この花は、まことの花にはあらず@風姿花伝

  • タイトルに追記しました 7/8 1:10


そもそも君らに個性などない - 地下生活者の手遊びの続き。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080705/1215257884に対する反論という意味合いとか*1『世界に一つだけの花』という愚劣なタイトルの歌について - 消毒しましょ!に乗っかって「世界に一つだけの花」をdisってみたくなったとか、個性は獲得目標ですらない - ohnosakiko’s blogの立論に敬意をあらわしたうえで僕なりに補ってみようかとか、そういうエントリですにゃ。


さて、個性賛美というものはろくなものではにゃーと僕は思うんだけど、それはなぜ出てきたんだろうか? 単なる馬鹿平等主義の生温いサヨイデオロギーと言いきれるものなんだろうか? ここでは花伝書風姿花伝)とエリクソンのライフサイクル説を参照しつつ、個性賛美というものの背景を考えてみますにゃ。
参考資料として

エリクソンの説を参照していただきたく。


また、風姿花伝の現代語訳については、http://www.geocities.jp/yassakasyota/に所蔵されている風姿花伝PDFを参考にさせていただきますにゃ。
訳のおかしなところは指摘してくださいにゃ。なおしますにゃ>諸賢


風姿花伝の冒頭において、年齢ごとの心得などが記されているにゃんね。おっていきますにゃ。

七歳


七歳(抜粋)
このころの能の稽古、必ずその者の自然としいだすことに、得たる風体あるべし。舞・働きの間、音曲、もしくは怒れることなどにてもあれ、ふとしいださんかかりを、うち任せて、心のままにせさすべし。さのみに、よきあしきとは、教ふべからず。あまりにいたく諌むれば、童は気を失いて、能ものくさくなりたちぬれば、やがて能はとまるなり。


拙訳
このころの能の稽古は、必ず、七歳の子供自身が、やたらに考えをめぐらせることなく演じるしぐさに、生まれつき身についた芸風が見られるはずである。舞やしぐさの中や謡(はいうまでもなく)、あるいは怒りの場面などに見られる、激しい演技の中にあっても、思いがけなく急に演じるしぐさに対して、やたらに口を出さず、本人の思うとおりにさせてやるがよい。むやみに「どこがよかった」「あそこが悪かった」と教えてやらないほうが良い。あまりにひどく忠告すると、その子供はやる気を無くして、能に嫌気がさしてきたとなると、そのまま能(の進歩)は止まってしまうのである。


七歳というのは、初等教育の始まる年齢に一致していて、この年齢設定自体興味深いものがありますにゃー。また、この年齢は、フロイトの言う潜伏期(いってしまえば、自分の肉体にのみ向いていた関心が、他者へと向かいはじめる時期ということだにゃー)、エリクソンの言う学童期(小学生時代)の始まったころですにゃ。
ところで、リンク先のエリクソンの発達段階説によれば、この年齢においては


やればできる、ということを経験し、がんばることを覚える時期。なので、大人はがんばった、ということを大事にすべきである。これに失敗すると、何をやったってダメ、と劣等を感じるようになる。


ということであり、とりあえずほめることが大事、やればできることを経験することが大事であるということですにゃ。これは、前エントリで述べた「個体差」を尊重することにつながると考えられますにゃ。このことと、世阿弥の教育方針は見事に一致していますにゃ。
ただ、世阿弥は確かに個体差を考慮しているけれど、それはあくまで「得たる風体」であって「花」ではにゃーことを確認しておきますにゃ。

十二、三


十二、三より(抜粋)
まづ、童形なれば、何としたるも幽玄なり。声も立つころなり。二つのたよりあれば、わろきことは隠れ、よきことはいよいよ花めけり。(中略)
さりながら、この花は、まことの花にはあらず。ただ時分の花なり。されば、この時分の稽古、すべてすべてやすきなり。さるほどに一期の能の定めには、なるまじきなり。このころの稽古、やすきところを花に当てて、技をば大事にすべし。


拙訳
まず(この時期は)容姿が子供らしいので、どんな演技をしても幽玄にみえるのだ。声も引き立つころである。二つの好条件があるので、悪いところは隠れ、よいところはますます美しく引き立つようになってくる。(中略)
そうではあるが、(この芸の)花は、真実の花ではない。ただ一時的に(観衆をひきつけるがやがて失われる)花なのである。それだから、このころの稽古は、なにもかも無理なくやることである。さて、(この年齢のころに)生涯の芸が決まるというわけではない。このころの稽古は無理なくこなせるところを花として(つまり励みをつけさせて)、技術面をしっかり身につけさせなければならない。


この時期は、エリクソンのいう小学生時代の終わりから思春期の始めに位置していますにゃ。「やればできる」ということの果実がここで実っているといえるのではにゃーでしょうか。この時期における達成感は、確かに一生を通じて財産となりえるのではにゃーだろうか。ここで世阿弥が「幽玄」「花」という言葉を使っていることはとても重要ですにゃ。
で、
この時期の児童の心理については、ユング派の心理学者・河合隼雄が興味深いことを言っていますにゃ。氏によれば、第二次性徴に続く疾風怒濤の時期は、ある意味では今までの人格がいったん死ぬことにまで例えられる程の大事件であり、これに備えて子供はこの時期にいったん人格的に完成するのではにゃーか、といってますにゃ(探したけど出典がはっきりしにゃー。まあツバを眉につけて読んでくれ)。
第二次性徴という疾風怒濤の時期を前にいったん完成し、そして本当の死を前にしてニンゲンはもういちど完成に向かうということなのですにゃー。
そして、前のエントリにも書いたとおり、ユング心理学における発達過程は「個性化」あるいは「個体化」Individuationといわれるものですにゃ。


この「第二次性徴を前に、子どもはいったん人格的に完成する」ってのは説得力があると僕は思う。小学校中学年〜高学年で、「人格者」といえるようなガキって確かにいますにゃ。*2


この時期に、「やればできる」を経験した子どもは、「個性=花」といいえるものを確かに獲得できるのではにゃーだろうか。しばしば善意の、しかも教育現場に実際に携わっていて観察力を有しているものが「個性賛美者」となってしまうのは、この時期の子供を見ているからじゃにゃーかと、僕は勝手に思ったりするのですにゃー。個性賛美は単純にイデオロギーといいきれるものでもにゃーように思えるところが悩ましい。


しかし、善意の「個性賛美者」にはもてず、世阿弥には持ちえたもの、それが

  • さりながら、この花は、まことの花にはあらず。ただ時分の花なり

という表現者としての透徹した認識なのではにゃーだろうか。


世界に一つだけの花」だって? 結構毛だらけ気だるい午後の昼下がりですにゃ。
ただしそれは「まことの花にはあらず。ただ時分の花なり」


では世阿弥は「まことの花」をどう捉えていたのか? どうすればその境地に達するのか? そのあたりについてはまた今度。

*1:僕は個性と個体差を峻別しているはずだけど彼のエントリでは考慮されてにゃー、というだけでも反論になりえるけどにゃ

*2:また、いわゆる「中二病」ってのは、第二次性徴でぐだぐだになったその真ん真ん中といえますにゃ。体力のある二歳児。人生の馬鹿盛り。