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自然体。

みなぎる きぼうに ズバババーン

2015.12.30

武藤彩未の場所 武藤彩未の場所を含むブックマーク

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かくて武藤彩未というソロアイドルは、幕を下ろしたのである。


などと、その最後となるライブを観てもなお、気持ちの整理や納得が出来るはずもなく、去来するのは「なぜ、これほどまでのパフォーマンスが出来る彼女が、活動を休止せねばならないのか」というどうにもならない想いと、アンコールでのサプライズとしてサイリウム配布を計画し、大団円な演出で幕引きを図るプロジェクトスタッフへの疑念が募るばかりであった。


2014年6月、かつて「A.Y.M. ROCKS」と銘打たれた、その名の通りロックなサウンドでパフォーマンスをするというワンマンライブが開催された。武藤彩未のそれまでのステージングというのは、舞台装置や照明、映像演出。それにMIKIKO先生により考案された振り付けを取り入れ披露するという、それぞれのスタッフが総出でキッチリ作りこみ、楽曲から導かれる世界観を武藤彩未を通じて構築していく、そんなパフォーマンスが観られるライブであった。それに対し「A.Y.M. ROCKS」というのは、武藤彩未がバンドメンバーの一員として、バンドのボーカリストとしてステージに存在し、時には彼女自身がその激しいバンドサウンドに身を任せながら、そして観客の声援やテンションに呼応する形で熱を帯びるライブハウスの空気に酔いしれ、彼女が考えるロックサウンドのダイナミズムを彼女なりに体感・表現するというのが「A.Y.M. ROCKS」の趣旨であったのだと思う。


さくら学院というアイドルグループの一員としてパフォーマンスしてきた経験と、ロックバンドのボーカリストとしてステージに立つのとでは、何からなにまでその全てが違うだろうし、彼女自身にとって大いに刺激のあるものであったのは間違いない。おびただしいほどの汗をかきながら、時に歌詞を飛ばしながらもラフに熱唱する彼女を見て、これも良い経験、良い寄り道をしている最中に立ち会っているのだと、思ったり納得させたりしたものだった。


そう、あの「A.Y.M. ROCKS」で見せたものは、ロックとはなんぞや?というものを、80年代歌謡曲が原体験としてある彼女が、彼女なりに思い描いたロックなるパフォーマンスを表現するという、修練の場として機能したプログラムだったのだ。


そこでの彼女は、それぞれの楽曲にしっかりと決められた振り付けを、それまでのキャリアで培ってきたような忠実に演じることを必ずしも是とはせず、バンドサウンドの音圧と観客の熱気が生み出すグルーヴを全身で浴びながら、その気持ち良さをストレートに全身で表現することを優先させた、ロックバンドとしてバンドメンバー達と対等に存在するボーカリスト・武藤彩未がいたのである。


さて、先日の赤坂BLITZにおける、所謂ラストライブとなるX'mas Special LIVE「A.Y.M.X.」である。その日のステージは、かつての「A.Y.M. ROCKS」や渋谷公会堂での構成と共通する、バンド形式でのライブであった。しかし、同じ形式ながらもそこで見せた武藤彩未のパフォーマンスは、ロックバンドの一員として存在するのではなく、またバンドサウンドに身を委ねるようなラフな歌唱スタイルでもない、ステージの中央に堂々たる風格で佇み、指先にまで神経を集中させたキレのある淀みのない振り付けを纏いながら楽曲それぞれの世界観を演じ、静謐に歌い上げることへ注力した武藤彩未がそこにいた。


ライブ終盤に、前列付近にいた観客から「ロックアーティストになるのか」というちょっとした、しかし直球な質問が彼女に投げかけられた。彼女はその問い掛けに、ロックというアプローチは手段のひとつであり、それが目的ではないという趣旨の返答をした。つまり「A.Y.M. ROCKS」というのは、表現方法を磨く上でのひとつの経験であり、X'mas Special LIVE「A.Y.M.X.」で見せた彼女のパフォーマンスこそが、件の「ロックアーティストになるのか」という疑問に対する彼女からの回答であり、そしてソロとして活動してきたこれまでの研鑽が集約されたライブであったのだ。


この2年半という短い間に、まさしくTRAVELING ALONEとしか言い様のないその道のりは、時として周囲から迷走しているように見えたところも多分にあったとは思う。様々なサウンドにアプローチし、様々なアウトプットを試みながら、そして自身がこれまでの集大成にしたいとまで語った赤坂BLITZでのステージは、必ずしも武藤彩未そのものが、例えばロックなら「ロックを表現」する為のパフォーマンスにとらわれなくてもよいのだと、それがEDMサウンドだろうがロックバンドのサウンドだろうが、ソロシンガーとして楽曲と向き合い演じ切る、そこに「歌手になりたい」とあらためて語った、武藤彩未が現時点で到達したステージでの表現方法が示されていた。だからこそ、ここでの休止宣言は残念でならない。


あらためてこの休止宣言とはなんだったのか。誰が突きつけたのか、なぜこの方法しかなかったのか、もちろん知る由もない。


恵まれた環境に甘えていたのかもしれません。

だから、自分の気持ちを確信に変えるためにも、

ここから心を育てる時間を作ろうと思います。

当たり前にあると思っていた環境から離れて、いろんな世界を見てみたいです。

いつも応援してくださっている皆さんへ / 武藤彩未 Official Site

彼女は折りに触れ「勝負師の娘」であると、父が元騎手であることになぞらえ自身をそう評することがある。最初のアルバムである「DNA1980」のレコーディングに臨む際も、頑張りますではなく「私は負けません」と言い放ったのである。この彼女のパーソナリティを伺い知ることが出来るエピソードから、今回の休止宣言の持つ意味というのをあらためて考えると、意図的に彼女自身がこのプロジェクトを停止させたかった側面もあるのではないか、などと思ったりもするのだ。


1900円という破格値で渋谷公会堂のワンマンライブをやってのけたアミューズである。このままでは20歳での武道館ライブというストーリー作りも様々な手段を講じて、力技でやってやれないことはないだろう。しかし彼女自身、現在自分がシーンでどのような立ち位置にいるのか、冷静に見つめているだろうし、不相応であるというのは重々承知のことと思う。だからこそ、このまま不本意な形での「武道館ライブ」を敢行させられるより、初めからやり直すという勝負師としての強気な賭けに出たのではないか。


なあんて。そんな好意的かつ馬鹿げた解釈を妄想してしまうくらいには、この休止の意味が見えてこないのである。アルバムが売れません。ライブの集客も良くないです。なので契約終了します。だとするならば、このプロジェクトの矜持とは何だったのか、と思うわけです。


まだ2年半なのか、もう2年半なのか、結果を求められる期間としては様々に捉えられる長さではありましょうが、これ以上は運営への悪口を書き連ねるしかなくなるので最後に一言。


武藤彩未は、なにも悪く無いです。

ラストライブを観て、彼女が輝ける場所・表現は必ずあると思いました。

2015.12.20

武藤彩未の覚悟 武藤彩未の覚悟を含むブックマーク

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最初に武藤彩未、という人の名前を確認したのは、たしかさくら学院2012年度の卒業式にて、会場内で配布された真っ白なカードに「武藤彩未 2013.4.29」と、そして公式サイトのURLだけが印刷された、それも普通の印刷ではなくて、加熱された型押し箇所が半透明化される独特のエンボス感が施された、一目見て「ああ、これはカネかかっとるな」と思わせる意匠のティーザーカードで、なんだかよく分からないけど受け取った人たちが皆一様に「彩未ちゃん!彩未ちゃんが!」とロビーのそこかしこで興奮していたのを覚えている。


私はといえば、その時はまだ「あー可憐の人かな…?」程度の認識しかない状態で、そもそもさくら学院のライブ自体が、その2012年度の卒業式が初めてだったので、彼女の帰還がどれ程待望されていたのか、そういった事への周りの人たちとの温度差みたいなのはあったように思う。ただ、満を持してというか、何か大きな期待を抱かせるプロジェクトが始まるんだろうな、というのはそのたった一枚のティーザーカードの作りこみ具合からも、十分伺わせるものはあった。


そもそもここを更新するのが3年ぶりくらいだったりするので、しかもその間さくら学院の事などについては一度も書いたことがないし、いずれなんか書こうかなーとか思ってた矢先のことで、なのでなにが何やらな感じもしますが、ちょっと色々あったのでサクッと勢いのみで更新してみます。


さて、武藤彩未のライブが初めて開催されたのは、2013年7月20日 Shibuya O-EAST「武藤彩未 LIVE DNA1980」であった。その頃には既にさくら学院についてのある程度の事は認識しつつあり、彼女がどういうポジションでさくら学院として活動し、そして彼女こそが歌手として帰還するのが待ち望まれている、というのはなんとなく理解出来るまでにはいた。


果たしてそのステージで魅せた内容は、およそ考えの及ばない、今でこそ「80年代」というキーワードが彼女を語る上で、とても密接なものとして存在しているというのは理解出来るのだが、アミューズという会社は武藤彩未を通じて「アイドルという形の再興と更新」を、社を挙げて定義付けし直そうとしている、なんだかよく分からないけど、とてつもなく大きな力とお金をもってして、およそ凡人には理解されにくいことを、いや、彼女になら託すことが出来るのかもしれない…そう思ってこんな実験じみたことを真顔でやろうとしているのでは…。つまり、ただの80年代カバープロジェクトではなくて、タイトルに「DNA1980」とあるように、武藤彩未を生まれながらにしてのアイドルである、と見立てたアミューズは、彼女を通じて80年代に培われてきた現場のノウハウをそのまま注ぎこみ、現代でも通用するプロダクトを作っていくのだとする、決して懐古趣味ではないアイドル像を一から育てていくのだと、そういう宣誓のようなライブに興奮したのを覚えている。


それ以降のことについては、ツイッターやポッドキャストなどで都度喋ったりしてきたので、とりあえず諸々すっ飛ばして先日の活動休止宣言について。


ソロアイドル武藤彩未として活動してから、まだ2年半ほど。その間にも色々と楽曲の数も増え、そしてサウンド自体も変容してきており、中心であった80年代ポップスから現代的とも言えるEDMサウンド、そして果てはストレートなロックサウンドにまで及び、当初打ち出されていた「DNA1980」の意匠から随分かけ離れたことにまで取り組むようになっていた。


こういったことに対しての賛否は私の観測範囲内においても散見され、それは少なからず運営や彼女自身にも届いていたのだとも思う。私自身戸惑いが無かったわけではないが、時間を経るにつれ、なるほどこういう変容そのものが、彼女自身の今現在の、その移ろいゆく興味の変遷を、我々はリアルタイムに体感出来ているのだと。若い頃は色々なモノに接触すると、その時々において興味や関心も目まぐるしく変わるわけで、そういった「体験」が彼女の表現方法や活動スタイルにおいてもストレートに反映され、80年代歌謡が胎教だったとまで言っていた彼女が、バンドサウンドの気持ち良さを知るにまで至る、即ちその移ろいを生々しく追えている、見させて頂いているのだという気持ち、尊さ。なのであります。


さておき。そういった彼女自身の意向というのが、わりと強く反映されているんだろうなというのは、当初披露された「彩りの夏」がライブ毎にアレンジされ、そしてアルバム「永遠と瞬間」が出来るに至るまでの過程を見ていて思った。


武藤彩未は、そのプロジェクトはいつからブレていたのか、いやブレてなどいないのか、それは「今のところ」まだよく分からない、結果などまだ出ていないのではないか、と思う。デビュー当初から本間昭光を筆頭に今剛や松原秀樹といった名うてのミュージシャンを揃え、O-EASTのような大きめの箱ではDEVICEGIRLSなどのVJもあり、ステージにも凝った仕掛けやライティング演出が用意され、如何に武藤彩未という人の存在がアミューズという手厚い庇護のもと大切にされてきたのか。そしてそれはついに、渋谷公会堂にまで辿り着く。そういった運営との蜜月を見てきた2年半でもあった。そんな彼女が「私は小さい頃からこの世界にいて、正直、そのままの流れでここまで来た感じがあります」と述懐するのである。


私は小さい頃からこの世界にいて、

正直、そのままの流れでここまで来た感じがあります。

もちろん自分なりに一生懸命頑張ってきましたが、

自分自身がこれからどうありたいかという事と

しっかり向き合わずに来てしまいました。

いつも応援してくださっている皆さんへ / 武藤彩未 Official Site

ここに書かれている報告は、ここに至るまでの心境が嘘偽りのない言葉で述べられている、つまり芸能という世界に身を置いた彼女が辿り着いた一つの答えであり、そしてこのプロジェクトが何か結果を残せたのだとしたら、もしかするとそれはこの報告なのかも知れない。しかしである。それは、走りながらではダメなのか、歩みを止めなければ「心を育てる時間」は持てないのか。時間は有限である。あえて「リスタート」することの難儀さは、アミューズとて分かってはいるはずで、しかしそれでも彼女自身が相当食い下がったのだろうなと推察出来るこの文面に、なんとも武藤彩未らしいなとも思う。それがよく表されているのが最後の一文だろう。


そして、私には夢を叶えてほしい仲間たちがいます。

私と同じ壁にぶつかった子がいたら、

胸を張って大丈夫だよって言ってあげられるように、

私もしっかり自分自身と向き合っていきたいと思います。

いつも応援してくださっている皆さんへ / 武藤彩未 Official Site

本来ならば葛藤を抱きながら現状と向き合い、時には「ぶつかった壁」と折り合いをつけながら泥臭く続けていくのが、ショウビズにおける作法なのかもしれない。でも彼女は、壁にぶつかった事を包み隠さず「壁にぶつかった」と正直に言った。それは取りも直さず彼女が「さくら学院 初代生徒会長・武藤彩未」だからであり、夢を叶えてほしい仲間のことまでをも考えた末の身を挺した、先輩として身を持って「壁の乗り越え方」を見せてやろうとする、彼女の覚悟がそう宣誓させたのであると思う。


思えば彼女は「覚悟」という言葉をこれまでも色々なインタビューで発していた。これだけお膳立てをされるプロジェクトだ。そりゃ覚悟がいるのも当然だと思うし並々ならぬ思いで捉えていたに違いない。武藤さんの言う「覚悟」は、CDの売上枚数や武道館公演といった(当然それらも大事ではあるが)そういう短期的な目標設定を前にしたものではなくて、武藤彩未が求められる、武藤彩未だからこそ歌える価値や意味を、アミューズと共に描いていける「覚悟」であって欲しいなと、そう思うのです。


たくさんの「待ってる!」ありがとうございます😭ただただ精一杯やるの次元を超えて、ここからはそれに、自分の強い意志も兼ね備えてやっていきたいんです。いろんな音楽に触れ合って学びたい。次戻ってくるときは、アイドルではなく、アーティストとして勝負できる武藤彩未でありたいです!!

武藤彩未 @_mutoayami_ 11:23 PM - 16 Dec 2015

彼女は分かっていて、あえてこのような「アーティストとして」という書き方をしている。これについて、アイドル/アーティストというような定義論争や、はたまたこのツイートをもってアイドルとしての白旗宣言と穿つのは野暮ってものだろう。武藤彩未はいつも「私はアイドルです」と答えてきた人だ。そんな彼女が「アーティストとして」と表明してみせたのは、先の報告にもあるように、彼女なりに退路を断つという覚悟の表れとして、このように宣言してみせたのだと思う。


OWARI WA HAJIMARI

そうであって欲しいなと、願うばかりです。

2012.10.16

「なにも無いことを確認する為」だけ、の旅だった 「なにも無いことを確認する為」だけ、の旅だったを含むブックマーク

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北海道・美瑛には観光スポットとして様々な樹木が点在していて、赴くまま適当に切り取ってもそれなりな絵になってしまう風景だらけなのだが、やはり彼の地でひっそり観光ルートから外れ佇むここの木の存在感だけは相変わらず圧倒的であり、狭い丘陵を抜けて視界が開けたところに飛び込んで来るあの一帯の景色は、他の風景では味わえない一線を画した空間が存在しているなあと、6年ぶりに訪れてみて改めて実感した。そういうことでM.ZUIKO DIGITAL ED 12mm F2.0をなんとなく購入してしまい、そのまま気持ちが北海道に向かったのでぶらり美瑛の旅です。


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どこを見渡してもXPの壁紙だらけみたいな感じなのよなー。


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四季彩の丘。結構咲いてるっぽいけどよく見ると枯れまくりだった。夏に来なきゃダメなんだそうだ。あと土産物屋さんでずっとミニマルテクノがかかってたのが気になりました。


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ケンとメリーの木


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セブンスターの木


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マイルドセブンの丘


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クリスマスツリーの木


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そしていわゆる「僕の手紙」である。数年前にもう既にやぐら等は撤去されている事は知っていたが、いま現在どのような状態になっているのかをこの目で確かめるべく、美瑛から石狩・無煙浜へと向かったわけである。想像してた通りの殺風景な海岸でいろいろ沁みた。


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おそらくやぐらの一部と思われる残骸が一本残っていた。


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本当に殺風景な場所ではあるが、静寂が支配するこの海岸でぼんやり二階堂のCMのような散策気分を味わうのも中々よいものなので、訪れる価値はあるかと思う。ただ本当になにも無いので過度な期待はしないようくれぐれも。どうしても行ってみたいという奇特な人はこちらのブログで無煙浜までの道中があるので参考までに。ということで、2012年10月現在の「僕の手紙」はこのような状態でありました。


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以上、ぶらり広角の旅でした。