雪にありがとう!

一条真也です。

朝、起きたら、まだ喉が痛いです。
明日はテレビの取材があり、喋らなくてはいけないのに困りました。
その上ものすごく寒いと思ったら、外は雪が激しく降っていました。
風邪に雪だと「泣きっ面に蜂」かと思われるかもしれませんね。
でも、わたしの場合は全然そうではありません。
わたしは雪が大好きなのです。
雪で一面が白く覆われると、世界が浄化されたような気分になれます。

                  サンレー本社5Fからのながめ

日本の自然のシンボルは「雪月花」だとされています。
その中でも、雪は季節の移り変わりを表わします。
四季にめぐまれた日本において、だいたい日本人には季節の共通感覚があります。
でも、冬の理解だけは違うようです。
元旦から冬を輝かしい「新春」として受けとめる太平洋に面した地帯と、雪に降りこめられる山間、日本海沿岸地帯とは明暗の区別がはっきりしているのです。
雪国に住む人は美的感覚が研ぎ澄まされているように思います。
なぜなら、四季の見事な変化をくっきりと識別できるからです。
一つの風景が四種類の風景を持つことだけでも、その人の住む世界は色彩ゆたかになってきます。特に幼い頃から雪国で暮らしている場合、視覚だけではなく、感受性も大きく違ってくるはずです。
雪が加わることによって、感性が豊かにになるのでしょうね。
元旦に雪景色を求めるのも、一年のはじまりに清浄さと、目新しい世界を求める心があるからかもしれません。
九州などの暖かい地方の雪は目新しさを与えてくれますが、北国の雪は視覚だけではなく、思考的ですらあります。
脳をフルに働かせなければ、大雪の降る自然の中では生きていけません。
そして、雪が降る地方に住んでいる人は生きる上でも知恵があるように思います。
作家の五木寛之氏は、福岡県の田川生まれです。
でも若い頃は金沢に住んでおり、北陸名物の雪吊りに興味を抱かれたそうです。
兼六園が夜中でも自由に通行できた頃、雪の深夜に園内を歩いていると、あちこちから「ビシッ」とか「パキーン」という鋭い音が聞こえてきて、五木氏はハッとしたとか。
最近は積雪量こそ少なくなりましたが、人および木々にとって厳しい冬をしのぐには、まだまだ工夫が必要です。
雪の少ない地域や軽い雪が降る地域に見られる雪吊りは装飾的な要素が大きいでしょう。しかし、北陸に降る雪は重く、金沢の雪吊りは木々を守るための冬の知恵です。
そして、重要なことは、柔らかくしなる枝は雪に折れず、むしろ強い枝の方が雪の重みで折れることが多いことです。弱い枝の方が折れずに、生き延びる。
五木氏は、このように金沢の雪吊りから人間の生き方を連想されたのです。


金沢といえば、わたしは金沢の雪ほど美しいものはないと思います。
金沢の雪は滞空時間が長く、まるで雪のかけらが空中でダンスを舞っているようです。
雪がひらひらと舞うあいだに、人生のはかなさ、そして美しさを感じます。
わたしは金沢市にある北陸大学の客員教授を務めていますが、広大なキャンパスに積もる雪はまるで巨大な白いシーツのようで、まことに幻想的な光景です。


金沢の近くにある加賀市の片山津からは日本を代表する「雪博士」が誕生しました。
実験物理学者として活躍した中谷宇吉郎です。
天然雪の研究から出発し、やがて世界に先駆けて人工雪の実験に成功した人です。
寺田寅彦の弟子でしたが、師匠ゆずりの名文で『雪』という名著を書いています。
岩波新書の第1回配本の中の1冊でした。今は岩波文庫に収められていますが、その中に「雪の結晶は、天から送られた手紙である」という有名な一節が出てきます。
なんと、ロマンティックな言葉でしょうか!
そう、雪は天からの手紙なのです!


それにしても、雪をながめて美しいと感じたり、物思いにふけることができるのも、すべては大宇宙の中で地球という惑星の日本という国に住んでいるおかげです。
こんなに奇跡的なことがあるでしょうか!
まさに、「有る」のが「難しい」、有難いことです。
昨夜から「ありがとう」モードに入っているわたしは、風邪引きさんでもあります。
その治療のため、朝から内科の病院に行きました。
待合室でテレビをぼんやり見ていたら、NHKの「みんなのうた」がはじまりました。
今日の歌は、なんと、レミオロメンの「ありがとう」でした!


昨夜、「3月9日」でレミオロメンと初遭遇し、今日は「ありがとう」で2回目の遭遇。
2日続けてのレミオロメンの歌との出会い。
この時間に「みんなのうた」を観るなんて、20年ぶりぐらいです。
つまり、風邪を引いて病院の待合室にいなければ有り得なかった。
おお、シンクロニシティ!!!!!
「ありえね〜」と叫びたい気分です。
ありえね〜。有り得ない。有り難い。
なんだか、もう、すべてが有難くて仕方なくなってきました。
レミオロメンにありがとう。
NHKにありがとう。
病院にありがとう。
風邪のウイルスにありがとう。
そして何はともあれ、今日の雪にありがとう!

 
2010年3月10日 一条真也

アーキテクト

一条真也です。

今日は、建築家の白川直之さんが訪問してくれました。
白川さんは、北九州を代表する建築家として知られる方です。
わたしにとっては、高校の先輩でもあります。
地元の小倉高校から京都大学の建築科に進学され、長いあいだ、東京で建築家として活躍されていました。
多くの独創的な建築物を手がけられ、たくさんの賞を受賞されています。
そして、数年前に故郷に帰って来られたのです。
白川さんのお父さんは元TOTOの社長さんでした。
また、お兄さんは日本銀行白川方明総裁です。
現職の日銀総裁の弟さんといっても、白川さんはとても腰の低い方です。
「いつも大変お世話になります」と言って丁寧にお辞儀をなさるので、こちらが恐縮してしまいます。建築家には変わった方が多いですが、その意味で白川さんは非常にノーマルな方です。わたしは、白川さんほど礼儀正しい建築家に会ったことがありません。
その意味では、建築家としては変わっているのかもしれませんね。(笑)
  
         「四大聖人」の絵を背にした、聖人のような白川直之さん


白川さんには小倉紫雲閣のリニューアルや苅田紫雲閣などのセレモニーホールの設計をお願いしました。先日のブログにも書いたように、小倉紫雲閣の葬送スペース「月の広場」は大きな話題となりました。
今も、福岡県宗像市に建設中の新しいセレモニーホールの設計をお願いしています。
これまでの常識を超越した画期的なデザインで、完成すれば話題を呼ぶと思います。
白川さんは何よりも「葬送」という営みの本質を考え抜いて下さる点がありがたいです。
わたしの書いた本を読まれて、哲学的な議論をしたりもします。
白川さんは恐ろしいほど深い思索をされます。
その風貌も、なんだか実存主義の哲学者みたいです。
まるで哲人のような白川さんと、わたしの意見は意外と合います。
建築とは「世界観の表現」に他なりませんが、その意味で、わたしと白川さんの世界観は似ているのかもしれません。



今日は、くだんの新しいセレモニーホールの外装の打ち合わせの後、父である佐久間進会長も交えて、まったく新しい研修施設のアイデアを練りました。
わが社の社員の研修だけでなく、地域の方々も自由に参加できる研修所。
小笠原流礼法、江戸しぐさ、気功といった、サンレー文化を学ぶ場所。
会長によれば、そこは勉強会もできるし、茶飲み話もできるし、本も読めるし、酒も飲めるし、「隣人祭り」も開催できる、そんな場所だそうです。
会長は、地域の方々に「居場所」を作ってさしあげたいと言っていました。
なるほど、「居場所」を提供するというのは最大の「人間尊重」かもしれません。
そして、「縁側」を作って、みなさんに「縁」をつないでいただくというのです。
「居場所」と「縁側」というのは、無縁社会を打ち砕く大きなキーワードだと悟りました。
「やっぱり、親父はすげーなあ!」と思った次第です。
わたしは、その場所に近所の子どもたちを集めて『論語』を教えたいと言いました。
江戸時代の「寺小屋」を現代に復興するのです。
ならば、研修所の外観も寺小屋風にしたいと思い、わたしがそれを言うと、会長が「日田にある広瀬淡窓の咸宜園みたいな感じもいいな」と言い、わたしも「私塾風にするなら、萩の松陰神社にある松下村塾もいいですね」と言いました。
ふつう、わたしたち親子がこの手をアイデアを交換しはじめると、誰も話の輪に入って来れないことが多いのですが、白川さんは「あの〜、すみません、ちょっといいですか?」と遠慮がちに口を挟んできて、ご自身も素敵なアイデアを出してくれます。
われら親子の夢(妄想?)の世界にここまで立ち入ることができる人は初めてです。
なんだか白川さんが哲人ではなく、聖人のように思えてきました。(笑)
これからも、白川さんには世間の常識を破壊するようなブッ飛んだ、それでいてセンスの良い、何よりも世の中を良くする施設をデザインしていただきたいと思っています。
白川さん、よろしくお願いしますよ!


2010年3月10日 一条真也