北陸賀詞交歓会  

金沢に来ています。日本海側の大雪の影響で、非常に寒いです。
ブログ「神田紫雲閣竣工式」に書いたように、23日の朝、わが社の新施設が無事に完成しました。その夜は、金沢でサンレー北陸の新年賀詞交歓会が開かれました。


開宴前の会場

入場されるお客様たち

賀詞交歓会のようす

藤間直実先生による祝儀舞



会場は、マリエールオークパイン金沢の3階にある「ザ・ジュエルボックス」でした。
オープニングの藤間流・藤間直実先生による祝儀舞の後、司会者より開会宣言。


最初に、佐久間会長が挨拶しました



最初に、サンレーグループ佐久間進会長が挨拶しました。佐久間会長が北陸の賀詞交歓会に出席するのは2年ぶりなので、参加者のみなさんも喜ばれていました。佐久間会長も北陸のみなさんに会えて嬉しそうでした。


金沢との深い縁について話しました



佐久間会長は「わたしは、この北陸の地と深い縁があります。昨日、羽咋を訪れ、折口信夫先生のお墓参りをしてきました。折口先生は昭和10年、つまりわたしが生まれた年に柳田國男先生とともに日本民俗学を創られました。その舞台がわが母校の國學院大學だったのですが、その看板教授であった樋口清之先生から『佐久間君は民俗学に興味があるようだが、それから冠婚葬祭を事業化するといいよ』とのアドバイスを受け、サンレーを創業したのです。このことから、折口先生のお墓がある北陸こそ、わが原点であると思っております。今年も、どうぞよろしくお願いいたします」と述べました。


わたしも挨拶しました



会長に続いて、社長のわたしがステージに上がって挨拶しました。
わたしは、社長として次のような挨拶をしました。
おかげさまで、昨年11月18日に、サンレーは創立50周年を迎えました。早いもので、わたしが社長に就任してから15年が経過しました。
創立50周年を記念して、わたしは佐久間庸和の本名で『ミッショナリー・カンパニー』(三五館)という本を上梓しました。


わが社の「ミッション」について語りました



「ミッション」とは「使命」のことであり、「ミッショナリ―・カンパニー」は「使命のある会社」という意味になります。『論語』には「五十にして天命を知る」という言葉がありますが、まさに創立50年を迎えたわが社は、天からの使命としてのミッションを知る必要があります。
わが社の小ミッションは「冠婚葬祭を通じて良い人間関係づくりのお手伝いをする」です。
冠婚葬祭ほど、人間関係を良くするものはありません。そして、わたしたちの理想はさらに大ミッションである「人間尊重」へと向かいます。太陽の光が万物に降り注ぐごとく、この世のすべての人々を尊重すること、それが「礼」の究極の精神であると考えます。


今年もよろしくお願いいたします!



わが社の活動の根底には「天下布礼」という思想があります。かつて織田信長は、武力によって天下を制圧するという「天下布武」の旗を掲げました。しかし、わたしたちは武力で天下を制圧するのではなく、「人間尊重」の思想で世の中を良くしたいのです。天下、つまり社会に広く人間尊重思想を広めることがわが社の使命です。
先日、北九州市の成人式にも沖縄に学んで清掃を取り入れました。
今後も、使命を果たすべく精進する覚悟です。どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。


カンパ〜イ!

北陸の旨いものズラリ!

賀詞交歓会のようす

名刺交換のようす

名刺交換のようす

直江喜一さんと

フルーツむらはたの村端社長と

多くの方々と歓談しました

会場の花も好評でした



その後、株式会社ビルカンの佐々木均社長が乾杯の音頭を取って下さいました。
佐々木社長のユーモア満点のスピーチの後、「カンパイ!」の発声で宴が始まりました。
その後、しばらく歓談タイムです。料理や飲み物を楽しんでいただきました。
わたしは、多くの方々と名刺交換をし、お話をさせていただきました。
ブログ「直江喜一さんに会いました」で紹介した方にも再会しました。
おかげさまで、今年の北陸賀詞交歓会も大盛況でした。
花も豪華で美しいと非常に好評でした。


胡弓と琴が披露されました

津軽三味線を弾く女子中学生が登場!

思わず身体が反応しました♪

津軽三味線を堪能しました



それからアトラクションとして、「胡琴三鼓舞」が披露されました。
金沢らしい「和」のアトラクションに会場が和みました。
また、途中で中学2年生の女の子が参加し、見事な津軽三味線を披露してくれました。彼女は、3年連続で津軽三味線の日本一になっているそうです。へっぽこウクレレ弾きであるわたしの身体も反応して、無意識のうちにエア津軽三味線をやっていました。



楽しい時間も過ぎ、中締めとして、(株)フルーツむらはた・村端一男社長による恒例の末広がりの五本締めが行われました。昨年、村端社長のお父上である儀一会長が亡くなられました。思えば、昨年の賀詞交歓会では儀一会長に乾杯の音頭を取っていただいたのです。立派な後継者として檀上に立った村端社長によって手拍子する参加者の両手の指が1本、2本、3本、4本、そして5本・・・・・会場の息がピッタリ合いました。
わたしは、昨年の大晦日に解散したSMAPが5人組であったことを思い出し、「ああ、SMAPも最後は末広がりの五本締めをすれば良かったのになあ・・・」としみじみと思いました。


中締め後の送賓のようす

今日は、ありがとうございました!



最後は、佐久間会長とわたしと小久保本部長の3人でみなさまを送賓しました。
みなさま、今夜は、お忙しい中、わが社の賀詞交歓会にお越し下さり、本当にありがとうございました。今年も、サンレー北陸をよろしくお願いいたします!


マリエールオークパイン金沢のロビーで



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年1月23日 佐久間庸和

神田紫雲閣竣工式  

金沢に来ています。朝起きたら、気温がマイナス1度で、雪が積もっていました。
23日の11時より「神田紫雲閣」の竣工式が行われました。
場所は石川県金沢市神田2丁目5番1号。金沢の要所です。
迎えの車に乗ってホテルを出発すると外は吹雪になっていました。なんでも大雪警報が出たそうです。マリエールオークパイン金沢の前を通って現地に到着しました。


今朝の金沢駅周辺のようす

マリエールオークパイン金沢の前を通りました

完成した「神田紫雲閣」の外観

神田紫雲閣」の前で

サンレーグループとして、北陸で12番目、全国で66番目(いずれも完成分)の紫雲閣です。
設計監理は、りでこれ屋 一級建築士事務所さん。施行は株式会社トーケンさんです。


たくさんの胡蝶蘭が届いていました

高級マンションのような控室

高級マンションのような控室

高級ホテルのような浴室

高級ホテルのような休憩室



神事の進行は、サンレー北陸総務課の上本さんが担当しました。神事は地元を代表する由緒ある神社である「中村神社」の多田晃郎宮司にお願いしました。


いざ、儀式の場へ!

竣工式会場の神饌

竣工式の式次第

一同礼!

竣工式のようす

祝詞奏上のようす

清祓之儀のようす



開式の後、修祓之儀、降神之儀、献饌、祝詞奏上、清祓之儀を行いました。
それから、玉串奉奠です。最初にサンレーグループ佐久間進会長が、続いて、株式会社サンレーの社長であるわたしが玉串を奉奠しました。それから、地主の村上様、りでこれ屋 一級建築士事務所の工藤代表、株式会社トーケンの根上様、サンレー北九州の東常務取締役紫雲閣推進本部長、サンレー北陸の小久保取締役が次々に玉串を奉奠しました。その後、撤饌、昇神之儀、そして閉式と、滞りなく竣工清祓神事を終えました。


最初は佐久間会長による玉串奉奠

わたしも玉串奉奠しました

主催者挨拶をしました



そして、神酒拝戴の後に主催者挨拶です。わたしは施主として次のように挨拶しました。
「このように立派なホールを建設できて、本当に嬉しく思います。これで、会員様に満足のゆくサービスを提供することができます。ぜひ、新施設で最高の心のサービスを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいと願っています」


神田地区について話しました



それから、わたしは神田地区について次のように話しました。
「神田地区は金沢市の西南部に位置し、犀川(さいがわ)・伏見川(ふしみがわ)の2本の川に沿って縄文時代より集落が形成されていたところだそうです。治水技術が未発達であった時代には、川が幾度なく氾濫を繰り返し、多量の土石を押し流し、地域の先達は、そのたびに土石を掘り起こしては、中洲を平野とする努力を厭わず、農耕を営んできたといいます。地名となっている『神田(かんだ)』は、古くは『御供田(ごくでん)』と呼ばれ、白山宮社の『おそなえ田』があったことに由来するのだそうです。すなわち、神様へ奉納する米造りの土地であり、地名も神田と命名されたのです。」


神田の歴史を紹介しました



さらに、わたしは以下のように述べました。
加賀藩政時代には、神田は『肥沃な沢』の中の里として、桑畑や田畑は収穫量が多い地域となっていったようです。明治、大正、昭和初期には、石川郡・米丸村に属しており、昭和10年(1935年)、米丸村が金沢市編入されました。佐久間会長が生まれた年ですね。柳田國男折口信夫によって、日本民俗学が誕生した年でもあります」


白山の社(やしろ)仕へる御供田に浄土へ運ぶ紫雲たなびく



さらに、わたしは「戦後は、金沢市中心部に近いこと、北陸自動車道、国道8号線に直結する『西インター通り(都市計画道路専光寺・野田線)』や金沢駅につながる『まめだ大通り』の開通、また犀川にかかる『大豆田大橋』や『若宮大橋』の架橋などが、相次いで完成をしたことなどにより、近年では一大住宅街となっています。わたしたちも、多くの方々の人生の卒業式のお世話をさせていただくことでしょう」と述べました。この地区は蓮如上人が拓いた真宗王国の中心地でもあります。最後に、わたしは以下のような道歌を詠みました。


白山の社(やしろ)仕へる御供田に
          浄土へ運ぶ紫雲たなびく(庸軒)  


その後、大谷賢博支配人より、この地の方々の人生の卒業式を心をこめてお世話させていただき、地域に愛される会館をめざしますという力強い決意を受け取りました。
決意表明の後は、参加者全員で集合写真を撮影しました。


大谷支配人の決意表明を受ける



集合写真を撮影した後は、マリエールオークパイン金沢に移動して直会を行いました。
直会の冒頭では、わたしが挨拶しました。


直会のようす

冒頭、わたしが挨拶しました



わたしは「新たな施設を得て、北陸本部のますますの発展に期待しています。金沢は文化都市であり、茶道や能などが盛んです。しかし、冠婚葬祭こそは『文化の核』です。この素晴らしい冠婚葬祭という仕事に誇りを持って取り組んでいただきたいと思います」と述べました。


いただきます!

「八寿栄」のお弁当をいただきました

直会のようす

直会のようす



それから、司会者の掛け声で一同、「いただきます!」と唱和しました。
そして、サンレーグループの加賀料理店「八寿栄」の美味しいお弁当を食べながら、みんなで楽しく歓談しました。もちろん、仕事の話もしました。


食後に語る佐久間会長



食後は、佐久間会長が話をしました。佐久間会長は「わたしは、この北陸の地と深い縁があります。昨日、羽咋を訪れ、折口信夫先生のお墓参りをしてきました。折口先生は昭和10年、つまりわたしが生まれた年に柳田國男先生とともに日本民俗学を創られました。その舞台がわが母校の國學院大學だったのですが、その看板教授であった樋口清之先生から『佐久間君は民俗学に興味があるようだが、それならば冠婚葬祭を事業にするといいよ』とのアドバイスを受け、サンレーを創業したのです。わたしは、冠婚葬祭業とは情報産業であると考えています。このことを頭において、ぜひ業務の取り組んでいただきたい」と述べました。


北國新聞」1月23日朝刊広告



本日の「北國新聞」朝刊に広告が掲載されました。
人生の修活ノート』(現代書林)のプレゼントも告知されています。




神田紫雲閣」の見学会は、2月10日(金)・11日(土)・12日(日)に行われます。
ご来場をお待ちしております。
なお、本日の夜はサンレー北陸の新年賀詞交歓会が行われます。



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2017年1月23日 佐久間庸和