大郷町川内御みな沢に屋敷を構えた戦国武将(和久宗是)

和久宗是

                              
天文4年(1535)〜元和元年(1615)5月7日 
安土桃山・江戸前期の武将。河合某の子。通称又兵衛。出家して自庵宗是と号した。三好氏の臣和久掃部頭の女婿となり、その家督を告いだ。はじめ三好氏、さらには永禄11年(1567)・宗是(32歳)室町幕府第15代将軍足利義昭に仕え、元亀4年(1573)足利義昭京都で挙兵するが織田信長に敗れ、息子義尋を信長に人質にだして降伏、事実上室町幕府は滅亡した。室町幕府滅亡後は和久宗是は織田信長に(写真)属した。
「お江」天正元年(1570)浅井長政お市の方との間に3人姉妹の末娘として小谷城滋賀県長浜市)で生まれる。
天正10年(1582)6月2日未明「本能寺の変」、此の時宗是(47歳)は豊臣秀吉の軍と共に備中高松城にて毛利軍の吉川経家と交戦中であった。