Hatena::ブログ(Diary)

いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」別館

2017-04-27

最低賃金に関する議論〜6 大竹文雄阪大教授の空疎な議論

上限金利規制の時にも、大竹先生のご意見には、疑問点が尽きなかったわけだが。
最低賃金についても、やはり同様であり、この人は基本的にデータを見て考える、ということがないのだろうか?


http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/13j014.pdf


中身はお読み下さればと思いますが、海外の実証分析に関する論文については、非常に参考になります。これは素直に、勉強になり、有難うございます。ですが、では、実際に、日本での現象面ではどうなのかな、という点について、何らの有益な考察というものがないわけです。まさに、机上の空論的な、中身のない論が提示されているわけです。


ええ、ええ、分かりますよ、経済学ですよね、経済学
経済学の基本的な思考パターンを知るにはいいのかもしれませんが、研究をするべき経済学の人があまりに貧弱であり、何も分からないに等しいでしょうね。いつまで、こういう「経済学の屁理屈」を振り回すだけのレベルに甘んじる積りなのでしょう?


多くの国民にとって、求めているのは現実の処方箋であり、それは政策レベルに乗せるものでしょう。こんな現実の議論に耐えられない論を提示して満足しているだけの経済学研究とは、一体何なのでしょう?


何と言うか、バカバカしいと言いたくなる気分です。最低賃金を引き上げると、雇用が失われる、と。その論はどの程度正しいのか、自覚したことがあるのでしょうか?

ならば、実証分析でもやって、もっと有効な政策論を出せばよいのでは?
それすらもできない、というのに、主張している自説の正しささえも、満足に示せてないのでは?


これが、日本の経済学の第一人者とか、経済学の最前線?とかなのでしょうか。


まず、日本の最低賃金は、長期的かつ持続的に引き上げられてきました。ならば、経済学者は「低賃金層の雇用が失われたんだ」と主張するんでしょうかね?それなら、最低賃金付近の労働者数は激減したのではないですか?


http://www.fukuho-tokyo.jp/bt/updata/bt_20150729151219.pdf

東京都を例に見れば、03年の708円から、うなぎ上りに上がったんじゃありませんか?
最近だと、15年は907円、16年には932円と引き上げられてますが?

932円なら、03年の約31.6%増となりますね。すると、経済学者の弁を借りれば、雇用が失われるんだと。本当ですか?

常識すらないのでしょうか?
所謂、パートやアルバイトなどの非正規雇用者数は、増加の一途だったのではありませんか?(派遣、契約、嘱託も含むが)

正規雇用の人たちは、大抵の場合、最低賃金よりも高い水準のことが多いでしょう。なら、最低賃金適用されがちなのは、まさしくこれらの非正規雇用者たちなのでは?


http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11650000-Shokugyouanteikyokuhakenyukiroudoutaisakubu/0000120286.pdf

非正規雇用は、この資料によれば、04年の1564万人から、2016年の2016万人に大幅に増加してますね。年号と同じですね、偶然。憶えやすいかも。
大竹教授は、長期変化を見るのが大事だ、と言っていたわけですが、03年から論説を書いた13年まで見たって同じ傾向であることは、簡単に分かるでしょう。それを確認することも、自分のお説が妥当なのかどうかを検討することさえも、できないのでしょうか。

話を戻しますが、04年から16年では452万人増加しているわけです。パートやアルバイトの比率が年毎には分からないですが、直近の昨年だとパート984万人、アルバイト414万人で合計1398万人で非正規雇用の約7割です。907円から932円と大幅に引き上げられたにも関わらず、前年よりパート、アルバイトは32万人も増加しているわけです。

この長期トレンドはほぼ変わらないでしょう。パートは増えているということですよ。恐らく、最低賃金に影響されがちな層ということです。


だとすると、最低賃金が持続的に引き上げられてきたのに、パートやアルバイトが激減するかと思いきや、全く逆で連続して増加しているではありませんか。これを、どう説明するのです?大竹教授は。


新卒採用でも似てますね。
賃金が増加したからといって、雇用者数が減らされるというわけでもありますまい。


全体調査ではないですが、民間求人の動向がわかります
  >http://www.works-i.com/pdf/160421_kyuujin.pdf


例えば、安倍政権後の求人倍率回復してますが、初任給は上がってますね。それより、少し前のグラフとかも。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/16/dl/02.pdf
http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/12/01.html


これらデータから窺われることは、大竹教授の主張がどれほど正しいのか、かえって、かなり疑問である、ということです。


日本の経済学というのは、基本的に「よく考えてみる」ということがないのでしょうか?


拙ブログの想定する理由というのは、違ったものですね。

正規雇用が減って、非正規雇用を増やす、というのは、企業行動としては、「経費負担を減らす」と考えれば妥当なものです。人件費は、社会保障負担や退職金企業年金も含めて考えると、正規雇用というのはかなりの大きな負担となるでしょう。しかも、政策的に、厚生年金の料率引き上げや健康保険も同じく料率(健保組合負担)引き上げが行われたきたわけですから、それをできるだけ回避したいということです。

よって、非正規雇用の増加は、正規雇用者代替という部分が大きかったものと思います。だからといって、最低賃金が上がるので雇用量を減らす、という動機に必ずしも結び付かないのではないかと思えます。

影響を受けやすいと想定されるのは、、零細でどうにかやっている会社とか個人経営でバイトを少し置いてるような店とかではないかと思いますが、その程度の賃金増加に耐えられないなら、退出するのもやむを得ないのではないかと。倒産理由で、人件費増加を挙げている例はそう多くはなかったと思います。勿論、経費増加のうち人件費は小さくはないですが、基本的には売上減少(=市場の需要不足)、みたいなものが多かったのではないかと。売上が大幅に落ち込むから、人件費が払えなくなり、その他費用も払えず廃業に至る、ということで、人件費高騰のせいで、同じだけ売上があったのに経営が立ちゆかなくなる、というケースは割と少ないのでは。


最低賃金の引き上げはあったものの、社会全体で見れば、失われた「企業負担」(例えば支給する賃金社会保障負担分)はずっと大きく、引き上げ効果よりも、喪失の影響度の方が大きかったかもしれない、ということです。生涯賃金の差、とか言われてたと思いますが、そういう違い、ということであり、それは最低賃金引き上げくらいでは、到底埋め合わせることができない程の開き、という意味です。


これで、最低賃金の引き上げさえなかったら、弱い立場の労働者がかなり不利に追い込まれていたはずで、経済学者の言う「机上の経済学理論」での損失云々のレベルではないと思いますね。


参考までに、日本の物価水準を理解する上で、役に立つかも。ビッグマック指数
http://ecodb.net/ranking/bigmac_index.html


為替水準云々ではなく、日本が、韓国やタイよりも下位に位置しているんだ、ということは、とても参考になる、という意味です。


日本の経済学がダメな理由、それは、満足に検討もできず、自力で自分の主張が妥当かどうかさえ考える能力を欠いているから、ではないでしょうか?


そうではない、というなら、経済学の理屈の上で、答えを出すよう努力すべきですね。何の為の学問なのでしょう?

2017-04-19

若田部昌澄早大教授のご著書の題名『Japan's Great Stagnation 』を知る

さっき、偶然発見したわ。


若田部教授に対しては、過去に批判的に書いたことがあるよ。

2012年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/07c12c522a2112dd3ba6d68496533039


それとは関係ないけど、偶然知ったのが、こちら。

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01FYBM0OI?ie=UTF8&camp=1207&creative=8411&creativeASIN=B01FYBM0OI&linkCode=shr&tag=shinchangwebl-22&

タイトルが、『Japan's Great Stagnation and Abenomics: Lessons for the World』だそうで。


過去に、大恐慌の「Great Depression」とか、リーマンショック後の「Great Resession」と言われてたのは、知っていたが、今回のは初めて見た。


「Great Stagnation」って、どういう用いられ方をしていたのか知らず、ちょっとググってみたら、出てたわ。

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Great_Stagnation


タイラーコーエンさんの2011年の著書だそうです。知らんかった。



で、その日本版って意味合いで若田部教授がタイトルに『Japan's Great Stagnation』を充てたものと思う(推測です)。


んー、でもね、拙ブログでは、もっと以前から、それに似た記述を採用していたんですよ(自慢)。09年だから。当時、そういう言い方は殆ど一般的ではなかったと思うよ。拙い英語で、素人考えでもって、適当に考えてつけただけなので(笑)。


09年12月(その1と2があるよ)

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5efb0880e5dbaf7018175d129fffb11b

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/f7113755a30d7bce8fd3613d5c762211



拙ブログでは、「Japan's Stagnation Loop」と呼んでいたものです。だから何、というものでもないんですが。Japan's Stagnationと書いたのは、拙ブログの方が早かったですよ。いえーい



けど、今、もっとググってみたら、全然別方向の著書が出てきたわ。残念。
凡人が思いつく案というのは、やはり既に誰かに発見・発明されているもの、というのが普通なんだね…


https://mitpress.mit.edu/books/japans-great-stagnation

Michael M. Hutchison さんと、 Frank Westermann さんの本ですと。



ぬか喜びだったわ。オレごとき素人が考えそうなことは、先行されていても当然なんだな。


ところで、若田部教授の本とタイトルが被ってるが、副題が違えばいいってことなのかな?パクリ疑惑を抱かれたりしないの?

2017-04-18

上限金利規制に大反対していた飯田泰之が銀行カードローン破産問題でテレビ出演?

古い話なので、まあ、大した話ではない(笑)。

経済学教授というだけで、そいつのお説を有難がる社会の悲しさ。

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3959/index.html


『ところが現在、問題となっているようなタイプの銀行カードローンというのは、リスクは信用保証会社に、審査も保証会社にということですので、事実上、看板貸しに近いような業態になっている銀行というのも少なくないんですね。
これは、もともとの金融業の仕事ではなくなっています。
その意味で、もう一度リスクを取って、そのリスクを適切に審査するという金融業というのを考え直し、その結果として消費者金融消費者への融資が中心になるならばそれもよし。
そうでないならば、そうでない貸出先というのを見つけていく必要があると思います。』


人間というのは、実態がバレなければ、過去のことなど、どうでもいいというのはよくあるんですわ。転向でもしたのかと思ったが、よく分からんな。テレビ界で都合よく生き延びるのには、便利な方が得なのさ。それは、経済学の理屈が正しいとか、学問的な見地から正当な意見を言うといったこととは違うんだよ。




06年当時、貸金業の規制問題というのがあった。金融庁側は、上限金利規制案を打ち出していたのだが、これに猛烈に反対していた連中がおったわけだよ。

参考>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b884a9e86da4545920fc176c5dde59a6


しかも、金融庁の会議に参加していた宇都宮弁護士のことを、経済音痴のバカ呼ばわりしていたのは、リフレ派諸君だったではないか。何だい、もう忘れたのか?


有難い、経済学理論によれば、金利規制は必要なく、青天井でいいんだ、高金利なのは「それでも借りたい人がいるから、何ら問題ないんだ、審査結果が高金利になるだけで、問題ない」みたいに言ってたろ?


で、破産は、失業率ときっちり相関しているんだ、だから、貸出側の問題ではない、「失業率が高い、という経済政策、すなわち金融緩和が足りないせいで破産するんだ、リフレ解決できる」みたいな、ホラも吹いてなかったか?

忘れたのかな?


06年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a968aa2b48347b515242f3104dc5d1c7
(赤字部分は、飯田准教授のコメントである)

ちょっと話題は変わりますが、上記本にも登場していたsvnseedsさんのブログですが、そこでのコメントには「卒論」の話題というのが出ておりました。

svnseeds’ ghoti


脇道な話題ですが,いま4年生で上限金利規制問題で卒論を書いているコがいるんですが,bewaadさんとsvnseedsさんからの引用ばかりです.……そしてそれが適切だから文句も言えない(本や新聞から引用したらそれこそ鼎任發砲覆蠅ねないですしw).


卒論というのは、論文一種なのでしょうか?私は一度も書いた経験などないのでよく知らないのですが、「経済学分野」ではブログからの引用もよくて、それを referenceに入れておける、ということなんですか。もしもそうであれば、「へえ〜」です。今の指導教官というのは、まず「ググれ」とか(笑)教えるのでしょうか。そういう時代に来たんですかね、遂に。日本の大学教育の、しかも卒論を書く時の引用文献が「ブログ」というのも驚きました。指導教官が「文句も言えない」程、『ダメな議論メソッド』?で有用なものという認定を受けているとは、さぞ正確なのでしょう。


卒論とは「論文」の仲間ではないのかもしれません。単なる卒業文集のようなもので、論文体裁を持たせる必要性はないのかもしれないですね。であれば、何から引用してもOKだし、そういうレベルのものですか、とは思います。これって初めて知ったので新鮮です。

<寄り道:論文にグラントを書くのが当たり前なんじゃなかろうか、とか、そういうことにさえ頭の回らない経済学信奉者たちが見られた(私だけの特異な経験に過ぎないかもしれませんが)というのも、何となく理解できました。指導教官が指導しないから、ということなのではないかと思えてきました。これも『ダメな議論』の典型で申し訳ないんですけど(笑)。文献を読むことの教育がなされていない為に、トンデモが量産されているんじゃなかろうか、と。指導者が悪けりゃ、教わる学生も推して知るべし、ということですかね。>


で、問題のsvnseedsさんの以前書いておられた上限金利に関する記事について、いくつか疑問点もあるのですが、飯田先生は指導教官としては「文句も言えない」ほどに「妥当である」と考えているということなのでしょう。



======


おいおい、経済学の常識とやらは、どこに行った?
銀行は、まさしくリフレ派連中が主張していたように、金利規制も受けず総量規制対象外だし、君達が望んでいた通りの貸金じゃないか。破産するのは、失業率であって、貸し手側要因ではないと主張していたではないか。


なぜ、今は、経済学論文なり失業率との相関関係図なりを根拠として、同じ主張をするのを止めたのだね?

何だ、経済学放棄かね?
それとも、主張そのものが敗北したの?


教授、准教授クラスですら、このザマですが、そのご高説を有難く拝聴させてもらえるとは、何ともまあ気楽な世の中ですわな。卑怯者の方が、圧倒的有利なんですよ、やっぱり(笑)。




18日追記:


ええ、ええ、早大のクレジットサービス研究所と名を変えた後に出ていた堂下先生の論文は、勿論拝読いたしました。
記事にも書きました。ヤミ金被害についての検討も読んだ上で、統計的な見解を述べていますよ。


2012年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8a30dbf0fe59d2a7034e51f93f30360a


「りふれは」にも、反対していた経済学者連中にも共通しているのが、まず基本的な「統計値、数字」をあまり確認しない、ということですわな。しかも、見てるのは自分にとって「都合のよい部分のみ」という傾向があるわけです。簡単に言えば、「結論ありき」のデータしか見ようとはしていないのではないか、ということですわ。

そりゃあ、楽ちんだよね。だって、検討不要で結論だけ決め付けて発言できるから。調べる手間暇を何らかけずに、さも結論が学術的に断言できる、みたいな「学問ごっこ」をやってるわけだから。

ある意味、無能の思考力に乏しい学者連中にとっては、圧倒的多数派になれるから、有利だわな(笑)。だって、データを見て、考えたり、気付けたりする人間が、全然いなくても平気なんだし。専門家として、恥ということすら、持ち合わせていないわけで。


結局は、バカが勝つようにできているんですわ。経済学の大勝利、なんですよ。
バカの利用価値は高い、ということです。マスコミだろうと、行政だろうと、同じ。

2017-04-16

続・福島県の小児甲状腺癌〜UNSCEAR2016年白書に関して

どうも韓国での甲状腺癌の罹患率が上昇したことを喧伝していたような連中が、例の岡山大の津田et al.(2016)の論文*に対して、「フルボッコで瞬殺」などと貶しているようだ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1101123


*:Tsuda T, Tokinobu A, Yamamoto E, Suzuki E.. Thyroid cancer detection by ultrasound among residents age 18 year and younger. Epidemiology. 2016;27:316–322


話はそう簡単ではないように思えるが。拙ブログでも、UNSCEAR2016年白書は取り上げたが、あれの内容が何かの伝家の宝刀みたいに、そんなに権威のある記述なり主張が、相応の根拠をもってなされたとは見做せないわけだが。

2017年1月
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/564990d61e1aa351e9d34b383f635b3d


UNSCEAR2016年の日本語版
http://www.unscear.org/docs/publications/2016/UNSCEAR_WP_2016_JAPANESE.pdf

(このp25のナンバー111の所が、津田論文への批判です)


反論の一つが、タカムラという著者の意見(T6)であった。

http://journals.lww.com/epidem/Fulltext/2016/05000/Re___Thyroid_Cancer_Among_Young_People_in.31.aspx


We recently conducted thyroid ultrasound screening, using the same procedures as the Fukushima Health Management Survey, in 4,365 children aged 3–18 years from three Japanese prefectures, and confirmed one patient with papillary thyroid cancer (prevalence, 230 per million).2 Furthermore, we recently reviewed findings of thyroid ultrasound screening conducted in Japan.3 In one survey, 9,988 students underwent thyroid screening and four students (including one foreign student) were subsequently diagnosed with thyroid cancer (prevalence, 300 per million). In another study at Okayama University that examined 2,307 students, three patients with thyroid cancer were found (prevalence, 1,300 per million), while at Keio High School, of 2,868 female students examined, one was found to have thyroid cancer (prevalence, 350 per million).


一つは3県(長崎青森山梨)検診結果について、である。他に、千葉岡山大の例、そして、慶応女子高の例、ということらしい。

前にも取り上げたと思うが、ランセットにも同内容の記述が。
・Misrepresented risk of thyroid cancer in Fukushima – Authors' reply
http://www.thelancet.com/journals/landia/article/PIIS2213-8587(16)30318-7/fulltext



で、元論文となる長崎大学のNagataki, Shigenobuと Takamura, Noboruの論文千葉岡山、ケイオウの記載がある。
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/35869/1/COEDO21_384.pdf


岡山大の学生の検診結果から3名の甲状腺癌が検出された、ということらしいが、これは津田岡山大教授のお膝元なので、学内で確認してもらいたい。それが記載されたペーパーが発見できなかった(ところで、岡山大の教授を首にするしない騒動ってのがあったやに記憶しているが、そういうのと何か関係が?)。


また、千葉大慶応女子?高の検診云々は、この論文に記載があった。

http://www.hcc.keio.ac.jp/japanese/healthcenter/research/bulletin/boh2004/22-19-22.pdf#search=’%E6%80%9D%E6%98%A5%E6%9C%9F+%E7%94%B2%E7%8A%B6%E8%85%BA


まず、慶応女子高は当然ながら学生は女子だけであり、男性が含まれない集団である。福島県の例と比較するには注意が必要。また、千葉大の4名のガン患者検出というのも、男女各2名とも20歳以上だった、ということが問題点となる。

なぜなら、第一甲状腺癌は男女差がかなりはっきりしており、女性に多いこと、また、10代後半から20代前半くらいから甲状腺癌発見例が散発的に見られること、がある。けれども、15歳未満であると、かなり検出例が乏しくなる。

なので、福島県との比較には、年齢階層や性差に注意する必要がある。そういう断りなしに、結論だけを都合よく記載しているUNSCEARの白書というのも、レベルとしてどうなのか、という疑問を生じる。
通常のまともなreviewerなら、参照すべき論文はもっと広範に挙げるであろうし、議論の対象となっている集団が大きく異なるならば、その注意を与えるのが一般的であろう。現に、白書において『彼らの結論は、FHMS の集団検診を受けた人の甲状腺がん発見率と、小児の甲状腺検診結果がほとんど含まれていない日本の他の地域での発見率との比較に基づいていた』と、対象集団が異なることを批判の理由に挙げているのであるから、男性が一人も含まれない女子高の検診結果を「発生率」の比較対象として利用することなど、あってはならないはずの議論だろう(爆)。

仮にそういう特殊な集団であっても比較できるというのは、性差が全くないというような疾病の特徴を備えているというような、条件を有している場合だろう。それならば、男女を問わず、単純な「人数」として見れば済むという話である。

また、韓国の検診で罹患率が増加したことを挙げているわけだが、これも福島県の集団と比較するには不適切であり、韓国甲状腺ガン検診の主要な対象者が20歳未満といった条件でもあるなら別だが、そうではないにも関わらず、当該論文を挙げている時点でレヴューする論文を間違えたのではないかと思ったのだが。若年層の一般的な罹患率と比較する方が、「主として乳がん検診対象者を多く含む集団の罹患率」と比較するより、はるかによいのでは、としか思えないわけである。


津田論文が挙げた対象を批判する為に、全くもって不適切な論文根拠として提示している時点で、落第に匹敵しよう。
このUNSCEAR2016年白書を書いた人たちは、恣意的な意図をもって否定の為の否定をしたようにしか見えない、ということである。とても残念だが。


検診をするので甲状腺癌が発見される数が増えるんだ、という理屈は、分からないではない。けれども、その要因だけで説明がつくものとは思わない。

検診結果ではなく、通常の罹患率の標準的な数値をここで確認したい。
国立がんセンターの登録患者に関する数字である。


◎出典:
高精度地域実測値(山形福井長崎各県の地域がん登録)
Katanoda K, Sobue T, Tanaka H, Miyashiro I (eds.). 2016. JACR Monograph Supplement No. 2. Tokyo: Japanese Association of Cancer Registries.


1985〜2010年(事故発生前までを参照した)の26年間における、甲状腺ガンの男女別、年齢階層別の罹患率の年平均は次のようになっていた(人口10万人対)。


年齢     男性   女性

〜10     0.03   0.04
10〜14    0.26   0.41
15〜19    0.36   1.16
20〜24    0.91   3.96
25〜29    1.24   5.13



まず、男女差はかなり出ていることが分かるだろう。また、女性の場合であっても、年齢により罹患率が上昇してゆくことが分かるだろう。
女性の場合、高齢になってもこの何倍も罹患率が上昇するということではなく、むしろ高齢で下がる傾向がある。甲状腺疾患(例えばバセドウ病橋本病等)の好発年齢と似た傾向がある。


ここで重要なのは、男女比である。
15〜19歳では、女性の罹患率は男性の約3.2倍である。20〜24歳だと更に広がり、約4.4倍である。
仮に、検診を一律に行ったせいで、今後何年か10年後かに検出されるであろうガンを発見してしまったとして、例えば10歳時点で「20歳時に判明するであろうガン」が発見されたとて、年齢階層が上の罹患率とほぼ似た数字しか出てこないのではないか?


需要の先食い、みたいなものに似ていて、トータルの罹患数は大きく変わらないが、検出が早い時期になってしまうかも、ということである。そういった影響が出ないとも言えないので、20歳以上の階層も数字を挙げてみたのだ。検診したことによって発見が10倍に増加したとしても、それでもなお福島県の小児甲状腺癌患者は多いと言わざるを得ない。


他にもある。そういう影響があったとしても、男女比の謎は説明が困難なのだ。福島県甲状腺検診の対象者の男女と年齢の数は、詳細が不明なのだが、一部調べた結果が分かった。古い数字で恐縮なのだが、15年9月末時点で、

 男性54名(うち15歳以上31名)、女性98名(同54名)、

であった。
それぞれ、男女別の正確な人数が分からなかったのだが、約30万人だったので、男女それぞれ15万人とした場合の、ガン患者数は、

男性 54/15万人 ⇒  36.0/10万人
女性 98/15万人 ⇒  65.3/10万人

となる。この男女比は、通常の罹患率の比率からは説明ができないだろう。

また、15〜19歳の階層別の倍率と比較しても、通常罹患率の場合の3.2倍に対して、福島県では1.74倍とかなり低い。上の年齢階層の患者が掘り起こされたとしても、3〜4倍くらいは男女比の差が、本来は観察できるはずであろう。


これまでの小児甲状腺癌の論文では、放射線性のガンである場合には、男女比が低下することが知られており、福島県の例はそれに一致しているように思う。スクリーニング効果や過剰診断というのは、男女を見わけたり、区別したりできるのだろうか?もし、それがあったとしても、男性にだけそれが多く発生する理由、といったことを果たして説明できるのだろうか?


また、津田論文被曝線量依存性のガン発生率が見られていないことが批判されているが、差が見え難くなったのは、福島県内で区分けをしたことが理由の一つであろう。何故なら、推定の吸収線量といった数値は市町村別で一部データ公開があったものの、その信憑性とか正確性は何とも評価が難しい面があるだろう。
ならば、対照を福島県にせずに、北海道とか九州とかにできるのであれば、そこで比較すると線量依存性が見出せるかもしれない。


いずれにせよ、UNSCEAR2016年の白書の記述があるからとて、それがどの程度の説明・説得力のあるものなのか、というのは、吟味が必要である。

それをいとも簡単に「フルボッコで瞬殺」などと揶揄するのは、いかがなものか。
少なくとも、件の白書が依拠している論拠というのは、「津田論文よりもはるかに」脆弱であり、挙げられた論文の質と内容の検討レベルから見て、到底権威ある国際機関が記述するに相応しいものとは思えない。
前のブログ記事にも書いたが、白書の作成に関して、数人の日本人執筆陣が特別に入っていたようだが、その意義について、かなり疑念を生じている、というのが拙ブログの見解である。

2017-04-11

続・経済学分野は、何故周回遅れの無駄な議論が多いのか

ツイッター界隈で、経済学が役立たず?といった疑念が出たりしてたの?
まあ、気持ちは分からないではない。当方にも、「日本の経済学の世界はあんまりだ」と思った経験が昔にあったので(笑)。


何を今更言い出すのかと思えば、こんな学生みたいなことを言うんですね。

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/17p008.html

第1に、政策実務者の調査・分析スキルの向上というインフラ整備が重要である。そのための小さな第一歩は、政策文書において参照文献の引用を適切に行うことである。第2に、学者・研究者の政策現場への理解増進が必要であり、少なくとも専門分野に関連する白書や報告書に目を通し、フィードバックすることを期待したい。第3に、政策実務者と学者の交流拡大である。第4に、EBPにとっては良質なデータが不可欠であり、企業や個人レベルのパネルデータの整備、政府統計を含む各種データと政策情報のリンクが重要である。


もうね、苦笑いしかないですわ。今まで何をどう考え、実践してきたの?要するに、インチキ祈祷師みたいな連中が、あることないこと言い立てて、それを後生大事にしてきた世界ってことでしょう?言った者勝ち、という世界。



典型的なのは、「りふれは」連中と対立勢ですよね。彼らのネット上での行動などを見るようになって、経済学の世界に対する疑念は一層深まりましたしね。

政治中枢に近い政策担当者たちでさえ、大きな違いが見出せないという点で、日本の経済運営の失敗が分かるような気がしました。ああ、これではダメだな、と。喩えて言えば、リファレンスをきちんと書けない、提供を受けてる資金や利害関係についても書けない、といったようなことですわな。卒論でも、論文の書き方に則っているとは思えないような指導しかしてないようでは、身に付くわけもなく。

「良質なデータ」以前に、まず普通に公開されている、調べれば素人でも分かる公的データですら、満足に確かめていない連中(学者や研究者を名乗っているようある)が大勢いるわけで、議論以前の問題。いくら良質なデータを用意できるインフラだけあっても、分析できないんじゃ何の意味もない(笑)。まずは、データを確認するという基本を身につけないと。


ところで元大臣の大田さんは公共政策大学院大学の学長だったか教授でしたよね?その大学院大学とやらは、院生の過半が官僚さんか役人の人が来てたんじゃなかったでしたか?それに、霞が関エリート官僚さんたちは、海外留学を経験してるでしょう?
なら、基本的な学問の手法とかお作法について、トレーニングを積んでるのではありませんか?文献の読み方が分からないとか、引用ができないってことはないのでは?それができてないなら、公共政策大学院大学存在意義が問われることになるんじゃないですかねえ。何の為の教育なんですか、と。


また、官僚の大多数がうまくできてない、ということなら、大学生時代の受けた教育そのものに問題があった、ということでは?それは、経済学の大学教員の問題であるということだ。


なので、日本での経済学分野に関連する人たちの議論というのは、曖昧とか意味不明とか事実に反するとか、何でもアリな感じになっていることが多々ある。最低限、データを見てから言えよ、というようなことでさえ、きちんと守られてないんじゃないかと思うことは少なくない。
「〜である」と豪語する連中は多いが、「〜」の部分を立論できる根拠があるかといえば、それは殆どの場合、そんな大きなことは言えないかも、という程度なのだ。にも関わらず、事実関係を確かめたりしたわけでもなく、明確な根拠を提示できないのに、結論だけはいとも簡単に断定している学者風の人たちはいるでしょうな。例えば「倒産件数が増えた」という時、データを調べようね、ということと、一部データの都合のよい切り取りはアウトだね、というのは、最低限の確認事項でしょう。


せめて大学教授とかの肩書で語るなら、具体的な論文を書くべきだと言ったりしてきたが、「りふれは」勢はただの一本のペーパーも出せないみたい。10年以上経っているのに、だ。
けど、本だけは出すんだって。本というのは、論文と同等のものなの?それは、自分が言いたいこと、書きたいことだけ書いた結果を集めたものではないのですか?

査読論文を出せば、「りふれは」の理論がいかに正しく、一般のザコ経済学理論が間違っているのか、一目瞭然にできるのではありませんか?
なのに、何故、誰も「りふれは」の根幹をなす理論について、日本語論文(英語でもいいけど)さえ出せないのだね?専門家同士の批判を浴びて、洗練されれば、他の経済学の学者だの研究者たちだのを、十分納得させ、社会(政治家・政策担当者・一般国民)をも説得できる、強力な武器になるのではありませんか?


でも、これといった代表的論文を、誰も書けない、と。
どういうことなんだろうね。5ページくらいであろうと、まずは出せばいいのに。長いのがいいと限ってるわけじゃないんだし。それは学術議論には耐えられない、ということの裏返しですかね?違うなら、結果を出すべきだよね。


日本の経済学分野では、学術誌はどこかにあるんだろうけれども、それは実務とは遠い世界のものかもしれず、現実の政策決定の場面ではあまり利用されてないという可能性があります。
著書に、好きなことを書いて、多くのことを言おうとする気持ちは分からないではありませんが、いっぺんに沢山のことを言うのではなく、小さい事実を積み重ねることも必要ではないかと思いますね。その方が、大勢の研究者の手を借りられるので、研究が進みやすいかもしれないし。


法学の人たちにも共通するように思うが、きちんと学会なりで基本的な用語の定義を決めるべきと思います。議論の土台となるべき「専門用語」が、論者により意味が違って用いられていると、それでは学術研究になっていないのでは?

それは、どの経済学者に尋ねても、基本的に同一の答えが返ってくる、ということをもたらします。経済学者間の共通理解さえないのであれば、いつまで経っても体系的な研究推進なり、研究成果なりが得られないのでは?

経済学学会が中心となって、学会の基本的部分や、共通部分の土台を構築するのは、一般的なのでは。日本の経済学には、「標準」に該当する基礎部分が欠落しているように思われる。


あと、日銀esriのペーパーは論文体裁としては、割とそれなりになっていることが多いと思うので、政策担当者たちは勉強する機会を設けてみては?
毎週○曜日の朝は、メンバーが順番に論文を紹介し、概要等を解説・質疑も担当者が受けて答える、というような。偉くなった人たちは忙しくて参加できないなら、比較的年次の低い若手中心でやるとか。始業前の、任意の勉強会だけどな(笑)。

例えば「FTPLに関する論文A」を選んだとして、内容を解説するのと、参加者たちから質問が出るので、それに返答しなくてはならない。返答する為には、自分自身がよく理解しておく必要があるし、周辺論文を調べたり読んでおくとか、最近の議論のテーマはどういうものがあるか知っておく必要があるとか、勉強になることは多いと思うわけですよ。


大体、研究者標榜していたって、ろくに文献や白書やらを読んでもいないという人たちは多いわけで、そんなんでは学術面での水準が向上するということなど到底期待できんでしょうな。まずは、教授クラスをどうにかした方がよいのでは?


あーだこうだ、と議論になったら、「Xというペーパーをお読みください」と提示すれば、ある程度時間の浪費を回避できるものを、そういう蓄積が乏しく、共通の土台とか理解が存在してないので、延々と同じ質問なり議論が蒸し返されることになるのである。


そういうことを、誰もおかしいと感じてこなかったのか?
日本の経済学の「学界」というものは。
それが、あまりに謎過ぎるのである。


ああ、専門家でも何でもないド素人に、あれこれ言われたくないわ、それはお前が経済学を全然知らないからだ、といった批判はあるかも。確かにそうです。けど、素人から見ても、余りに酷い状態になっているとしか思えないですね。



参考:

EBPM(Evidence based policy making)という観点から、経済財政諮問会議批判した記事がこれだ。拙ブログは、経済素人であるが、普通に考えるでしょうに。素人ですら、一回りも前に気付ける程度のことを、12年も経った今になって「EBPが…でんでんw」って言いだす経産研の気が知れんわ。

05年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/c45eedda9a203837477c5a8278db2f19


一方、経済学者等、専門家たちは、自らの経済学的分析結果について、その後、誰か検証したりしましたか?

例えば>http://www5.cao.go.jp/j-j/kozo/2005-12/point.pdf

岩本康志東大教授は、自らの分析結果については、どういった評価をされているのか?経済学者自身が、PDCAサイクルなんぞ回してはいないという見本なのでは?

屁理屈で分析をやった、政策決定に大きな影響力を誇った、で、その結末はどうだったの?
政策は、妥当性が高かったのか?それとも不十分だったのか?こうした事前分析は何がどう役立ち、どこが不備だったのか?無駄だったのか?


経済学の連中は、そういう具体的な方策を自ら検証したりはできんのだよ。言いっ放し、やりっ放し、評価も反省もなし、そういうことでは実践では使えんね、ってことになりがちでは?だって、過去の知見を「次に活かす」という、基本姿勢が欠落しているから。だから、同じような失敗を積み重ねるだけなんだよ。同じ種類の毒キノコ食って、まんまと中毒になってるようなもんだ。
学問も、知識も、データも役に立ってないのさ。だって、自分たち自身が、活用しようとしないから。だから、いつまで経っても、蓄積の効果がないんだわ。

福島原発事故と同じだな。態度と、思考の根本において。
それで学問と言えるのかね?



それから、データをどう用いるか、という批判等。

06年11月
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/94b7bbd3d914ebf85129940256f53ebc


その他諸々:

10年8月
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e8394844963d7edcde10376abb8b3196

12年10月
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/df7d3aa0138ab4ad8af5571420140704
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/801cbb53e39bf3cfb73f3ba326833dc7