谷崎潤一郎に学ぶ理想の女子高生論

谷崎潤一郎の随筆で『陰翳礼讃』という作品があって、中学か高校の時に教科書に載っていて読んだことがある。

そこで言われていたのは「光が行き届かない闇や影こそ美しい」ということ。
陰翳こそ日本の美である、みたいなことが言われてた気がする。


で、思うに、その考え方は、「見えそうで見えないミニスカート女子高生に興奮すること」と本質的には同じだと思った。

下着が丸見え(いわゆるパンモロ)が良いのではない。
チラッと少しだけ見える(いわゆるパンチラ)が良いのだ。
個人的にはさらにそれよりも、見えそうで見えないのが最上である。
理想は、ふとももの付け根の部分(尻とふとももの境界線)は見えるが下着は見えない、という状態。


まあそんなことはどうでもよくて、
よく「スカート短くするなら階段登るとき手で隠すな」という人がいる。

そんな人たちに言いたい。お前らちょっと待てと。


確かにそう主張する人たちの言いたいことはわからんでもない。

スカート短くする
→下着が見えやすくなる
→でも下着は見られたくないから階段登るとき手で隠す
 ⇒ふざけんなどっちだよ

ってことですよね。


でもね、ちょっと待てと。
皆さん、真に美しいのは「短いスカートを手で隠そうとしている女子高生」ですよ。

もし隠さずに下着が丸見えになっていたら、そんな状態をどう思いますか。
私は、そんなものは見ても(あんまり)嬉しくないと思いますよ。

なぜなら、よりエロティックなのは、パンモロよりもパンチラ、パンチラよりも「見えそうで見えない」だから!

これこそが、陰翳礼讃の精神なわけなのである。
丸見えの下着よりも、暗いスカートの中から少しだけ見える下着。これこそが日本の美である!

谷崎潤一郎はきっとそう言いたかったんだ。