

ただただそれだけです。

心の空洞に意識が行くということは

心に余裕があるということだったんですね。

しかし同時に

愛犬を失った今

また俯瞰して世界を見ることになります。

そうしてそれはやはり虚しさを内包してはいるのですが


私の場合はまったく世界の景色がかわりました。

心の空洞は空洞のままで
埋まらないのだと気づいたからです。

埋めたいなら悲しみで埋めるしかない。

幸福を少しでも感じている間は
虚しさは常に忍び込みます。

楽しいはずの時間でもふと虚しさを覚えるように


でも悲しみで埋めるのなんか嫌ですよね。
だったら空洞のままでいい。

その空洞を抱えたまま

私は今後は旅をして生きていくつもりです。
旅をして描く。

実は久しぶりに漱石草枕を読みました。

画工(絵描き)である私には
あの主人公の自分語りが
本当にまんま自分です。

お読みになられていない方には
うまく言えないのですが

旅の中に
自然の中に

ある意味虚しさを内包したまま
そのまま生きるというような

ここには松尾芭蕉とか
スピノザとか
ニーチェとか

漱石の思想が垣間見えるのですが

その根底は荘子なんだそうです。

虚しさをなんとかしようと
目的論的に生きるのが西洋世界、
キリスト教思想の世界です。

でもこの虚しさもまんま自然であり
そのまま受け入れるというか受け止めるというか
自然の中の一部として生かされるというか
生きるしかないというか

人間の立ち位置って本当はそこです。

目的を持っても
実はそこに向かって真っすぐ生きるなんてことは
人間にはほぼできません。



こうして頭で理論を考えてしまうのが自分の癖ですが

そうではない部分を
また描きたいと思っています。

いかがでしたでしょうか。

応援クリックバナーを貼るのが面倒なのでwやめにしますw

今後はtweetで呟いてみようかなと思っていますので
もしよかったら覗いてやってくださいw

絵を再開できたら
Instaともリンクしたいと思っております。

2018-01-22 「生きる」ということ。 このエントリーを含むブックマーク

ロゴスの小径へようこそ。

今日は東京も雪です!
同じ場所なのにまるで北国に来たかのよう。

この静けさと明るさ。
ムーミン谷の冬をなんとなく思い出してしまう。
この非日常感は旅行の比ではないですね。

この土日、
私は旅行に行ってきました。
亡くした愛犬のことを今はいったん考えずに
自分を立て直したいと考えたからです。

悲しみに浸っていると病みますから。

ちなみに立ち直ったつもりでも、過度のストレスは
形を変えて残ってしまうそうです。

なので、いったん自分を立て直すんです。

そうしてからまたいくらでも悲しめばいいわけで。
というか、忘れようとしても忘れられないんですから。

脳は繰り返し思い出したことだけを深く記憶に刻みます。

なので今
愛犬の最後だけを何度も思い出して悲しんでそれを記憶に留めると

愛犬を思い出す時に
たくさんの大事な楽しかった思い出よりも
介護の辛さばかり思い出してしまいます。

とはいえ考えないようにしても
どうしても考えてしまいます・・・

だから体調も悪かったのですが
旅行に行ったわけです。

自分の日常や問題やいろいろは全て家に置いて。


効果的だったと思います。
思ったより楽しめましたしなんというか疲れた、とか思えるようになりました。

そして
哲学的思考の友人と会えたことも大きかったです。
そういう人と話をすると
自分を客観視できますし
同じような体験をしている友人だったのでなおさらでした。
思う以上に私は友人のくれた言葉ひとつ一つに
いろいろ考えさせられました。


私はこういうときは
旅に出て

そして客観的視点を持てるような友達と話をするのが

自分には一番なんだと自分を知りました。


何がいいのかは人それぞれですが

自分に合った癒しの方法を見つけておくと安心ですね。

私は一人でカフェにいって好きな本を読むのが
自分の癒しだとずっと思ってきたのですが

それはもっと心に余裕がある時の話なんだと気づきました。


実は既に新しいことを開始しました。

こういう時には何もしないで休んで、なんて言われがちですが
そしてそれがその人のベストならそれでいいのですが

私は何もしないでいる方が辛いです。


新しいことといっても
仕事ではありません。

仕事につながるということでもありません。

仕事に、と思った時点でそれはやはり仕事です。

もちろん仕事も大事ですが
お金をもらわなくてもやりたいと思えることを持つことこそが
人生の大事な部分、というか

自分自身そのものともいえると思うので。


雪を楽しんだり
新しい何かを始めたり
友達とあったり
仕事をしたり

悲しんだり
悔しかったり
うれしかったり

そういう風に一生を過ごしていく。

それが生きるということであり
それが幸せということの意味でもあり。



雪の降り積む静かな今宵

自分について考えてみませんか。

いろんな悲しいことを辛いことを
乗り越える方法を手探りするために。


いかがでしたでしょうか。
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