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ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜 RSSフィード Twitter

2017-06-15

展示のお知らせ

ロゴスの小径へようこそ。

皆さまお久しぶりです。
最近は更新はこちらFacebookです。アカウントがなくてもお読みいただけます)にアップしているのですが

今日はグループ展のご案内をさせてください。

f:id:ruribyaku:20170615220629j:image

「顔があれば友達」
2017年7月13日(木)〜17日(月・祝)
10〜18時 最終日16時
「中野フリークアウトギャラリー」


作家活動として日本画を描いている私ですが
日常ではイラストを描いたりデザインの仕事をしております。

そして今回はイラスト作品になります。
美大仲間と一緒に、展示そのものを楽しむ、をコンセプトにしています。

展示って、どれだけ人が来てくれるかな、とか
そういうことを気にしますが

もし来客ゼロでも、仲間と集まって開催すること自体が楽しい、という
そういう展示にしようと皆で決めたのです。

だから準備の打ち合わせ飲み会からすでに楽しいのですがw

こういうイベントを楽しむには大きなルールがありますよね。


それは、

どれだけ本気になれるか


だと思います。

とりあえず展示できるものを出せばいいや、
来客ゼロでもいいんだし




言ってしまえば確かにそうなのですが

そしてそれだけで楽しめるようにしているのですが


仮にもアートを創造する人間として

アートに本気を出せなければどこで出せるというのでしょう???



そんなわけで今回は
私の中では

哲学とアートのコラボ

を裏テーマにしています。


具体的には、ポストカードサイズのイラスト作品を
できるだけ多く展示して

その中から、今の気分や

考えてみたらこれ、自分の考えに近いかも


みたいな


そういうイラストをうっすら探してもらえたらな、という展示を考えています。

そうすることがそのまま哲学につながるからです。


まあ、厳密に哲学とは何、と追求するといろいろ簡単には言えないのですが

でも


自分のことを思考してみるという一端であることは間違いありません。


お近くにお越しの際はぜひ
お立ち寄りくださいませ。

私も土・日・月(祝)のどこかで、あるいは全日
在廊する予定です。


よろしくお願いいたします♪

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(実験的にアンケートしてみることにしましたです)


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2016-07-22

生きることは吟味すること

ロゴスの小径へようこそ


最近、ブログの更新がなかなかできないので
facebookに投稿しています。
どなたでも(登録されていなくても)お読みいただけますので、よかったら覗いてみてくださいね!

https://www.facebook.com/ruribyaku/


実はここ数日、
とある決断に迫られ岐路に立たされています。

例えてみれば

二人のうちのどちらと結婚しようか迷っている、という感じです。
つまり後戻りはできず、ある程度人生の一端を決めてしまう決断です。

たまたま昨日からソクラテスを再度学んでいるのですが

(そういえばソクラテスの対話方法は最近心理学的手法として脚光を浴びてるんですね、
知りませんでした)


人間が生きていくうえで大事なことは

吟味して生きること


これ、以前も書いた気がしますが

まさにそうですよね。


しかし逆に、

「なるようになる」
「いい方向に自然に引き寄せられる」

とか言うアレもありますが


なるようになる、と
言う資格を持っているのは

やれるだけのことをした人だけだと
ムーミンに出てくるミーも言っていましたw し


私はやれるだけの吟味をまだしていません。

それもしないで
なるようになる

とするのは人生の放棄とも言えますね。


だって、「自由意志」だけが人間の特権ですし

・・・
ちなみにこれ、正確には「ない」とも言えます。
よく、宗教家の人はなんでも神様の言う通りで自由がない、というように
言われていますが、
宗教に関わらず人間には「自由」があるのかどうかというのは
いまだに議論されているほど難しい問題です。

ちなみに生物学的には「ない」とも言えるのが最新の学説です。
(生物学の学説です。宗教学や哲学とは違います)

これを聞くと怒ってしまう人も多いそうですが
なんだかホッとする人もいるそうで、私は後者ですw

この件はそのうちお話しするとして
・・・


自由に自分の人生を決めるというのを放棄して
なるようになる、をベストとして生きるのは

私にはなんだか悲しく思えます。


例えば
二人の人のどちらがいいかを
しっかりリサーチして

深く話もして


あ!一人はすごい借金持ってる人だった!

とか

一人は賢そうに見えたけど、しっかり話すと
何もわかってない人だった!

とか


何かしらわかるかも知れませんよね?


そのうえで自分で判断すればいいわけです。


けれど、なるようになる、常にベストな道に進んでいる「はず」とするなら


何も調べずに、
たまたまその日駅で会ったから、これがお導きだ!とか引き寄せだ!
ってことでw

相手を選んだら、借金ももれなくついてきた・・・


とかねw


でも、なるようになる、常に自分はベストな道、派の人は
はずれの方を選んでも

「これがベストな道だったんだ」

と思うわけですから、
まあそれでいいといえばいい、ということになりますね。


私は、二つの物があったら

どちらを買うか、性能とか値段とかレビューとかしっかり吟味してから
買わないと気が済みません。


迷っていたら友達がたまたま同じのを持っていたので、こっちにする!
これが引き寄せ!

と思うような人は

双方を比較していないのですから、
どちらを買うことになっても、「ベストな方だった!」と思うわけです。

わかります?このからくり。

しかし
幸福度は同じともいえるので
どちらがいい、とは言えませんけれど。


そんな風に思考することこそが哲学。
それを教えてくれたのがソクラテスです。


ちなみに岐路に立たされていますが、
とりあえず最終決断まではベストを尽くします。

どっちの彼(彼女)がいいのか、
どちらを選ぶのが自分の幸せなのか
決めなくてはいけない期日までぎりぎり吟味したい。

目の前にたまたまあった偶然をベストとして食らいつくのではなく

吟味できるのが人間なのですから。
(とはいえ動物でもそれをしますけれど。)



吟味せずに、どっちに転んでも

これがベストだった、と思うほうが
幸せかもしれませんが


それは吟味して決断した後に
思えば済むことですね。


失敗したように思うけれど、これがむしろ良かったんだ、と。



いかがでしたでしょうか。

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2016-06-17 夏の夜の匂い このエントリーを含むブックマーク

ロゴスの小径へようこそ。

今日は蒸し暑かったですね。
なんだか空気が夏の匂い。

犬と散歩しながらいろいろなことを走馬灯のようにw
思い出して歩きました。

隣近所のお兄さんやお姉さんたち
弟たちとの
夏の夜の花火

従兄弟の家の夏休み
カナカナの鳴く夕暮れの田んぼの中の道と
雨上がりに見た大きな虹

両親が働いていたので(というかhave beenですがw)
子供時代の思い出はもう亡くなった祖父母の思い出が多いです。

小学校に上がる前は
勉強もしなくてよかったわけでw

弟もまだ小さくて喧嘩にもならなかったので
なんだか楽しい思い出ばかりのような気がします。

小学校二年の時に、家は火事になってしまったので
子供時代の古い家はいまはもうありません。

雨の日に、あの古い家の廊下の外の狭い軒下に一人で出て
祖母にもらったさくらんぼを食べた日のこと。

開けてはいけないと言われていた二階の廊下の奥にある扉は
今にして思えば物置だったわけですがw

当時はそこを開けると、違う部屋があって
違う世界が広がっているんだと信じていました。

従兄弟と一緒に二階の窓から、一階の屋根の上にこっそり出て遊んだこと

父が休日の朝に焼いてくれるホットケーキ


勉強も仕事も恋も交友関係も将来のことも
何もかも考えなくていい時代の
砂糖菓子みたいな甘い思い出。


そういうあれこれを

ちょっと思い出してみてください。

なんだか
思い出したいような
思い出したくないような気がしませんか?



あの時代に帰ってやり直したいわけでは全然ないのです。
それにそう考えることに意味はありません。不可能ですから。

心があたたかくなるような切なくなるようなあの思い出たち。

もう二度と戻ってこない
家族たちと過ごしたあの時間。

思い出は美化されていることもあるでしょう。

そういうことも含めて
もう手には入らない、人生で一番幸福だったと思えるあの日々。

母が飼っていたメダカはあれからどうしたんだっけ

電話のそばに置いてあった大きな桜色の貝殻は?

祖母の背中ですれ違った消防車のサイレン



驚くほどたくさんの断片を思い出すのに

けしてもう掴めない。


そのうえ
自分はいつか死ぬという事実。



そういうとき
私はいつも死にたくなるのです。

そしてモーパッサン
「ある自殺者の手記」を思い出します。


書評などを見ていないので(影響されたくないので)実際はわかりませんが

私にはこの主人公の感情が
わかるような気がしてならないのです。


幸せに暮らしていて
貧乏をしているわけでもない
寂しいわけでもなく
誰かと憎しみ合っているわけでもない

(主人公はむしろお金もちで、家族にも恵まれていたととい設定だったと思います。・・ってずいぶん前に読んだので(汗))

死にたい理由なんか何もないんです。
誰が見ても。

もし実際の話なら、
実は知らないところで不幸だった、とか
お金持ちだからって幸せではないっていういつものアレw な意見も
出そうですが

小説ですので、
彼が不幸な人ではなかったことは前提されています。


そうではなくて

あの戻らない時間を思うとき

戻りたいわけでもない
けれど
戻れないし

しかし失ってしまったあれこれを思うとき

泣きたくなるような
何とも言えない感情になりませんか?
死にたいとまでは思わなくても。


人生自体に本当は意味はなくて
いえ意味を作っても
もうじき死ぬんだと

(ちなみに主人公は50代の男性でした。)

そう思ったときに

泣いて叫ぶわけにもいかず

手を伸ばしてもなにも掴めず


しかしこれから貪欲に何かを掴みたいわけでもなく
もはや何者になりたいわけでもない
子供たちももう一人で生きていけるだろう
買いたいものはそこそこ買えるし
もう欲もない


きっと子供や孫たちと
穏やかに過ごす老後を
あちこちを旅したり
これからやりたい趣味や仕事や何かを見つけたり
楽しいことも考えたりもするでしょう。


けれど一人の夕暮れ時
ふと幼いころのあの夏の夜の匂いを思い出したとき

やりきれないような
どうしようもないような感情が
浮かんでくるのが


私にはわかるような気がするのです。



いかがでしたでしょうか。
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2016-05-25 自分を見つけるには このエントリーを含むブックマーク

ロゴスの小途へようこそ。

自分っていったい何なのか。
自分のことって自分ではわかりにくいですよね。

どうやって自分を知ればいいのか。

その方法は
世界を知ることだそうです。


世界と、自分、って

まったく別のもの、って感じしますよね。

世界という器みたいな「場所」があって

その中に、「自分」というものが存在している、みたいな。

けれど厳密にはそうとは言い切れないのです。


世界がなければ自分は存在しませんよね。

でも、自分がいなくても世界は存在する?


もちろん、他人の死をみるとそんな風に見えます。

けれど、自分が死んだら

自分の見ている、感じている、この世界は存在しません。

(死後の世界が私たちの見ているこの世界と全く同じで、
全く同じ自分が同じところで同じ生活を幽霊みたいにしている、
と定義している人には別ですが。)


自分が消えるということは
世界から自分が消えるということ、でもそれは

自分には知りえません。

そして自分からは
この世界が消える、ということです。

自分と世界は分かちがたくつながっています。


・・・って言われてもピンときませんよね・・・

私もこのことは数年前から
言葉ではわかるけれど、
でもピンときていませんでした。


この約一年、科学哲学を学んで

やっとぼんやりわかってきたのです

「客観的」にみて、世界と自分は別、

世界という背景に 自分という一個の人間がいる

というようにしか思えていなかったのですが


そもそもその「客観的」というのは何か。

自分が死んだら世界は終わりです。

だってもう知りえません。


そして世界がないなら、自分もない。

つまり、「客観的」になんかなれないのです。

だいたい、世界をどう見ているかも
私たちは頭の中に世界を写すように認識していますよね。

見る人によって、同じものも見方が違います。

つまり、厳然たる客観的な、誰がみてもまったく同じもの

なんてありえないのです。


それは「正義」だってそうです。

誰が見ても正しいものが存在しないなんて

子供時代は知りませんでした。



つまり
自分を知るには

世界を知るのがひとつの方法となります。


私はこの3年、世界を少しずつ学びました。

そして

自分を知るのです。

それは、こんな性格だとか

それ以前に


そもそも自分ってなんだ、ということからです。



先日友達に、

なにか面白いことないかな、と言われてハッとしました。


私も同じように生きてきたのです。
つまらない日常をなんとかしたくて
恋をしたり旅行に行ったり。(しかも食べる寝るしゃべるがメインの旅)

でも今は
日々面白いことで満ちています。

それは日々新しい学びがあるからです。

自分が世界を知らなかったことへの驚き。

自分が知っていると思っていた
子供時代に習った知識は今ではもう古かったり(汗


そんなこと知っても意味ない、と思いますよねきっと。

でも

生きて死ぬまでに人間ができることなんか

自分を知るくらいのものです。
つまり世界を知るということです。

こういうのを、子供に教えられたらいいのになと思います。
(自分が、という意味ではなくて)

子供時代にこれを知っていたら世界が広かったはず
つまり自分というものも、もっと大きかったはずです。


世界が、自分が大きければ
日常のどうでもいいことなんか、

ほんっとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーにどうでもよくなります。


もちろんどうでもよくないこともたくさんありますがw

どうでもいいことの方が多いくらいです。

自分がつい一年位前まで悩んでいたことなんかを思い出すと

ばかみたい・・・とつくづく思えます。


どこから学んだらいいのかわからない、という方には
歴史から
と言いたいです。

いえ、その前に

歴史とは何か

からです。


知っているようで知らないんですよね・・・。

それを知っている人と知らない人では
話す内容が全く違います。

そしてそれは全ての知識(といっても難しい知識だけでなく)の
基礎にあることなんですよね・・・。


お気に入りのここちよいカフェの本とか
ケーキの本とか

そういうのを
読書にカウントしちゃいけませんw

自分が広がらないので。


そして
あんなに描きたいものがなくなっていた私が

最近は描くもの
というか
描くテーマみたいなものが

掴めてきました。


それは、うまく言えないのですが
自分の核みたいなものです。

たぶん、
自分をみつけたんだと思います。



いかがでしたでしょうか。

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2016-05-19

仕事の悩みとは

ロゴスの小径へようこそ。

仕事の悩み、といえば
人間関係が起因していることがほとんどですよね。

まあ、仕事に限らずですが。


人生の悩みの90%は人間関係から、

と、とある人に言われて

その通りだ!!といたく感動したのはつい3年ほど前なのですが



実は現代人の悩みは
それに収まらないそうです。


以前であれば、世界はとても狭いものでした。

平成生まれの皆さんにはピンとこないかもしれませんがw

携帯もない、
特にインターネットのない社会では

その交友関係だけでなく

世界そのものが狭かったのです。


毎日接するのは会社の人だけがほとんど

(実際に会う人は現代でもそうかもしれませんが、
SNSなどで常に誰かしらとつながっていますし

つながっていなくても、情報は得られますよね、簡単に)


そして仕事自体も

パソコンがほぼない時代ですから


(いえ、もちろんありましたが
PCを使用する部署、というのがありました。
その他の人はせいぜいメールチェックするくらいでした。
そのもっと昔はもちろんメールすらありませんでしたw)


手作業の仕事が多く、効率が悪いわけです。

つまり、たくさんの人の仕事のほとんどが
頭を使う仕事ではなく
実作業だったのです。

ファイリングひとつでも、コピーをとってパンチで穴をあけて
ファイルに通して整理、

伝票も手書き、

なんてやってたわけですから。


ですから人と人の能力の差は
まあもちろんありますが

現代ほどではなかったそうです。
言われてみればそうですよね・・・。

私はデザイン業界にいたので
常に創造力を問われてきましたし
能力の差は歴然なので
複雑な思いもしてきたものですw


けれど、半年だけ
一般事務というのをしたことがありました。派遣で。

そのとき、びっくりしました・・・

お給料もたいして変わらないのに
なんて楽なんだ!!!と。

大手の電機会社の営業事務だったのですが

電話を受けて伝票に記入、
それをPC(といってもものすごく簡単なソフトでした・・・)に入力。
あとは電話したりFAXしたりコピーしたり。

一日の仕事はそれだけ。
それでも時には残業するくらいに忙しかったですがw

同じような業務の人がたくさんいました。


能力の差なんて、だから問われないも同然です。

となると、仕事の悩みなんか人間関係くらい、ということになりますね。


まあ、もちろん当時でも
仕事のうんとできる人はそういう次元ではなかったのでしょうけれど。



けれど現代では
どんな仕事にも創造性が必要ですよね。

事務仕事一つでも、
エクセルを駆使して業務時間を短縮させたり


どんな仕事でも、
PCが代わりに作業をしてくれるようになった分、
創造性、というような能力を問われるようになったそうです。


そしてさらに

そういう個人の能力で成功した人、というのを
私たちはネットですぐに見れるようになりましたね。

以前はそういう人は、テレビに出たり新聞に載ったりというような
自分とは違う世界の人でした。

いえそういうメディアに乗らなくても
自分とは接点のない世界の人だったはずです。

それが今では
ブログで読めるようになったり
SNSなどでつながることもできるようになってしまいました。

となると、悩みとは

人間関係だけではすみませんよね。


そうです。
自分の能力の無さを、知ることになってしまったのです。


仕事のストレスとは、
人間関係のストレスだけではなく
自分の能力の理想と現実のギャップも含んでしまうのです。


ネットで、
自宅で好きな仕事をして
成功している人、なんかを見て

自分はそれに及ばない

なんていうのを目のあたりにしてしまうんですね。


現代人はストレスに弱い、なんて言いますが

当然ですね。

人間関係の摩擦だけではなく


自分の能力を自覚しつつ生きることに
なってしまっているのですから。



人間関係のストレスもそんなにないと思っているのに

何か仕事が苦しい方は

自分の能力の問題かもしれません。


自分の能力に合わない仕事をしていると
さまざまな仕事のハードルを越えられません。

ちなみに、
好きだから能力がある、というのではないそうです。

言われてみればそうですよね・・・。

好きだから、能力がなくても
たくさん努力して乗り越える、というようなものも
あるかもしれませんし

能力が発揮できなくても好き、ってあるかもしれません・・・が、
それは趣味の場合。

仕事、であるからには

少ないストレスでお金を得るためには

やはり能力は必要です。


まあ、趣味としての仕事、などもありますから
一概にはいえませんが。



なんだかこうして書くたびに
当たり前じゃん!というような話ばかりなのですが


きちんと考えるとハッとしてしまうんですよね。


他者との比較ではなく、自分の幸せを・・・なんて言いますし
本当に心からそう思います、けれど

他者と比較しやすい時代なんですね、
こうして考えてみると。


自殺者の増加、なんかも
そういうことと関係しているかもしれませんよね・・


というようなことを

今日はいろいろ考えてしまいました。



何かが皆様のなんらかのヒントになればいいなと思います。



いかがでしたでしょうか。

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