Hatena::ブログ(Diary)

いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」別館

2017-01-12

福島県の小児甲状腺癌〜UNSCEAR2016年白書に関して

福島県の小児甲状腺ガンの摘出例は、これまで増加の一途をたどってきたわけだが、どうも国連の一機関の報告書の存在をもって、「福島県では小児の甲状腺癌の患者は多くない」という見解を広めている人々がいるようだ。


拙ブログの見解は、以前から述べてきたけれども、福島県の小児における甲状腺癌の発生は、どうも過去の例と比較すると多いのではないか、というものであった。


15年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/1706e8f25cb6b081da4c0db8606345ba

    >http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/2dbf06b8c5acae20b95087991e2006f7


16年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/fac67aaefc8f5ae14e1db2e5f3c3cc72

16年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/49250a9a47db2d4c583b62061c154afd



で、問題のUNSCEARの白書ですね。こちら

http://www.unscear.org/docs/publications/2016/UNSCEAR_WP_2016_JAPANESE.pdf


気になる箇所は、23頁の111の項である。

111.
1 編の論文 [T17](およびその後に発表された、批判への回答 [T16])は、甲状腺がんの発生率が放射線によって上昇したことを証明できると主張している。著者らは福島県で50 倍(95%信頼区間:25 倍〜90 倍)の過剰を報告している。しかし、調査の計画と方法は、この解釈を正当化するにはあまりにも偏りが生じやすいもの [J2]であった。Tsuda et al. [T17]は、観察された甲状腺がん発見率に対する、甲状腺の高感度超音波検診の影響を十分には考慮に入れていない。彼らの結論は、FHMS の集団検診を受けた人の甲状腺がん発見率と、小児の甲状腺検診結果がほとんど含まれていない日本の他の地域での発見率との比較に基づいていた。小児期に検診を受けた他の集団、特に被ばくしていない 3 県で超音波検診を受けた小児についての調査 [H3]、および日本の若年層における他の検診調査 [T6]では、放射線被ばくのない甲状腺がんのベースライン発見率が FHMS の発見率と同程度であることが判明している。同様に、韓国で広範な検診を行ったところ、甲状腺がん発見率の明らかに大幅な上昇を経験した[A2]。また、検診で検出されたがんの一部は、放射線被ばくの前から存在していた可能性がある [T5]。



岡山大の津田らの論文において、地域間の差を示しているが、それがどの程度まで言えるかというのは、判断が難しいのかもしれない。112番の記述に関しては、言いたいことは分かるので、とりあえず保留としたい。


で、問題の111である。
通常、年齢差や性差の大きい疾患の場合、違う対象の論文と同列に論ずることはかなり稀である。ところが、この白書では、何故か敢えてA2論文を挙げて、検診をすると発見率が上昇するのだということを強調しているのだ。


これはどういうことか?
極めておかしな議論ではないかと疑わしくなるわけである(笑)。普通の研究者なり医学者なりだと、そういう論の提示はしないのでは?


また、参照されている長崎大のTakamura et al.のペーパーがある(T6)が、恐らく以下のものであろう。

Takamura ペーパー

http://www.thelancet.com/journals/landia/article/PIIS2213-8587(16)30318-7/fulltext


アブストラクトではないですよ、フルテキストでこの分量だそうです。
で、千葉300人、岡山1300人、東京350人、福島358人、いずれも/百万人当たり、ということで、地域差が見られないですよ、という結果が報告されているわけだ。内容が薄過ぎて、具体的な調査実態が分からない(性別とか年齢層とかもよく分からない研究報告みたいな)のですが、有力な証拠とされているようです。ふーん。随分と、キリのいい数字が並ぶもんなんですね、300、1300、350って。もっと細かい数字ではないのは偶然なのかな?(笑)


※※ちょっと追記:

何?早速の嫌がらせか何か?w
当該Takamura論文へのリンクを外したの?
これって、何か不都合とかがあるの?

もう一回、試してみるわ

http://www.thelancet.com/journals/landia/article/PIIS2213-8587%2816%2930318-7/fulltext



で、拙ブログでは、ネット上で少し探してみたところ、非常に勉強になるペーパーがありましたので、それを提示してみたいと思います。分量が長いので、英語を読める方は是非とも頑張って原文をお読みくださいませ。当方の理解の範囲でしか、ブログ記事には書けませんので。


http://www.scielo.br/scielo.php?script=sci_arttext&pid=S0004-27302007000500012&lng=en&nrm=iso&tlng=en


このうち、ベラルーシのMogilevとGomelという地域での小児の甲状腺スクリーニングプログラムの検査結果というのが出されているわけですが、「table2」にその数字が掲載されています。


事故当時に9歳以下だった小児について、91-96年のスクリーニング検査結果は、線量の高い影響を受けたであろう、Mogelでは37例/19660、Mogilevが2例/23781という発見率だったわけです。


で、2002年の高発見率地域だった前者でのスクリーニング検査では、14歳以下の小児においてゼロ人、0/25446という結果だったということです。

スクリーニングをしたから、元々大人になれば発見されるであろう甲状腺癌を先に発見したんだ、というお説が本当なら(笑)、2002年時点でもかなりの数が発見されていてもおかしくないでしょう?

しかし、発見例はなくなっているわけです。二万人を超える大規模調査ですので、国連の出した白書に書かれている韓国論文よりは意味のあるものと考えます。


日本での過去の経験でも、15歳未満での甲状腺癌の発見例は極めて稀であり、腺外浸潤、リンパ節転移や遠隔転移が生じているのに治療せずともよい、などという意見が医学界の常識として存在してきたのか?

そういうのを、デマと呼ぶのでは?


また、本論文においては、小児甲状腺癌の原発巣の大きさの基準というのは、10mmといった基準が果たして妥当なのかどうか、という議論もなされており、今後の検討や議論が必要ではないか。


福島県の手術適応となった例では、10mm以下は3分の1しかなく、リンパ節転移が高率で発生していたし、遠隔転移も見られたわけで、上記論文のTable4の結果と見比べてみても、特別に過剰な治療であったものとは考えられないだろう。


何より、疑問というか残念なのは、UNSCEARというある種の権威機関が出した報告書において、当然に参照するべき重要と思える論文をレビュー対象から外しており、自説の都合のよい論文をみつくろって結論を導き出しているかのような体裁になっている、ということだ。何の為の報告書なのか。


小児甲状腺癌の発育が緩徐であるというなら、2013年以前に検診で問題なしとされていた患者において、わずか2年程度で手術適応となること自体が、通常では考え難い事態であろうに。

早期に発見したに過ぎない、というお説ならば、例えば2015年時点でガンとするのではなしに、2012年か2013年には検出できていたはずであろう?大きさがそんなに急速に増大すると?

10年、20年待っても問題ない、と豪語してたはずが、2年前に検出なり診断なりができていないわけがなかろう?


津田論文議論では、福島県内の地域差を見ているわけだが、そこには十分ではない部分があるとしても、福島県全体で見た場合の、小児甲状腺癌患者の発生というのは、普通では説明がつかないものと思われる。

2017-01-01

明けましておめでとうございます

今年もよろしくお願い致します。


昨年は、苦しむ局面が多かったのですが、新合衆国大統領就任で展開が変わることを期待したいです。


個人的には、悪いことがあったわけではないですが、世界は暗闇の中にいるとしか思えず、ツラいと感じています。


一人にでも、わたくしの言葉が届いてくれれば、ありがたいです。


常日頃のご愛顧に感謝申し上げます。

2016-12-28

インフレ・ターゲット政策への理解が乏しいのか?

銀行、殊にメガバンク保有する国債残高が減少してきた、という報道があったようだ。


http://www.nikkei.com/article/DGXLASDF16H0W_U6A221C1NN1000/


民間銀行が持つ国債が減っている。日銀黒田東彦総裁が就任した2013年3月と比べるとほぼ半減した。長短金利を操作する新たな政策の枠組みのもと、金利は低い水準で推移しており、かつては資金運用の主軸であった国債での運用は一段と難しくなっている。

 日銀がまとめた「国内銀行の資産負債等(銀行勘定)」によると、メガバンク地銀保有している国債の合計残高は10月末時点で84兆4419億円。リーマン・ショックがあった08年9月末以来8年ぶりの少なさだ。13年3月末は166兆6255億円だった。


=========


これは、黒田日銀の緩和策が実施される以前から、想定されていたものであり、政策効果がそこそこ発揮されたものと受け止めている。事前想定の通りに推移しているなら、予知性という点において事前検討が無駄ではなかった、と考えている。


当時から、あれほど油断は禁物、と警告しておいたのに、お調子者どもは短絡思考でしかないせいなのか、局地戦に勝った勝ったと浮かれるわけだ。


13年4月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a4d28c16b8213b7eb0fb57fb0d2536f5

一部の浮ついた「りふれは」連中なんかは、大戦果に狂喜乱舞の様相のようだが、愚か者たちには今後が大事なんだということが理解できないのであろうか。ヤツらは、自分の主張を通すことが目的であって、「政策実行の効果、結果」というものが大事なのだという視点が決定的に欠けているのだろう。

(中略)

多くの記者諸氏は気づいていないんじゃないかと思うが、元々は白川前総裁記者会見説明していた「機械的に計算してみると…」という数字の意味を覚えているかね?
あの近未来の「マネタリーベースの水準」というのが、今後13年末に向けてどのくらいまで到達するか、という説明を聞かされた時、白川前総裁の意図する所がぼくには何となく判っていた。


今回の黒田総裁の出した水準は、それに加えて上積みということではありますけれども、白川時代の数字とよく見比べてみるとよい。拙ブログには、白川総裁に向けて「ピッチが届かなかった」と申し上げたわけですが、新体制下では、偶然にもそのピッチの上積みが実現されることになった、と受け止めている。


今後は、国債価格が反転して、金利上昇局面となってゆくことが起こらなければならないわけで、それは「銀行から国債を引き剥がす」ということでもあるわけだ。

日銀が競合して国債を買うことで、銀行は別な資金の振り向け先を探さざるを得なくなる、ということだ。当預残高の上乗せというのは、ある種の「飽和攻撃大作戦」のようなものであり、金融機関国債の結合度を低下させ、国債買いに銀行資金が向かうのを阻害する、という機能が期待されるだろう。


だから、国債買いに資金が集まらなくなっていかないと、マネーストックの増加率があまり伸びないということになる。現実の結果として、量的質的緩和策が効果を発揮したかどうかは、待つより他ないのである。



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良かった、というのは、そういう意味だ。
政策効果が事前予測の通りに推移するかどうか、そこが大事なんだから。そして、国債保有残高は目論見通り減った、ということであり、その資金は別に向かったはず、ということだ。



それと、インフレ・ターゲット政策が白川前総裁が述べていたような「フレキシブル」なもの、ということの意味が、山形浩生あたりには理解できないのかもしれないが、これも当時から説明しておいた。

金融政策の効果が最大になるというのが、「総裁のクビ」と捉えているなら、日銀総裁は「インフレ期待」を自由自在に操り調節できる、とでも思っているのだろうか?

政策に失敗したらクビにするなら、総裁は「ワタシ、失敗しないので」式に、インフレ目標を達成できるとでも?

そういう発想が理解できない。
というか、そんなに簡単に解決できるなら、とっくの昔にデフレ脱却できてるだろうに。


傲慢である。或いは、自己の経済学知識とか、金融政策に関する知識と効果について、過信してるとしか思えないわけだよ。そんなに簡単なものではなかろうに。


で、現実世界では、黒田総裁も岩田副総裁も、事前の宣言通りに辞任なんかしたのかね?(笑)

2年で達成の目標が達成できなければ、「フレキシブルじゃないインフレ・ターゲット政策」の餌食となってもらい、クビにせよ、と?
そのような発想を、愚かと呼ぶに相応しい。


拙ブログでは、そうした金融政策の在り方は、効果があると思ってないし、実際的ではない、と言っておいたよな?
所詮は、「りふれは」連中の多くは、その程度のものだったということではないかね。


13年3月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/36cd62a872d26763faeeaf7f37bd65a2

(再掲)

かつて、インフレーション・ターゲティング政策というのは、目標が達成できなければ総裁(や執行部)を「更迭する」といったような人事権を掌握し、これを「ムチ」として用いることで、政治的強権を背景に目標達成を強いる、という暗いイメージ(笑)があったわけです。
金融政策効果としては、人事権の有無というのが決定的な要因かどうかというのは疑問の余地がある(確か文献的には関係ない、だったかな?)わけですが、90年代はじめくらいまでというのはそういうのを称して「インフレ・ターゲット政策だ」と強硬に主張してきた人たちがいたわけです(その認識のまんま今に至っている方々は、はやり同様に「クビにできなければインタゲの意味がない、効果がでない」などと言い張っているかもしれません)。そうした、どちらかと言えば近年の”modified”インタゲではなく、よりオリジナルのインタゲを意識しているとなれば、最大効果を狙うべく「辞任」という責任の形に言及したものであろう、ということです。
白川前総裁が言っていたフレキシブルなインフレ・ターゲット政策というのは、旧来型の「特定指標・数値(=CPIで2%)」と目標の達成と未達(=失敗なら更迭)という、極めて機械的政策とは異なる、ということです。日銀の出したインフレ目標政策というのは、紋切り型の枠組みではありません。


========


仮に、そうした人事権で未達の場合にクビにする方式を、rigidなインフレ・ターゲット政策と呼ぶことにしよう。
フレキシブルなのは、目標とするレンジを自由に変更してもよいということではないですよ。例えば、「2%±0.5%」と目標レンジを決めるなら、それはそれでいいでしょう。


しかし、「2年」で達成と言ってたのに2年を超えると「はい、アウト」ってクビなのが本当に良いのか?或いは、買入額が「80兆円」っていうのがきっちりその額じゃないとダメなのか?国債指標金利が「0%」だったら、それを超えるとアウトなのか?


そういうのは、その局面で、或いは将来見通しとして、どうするのが適切なのか、というのは、違いが生まれることは避けられないのではないのか、ということなのですよ。

2年と宣言したとしても、その見通しが違ったからとて、2年という期日に拘る理由とは何だ?2年は、金融政策効果の判定基準に、何らかの意味を持つのか?


そうじゃないでしょ。
本気で考えたことがあるのか?
できもしないこと、できそうにないことを、平気で語る連中が多すぎて嫌になるわけですわ。


何度も再掲してるが、また書いておくわ。


これまで日本は「失われた20年」を過ごしてきました。
そして、デフレは15年にも及ぶ長期となってきたこともご存じの通りです。これから日銀が行うのは、史上最大の、過去に例のなかった挑戦です。ある意味では、日本経済を舞台にした、壮大な実験です。

またヘンな喩えで申し訳ありませんが、誰も見たこともないような「巨大な大浴場を沸かす」という作業を実行するようなものだ、ということなのです。これを成功させなければなりません。この大きな風呂は、過去のデフレ期間に魔物が成長するように巨大化してしまいました。しかもこの風呂には、人類史上最大規模の「国債プール」というものが付いています。これらを含めて、風呂が「いい湯加減」になるようにすることが求められるのです。


=======


風呂の温度が思ったより上がって行かない、という時、連結されている緩衝用の水が大量に入ってる「国債プール」に貯まってる水量が事前の予想よりもずっと冷たいとか量が多かったとしたら?誰も見たことのない規模のプールなんだぞ?そんなに最初から正確に分かるもんなのか?


つまり、適宜対応するしかなかろう、って言っているんだわ。予想と違うなら、どういう感じで違うのか、火力を上げるべきか、緩衝用プールの弁の開閉を調節するのがいいのか、別の逃がしルートに流れるようにした方がいいのか、とか、色々と方策があるだろ?


更には、折角温めてきたのに、激冷えの氷水を大量にぶっ込んでくる、アベ政権財務省とかみたいなのだっているんだぞ?
冷えるだろ、どう考えたって。

なら、温める為に、風呂の火力を大幅に強化するとか、必要になるだろ?時間が長くかかっていいなら、火力が同じでも、待ってさえいえば、いつかは上がるかもしれないし。

そういうことって、局面ごとに違うって言ってるんだ。対処するのは、柔軟にやっていかないと、目標値はあくまで目標であって、対応は厳密に事前予測通りに事が運ぶわけじゃないってことなんだわ。そんなこと、やる前から、誰でも気付ける話だろうに。何故、これが分からないのだろうか、と不思議でならんわ。


で、結局は、”rigidな”インフレ・ターゲット政策を支持し、主張していた人間の言ってたことが正しかった、と実証されたんですかね?

現実は、どうなのですか?

黒田総裁と岩田副総裁の代弁者ではないんですが、当方がもし代わりに発言してよいなら、「rigidなインフレ・ターゲット論者の主張を採用してなくてよかった」、ではないですかね?


風呂にいちいち氷水をぶっ込んでくる連中のせいで、クビになってたら、誰も実現なんぞできんわな(笑)。あれだ、シーズン途中で監督をクビにすれば、必ず優勝できる式の発想のプロスポーツ球団みたいなものか?クビにできる権限があったからって、勝つわけでもあるまいに。


総裁のクビを賭ければいい、とか、そういう問題ではないのですよ。純粋に、政策効果の発現を予想したり、考えたり、修正したり、という具体的な実務面での、理屈が間違っている人々が殆どだった、ということではないですかね?(笑)


それは、日銀のせいばかりではない、ということですよ。
日銀批判派も同罪だった、ってことです。しかも、一度や二度言うくらいでは、自覚できない連中が多すぎるってことです。

2016-12-26

FTPLは2000年代前半のオワコンだったんじゃないの?

何かよく分からんが、ネット界隈で再び「FTPLの亡霊」が復活してきたようだ。経済学の話題も、ゾンビと同じで(笑)、時折周期的に復活するネタというのがあるのだろうか?


日本が2000年初頭のデフレに陥った際、こうした話題というのは、大体1度は議論の俎上に上っていたのではなかったか。
当の日銀さんだって、網羅的に様々な論点を調べてきたわけで、当方でも一度は目にしてきたものであった。


例えばこんなの>http://www.imes.boj.or.jp/japanese/kinyu/2002/yoyaku/kk21-3-2.html


日本のデフレというのは、かなり珍しい現象であり、理由とか原因について整合的説明というのは、これといった決定版が存在してこなかったわけです。02年なら、まだまだ「不良債権説」「銀行機能がダメだ説」が横行してたので、どうしようもなかったんですがね。


昨今でも(といっても数年前だが)、例えば佐藤審議委員の講演などでも触れられていました。

https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2014/data/ko140319d1.pdf


日本においては、財政政策の拡張というのがデフレに効果がないとされてきたのは、リカーディアン、Non−R論争だけではなく、実証面でかなり疑わしいというか、日本のデフレ解決するのには「更なる財政拡張はFTPLからすると効果がるとは言えない」的に説明されていたはずでは?


拙ブログでも、日本のデフレの謎について取り組んだ06年初め頃には、参考に見たことはありますが、財政政策による物価水準の決定を頭から信じたというものではなかったように思います。


06年2月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/9df0d7389cc8e81550399ce67c8baa39



その数年後に、日銀の若手研究者?のペーパーでも取り上げたことがあります。「Expected Burden View」の話でしたね。

10年8月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e8394844963d7edcde10376abb8b3196


(再掲)

本ペーパーの最後の脚注にもありましたけれど、rが低下するなら、物価Pを上げるにはSを小さくするということになるわけで、そうすると財政出動をするべき、ということになるんじゃないですかね。
それとも、Bを大きくするということなら、やはり「国債買入」をやって国債価格を上げる(利回り低下)ことを正当化できる、ってことを意味するように思うんですけど、どうなんでしょうか。

そういう「Pを上げる」手段を考えるのは、いけないことなのでしょうか?(笑)


=======


日本の長期データが揃ったのですから、「財政余剰」がどの程度物価水準の決定、すなわちデフレに効果があったのか、これを検討してみたらよいのではないでしょうか。FTPLの理論としての有用性というか、どの程度使えそうなのか、日本にはうまく当てはまるのか、そういったことを研究すればよいのでは?


ただ、日本の債務残高がうなぎ上りに累積してきたことを考えると、原因と結果の繋がりとかがよく分かりませんね。財政債務物価を決めるのか、物価のせいで財政赤字の累積が悪化したのか、みたいなことです。


少なくとも日本においては、名目成長率の著しい低空飛行が起こったので、対GDP比で財政赤字が悪化したものと思いますので、デフレ期は割引率が普通の国経済とは全く違っており、符号の逆転かと思うくらいに違うんじゃなかろうか、みたいな話ですね。そうじゃなけりゃ、かつての常識的に言うなら、発散してますよね、という水準かと思えるので。


FTPLに家計と国があるが、企業とは違うので、日本では企業行動が大きく影響していたものと思いますね。FTPLの面白いと思える部分は、家計の行動が物価水準を決めるという点であり、日本人なら節約志向&将来不安で貯蓄増、みたいな防御的行動なのではないかと。


それは、金融企業も、非金融企業でも、という意味です。そして、根本的には、賃金抑制、ここに大きな理由がある、というのが、10年前からの拙ブログの見解であり、その行動変更をもたらしたものは、やはり倒産貸し剥がし等の97年以降の大変化だったのだろう、と。


理論としては、まあ、そういうのもあるのか、という程度であって、画期的な見方を提供してくれるものではないように思え、当方の中では所謂「オワコン」の類かな、と思っています(笑、すまん、研究者でもないのに、偉そうな判決を下して。悪気はないです)。

2016-12-21

辺野古違法確認訴訟の最高裁判決〜最高裁は大臣の下僕

本日、最高裁判決が出されました。

ざっと判決文を読んでみましたが、まるで定塚訟務局長の「オウム返し」かと見紛うかのような、酷い判決文でした。最高裁判事というのは、その権威が地に堕ちましたね。

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/358/086358_hanrei.pdf


当方の理解の範囲で、要点をかいつまんで言うと

・前知事の「承認」の処分時点で妥当かどうかを判断し、裁判所もそれだけ見るよ
・前知事承認に違法はない(主観的断定)、よってこれを違法として取消した知事の取消処分は違法
・取消処分は違法だったから、国交大臣の是正指示は適法
・大臣指示通りに、取消処分を取り消さない沖縄県知事は違法
・なので上告棄却だよ


屁理屈の上では、通っているようだが、これは大間違いの、トンデモ判決である。


いくつか論点を見てみる。

直接の争点とはならないが、以下が重要。

『違法等があると認められないときには,行政庁が当該処分に違法等があることを理由としてこれを職権により取り消すことは許され』ない(p.6)


これは、代執行訴訟の時から、法務省が全精力を上げて出してきた、「必殺技」の論点だったものだ。
違法がない場合には、取消処分はできない、ということだそうです。良かったな、行政庁。今後、全てについて、この判例を出せるでしょう(爆)。


これまでには、「一見して明らかな違法がない限り、行政庁の処分は有効」との言い逃れはできなくなったので、一度出された処分は、簡単には取消せなくなったので、良かったですね。最高裁の確定判決ですので、威力絶大です。


皆さん、覚えておこうね。最重要判例!!

平成28年12月20日 最二小 平成28年(行ヒ)394号」


まだしっかり読んでないので、後日追加するけど、とりあえず書いておく。
沖縄県側の弁護団は、何故主張しなかったのかと思うんだが、「同一の関与」の禁止原則を言うべきだった。


それ以上に、最大の問題点は、地方自治法の仕組みを完全に無視していること、である。最高裁が、だぞ?

本件違法確認訴訟が提起されるのは、国地方係争処理委員会を通じた紛争解決手段を前提としている、ということである。本判決文でも、「本件委員会決定」(p.5)で述べられているものだ。


沖縄県の違法を言うには、国地方係争処理委員会の決定に従わず、かつ訴訟を提起することなく是正措置もしない、という場合である。つまり、本件委員会決定が違法であって、国の関与が合法であることを言わねば立論にはならない。

「国の関与が合法であり、沖縄県がそれに従っていないこと」が沖縄県の違法性を指摘できる根拠である。


国の主張も、最高裁判決も、違法確認訴訟というのを、「前知事の承認が、違法であるか否か」を審査・検討する部分に、わざと収束させているものであり、国と地方の係争処理という観点が完全に欠落している。これでは、制度の意味が全くない。

国の提訴が高裁からというのは、判断の迅速性が求められるから、という面はあるが、原則として、国地方係争処理委員会の審査結果なり勧告は、紛争処理解決手段として、尊重されるべきものである。この「本件委員会決定」に沖縄県の行動が反しているか否か、適合していないのかの審査をなくしては、違法性を判断できない。


最高裁は、

・国の関与が合法であること
・国地方係争処理委員会決定が違法であること=沖縄県は大臣指示に従い取消すべし


これを立論できないと、沖縄県不作為を言うことはできない。

参考>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/eb10084e04e679163196c59a234495a3



国交大臣の是正指示は、適法などではない。
それは、和解した代執行訴訟において、地方自治法245条の八に基づく勧告及び「2項指示」が出されたものであり、国は「取消処分を取り消すよう是正指示」したのに行われなかったので3項の高裁提訴を行ったものだ。

この提訴を3月の和解により放棄したのであるから、「2項指示」と同一内容の「245条の七に基づく指示」は既に権利消失しているものと言うべきである。同一の関与禁止原則に反することは明らかだ。


最高裁判決は、徹頭徹尾、出鱈目である。
言い分は、全て、代執行訴訟時の国=法務省訟務局の出したものの、焼き直しに過ぎない。

少なくとも、違法確認訴訟なのであるから、国の関与と、これに従うか否かの本件委員会決定の是非、これに続発する自治体不作為の是非、これを論ぜずして、何が「違法確認」なのか。


基地の重要性だの、辺野古設置の妥当性だの、という論点を除いたとしても、地方自治法上の手続について、正当な審査を行うべきが最高裁ではないのか。その役割を放棄して、国立の事件で「自治体首長には、個人に対し損害賠償請求ができ、その賠償義務を負う」という、脅し判決を眼前にぶら下げて、自治体首長を「過剰に委縮させる」という、法の悪用をやってくるような、最高裁及び事務総局ということでは、日本には、司法も法の原則も、全く、何処にも存在しない、ということだ。


本件のごとき、恥ずべき判決を出した判事は、以下の通りである。


裁判長裁判官  鬼丸かおる
裁判官    小貫芳信
裁判官    山本庸幸
裁判官   菅野博之


今後の沖縄県側の対応についてだが、


まず、本件最高裁確定判決により、前知事承認の瑕疵は存在しないことが決まった。よって、以後の一切の変更を認めない。どこにも、何らの問題もない、ということを最高裁がお墨付きを与えたのであるから、国から訴えられたとしても、全て本件判決文をもって、退けることができる。


『埋立ての規模及び位置が適正かつ合理的であるなどとして,本件埋立事業が第1号要件に適合すると判断しているところ,このような前知事の判断が事実の基礎を欠くものであることや,その内容が社会通念に照らし明らかに妥当性を欠くものであるという事情は認められない。』(p.6)

ので、変更申請許可は必要となる根拠がないので変更の必要性がない。


本件埋立事業が第2号要件に適合するか否かを専門技術的な知見に基づいて審査し,仝邊澆修梁召旅作物の施工,∨篶てに用いる土砂等の性質への対応,K篶土砂等の採取,運搬及び投入,に篶てによる水面の陸地化において,現段階で採り得ると考えられる工法,環境保全措置及び対策が講じられており,更に災害防止にも十分配慮されているとして,第2号要件に適合すると判断しているところ,その判断過程及び判断内容に特段不合理な点があることはうかがわれない。』


これも同様。

岩礁破砕許可申請についても、知事が許可しなければよいのである。手続はもう完璧なんでしょう?前知事がそう言ったから(笑)。なので、前知事判断のみが、意味を持つわけですね。最高裁がそう言ったんですよ。


また、最高裁判決には、意図的にそう書いている部分があるわけです。

それは、違法等を理由に取消処分をしたんだから、「違法等」がなければ取消処分は違法だよね、ってことです。

ならば、承認時点の違法を理由に取消しなければよい、ということであって、後発的瑕疵によって取消処分が禁止されるとまでは言えない、ということになりますよね?


というわけで、承認を撤回するべきです。


違法確認訴訟になる前から、取消処分について攻められるかもしれない、と危惧してた部分を突っつかれたような感じです。

15年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/bf7e5efbaafe1bec40232961a216b126


ただ、当時と、代執行訴訟の和解後では、状況が異なっており、本件違法確認訴訟においては、「国の関与」としての指示は違法であることに違いはありません。国地方係争処理委員会とて国に違法ゆえに勧告を出すということはできなかったものと思いますね。事案があまりに大きかったので。


参考>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a4f2d6d05d180502e7b7e1603a697f5e


最高裁は、腐ったのです。

司法は死んだのです。


22日 追記:


最高裁判決でも(福岡高裁那覇支部判決でも同じだが)、前提の事実関係について、極めて杜撰な記述となっている。安倍総理、及び法務省、訟務局+国交省+防衛省にとって、不都合な真実(笑)はどこにも目に触れさせないように書かれている、というわけだ。どうしてか?


何ら問題ない、全面勝訴なんだろ?
なら、隠す必要性なんかないじゃないか。恥じることなく、全て正確に記載すればよかったのだよ。何故できない?


事実(5)と(6)の間には、色々とあったでしょう?(7)との間にもあったことを何故隠す?
あると、判決がいかにおかしいか勘繰られてしまうから、ですか?


(5)平成27年10月13日  承認取消処分

(6)平成27年11月17日  代執行訴訟提起→ 28年3月4日 和解 

(7)平成28年3月16日  本件大臣による是正指示


重要部分を書けば、こういう流れだったものですが、(5)の行われた日に、行政不服審査法に基づく審査請求が沖縄防衛局から出されたでしょう?執行停止の申し出も同時に行いましたよね?


10月13日  沖縄防衛局 国交大臣に「審査請求」の申立て、取消処分の「執行停止」の申し出

10月27日  国交大臣が「執行停止」決定
      代執行訴訟の提起につき閣議了解(全会一致)


10月28日  245条の八 第1項に基づく是正勧告

10月29日  埋立工事再開

11月2日  沖縄県は執行停止決定を不服として国地方係争処理委員会に審査申し出

11月9日  245条の八 第2項に基づく是正指示

11月17日  245条の八 第3項に基づく代執行訴訟提起

12月24日  係争委 執行停止決定の審査申し出を却下

12月25日  沖縄県が執行停止決定の取消訴訟を提起

28年2月1日  沖縄県が係争委の却下を不服として、251条の五 第1項の「関与の取消」訴訟を提起


 3月4日  上記 代執行訴訟の和解、防衛局は審査請求・執行停止申し出を取り下げ 



何、恥ずかしがってるんだよ。法務省が赤っ恥だからって、正確に書けよ、最高裁のくせに。


あのですね、代執行訴訟が和解になった、ということなので、訴訟の取り下げではないはず(沖縄県の2つの訴訟は取り下げ)なんですね(国が執行停止を取り消したので、この取消訴訟は意味がないので)。


で、大臣は、「執行停止」を「取消」したんですか?取消処分をしたのか、って聞いてるんだわ。
それから、245条の八の是正指示、これも「取消」処分をしたのですかね?

ならば、その指示は、違法だった、と言うことで宜しいか?

最高裁判決によれば、「沖縄県知事のした処分(=本件取消処分)」を違法であるとして、是正するよう勧告を行い、それでも取消されなかったので是正指示を出したわけでしょう?

すると、国の出した閣議で全会一致の決定(了解)は、違法な決定であったということで宜しいか?
「違法等」がないと、取り消せないんだもんねえ?
なので、執行停止決定が取り消されたなら、それは違法だった、んでしょ?


11月9日の 「国水政?号」の文書について、取り消す旨を沖縄県に通知したはいつですか?それとも、和解後でも、取消文書は送付されなかったのですかね?


違法だったので、やっぱ止めます、と国が言って、取り消したであろうはずの、執行停止と245条の八に基づく勧告及び指示だった、ということでよいですね?

最初の大臣指示が違法な処分だったのに、事後的に別形式で同一の指示をすることは、違法を問われないのは何故かね?


指示内容に付き、和解により権利放棄した国が、何故、放棄してないと言い張って、また同じ関与を継続できるのかね?


裁判所は、第一義解釈権を有する「国地方係争処理委員会の決定」を覆せるだけの論拠を提示しないと、行政の判断を否定できないのだろう?


行政不服審査法上の裁決だって、高裁が審査庁の判断を否定できる為には、相応の論理が必要になるだろうに。法務省訟務局の愚かな屁理屈によれば、裁判所だけが判断できるが、行政庁には判断する権限ないとかいう出鱈目論法な、そんなのが現実に適用されたら審査庁とかは永遠に判断を下せないってことになるだろ?


最高裁法務省も、嘘を言うしか思いつかなくなっては、お終いだろう?