羞恥感についての考察・1

羞恥系のアダルト動画を探していたら、「身体の露出に伴う羞恥感(Sugawara et al.,2010)」という論文を見つけました。
本論文の羞恥心に関する考察を読んだ結果、僕の好きな羞恥モノについて新たな視点で考えることができました。

今日は、本論文の内容を簡単に紹介します。
明日は、ここで得た知見をもとに、自分の性的嗜好について考えてみます。


本論文で筆者らはまず、羞恥感を感じる条件について心理学的に考察しています。

「羞恥感」について筆者らは過去の報告で、
「羞恥感とは自己の社会的イメージの警報装置であり、所属の要求に基づくいわゆる『socio-meter(Baumeister et al.,1995)』としての機能を有するものと考えられる(Sugawara,1998)
と述べています。
つまり、羞恥感は社会性と深い関わりがあるのです。

次に筆者らは、裸体への羞恥心は普遍的な感性とはいえない、と述べています。
つまり、同じ「素肌を公衆の面前に晒す行為」でも、それができる場合とできない場合があるのです。

例えば、小さい子供は裸を恥じらいません。また、裸で生活する民族も存在します。彼らは裸になることに羞恥心を感じません。
羞恥感は、年齢や地域に左右されるのです。

ではそういった特定の民族以外で、一定の年齢に達した者ではどうでしょうか。
例えば、日本の思春期の若者に限定すれば、羞恥感は普遍的な感性と言って良いのでしょうか。

実はこれも、そうはいえないのです。
わかりやすい例は海水浴場です。つまり、普段は下着姿を見せるのが恥ずかしくても、海水浴場では、隠す面積が下着と同程度のビキニを着ることができるのです。

すなわち、羞恥感は、年齢や場所だけでなく、その場の環境にも依存するのです。


それでは一体、羞恥感を感じる要因は何なのか。

それはずばり『性的刺激性』である、と筆者らは述べています。
平たく言えば「私があの男を興奮させちゃってるわ」感が羞恥感の原因なのです。

社会性の発達した人類は、身体を衣類で隠すという習慣を手に入れました。
ところが、衣服をまとう状態が常となったことで、逆に衣服を脱ぐという行為がある意味を持つようになってしまいました。

服を脱ぐということは、セックスする準備ですよということ。
つまり、服を脱ぐことで性的誘惑や性行為への準備などの意図を伝えることができるようになったのです。

そのために衣服をまとった人間は、異性に誤ったメッセージを与えないように、人前での脱衣に慎重になる必要が生じたのではないか、と筆者らは述べています。

もしこの説が正しければ、「他者に性的刺激を与えているという確信」が羞恥心の肝であると考えられます。

つまり、
1. 脱ぐ
2. 異性を興奮させてしまう
3.「私、セックスしようとしてるor誘ってるって勘違いされちゃってるわ!」
4. 羞恥心!

という図式です。

逆に言えば、人に性的誘惑を与えていないと確信できれば、公の場でも脱衣ができるのです。
事実、海水浴場や身体検査で脱衣できるのは、脱衣が性的意味を持たないというコンセンサスが成立しているためです。

医療機関で羞恥心を感じる典型的な場面の一つは、患者が医療スタッフに「男性」を感じた時であるという報告があります(Ohbayashi,1994)
つまり、医師が「スタイルいいですね」みたいな発言をしたときに、患者は医師の性的関心を読み取り、羞恥感や屈辱感が湧き上がるのです。

同様の例で、ヌーディストビーチでイヤラシイ目つきの人物がいると、他の人々も裸にためらいを感じてしまうという例が報告されています(Natsumi,2000)


以上を簡潔にまとめると
・羞恥心の本質は、異性の性的興奮を過誤に惹起させているという自己の認識である
ということが言えます。


本研究ではこの考えをもとに、『肌みせ系ファッション』と相関のある因子を調べています。

女性を対象にしたアンケート調査によって、肌みせ系ファッションの着用度と、肌みせ系ファッションに対する様々な観点からの印象の関係を調べました。

すると、肌みせ系ファッションの着用度と、肌みせ時に抱く羞恥感は負の相関を示しました。


図:変数間の構造方程式モデル。数字は変数間の相関係数を示し、+は正の相関、−は負の相関。

また、羞恥心を抑制する理由として、衣服のファッション性、年齢、暑さ対策などがあり、
逆に羞恥感を促進するものとして、性的刺激性、社会的規範欠如の認識などがありました。

このような背景から、最後に筆者らは、肌みせ系ファッションを単純に「はしたない」と批判すべきでないと述べています。


つづく!
羞恥感についての考察・2
羞恥感についての考察・3