行橋西紫雲閣起工式

みなさん、お元気ですか? わたしは元気です。ブログのペースを落としたので、おかげさまでチョー充実したリアルライフを過ごしております。(笑)ありがたいことです。
さて、9月3日水曜日は大安です。10時半から、福岡県京都郡みやこ町勝山黒田字深沼619−1で新しい紫雲閣の新築工事起工式が行われました。
福岡県で34番目、全国で60番目の紫雲閣の名前は「行橋西紫雲閣」です。現地に到着すると、大勢の人たちの中で行橋営業所の森さんの姿が見えました。わたしが駆け寄って握手すると、森さんは「ブログ、本当にありがとうございました」とお礼を言われました。ブログ「仕事人に捧げる」のことです。森さんは目に涙を浮かべており、グッときました。


新築工事起工式のようす

一同礼!

本日の式次第



この日は、地元を代表する神社である正八幡宮の鶴我盛完権禰宜をお招きしました。
起工式の中心は、いわゆる地鎮祭です。地鎮祭は、「安全祈願祭」「鎮地祭」「土祭り」「地祭り」「地祝い」などとも呼ばれます。地鎮祭では、土地の四隅に青竹を立て、その間を注連縄で囲って祭場とします。祭場の中には木の台(八脚台という)を並べ、その中央に神籬(ひもろぎ)を立てて祭壇とします。神籬とは、大榊に御幣・木綿を付けた物です。これに神を呼ぶのです。さらに祭壇には、酒・水・米・塩・野菜・魚といった「供え物」を供えます。起工式では「地鎮之儀」が行われます。


佐久間会長による「刈初の儀」のようす

わたしは「鍬入之儀」をしました



今日は、サンレーグループの佐久間進会長が「刈初の儀」、社長であるわたしが「鍬入之儀」、設計を担当した株式会社スズキ設計の鈴木会長が「鋤入之儀」、施工を担当する日本建設株式会社の出水執行役員福岡支店長が「杭打の儀」を行いました。


最初に玉串奉奠する佐久間会長

続いて、わたしが玉串奉奠しました

姿勢を正して柏手を打ちました



その後、玉串奉奠では、最初に佐久間会長が行いました。続いて、わたしが二礼二拍手一礼し、スズキ設計の鈴木社長、日本建設の出水支店長、サンレーの橋本常務、同じくサンレー 紫雲閣事業部の祐徳部長が玉串奉奠しました。


テントの中はサウナみたいに暑かった!



この日は特に暑く、テントの中はまるでサウナのようでした。
ブログ「豊崎紫雲閣起工式」で紹介した沖縄での真夏の起工式を思い出しましたが、あのときは大型扇風機がありましたが、今日は小さな扇風機しか用意されていません。鶴我権禰宜の顔も汗びっしょりで、見ていて気の毒なくらいでした。わたしも、隣の橋本常務も何度もハンカチで顔の汗を拭いました。汗のせいで、せっかくバッチリ決めてきたヘアスタイルも崩れてしまったほどです。(苦笑)しかし、なぜか佐久間会長だけは涼しい顔をして座っていました。


鶴我権禰宜の熱い想いを拝聴する



その後、正八幡宮の鶴我権禰宜の乾杯発声で神酒拝戴しました。
鶴我権禰宜は、「わたしは、これまで行橋や田川の紫雲閣さんでお世話になってきましたが、スタッフの方々の心配りにはいつも感銘を受けています。今や、九州で紫雲閣の名前を知らない人はいないでしょう。ここ勝山町はちょうどネックになっていた地区ですが、紫雲閣ができることになって近所の方々もさぞお喜びのことかと存じます。この国道201号線は、わたしが神社に通う通勤路なのですが、「サンレー紫雲閣建設予定地」の看板を見て、本当に嬉しかったです。今日はおめでとうございました」と挨拶をして下さいました。神酒拝戴の乾杯発声でこれほど長い口上は初めてだったので少し驚きましたが、わたしどもへの過分なお言葉に胸が熱くなりました。隣の佐久間会長も橋本常務も感慨深げでした。
それにしても、鶴我権禰宜はただならぬ神道家としてのオーラを発していました。
じつは、この京都郡一帯の土地は日本の首都であったという説があります。


邪馬台国は行橋だった!」と唱える『神代帝都考』(1899年)



1842(天保13)年、京都郡岡崎(現苅田町)に生まれ、漢学や国学を学んだ挟間畏三という人が1899(明治32)年、『神代帝都考』という書を出版しました。この本で、挟間は「神代の帝都、すなわち天孫降臨の地は日向ではなく、豊前の国の京都郡であって、ここがかつての日本の首都だ」と訴え、日本中に大センセーションを巻き起こしたのです。
挟間は、正史に対する認識を改めてもらおうと1冊を宮内省に献上しました。だが、国史に関する異説だけに完全に無視されました。それから50年以上が経過した1960年代、日本中で耶馬台国論争が展開された頃、行橋市郷土史家らの目にとまり、『神代帝都考』は素晴らしい古代史研究であることがわかり、再評価を受けたのです。あの松本清張も『神代帝都考』の内容に大いに注目し、清張自身の著書『鴎外の婢』でも紹介しています。
現在でも、「邪馬台国は行橋だった」と信じている古代史マニアの方もいます


神酒拝戴しました



さて、 紫雲閣で行われる葬儀は、いわゆる「仏式葬儀」と呼ばれるものがほとんどですが、これは純粋な仏教儀礼ではありません。
日本の「仏式葬儀」には儒教の要素が大きく入り込んでおり、いわば「仏・儒合同儀礼」ともいえるハイブリッド・セレモニーなのです。しかし、その舞台であるセレモニーホールを建設する際には、神道による「地鎮祭」が執り行われるというのが面白いですね。
やはり、仏教や儒教に関わる儀式の舞台を作る上でも、その土地の神様(氏神)に土地を使わせていただくことの許しを得なければならないのです。ここに、わたしは日本人の「こころ」が神道・仏教・儒教の三本柱によって支えられていることを痛感します。


施主挨拶をしました

「儀式力」についてお話しました


みんなで神酒を頂いてから、最後はわたしが施主挨拶をしました。
わたしは、「やはり儀式というものは人間の魂を活性化させてくれます。
わたしは最近、「儀式力」のすごさをつくづく通関しています。というのも、冠婚葬祭がなかったら、人類はとうの昔に滅亡していたのではないかと思うのです。
わが社の社名である「サンレー」には「産霊(むすび)」という意味があります。神道の言葉ですが、新郎新婦という二つの「いのち」の結びつきによって、子どもという新しい「いのち」を産むということですね。「むすび」によって生まれるものこそ、「むすこ」であり、「むすめ」です。結婚式の存在によって、人類は綿々と続いてきたと言ってよいでしょう。
最期のセレモニーである葬儀においても、故人の御魂をお送りさせていただくことはもちろんですが、残された人々の魂にエネルギーを与えてくれると思います。ネアンデルタール人が七万年も前から花の上に死者を置いて葬儀をしていたことがわかっています。配偶者や子供、家族が死ねば人の心にポッカリ穴が開き、きっと自殺の連鎖が起きたでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。


安全第一でお願いします!



さらに、わたしは次のようにも言いました。
「今年は北九州市を中心に8つの紫雲閣がオープンする予定ですが、この行橋西紫雲閣の場合は、周囲にサンレー会員様が多いということもあり、大きな期待が寄せられています。ぜひ、新施設で最高の心のサービスを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいと願っています。
最後に、何は置いても、工事は安全第一でお願いします」と述べました。
行橋西紫雲閣は、2015年1月31日に完成予定です。


行橋西紫雲閣のイメージパース



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年9月3日 佐久間庸和