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ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜 RSSフィード Twitter

2018-07-30 自分を知る楽な方法 このエントリーを含むブックマーク

ロゴスの小径へようこそ。

今日は心理学のお話です。

自分がどういう人間かは、わかっているようで案外わからないものです。

学生時代は
「私ってどんな性格かなあ」
なんて他愛なく友達同士で語りあったりしましたが

さすがに大人になるとその話題もビミョウです。
また、それに100%思ったことを答えてくれる人が
どれくらいいるでしょうか。

また自分ではこういう性格、と思っていても
自分を贔屓目にみたり卑下したり謙遜したり
どうしてもしてしまいますよね。

これは心理学の手法なのですが
根底は哲学です。

人は自分を他人の中に見ます。

つまり
厳密に言うと

自分は、自分の思考の範疇から外には絶対にでることはできませんよね。

私たちの見たもの感じたもの考えたものすべては
自分と言うフィルターを一度通したものです。

全く同じものを見ても感想が違ったりするのも
あたりまえです。

私が見ているこの月と
あなたが見ているその月が
全く同じものである保証はないというほどの厳密さを持たなくても

自分の中にない感情を私たちは感じることができません。

例えば
爬虫類はかわいい、という感情がない人には
爬虫類のかわいさはわかりませんよね。

自分が感じる感情は全て、自分のものなのです。
つまり自分が他人に感じる感情は全て
自分の中にあるものということになります。

ここまでは哲学。

それを実験したりエビデンスをとるのが心理学です。

そしてその結果

例えば
他人に親切にすべきだ!と言う人は
本当は自分もそうしたいのにできない、と思っている人、つまり
実は他人に優しくない人、というような傾向にあるそうです。

今の日本はダメだ!なんていう人に限って
本当は自分も活動しなくてはいけないと思いつつ
実は何も活動をしていなかったり。

あの人、上司におべっか使って!

なんていう人は、実は自分もおべっかを使いたい、贔屓されたい、
と思っているということです。


さて先週私は体調を崩し会社を数日休みました。

とても外出できるような状態ではなかったのですが
最後まで行くかどうか悩みました。

仕事を最優先はしない、と決めてはいるのですが

休んでいる間に
自分の仕事が奪われたらどうしよう、というような危機感が
全くないわけではありません。

そこでそのとき、ふと知人のことを思い出しました。

どんなに体調が悪くても出勤し
体調以外の、旅行などの理由で仕事を休むことはほとんどありません。
仕事が多すぎるわけでもないのに有給も消化しきれないそうです。
恐らくは
仕事が奪われる恐怖感もあるのでしょう。

・・・そこで気づきます。

そう感じているのは私自身。
つまりこれは自分の中の感情なので、
自分のことに他なりません。

他者は自分の鏡。

そこで私は
こんなに体調が悪くても休めない自分、というものに気づきました。

仕事を奪われてもいい
体調を優先しよう

そこで考え直します。

冷静に考えればその通りなのです。
最初に仕事を休めない、と考えていたのはある種直観的なもので

仕事が奪われる恐怖(実際奪われるかどうかは別として)からの思考です。

そこで自分を知ることで、理性的に考えることができれば
自分がどうすべきかもわかります。

しかし、人を批判するようなとき、
その批判内容を自分のものとして受け止めることは
非情に難しいもので、不快を伴いますよね。

あの人、上司におべっかつかって!

なんて思う人が実は、自分もそうしたい、と思っているなんて
自分では認めたくないですよね。

でも、ここを認めるかどうかが
バカの壁」だそうです。

豊かな人、とはその否定の部分も自分に取り込める人のことで

自分にない、いわばコンプレックスの部分を
自分に取り込むことができるそうです。

私は、あの人絶対に休まないよね、仕事の奴隷だね、なんて言ってw

自分が本当はそういうふうに会社に認められたい、と
思っていたことになります。

それを認めて初めて

いや、そんな自分は嫌だ!と

会社を休んで健康を優先したりできるわけです。

ぜひ次に他人に腹がたったときは
この方法を思い出してみてくださいね。

自分の中で思うだけです。恥ずかしいことはありません。
私は書いちゃいましたがw

何かが変わるかもしれません。
いえ、変わります。


いかがでしたでしょうか。
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2018-07-22 銀河について このエントリーを含むブックマーク

ロゴスの小径へようこそ。

宇宙と哲学、なんて無関係のように思えるでしょうか。
しかし哲学はもともと、自然科学とは密接な関係にあります。

そもそもこの世界って何?

という疑問(そして驚き)で始まっているのが哲学で

科学者とは哲学者のことでした。

人生のこと、人間のことをどうしても考えてしまう人は
宇宙のことも考えてしまうのではないでしょうか。

私も子供時代から宇宙のことをいろいろ想像する子供でした。
宇宙の果てのその果ての果ての果て・・・と想像すると
怖くなって泣いたりしてましたねw

それは今でも似たような思いです。

今空を見上げて、その先をずーーーっと辿っていっても
終わりがない、果てしないのだと考えただけで気持ちが悪くなりますね・・・

さて
昨日、銀河系についての放送大学の講義を見ました。

宇宙に対する知識は、子供時代に習った知識より
当たり前ですが(笑)ものすこく進んでいて驚きました。

高性能の観測(ハッブル宇宙望遠鏡他で)が可能になってから
宇宙は格段に調査が進んでいて
いま、宇宙の地図がどんどん更新されているそうです。
その範囲は何百億光年!

人間は到底辿り着けないその先を観察し地図を創ることの意味はあるのか?とも思いますが、
興味深いですし、そんなに広範囲な地図があったのかということに驚きました。

空にはどうやら神様は住んでいなくて
銀河がいくつも存在しています。
そんな宇宙の地図をみると、

例え行くことは出来なくても
なんだか宇宙は一気に狭く感じられます。
アメリカ大陸発見!というのと同じことなのかな、と。

当時は驚きの未知の世界でしたが
いまでは世界(地球のという意味での)はとても狭く

宇宙の地図なんてみてしまうと
世界中を旅しなくても地球儀を見れば地球が狭く、
手のひらに乗ったように把握できたように感じるのと似たような感覚です。

私たちは地球にへばりついて住んでいます。
宇宙は
音のない(正確には私たちの鼓膜には音が伝わらない)世界。
空気のない人間は生きられない空間が広がっている。
実はそんな中に自分たちは住んでいるという恐怖。

しかし興味深くはあっても
日々の生活でそれを知らなくても生きて行けますよね。
天に神様が住んでいると思って生きていても
何ら問題はないはずです。

けれどどうしても「本当の」ことが知りたい。
そんな思いで宇宙開発は始まっていますよね。
もちろん経済的な目論見もあるのでしょうけれど。

それは哲学と全く同じことです。
真実が知りたい、ただそれを希求してしまうというだけで

なくても生きて行けますね、この世界の、地球の中の「常識」の中で。

でもそれでは満足できない人がいるんですよね・・・


ところで
現代、宇宙と生物についてはいろんな概念があるそうですが、

こんな風にも考えられてもいるそうです。

生物が誕生したというこの奇跡はあまりにも有り得ないほどの奇跡であり
むしろ宇宙の方がチューンアップされているのではないか、と。

つまり私たち生物にとってこの宇宙はあまりにも環境がよく作られているそうです。
ですから、私たちがいることそれ自体が宇宙がこのようにあるという理由なんだと。

宇宙という「イレモノ」がまずあって、
そこに人間が入っているわけではないという思想ですね。
現代の量子力学の考えに通じますね。

そして私たちが生きているこの宇宙以外にも、
宇宙があるのではないか、とも考えられているそうです。

そういえば宇宙はビッグ・バンで始まってどんどん膨張している、と
子供時代に親に習ったのを覚えています。

そのビッグ・バンを「神の一撃」と呼んで、
つまりそれが神がこの世界、宇宙を創ったのだという「神話」に繋がっていますが

ホーキンズ博士が「神の一撃がなくても宇宙は今のようにできた」というように
数年前でしょうか、発表されて話題になっていましたね。

神が世界を創った科学的証拠が一つ減ったことになりますから。

宇宙は大爆発ではなく、「ゆらぎ」から発生したというのが今では定説だそうです。

これからどんどんもっともっと宇宙が何であり、
その発生はどうだったのかなどが解明されたとしても

それは次々に大陸を発見していったのと同様

物理的に世界を解明していくに留まります。
宇宙は全て「重力」ですから。

なぜ「存在」しているのか

なぜこの世界が「在る」のかという謎は永遠に解けません。

「神」が創ったとして、ではその神ってなぜ「在る」の?

という疑問に変わるだけです。

宇宙のことを知らなくても生きて行けるように
そんな疑問を持たなくても毎日生きて行けますから

人は存在を問う哲学をだんだんしなくなりました。それが現代です。

生きるのに役立つものの方が重要ですから。

哲学がなくても生きて行けますが
経済や、宗教がないと人間は生きていけないですから。

けれどどうしても哲学をしないと生きていけない人が
たまにいます。

答えのない、役に立たない「存在」を
つまりは「真実」を
それでも探究せずにいられない人たち。

子供時代から宇宙のこととか死後のことを
宗教上での説明では満足できずどうしても考えてしまうあなたはお仲間ですw


いかがでしたでしょうか。
どう考えても賛同者が少ないだろうこのブログw
それでもおかげさまで10位以内に帰って参りました!
少数派の皆さまw、ありがとうございますm(__)m

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2018-07-21 正しいか正しくないか このエントリーを含むブックマーク

ロゴスの小径へようこそ。

世界は「正しい」かそうでないかを決定して成り立ってきました。

火傷に油を塗る(昔はそうしていたそうです)→正しくない
火傷は冷やす→正しい

のように、一つずつ吟味して
より正しいものへと向かっています。

子どもの頃から
赤で渡るのは正しくない、青は正しいというように

友達と喧嘩するのは正しくない
みんな仲良く、が正しい というように。

しかし本当にそうなのでしょうか?

世界はそんな風に、正しい、正しくない、で二分して
いつか「より善いもの」に到達できるのでしょうか?

だとしたらなぜ宗教による戦争がなくならないのでしょうか?

例えば病気にいろいろな投薬をして
この抗生剤が正しかった、とか

科学的な検証をいろいろしてみて、これが正しいようだ、とか

経済発展のためにはこうするのが正しい、とか

そういう部分であある意味正しさを決められるそうです。
だって何にむかっているかがハッキリしていますから。

けれどそれを、哲学が倫理、つまり
生き方の問題に当てはめることはできないと言います。

例えば
「自分の意見をはっきり言えるのが正しい」というような思想が
日本でも蔓延していますが

日本人の性質として
また日本人が美しいとしてきたもの、あるいは生き方、もしくは習慣として

自分の意見を言うのは差し控えて
皆の意見を調整しよう、すり合わせよう

というような思想もありますよね。

和を以て貴しとなす のが日本人の特性ともいえるわけです。

それをずっと続けてきたのですから
言いたくて言いたくてムズムズしているのを我慢する、というのではなく

以心伝心のような
なんとなく通じ合うような

悪く言えばソンタクするようなw

そういう文化なわけです。


そこに、自分の意見を言いなさい、という西洋的な思想を押し付ける。
それが正しい、とする

自分の意見をはっきり言えない子供は
どんどん傷ついていきます。

意見がはっきり言えない自分を責めて
自分が悪いのだと思わされて

いじめにあったりもするわけで

それも日本人の自殺者が多い理由の一つと言われています。

自分はいじめっこではなかったから関係ない、ではなく

問題は
「意見をはっきり言うことが正しい」と教育(あるいは啓蒙)されてしまっているだけの自分に気づかず
それを「正しいこと」と多くの人が認識してしまっていることです。

なぜ意見をはっきり言えないといけないのか?
語らずとも深い思考を持つ人はたくさんいます。

むしろ、本当にものごとを知れば意見を言うことが難しくなります。
なぜなら

「これが正しい」ときっぱり言いきれるものなど
ほぼないことを知っているからです。

さきほどもテレビで池上彰さんが
日本と海外の違い(学校など)を解説されていました。

日本は海外に遅れていると取れることもあれば
進んでいるといえることもあって

池上さんは最後に
「だから日本は悪い!というのではなく、違いを知ることが大事」
というようにコメントされていました。

「だから日本は悪い!遅れている!」と自分の意見を言うことが悪いわけではありませんが
一概にそう言いきれません。
だから、なんではっきり悪いと言わないの?と思う人には
ある意味歯がゆいコメントなのかもしれませんが

ものごとを多方面から見れば
一概に正しい、とは言えないものです。

唯一の正しさのようなものがあるのなら
戦争は無くなるはずです。皆がそこに向かえばいいわけですから。

ですから
こうするのが正しい、と言えるのは

この病気を治すにはこうするのが正しい、

というようにゴールがはっきりしている場合です。

けれど
正しい生き方のようなものは明示されていませんよね。

国ごと、宗教ごとにその内容が違うくらいですから。


なんて偉そうに書いていますがw

私もほんの少し前までは
世界の全てはだんだん正しい方に向かっていけばいいし
そうなっていると思い込んでいました。

10年くらい前でしょうか、とある本で

一夫一婦制が「正しい」というのは人類の普遍ではなく人間が決めたルールでしかなく
(キリスト教がベースになっていますがその方が政治的・経済的に便利だったのかもしれません)

一夫多妻が正しいとしている国もある

と読んだことです。

いえ、そんなことは知っていました。
日本だって昭和の初めころまでは、力のある人はお妾さんがいるのは当然だったわけで

けれど、それは時代のせいで、
昔は間違っていた、今は正しい

と思い込んでいた、ということに気づいたのです。


世界は
正しいか正しくないかで二分はできない。

哲学書の多くはそのことを言っているのです。

二分した方が思考としては楽なのですが
世界はそうできていないのです。

もし世界中の人がたった一つの宗教を信仰していたら
「正しいもの」はある、ということになるはずですが。


今日放送大学の講義でシンギュラリティの問題について話していました。

人間は、人類全体でたったひとつの正しさのようなものを持っていません。

AIにはそれを教えないと
一部の「正しさ」の知識に傾倒すると危険な方向に向かうというのは
私たちでも想像つきますよね。

何か自分が

これが正しいのに!と思ったときは
もしかしたらそう言いきれないのではないか、と自問すると
はっと気づくことが多いです。
ぜひ試してみてくださいね。

特にすごく怒ったりイライラしているときは
それで気が楽になることもあります。


いかがでしたでしょうか。
我ながら万人受けしない内容だよなーーと思いますがw
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はみはみ 2018/07/22 02:20 またまた遊びに来ました。
最近思っていた事を綺麗にまとめて書いてくれていたので、読んでいてとても嬉しくなりましたよ!

文中にもあったけど、例えば「宗教」…、よく宗教などは歴史を振り返ってみても大抵の争いのもとになるから危険、と思っている人は多いですよね。でも宗教そのものが危険なのではなく、人間の側がそこに「正しさ」を持ち込んでしまうから、問題なのだと思っています。
そしてもっと面倒なのが、ただの正しさに収まらず、そこにプラスアルファの議がついて「正義」となってしまった時。その対極は「悪」になるのですから、抹殺や撲滅すべき存在とされる。恐ろしいですね〜。

何が正しいかなんて言い切れないこと、本当に沢山あると思います。
ただ社会生活の中では、やはりある程度定義付けしなければ、前に進めない側面があるのも事実。
そんな時(こんな事を言ったら鼻で笑われるかも知れませんが)、私はやはり1番大切な事はその正しさの中にに「愛が込められているか」どうかかな、と思いました。

例えば、どんなに正しい言葉だったとしても、それが相手のことをまったく考えず、ただ自分を正当化するためだけに発せられた言葉であるなら、そんな言葉が相手の心に響くことはありません。
人間には、言葉を聞いたとき、その言葉が発せられた動機を見抜く力があると思います。
自分のことしか考えていない人の言葉は、たとえ論理的に正しかったとしても、動機が間違っていれば受け入れることができないのです。相手の心に響くのは、ただ相手を思う愛から発せられた言葉だけだと思います。
人を傷つけるような正しさは、どんなに正しかったとしても誰の心にも響かない。誰の心にも届かない正しさだから、結局、時代や状況とともに変化したり、消えて行ってしまうような気がします。

愛が込められた普遍の正しさの上に一人ひとりが立てれば、何かが少しでもより良くなるのではないのかな、というのが私の思うところです。

眠れなかったので、またクドクド書いてしまいました。
いつも楽しく読ませてもらっています。これからも頑張って下さいネ〜!

ruribyakururibyaku 2018/07/22 21:24 >はみさん
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り怖いのは宗教そのものではなくて、
宗教に帰依されている人が自分の「正しさ」で他宗教を「判断」するのが
戦争に繋がるのでしょうね。まったく同意見です。

自分の信じるものを信じているだけではダメなんでしょうかね・・・???

愛があれば他宗教だからと批判して戦争に至ることもないはずですから
はみさんのおっしゃることは鼻で笑うどころか真理だと思いますよ。

宗教観の違いは論理では解決しませんから
解決策は愛だけですものね。

他宗教であっても無宗教であっても「ゆるす」「ゆるせる」ということですね。

それはお互い干渉しあわず、それぞれが好きな宗教を信じている、というだけよりも
素敵なことに思えますね。

>愛が込められた普遍の正しさの上に一人ひとりが立てれば

素晴らしいですね。言うだけは簡単ですがw実行されるのはすごいことですね。
誰かがやれば、とか、だって誰もやってないのに、では永遠に到達しませんものね。

まあ、私にはちょっとハードル高いですがw
私のほうこそ応援しています。

ありがとうございました。

2018-07-20 「やりがい搾取」ってなに? このエントリーを含むブックマーク

ロゴスの小径へようこそ。

人は「自分のため」を前面に出すと
なんだか「良くないこと」と思うように教育されていますね。

反対に、「他人のため」というのはとても「良いこと」で正しいとされています。
もしくはそれ(他人のためになることをしてしまう=利他性)が人間の「本質」なのかもしれませんが。

しかし実際は
誰かを助けるために自分の命を投げ出すことが「良いこと」「正しい」とは言い切れませんよね。

実際自分がその立場になったとき
家族などならまだしも全くの他人のために命を投げ出せるのか?

投げ出せなくても誰も非難したりはしません。
それは一概にそれが正しい、とは言いきれないからですよね。

まあ、この話に結論はありません。

今回は
それとは別に

現代は
「他人のため」という思想に経済がつけこむ社会になってしまっているというお話です。

どういうことかというと

「やりがい搾取」という言葉をご存知ですか?

これは、高い給料を払いたくない企業が
「他人のためになるから」「やりがいがあるから」という理由で
低い賃金で労働者を働かせるというようなものです。

ファストフードのチェーンの店長が残業代なしに働かされる、けれど
「でも、その分お客様の笑顔が見られるから」などと理由付けされて
本人もそれで満足してしまうというような状況です。

本人がそれをやりがいに感じ、本当に楽しいのであれば
それでいいともいえるのですが

そこにうまくつけこまれている可能性もあります。

うちはお金は出せないんだけど、人のためになることだから

と言われたりして、それを鵜呑みにしたりしてね。

雇用者側が悪意をもって騙して安く働かせよう、というのもタチが悪いですが
雇用者側が気付いていない場合もあり、その場合はもっと騙されやすくなると思います。

実際私もそんなようなお誘いを受けたことがあります。
子供たちのために、ボランティアで勉強を教えてあげて欲しいというものでした。

それを勧めてきた方もボランティアで貧困家庭の子供たちに勉強を教えています。
確かに素晴らしい正しいこと、と思います。

けれどその方は宗教に帰依しており
それが「神様からのお役目」なんだそうです。
そういう慈善をつめば、最後の審判で天国?に行けるという期待があるので
言ってみればそれは「報酬」ですよね。

しかしその価値観のない私は天国も地獄もないので、
彼が天国にいくためのコマでしかなく、なんの恩恵もありません。
(自分が自発的にやりたいと思わない限りは)

それはやはり「搾取」なのではないでしょうか。

しかし本人は「いいことをしている」という意識しかありませんので
この人怪しいな、とも気づきにくいと思います。
私はひねくれているのですぐにピンときましたがw

そういうのこそを「偽善」というのだと思いますね。

名誉のためにいいことをしよう、なんてアクドイ思いを一般的に偽善と呼んだりしますが
むしろ自覚がない方が見苦しいように思います。
自分はいい人、という意識を拡大させつつどんどん他者を騙すんですから。

オレオレ詐欺などもその一環だそうです。
子供のためなら孫のためなら、という利他性につけこんでお金を出させるのだそうです。
もちろんこちらは意識的な詐欺ですが。

自分のために何百万もぽん、とは出せませんが
家族のため、と言われたら嘘のように簡単にお金を出してしまいます。

こんな風に
「他人のために」という思いは利用されがちなんだそうです。
そこに気づかず、自分もそれで幸せならもちろんいいのですが

問題は
それが過労死やブラック企業の存続につながっているといえることですから

ちょっと考える必要があります。

友達に、「●●の仕事してるんでしょ、ちょっと無料でやってよ」
と言われるのももちろん搾取ですね。
こちらもやりたいと思っていない限りは。

子供の幼稚園のイベントのポスターを作ってくれ、のように
今までも何度かいろいろな人に頼まれたことがあります。

全部お断りしたので一度もやったことはないですがw

それが無料だと思われるのは不快ですし
そもそも「子供のためなんだからやるのが正しい」というやりがい搾取です。

ちなみに私なら犬のため、と言われたら無料でやりますね。

つまり
要は本人が「本当にやりたいかどうか」がポイントなんですよね。

そして、本当にやりたくてやり始めても、
それを当然のように「やれ」という態度をとられると
一気にやる気も失せますね。

お料理を作ってあげたい、と思って作っているところに
早く作れよ!と言われたら一気にやる気なくす、という感じでしょうか。

そんなわけで
他人を安く使いたい場合は、
「世のため人のためだから」とそそのかすのが効果的というお話でした(?)w


いかがでしたでしょうか。
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2018-07-19

「本当の自分」とは?

ロゴスの小径へようこそ。

現代は「自己実現」、つまり自分が自分であるための生き方を
「天職」と言われるような
(本来、宗教的な意味があるのですが「スピリチュアル」とか政治に利用されていますが)
「仕事」で収入を得るのが「正しい」とされていることはhttp://d.hatena.ne.jp/ruribyaku/20180713:title=先日も書きました]が

方法は何にせよ、自己実現の背後には
「承認」という欲求が潜んでいるそうです。

つまり、自己実現には誰かに認められる必要があるわけです。

例えば自分の好きなことで自己実現したい、と歌を歌っても
誰もそれを聞いてくれない、褒めてくれないなら
自己実現できないですよね。

もちろん
ひとりカラオケで歌って満足、ということはあると思います。
しかしそれは「自己満足」ですよね。(悪い意味ではないです)

そういうことは誰しもにあります。
ゲームをクリアしたことを誰にも伝えなくても満足しますしw

仕事でなくても
例えばボランティアや政治活動で自己実現することも

結局他人の承認を得たいという気持ちが含まれているわけです。

他人のため、といいつつ自分のためなんですねえ・・・でも

それでもいいと思います。

例えその根源が自分のためであっても
誰かの役に立つ行為は素晴らしいことだと思います。

ちなみに人のため、自分のためではないといいつつ
実は「神様のため」=「神様に認められる」=結局「自分のため」なのではないか?
という議論も、宗教の中では長く問題視されているそうですが。


それにしても、自己実現が本当に他人のためになる、って
なんて素敵でしょうね。

被災地に歌で応援しにいく歌手の方など
本当に素敵だと思います。
売名行為、なんてすぐに言われてしまいそうですが

そうであっても自分が好きなことで他人を勇気づけたりできるのは
とても素敵、かつどんなに自分を満足させることでしょうね。

どんなに歌が好きでも
まったくの素人、しかも感動するような歌でもない・・・
それを寄付しますので元気出してください、と言われても
歌われる方はかえって迷惑ですよね。

とはいえ、
自己実現に他者の承認が必要であるなら

そもそも彼が歌を好きになるのも
誰かに褒められたり承認されたからでもあるわけなので

あまりにひどい見当違いということは
そんなにないと言えるかもしれませんが。

でも、そういう風に考えていくと

そもそも自分の好きなこと、って何なんでしょうねえ?

いつか誰かに褒められたこと=自分が好きなこと

なのだとしたら

「本当に自分が好きなこと」なんてない、もしくは判別できないと思いませんか?

そうなんです。
自分の好きなことに限らず

人は周りに影響されて生きているので

「本当の自分」「本来の自分」といっても
持って生まれた本来の、というのは無いに等しいわけです。

もちろん「本当の自分」の定義を広げれば、あるといえます。

家族、特に親 や友達やテレビやネットに影響を受けた

というのは(良し悪しは別として)人間ほぼ全員に当然のことですので、
そこは考えずに、とすればです。

また、
全く同じ人間であっても
生まれた時代によって思想や好みも変わってしまいますよね。

それはむしろ当然のことです。

なのでそこも考えずに。

そんな風に考えずに、の部分を厳密に抜かしていくと

「本当の自分」の定義は非常ビミョウになってきます。


近年心理学的には4,5歳までに受けた影響が人格形成に大きくかかわると言われていますが
4,5歳までというとやはり親の影響は大きいですね。

先日ファミレスで自分の子どもの欠点というか愚痴?を
話すお母さん二人の声が聞こえて来て

それ、自分のことを話しているのと大差ないのでは・・・と
ちょっと感じたりしました。

もちろんそんな母親も、その親の影響を大きく受けています。

その影響が自分にとって悪影響だとしたら・・・
ではどうしたらいいのか?

4,5歳までの話であれば
もはや今から親を恨んでもどうしようもないですよね。

とすれば
自分で自分を実現していくしかないようです。

本当の自分、は自分で作っていくしかないんですね。

うーん、なんだか
話が入れ子になって一本すっきりとした筋道がないような・・・?

そうです。
一本ず地道が通った明快な話など、
作り話か、後から取ってつけた話以外にありません。

本当の自分はここを思考していくことで折り合いをつけるように浮かび上がるものであり

旅先で簡単に見つかったりはしませんw


いかがでしたでしょうか。
もやっと終わるのでスイマセンwでもこのもやっとこそが思考の種になるんです。
こう考えましょう、こうしましょう、と言われたら
思考はせずにそれに従うだけですから。でもそれって「本当の自分」でしょうか?

ああまた一般受けしないような内容を書いてしまいました・・・w
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