手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

そのまんま他力の真ん中にいる自分だと知らせていただいた

「富山では大変ないただきものをしました。衣食住もそうですが、もっともっと大きないただきものをしました。それは南無阿弥陀仏です、これまで長い間、自力の道を駆けずりまわっていた足が、そのまんま他力の真ん中にいる自分だと知らせていただいた。これ以上の幸せがあろうか」
【板極道(棟方志功 自叙伝)より ※インターネット参照】



『御二河白道之柵』
福光時代、最後の作品(昭和26年11月) 善興寺:富山県高岡市

棟方志功は昭和20年から戦時疎開のため富山県南砺市に移住して昭和29年まで在住。
※画像は、「NHKカルチャーラジオ 文学の世界『歎異抄』と現代 (NHKシリーズ) 表紙より」

20世紀の美術を代表する世界的巨匠


棟方の肉筆画作品は「倭画」と言われ、国内外で板画と同様に評価を受けている。大変な近視の為に眼鏡が板に付く程に顔を近づけ、軍艦マーチを口ずさみながら板画を彫った。
第二次世界大戦中、富山県疎開して浄土真宗にふれ、『阿弥陀如来像』『蓮如上人の柵』『御二河白道之柵』『我建超世願』『必至無上道』など仏を題材にした作品が特に有名である。
ウィキペディア フリー百科事典参照】



南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)
蓮如上人の柵 昭和24年 愛染苑蔵
蓮如上人北国勸化御影越中法林寺里躅飛山光徳寺」と文字が彫られている。
③赤尾道宗臥象の柵 昭和25年 愛染苑蔵
尾道宗心得「ごしょうの一大事 いのちあらんかぎりゆだんあるまじき事」を彫り込んだ作品。
④知源寺蓮弁 昭和24年 愛染苑蔵
棟方はこの知源寺へよく出かけ、蓮弁などを制作している
棟方志功 作品集(富山福光疎開時代)東方出版より】


「こんなことでは」と心配している人

 自力心というのは、必ずしも自分のやったことを役だてようとする心だけではありません。如来の願力を信用しないことも、自力心というのであります。だから、「こんなことで往生は出来るだろうか」と心配するのは、自分の煩悩の力を強くみて、如来の本願力を軽くみるので、自力心だというのであります。
 「こんなことでは」と心配している方は、自分の煩悩が如来の願力よりも強いと、ウヌボレている天狗同行であります。
【桐溪順忍和上法話集 「私との対話」 同朋舎 P89より】



「こんなことでは」と心配している人は、「自分の力でなんとかなるさ」
と、まだまだ自信がある方のようですね。いわゆる善人さまであります。
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや(歎異抄第3条)」
のお言葉が浮かんできました。まことにありがたいことであります。
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