Hatena::ブログ(Diary)

いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」別館

2016-09-27

シリアに罪をなすりつける米国の卑劣

シリアの停戦合意が崩れたことを受けて、安保理の緊急会合が要請されたらしい。

米露の非難合戦の様相となっているが、米国が意図的に戦乱をもたらしたことを隠蔽しているに過ぎない。ことの発端は、米国政権転覆作戦にあったことは、拙ブログにとって疑いの余地がない。

15年10月

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/63962ca183f51763db945386e1e4f669

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/2876f10fb568f6facf7d3c426c84f7f5




これまでにも幾度となく出されているのが、シリアは拷問したり虐殺を繰り返してきたんだ、という情報である。これは、先代の父親大統領時代から続いてきたものであるが、それぞれの国には、部外者からは簡単に言うことのできない理由というものもあるはずだろう。暴力はよくない、恐怖政治独裁もよくない、不当逮捕や拷問や虐殺も許されない、それはそうだ。そんなことは分かっているのだよ。だが、今のように数百万人が死ぬよりは、ずっとマシだったのではないのか?

たとえ暴力的、独裁的な圧政下であろうと、今ほどに死んだ人が果たしていたのか?

力の均衡を破壊することで、戦乱を巻き起こしたい米国と戦争ビジネスで儲かる連中にとっては、望ましい結果だったことだろう。曰く、「必要な犠牲だった、民主主義は人々の血の代償の上に成り立つんだ」、そうとでも言いたいのかね?


シリアアサド政権政府軍のネガティブキャンペーンは、米軍や有志国連合軍の正当性を強調し、彼らの戦争犯罪隠蔽する為に行われているものであろう。



http://www.sankei.com/world/news/160522/wor1605220008-n1.html

シリア人権監視団(英国)のアブドルラフマン代表は21日、シリア紛争状態に陥った2011年3月以降、アサド政権の刑務所内で少なくとも6万人が死亡したと明らかにした。政権内の情報を集計した。政権側による拷問や、刑務所での食料や医薬品の欠乏が原因という。共同通信の電話取材に語った。

 監視団はこのうち、1万4456人の氏名を特定した。110人は子ども

 死者数が最も多いのは、首都ダマスカス北方のサイダネヤ刑務所。フランス公共ラジオによると、空軍情報部と国家治安部隊の施設でも多数が死亡した。

 アブドルラフマン代表によると、政権側は計50万人を拘束し、何千人もの行方が今も分かっていない。また反体制派やイスラム過激派の拘束下でも数千人が死亡した。(共同)

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あと、こういった情報もいくつも流されている。


14年12月>http://matome.naver.jp/odai/2141757794818362701


16年8月>http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/08/17000.php


16年2月>http://www.bbc.com/japanese/35529630



拷問は人道上の罪だ、というのは、誰しも知っている。なら、米軍は犯罪者ではないのかね?
そんなことは、真っ赤な嘘であることは、世界の人々が知っている。


グアンタナモ収容所の問題
http://matome.naver.jp/odai/2140158811659246901



米国は、米国法が適用されてしまう場所では、違法行為をできないんだ。だから、彼らは「外注」するんだよ。戦争請負企業も同じようなものだ。日本においては、日本政府と権力層に「外注」して、日本を間接統治することに成功しているではないか。これを米国は長期的に望んでいるのだよ。


で、テロ収容テロ捜査という名の拷問は、主にイエメンで行わせていたわけだ。それは判明している範囲において、だが。
イエメンも同じく、米国が支援するグループというのがあって、内戦の原因となっているわけだ。

これはシリアだって同じ。反アサドの武装勢力に軍事支援をして、政府転覆を図るわけだから、国際法上の犯罪でしかない。現実のテロそのもの、米国テロ支援国家だ。

米国は、ベトナムでもカンボジアでも、これらと同じことをやってきたんだよ。まさしく映画『ランボー』の世界、そのまんま、だ。どちらの国でも、何百万人もの人々が死んだ。未だに、残留する地雷や爆弾で死亡する人たちだっているわけだよ。その罪の原点は、米国の過剰な介入の結果なのだ。現存している政治勢力を「倒させる為」に内戦へと導く。これが何十年と継続することで、戦争ビジネスは回ってゆく、ということだ。


シリアは、そうした米国の戦略の犠牲になっただけだ。


アサド政権がずっと極悪であったかのように言うわけだが、もしそんなに超危険で極悪国家に、何故日本人留学生が行こうと考えたのだろうか?


例えば、こういう日本人のシリア留学

http://www.nic-nagoya.or.jp/japanese/nicnews/archives/16430


シリアが非人道的国家なのであれば、何故イラク戦争後に危険とされる地域に素人の学生さんが行くことができるのか?


日本政府は、2011年の混乱以前には、02年から10年間、ほぼ毎年のように無償資金援助をしてきた。国際的非難が集中しそうな、虐殺と拷問の独裁国家に対して、何故資金提供など続けたのか?そのような外務省の判断は、適切だったのか?


通常は、そういうことはない。


多くの人々は忘却の彼方と思うが、シリアは02年から2年間、安全保障理事会非常任理事国に選出されていたのだぞ?
当時、過去の慣例というか、順番的には、日本にお鉢が回ってくるはず、と踏んでいた年だった。87年、92年、97年と等間隔で日本は非常任理事国に選出されてきていた。ところが、である。


02年改選では、日本はシリアに投票で敗れるという、想定外の事態だったのだ。何故だか分かるか?
米国日本叩きの時代だったから、である。日本が定例的に非常任理事国の席に座れていたのは、米国がそのようにさせていたこともあるし、日本の国際社会での経済力という地位がそうさせていた、という面もあろう。


だが、日本は今世紀に入り斜陽の国へと転落していった。
国際政治の力学という点においても、弱体化したということである。


つまり、国際社会が選んだのは、日本よりもシリアだった、ということだ。極悪人の独裁国家を、多数の国々が支持したと?
日本よりも、拷問と虐殺の非人道的極悪国家を選ぶ程に、国際社会評価する目を持っていなかったと?


本当に、そんなことを信じる人がいるものなのだろうか。


シリア安保理理事国の2年間、米軍イラク戦争からアフガン戦争へと戦火を拡げていった時期だ。当時、シリアはそうした米国の行動について、賛成の立場だったのだぞ?

安保理決議においては、全会一致で採択というものが多数あったが、米国アフガンへ攻め込むことを認めたのだぞ?イラクでの戦闘やフセイン後統治についても、米国米軍を支持していたに等しいのだぞ?シリアは、米国の「対テロ戦争」のテロ拷問などを肩代わりしていたのではなかったのか?そういう点でいえば、アサド大統領米国に利用され、今度は処分される側へと回されたようなものかもしれない。イラクフセインと同じ末路、ということだ。


アサド政権が何らの人道上の罪を犯していない、とも思わないが、少なくとも政府転覆工作が仕掛けられるまでは、普通に生活できる程度の国だった。統治権力を崩壊させたが故に、シリアの大量の難民と戦死者を生み出したんだ。


アサド政権は、反政府ゲリラを虐殺したのかもしれないが、それは他の国でも行われたことがあるものだ。
中国天安門事件の後、人道上の罪を理由にして、米軍や有志国連合軍が攻め込んだか?


デモ隊に多数の死者が出たとして、それを理由に戦争を拡大し、もっと多くの犠牲者を生み出すことが、正義などと言えるのか。
厳しく糾弾されなければならないし、これを国際社会が許さないという姿勢は必要だが、たとえアサド政権が犯罪を犯していたとしても、これを転覆させるべく、米国反政府勢力支援を正当化できる理由にも根拠にもならない。


アサド政権が殺害してしまったデモ隊の数よりも、その後の戦乱で犠牲になった人たちの数の方が圧倒的に多い。米国人の大好きなトロッコ問題は、どこに行った?


アサド政権が拷問した数より、イスラエルパレスチナ人虐殺した数の方が圧倒的に多いし、米国の無人機攻撃で何ら関係のない民間人を虐殺した数の方が断然多い。


真の犯罪とは、米国であり、イスラエルのような、まさしく非人道的無差別殺戮ではないか。
更に、戦争ビジネスの為に、国家転覆を図るという、その戦略こそが悪そのものだ。

2016-09-25

福岡高裁那覇支部 多見谷寿郎裁判長の違法確認訴訟の著しい不当判決〜4

少し長いですが、判決文(p183〜184)の引用をします(原文は改行なく一連の文章です。拙ブログ説明の為に、区分を施し先頭に記号を付しています)。沖縄県HP知事公室のリンクから引用しました。


判決文の後半>http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/henoko/documents/hanketsu03.pdf



ア)同和解によれば、国地方係争処理委員会の決定が被告に有利であろうと不利であろうと被告において本件指示の取消訴訟を提起し、両者間の協議はこれと並行して行うものとされたことが認められる。そして、国地方係争処理委員会は前記のとおり地方公共団体のための簡易迅速な救済手続であり、

イ)是正の指示に対しては、その適法性のみを審査するところ、同委員会において本件指示を違法と判断しても、国はこれに従わないことが和解の前提となっており、

ウ)同委員会の決定自体は紛争解決のために意義のあるものではなく、その手続において議論として争点を整理すること、その間に原被告において解決のために協議することにのみ意義があったことは、同和解関係者は一同認識し、和解成立の前提としていたことである(当裁判所に顕著な事実)。

エ)これによれば、国地方係争処理委員会の決定は和解において具体的には想定しない内容であったとはいえ、元々和解において決定内容には意味がないものとしており、

オ)実際の決定内容も少なくとも是正の指示の効力が維持されるというものに他ならないのであるから、被告は本件指示の取消訴訟を提起すべきであったのであり、それをしないために国が提起することとなった本件訴訟にも同和解の効力が及び、協議はこれと並行して行うべきものと解するのが相当である。




以下、いくつか述べる。


1)和解当時、多見谷裁判長は国の係争委「勧告拒否」を知っていた

沖縄県は、和解条件の国の指示内容、国地方係争処理委員会の審査結果を知ることはできなかった。この審査結果に対する国の諾否についても同様である。このことは、多見谷裁判長においても同じはずである。

ところが、イ)の『同委員会において本件指示を違法と判断しても、国はこれに従わないことが和解の前提』と述べている通り、係争委の判断がたとえ違法であっても「国はこれに従わない」を予定していた、としている。
またウ)のように、係争委の手続は解決の意義がなく、争点整理と(待つ間の)協議の2点の為にあったとしている。

こうしたイ)及びウ)については、和解の前提条件として、多見谷裁判長を含め和解関係者一同の認識だったと述べる。『当裁判所において顕著』とは、当然の帰結であるというに等しいということである。


2)国地方係争処理委員会の存在意義を無にする指揮

判決文エ)の如く、元々和解において同委員会の決定は意味がないものと裁判長が自ら認識していたことは間違いなく、そのような指揮は許されるものではない。
本来、国と地方自治体の争いを解決するべく制定された、解決手段としてあるはずの同委員会及び制度について、「意味のないものとする」「手続に解決の意義はない」などと裁判所が認定するなど、もってのほかである。

言い方を変えれば、裁判長は「係争委の審査結果には意義がない」ことを自覚していながら、沖縄県に対して

地方自治法251条の五第1項に基づく提訴を取り下げさせた
・代執行訴訟を和解に至らしめ、係争委に敢えて申請させた


(筆者注 ※※これは詐欺的行為である。「意味も意義もない」係争委への申し出を沖縄県に勧め、現に行われていた(代執行)訴訟上での解決手段を放棄させたのだから。裁判官が「判決解決するしかないんだ」(係争委には解決できない)と自分で宣言しておきながら、意義のない係争委へ申請するよう唆した、ってことではないか。何らの薬効もない薬を飲むよう勧めておきながら、飲んだ後になってから、「そんなもんは飲んでも無駄なんだよ、意味ない」と言い放ったようなものだ。赦し難し!)


しかも、同委員会が「指示を違法と判断しても、国はこれに従わない」ことを前提条件に置く和解案を提示し、これを和解調書とすることは、裁判所が自ら国に対し違法を助長する行為であり、許されない。
国は、行政主体として、違法を率先して実行することなど元来想定されておらず、行政の基本とするべき法秩序を根底から覆すに等しいもので、看過できない

いうまでもなく、裁判所も国も、常に法に基づき法に則った行動をとるべき義務を有する。


3)和解の意義を失わせる多見谷裁判長の訴訟指揮は不当

和解の目的とは、互譲により争訟の早期解決を図り、争いを終了させるものである。また、裁判所は、法律上の争いを解決する役割を担っているはずであるが、多見谷裁判長の訴訟指揮はこれに違背しており、不当である。

そもそも、本件訴訟に至ったのは、国が提起した代執行訴訟において、

 ・沖縄県知事のした埋立承認の取消処分が違法であること
 ・故に、これを取り消すべきこと

と主張し、この問題の解決を図ろうと代執行手続を選択していたものである。


国と沖縄県の争いの根本は、この点にあることは明白であって、国の主張は、代執行訴訟でも、係争委の審査、或いは本件訴訟のいずれにおいても、この2点を言うものである。

このことは、和解した代執行訴訟の時点から、多見谷裁判長は認識できたはずであり、本件違法確認訴訟の審理においてもそれを判断していることからして、明らかである。そうであるなら、代執行訴訟において、根本問題たる2点についての、”当裁判所”の判断を示すべきであり、判決による解決ではなく和解をもって争訟の終結を目指したのであれば、和解させた代執行訴訟と同一論点によって本件訴訟沖縄県の違法を言うのは、不当と言わざるをえない。

すなわち、和解させた代執行訴訟と本件違法確認訴訟の、争いの本質部分において、原告国の主張及び高裁の審理内容には何ら違いがないのであり、これは既に「訴訟上の和解」の意義を失っているものである。

多見谷裁判長が代執行訴訟において和解を用いたのは、決して争訟解決の目的ではなく、本件の如き別の違法確認訴訟を呼び込む為に利用したに過ぎず、裁判所の役割として許されるものではない。


4)多見谷裁判長は本件訴訟に和解の効力が及ぶことを認識

判決文オ)によれば、「本件訴訟にも同和解の効力が及ぶ」ことを裁判長自らが述べているのであるから、これは当然である。
従って、原告国のした、国土交通大臣行政不服審査法に基づく審査請求の「裁決」権を消滅させたこと、および代執行手続に伴う国のした勧告及び指示を無効とする結果を生じることは認識しており、和解により確定判決と同一効が及ぶのは当然となろう。

そうすると、国が無効となった指示と同一の指示をすることは、甚だ不当であり、裁判所がこれを認めるべき理由はないはずである。にも関わらず、この点について多見谷裁判長の何らの顧慮もなかったことには重大な落ち度があり、不当の謗りを免れない。


5)まとめ

和解時点において、国のする245条の七に基づく指示(=国の関与)内容を知ることができなかったはずだ。国地方係争処理委員会の審査結果も同様である。被告沖縄県だけでなく、裁判所も知る立場にはなかったはずである。

にも関わらず、係争委の審査結果が出される以前から、この結果を無視することを前提とし、審査結果について何らの精査もすることなく国の諾否を事前決定しておいたり、たとえ違法の審査結果であろうとも国がこれを無視して行動することを裁判所が認めておくなど、裁判所としてあるまじき行為である。

あたかも最初から新たな訴訟上において、「国の関与」を”当裁判所”で審理することを当然として予定していたことは、現行司法制度上許されない。しかも、その審理内容は、裁判長自らが和解させた訴訟と実質的に同一の争いであるにも関わらず、和解の法的効果を無に帰するに等しい判決をしたのである。


かかる不法行為を放置すれば、法秩序のみならず、司法制度の根幹を揺るがすこととなり、看過できない

よって原判決は破棄を免れない。

2016-09-24

黒田日銀の総括的検証とイールドカーブ調節

過去の日銀政策効果について、総括的な検証結果が公表されました。

特に海外勢を中心に、悲観的?というか否定的見解が多いのかもしれません。発表直後に円安になったものの、その後には大幅に戻して100円台となってしまっています。

こんな反応記事もあったようです。

http://jp.wsj.com/articles/SB10367111121010623688804582328433362423026


By PETER LANDERS
2016 年 9 月 22 日 07:43 JST

 相反する二つのことを同時に発表するのは、一つの組織の中で意見が対立している兆候だ。

 日本銀行は21日、不人気な量的緩和から身を引くような政策を打ち出しながら、その後退などないという趣旨の言説を組み合わせた。

 日銀の新たな政策の柱は、10年物国債利回りをゼロに誘導するために必要なだけ債券を買い入れることだ。その半面、長期国債の買い入れ額を年間80兆円に据え置きつつ、金融緩和を「強化する」と述べた。

 これら二つの目標は矛盾する。例えばバナナ売りが栽培農家に対し、1キロ当たり50円の市場価格を維持するのに必要なだけバナナを調達すると言いながら、年間80トンの買い付けを宣言することを考えてみてほしい。需要で値上がりし、約束の80トンに達する前にバナナの価格が100円になってしまったら一体どうするのだろうか。 

 日銀が本気で新旧の政策を並行して進めるつもりなら、似たようなジレンマに陥るだろう。10年物国債は日本の千数百兆円に上る債券市場のベンチマークだ。需要が急激に縮小すれば、利回りをゼロに維持するために年間80兆円より多く買い入れる必要に迫られる。逆に、リスク回避志向の強い日本で10年物国債の需要が高まり、日銀が全く手を出さなくても良い状態になる可能性もある。

 黒田東彦総裁はこの矛盾を説明する上で、実質的に年間80兆円の国債買い入れ目標を否定した。実際の買い入れ額の「増減はあり得る」と記者会見で述べ、弁明の余地を作り出した。バナナ売りの例で言えば、本当に実現したいのは1キロ当たり50円の価格であり、後はそれほど重要ではないと位置付けた格好だ。



(以下略)

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どうも、日銀政策意図があまり伝わっていないのではないか、と思いますので、当方の理解について述べてみたいと思います。


参考:http://www.boj.or.jp/announcements/release_2016/k160921c.pdf

(※参考資料や総括の資料は他にも公表されています。一通り全部ご自身でお読み下さいませ)


上の記事では、バナナの買付量(トン数)と買付単価の例示が書かれていますが、イメージ的にあまり合っていませんね。
昔の日本で行われた物価統制令チックな発想のようですが、政策意図がズレているように思えます。


当方の例で書いてみることにします。

牛を捕獲して、売買する、としましょう。

月齢10
月齢20

月齢100


のように、牛にはクラス別けがあります。それぞれには、大体の相場の値段がありますが、いくらとは必ずしも決まっていません。

今、超大手の、仕入元締業者が「牛を連れてきたら、値段によらず80万ドル分まで買うよ」と宣言しました。
月齢10の牛は小型で重さは少な目ですが、キロ当たり単価は子牛なので高めです。月齢100の牛は多くいますが、若干キロ単価は下がります。


さて、牛を捕獲する業者たちは野にいる牛を捕まえます。仕入元締業者に売らなくても、他の仕入れ業者間での売買も盛んに行われているし、日々卸売市場で値が付けられています。以前には、80万ドル分も牛を仕入れてくれる大手業者がいなかったので、今では、牛が全般的に高値になってしまっています。


この仕入元締業者が登場してからというもの、ここ3年ほどはジャンジャン牛を買ってくれるので、しかもそれがどんな値段になろうとも買ってくれていたわけです。当初、月齢の低い牛は軒並み捕獲され、ほぼ全部に近い量が仕入元締業者によって買い占められてしまいました。なので、野に残ってる月齢10の牛は稀少であり、高値が付いています。

また、以前だとあまり単価の高くなかった月齢100の牛でさえ、人気になってしまい、業者間の転売などを経て最終買取が仕入元締業者の所に行く時点では、かつての2倍くらいの値段になっているにも関わらず、これも買入れられてきたわけです。まさに、「野の牛」バブル状態、です。


これを継続してゆくと、野に残っている牛の頭数は無限ではないので、かなり減っています。「80万ドル分」という牛が果たして何年か後に残っているでしょうか?今のペースで買い続けると、恐らく「野の牛」は全てが仕入元締業者が買うことになってしまうでしょう。

おまけに、今の牛の取引単価は、どの捕獲業者が高値で掴んで、転売を繰り返していても、最終的に「仕入元締業者が買ってくれる」という安心感と杜撰な捕獲体制となっており、卸売市場の価格形成に悪影響を及ぼすようになってしまいました。牛を買うのは、牛肉の料理等に使うという需要が本来のものであるのに、牛肉需要には無関係に「仕入元締業者に牛を売りつける」という目的の為に、牛を捕獲してきたり、他業者から仕入れたりする者が横行するようになっているのです。

仮面ライダースナックが食べられる需要ではなく、カードだけ欲しいという需要が旺盛になると、需給市場に歪みを生じたようなものです)


そこで、仕入元締業者は買入のルールを若干変更することとしました。

月齢に応じて、取引単価の推移を見つつ、あまりにキロ単価が高値の牛については、買わない日もある、ということにします
・買入資金計画は「80万ドル」の予算は毎年確保しておくので、キロ単価が適正である限りは、80万ドル分までは買うつもりです
・料理で牛肉の実需が旺盛な近隣のレストラン等で、牛肉が高くて入手困難な時は、在庫の牛肉を売ってあげますよ

 (目安として「月齢100」の牛のキロ単価は、●円/kgと考えています)


おおよそ、こんな感じかな、と。


さて、これまでだと、牛の捕獲業者は兎に角牛をとっ捕まえてこい、ということで、いくらコストがかかっても全額払ってくれるという仕入元締業者がいたので、楽だったわけですね。ところが、今後には、あまりの高値だと買い取ってくれないばかりか、業者間の転売等で取引していても、これまた実需の料理人たちが買えないほどに高値になるようなら、もっと安い値段で在庫牛肉が市場に放出されるとなれば、転売価格にも自ずと「市場の価格調節機能」が働くようになるでしょう、ということです。

これまでみたいな、価格上昇というのは、そう見込めなくなるのではないか、ということですね。
そうすると、非効率な捕獲業者や、無駄な転売などが抑制されてゆくのではないか、牛の捕獲に精を出す連中も、旨味が減れば次第に手を引く者も出てくるのではないか(=他の投資なり稼ぎの手法を考え出す)、ということです。


仕入元締業者」が日銀、「月齢100の牛」が指標10年国債、キロ単価は国債価格(つまり利回りを規定)、「80万ドル」は「買入額80兆円」ということです。「月齢10」は1年物国債とか、…です。


この「在庫の牛」をいつ、どのタイミングで放出が来るかは、他業者には必ずしも分からないので価格抑制的に作用し、牛肉の実需に呼応した策としか言いようがないでしょう。仮に「野の牛」が全部枯渇してしまった場合には、在庫の放出以外には牛肉の実需に応えられないので、いかに買入予算が80万ドル分といっても、現実に購入することができなくなってしまいますから、そこは調節しますよ、ということに他ならないわけです。


むしろ、キロ単価が下がる(=国債指標金利が上昇する)方が、経済の実体としては健全な方向へと向かうわけであり、それは例えば名目成長率が金利相応の増加となっているであろう、すなわち、物価水準も伴ってプラス推移してるはず、ということにもなるわけです。


日銀の総括からすると、日本の国債利回りは、日米の金利差にかなり影響されるということであり、米国債金利が低すぎる為に、こうした世界的金利低下を招いているという推測さえ出てくるかもしれません。



で、イールドカーブの調節は、本当にできるもんなの?という懐疑の向きがあるのは承知しています。
まあ、これまでのように単純には行かないかもしれません。

けど、金融調節は、人体における循環動態の調節と似ており、牛肉の例のようなキロ単価を日々チェックしていれば、値動き動向は把握できますし、在庫放出の必要度の違いというものについても、それなりに何らかの手応えを得られるようになるはずです。


人間の循環動態の場合にしても、標準的な生理学的指標とか、患者の個人差とかベースの疾患の状態とか、それらを勘案して術中循環コントロールが行われるのですから。

侵害刺激に対する一過性の血圧上昇とか、出血量増大による血圧低下とか、牽引による反射性の血圧低下とか、刻々と発生する現象に対して、例えば

・輸液の量
・持続投与の昇圧剤の/kg量
・ワンショットの別の昇圧剤
・作用機序の異なる血管収縮薬の投与量
・ワンショットの降圧剤の投与量

みたいなのを、逐一調節操作を行ってゆくわけですから。それとも、むしろ人為的血圧環境にする、ということも行われるわけですし。


まさしく、『 target controlled 10Y-bond yield 』といった趣きでしょうか。(英語が苦手で変かもしれません。スマン)


この調節レンジについては、その時点での日本の経済環境によるかと思います。ある時点では0を中心レートに置いて考えた方がいいかもしれないし、もっと物価や名目GDPが強含んでくるようなら、徐々に引き上げた方がよい局面もあるかもしれない。


こうした金利調節は、旧来型であれば政策金利の上げ下げで行われてきましたよね?
それとほぼ似た考え方のはずです。

なのに、海外勢を中心に「そんなことできるわけない!」みたいな、決め付けはどうなんだろうな、と思うわけですよ。国債オペの変形と見れば、結局は「手持ちの国債を売る」か「市場に流通する国債を買う」という調節と大きな違いはないはずなのですけれどもね。


これを、金融締め付けに転じた、と言われても、実態としては違いますよね。
買入パターンを、少し工夫してみるよ、実需勢にも配慮できるような方法を採りますね、ということなのですから。


ただ、政策効果と、調節能力の良し悪しは、暫く様子を見ないと分かりません。
中には、本当に「ヘタクソ」という人々が存在しないわけではございませんので。けど、過去の蓄積があるはずなので、どうにかできるんじゃないかと思いますが、どうでしょうか。

2016-09-21

福岡高裁那覇支部 多見谷寿郎裁判長の違法確認訴訟の著しい不当判決〜3

相手にするだけ時間の無駄な部分が多すぎて、全部に反論を書くのは辛い。意味のない論点をダラダラと並べているだけであり、無意味だ。

本件訴訟での裁判長の暴論は留まるところを知らない。裁判長だから、どんなことを言っても許されると勘違いでもしているのではないかとしか思えない。


論ずるに値しない驚愕の部分がこれである。

本件新施設等は、日米安全保障条約および日米地位協定に基づくもので、憲法41条に違反するとはいえない

日米安保条約日米地位協定が存在するから、どのような基地であろうと自由に建設できる、とでも言うつもりなのか。


世界中の人々に知ってもらいたい。日本の高裁裁判官がこうした判決を臆面もなく書くという、まるで植民地が如き国が日本という、奴隷国家なのである。


日米安保条約日米地位協定があっても、日本のどこでも自由気ままに、何らの制限を受けることなく米軍が使用したり、基地を建設できる権限を有する根拠など存在しない。地位協定のどの条項にそうした規定があるのか、言ってみよ。


条約とは別に、国内法がないと国民にそうした制限を課すことなど不可能である。例えば、次の法律がある。


日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法
(昭和二十七年五月十五日法律第百四十号)

施行令施行規則


日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に基づき日本国にあるアメリカ合衆国軍隊の水面の使用に伴う漁船の操業制限等に関する法律
(昭和二十七年七月二十二日法律第二百四十三号)

施行規則


こうした立法措置がとられたのは、日本政府が意のままに、自由に施設や区域を米軍に提供できないから、である。提供を可能とするべく、国内法を整備したものである。

安保条約地位協定があるからとて、これを根拠として国民の権利を好き勝手に制限できることが許されているわけではない。法の根拠に基づいて、正当な手続を経た場合にのみ、米軍に施設や区域を提供できる、とされているだけである。ここは、米国でない。日本だ。


埋立予定区域は米軍の完全なる排他的領域でない。日本国政府が勝手気ままに、国民の使用を完全排除できる法的根拠など存在しない。米軍は海域を使用できるかもしれないが、日本国民だって使用可能な範囲だったものである。


日本国政府H26年度防衛省告示第123号で提供海域として区分した領域を、自衛隊との共同使用を予定していたとしても、国民の一般使用を完全に不可能にする法的根拠はない。


基地建設ができるのは、上記例の特別措置法等で合法的に土地を収用したり、立入制限を実施できた領域だけである。

平成26年告示後からは防衛省海上保安庁告示された区域について、一般人の身体拘束を繰り返し、一般使用を排除した行為の根拠法はない。あるなら、とっくの昔に主張していたことだろう。

本件判決においてですら、多見谷寿郎裁判長をもってしても、挙げることができたのはかろうじて安保条約地位協定の2つだけであった。防衛省告示第123号の区域について米軍に提供し、その排他的使用を決定できた根拠たる法律名は、国も多見谷寿郎裁判長も未だに示すことができていない、ということだ。日本というのは、こんな程度の国なのである。情けない。


日米地位協定に至っては、単なる行政協定に過ぎず、日本の国会の議決を経た法律でもないのだから、本協定の存在をもって辺野古基地建設を合法とし、事業根拠法とすることなどできない。だって、法律ではないから、だ。


政府間の行政協定は、言い換えれば政府間合意のようなものでしかなく、例えば中国政府に「日本は1万ドルの開発投資援助をします」とか、韓国政府に「慰安婦問題解決資金として10億ドル拠出します」といった、お約束でしかない。仮に、これら合意が「日本は財政赤字膨張で破綻しそうなので、中止します」となったとて、相手政府には罰する権限などないわけである。同時に、こうした政府間合意の存在をもって、一般日本国民に対し「政府間合意の債務10億ドル払え、日本国政府に代わり、国民一人あたり1万円を差し押さえる」などという権利義務が発生するわけでもない。

こんな協定の存在で、何らの国内法制定もなしに日本国民の権利が制限を受けなければならないと、本気で信じているのか?(笑)


いずれにせよ、多見谷寿郎裁判長の判決文というのは、長いばかり長くて、殆どが意味のないことの記述に費やされており、しかも重要部分とか肝心な所は誤りとなっているものでしかないのである。
(まあ、本物の判決文は180ページ級の長さらしいので、しかも日本語の文章の繋がりが不明瞭なので、何を言いたいのか、何を説明しようとしているのかも、理解が極めて困難なものになっているのである。恐るべし)


それから、憲法上の地方自治の権限を言うのであれば、是非とも憲法94条の「財産の管理権」で対抗するべきと考える。
本件訴訟では、これを言うかどうかは不透明なところはあるが、以前のブログ記事でも書いた通りに、財産管理権で対抗することは有効な手段ではないかと思っている。国の原告適格の所での最高裁判例でも、財産権は適格性の点においてポイントになっていたから、である。争訟性を主張するのには、役立つのではないか、と。


これだ(15年11月)>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/00e28f084ca20667f4350615f488dd07

2016-09-19

福岡高裁那覇支部 多見谷寿郎裁判長の違法確認訴訟の著しい不当判決〜2

続きです(午前中にメモ書きを前の記事にしてしまいました、調べものの途中だったのですみません。今は消して元に戻してます)。



3)自庁取消は可能である

そもそも論として、多見谷寿郎裁判長の判決における処分の取消権についての見解は明らかな誤りがあり、採用できない。

昨日の記事で示した沖縄タイムスの要旨によれば、

行政処分に対し、原処分庁が職権で行ういわゆる自庁取り消しが認められる根拠は、法律による行政の原理ないし法治主義に求められる。その要件は原処分が違法であることだ。原処分に要件裁量権が認められる場合には、原処分の裁量権行使が逸脱・乱用にわたり違法であると認められることを要する。』

と述べている。


行政処分の取消は「裁量権の逸脱・濫用があって違法である」ことを要すると述べているが、この制限は絶対的要件ではないことは明らかだ。

例えば、財務省が取消したものに、「国家公務員宿舎朝霞住宅」がある。当時、建設工事の着工をしたにも関わらず、その後に財務省自身が(大臣の権限により)建設事業を消滅させたものである。
建築確認の認可等は全て整っており、多数の民間事業者との契約関係も完了していたものであるが、建設事業は自庁の取消によって消滅した。

事業に係る許認可等の一連の行政処分には、裁量権の逸脱・濫用などがあったものとは認められず、原処分たる許認可は適法に行われたものだ。朝霞住宅建設事業に係る行政行為が違法であったことの証明など存在せずとも、行政行為は取り消されることがあるのである。これは他のダム建設や埋立事業公共事業においても、類似の取消は行われてきた。いずれも、事業計画・着手段階において、違法な許認可が実施されたものではなく、適法に手続、処理されていたとしても、自庁の都合や政策変更等によって取り消されることがあるということだ。


本件訴訟原告たる国土交通大臣はこれまで一度たりとも自庁の行政行為を取り消したことがなかったとでも主張するつもりか?
その全てにおいて、裁量権の逸脱・濫用があったとでも?(笑)


一般に、行政処分は適法かつ妥当なものでなければならないから、いったんされた行政処分も、後にそれが違法又は不当なものであることが明らかになった場合には、法律による行政の原理又は法治主義の要請に基づき、行政行為の適法性や合目的性を回復するため、法律上特別の根拠なくして、処分をした行政庁が自ら職権によりこれを取り消すことができる』(東京高裁H16年9月7日判決

違法又は不当があれば、職権によりこれを取り消すことができる。これが無制限に行われてよいわけではないのは当然であり、「不当の存在」が証明できれば可能である。沖縄県においては、原処分たる前知事のした承認について瑕疵の有無を第三者委員会等を含めて検討した結果、瑕疵の存在を言うことができたのであるから処分を取り消したのであり、この過程には合理性がある。


4)昭和43年判例の取消制限は国に対し適用できない

原告たる国が幾度も主張しているが、代執行訴訟でも全く同じことを言っていた。授益的処分だから、その取消は制限を受ける、という主張である。
この法理が適用されるのは、あくまで私人たる国民に対してであって、国ではない。勿論、国に対してであっても、承認もその取消も適法に行われなければならない義務を都道府県は負うものであるが、瑕疵の有無の検討過程が一見して明白かつ重大な違法性を有していない以上、承認取消は有効である。

国は、まるで私人であるかの如き論法を用いるが、「国が私人である」などという法理はこの世に存在していない。或いは、「防衛省(乃至地方防衛局)は私人である」といった論理はどこにもないし、論拠たる証拠も存在していない。
国がその根拠を一度も提示したことがないのは、どこにもそのような論理を正当化する証拠は存在しないから、である。埋立承認は、国に埋立権を認めたものに過ぎず、民間事業者等私人に対する処分でない。


取消処分の妥当性について、仮に類推適用できると考えたとしても、公水法は承認及び承認取消について、承認権者たる都道府県知事に判断を委ねており、裁量権が与えられていることは明らか。
行政裁量が一切存在しないなら、審査基準が機械的に決定できるので、国交大臣はその審査基準を公表できるし、基準適合性を所管庁自ら判断できるのであるから、知事の承認手続を経る必要性すらなくなる。
利益・不利益の比較考量をするのは知事であり、裁量権がないということはあり得ない。

加えて、国は承認を取り消されたとしても、事後的救済(是正)手段は残されており、取消制限の判例の適用から除外されたからといって著しい侵害には至らない。事実、防衛省は国交大臣に対し行政不服審査法に基づく審査請求を行い、承認取消の執行停止決定によって工事を続行できていたのであるから、法益侵害など事実上なかったと言える。

原告国の主張も、本判決にも、判例適用の誤りがあり、いずれも失当である。


5)国の本件提訴は和解条件から逸脱し地方自治法上の要件も満たさない

和解条件は、沖縄県が提訴する規定を置いたものであって、国が提訴することを定めてはいない。
国の言う本件「違法確認訴訟」は果たして違法を主張できるかというと、極めて困難である。条文を再掲する。


○第251条の七
 
第二百四十五条の五第一項若しくは第四項の規定による是正の要求又は第二百四十五条の七第一項若しくは第四項の規定による指示を行つた各大臣は、次の各号のいずれかに該当するときは、高等裁判所に対し、当該是正の要求又は指示を受けた普通地方公共団体不作為(是正の要求又は指示を受けた普通地方公共団体行政庁が、相当の期間内に是正の要求に応じた措置又は指示に係る措置を講じなければならないにもかかわらず、これを講じないことをいう。以下この項、次条及び第二百五十二条の十七の四第三項において同じ。)に係る普通地方公共団体行政庁(当該是正の要求又は指示があつた後に当該行政庁の権限が他の行政庁に承継されたときは、当該他の行政庁)を被告として、訴えをもつて当該普通地方公共団体不作為の違法の確認を求めることができる。

一  普通地方公共団体の長その他の執行機関が当該是正の要求又は指示に関する第二百五十条の十三第一項の規定による審査の申出をせず(審査の申出後に第二百五十条の十七第一項の規定により当該審査の申出が取り下げられた場合を含む。)、かつ、当該是正の要求に応じた措置又は指示に係る措置を講じないとき。

二  普通地方公共団体の長その他の執行機関が当該是正の要求又は指示に関する第二百五十条の十三第一項の規定による審査の申出をした場合において、次に掲げるとき。

イ 委員会が第二百五十条の十四第一項又は第二項の規定による審査の結果又は勧告の内容の通知をした場合において、当該普通地方公共団体の長その他の執行機関が第二百五十一条の五第一項の規定による当該是正の要求又は指示の取消しを求める訴えの提起をせず(訴えの提起後に当該訴えが取り下げられた場合を含む。ロにおいて同じ。)、かつ、当該是正の要求に応じた措置又は指示に係る措置を講じないとき

ロ 委員会が当該審査の申出をした日から九十日を経過しても第二百五十条の十四第一項又は第二項の規定による審査又は勧告を行わない場合において、当該普通地方公共団体の長その他の執行機関が第二百五十一条の五第一項の規定による当該是正の要求又は指示の取消しを求める訴えの提起をせず、かつ、当該是正の要求に応じた措置又は指示に係る措置を講じないとき。



国が提訴できる要件として、
地方自治体が是正指示に係る措置を講じる義務を負うこと
251条の五第1項の是正指示取消訴訟を提起せず、且つ措置も講じないこと(1項2号 イ)
である。


△砲弔い討蓮係争委の出した「審査結果に不服がない」とする沖縄県の立場からすると、和解条件たる「関与が違法でない時」にも該当してないので、是正指示取消訴訟の発動には至らない、という合理的理由がある。
では、是正指示に係る措置を講じる義務があることは、どのように立論されるべきか。国が自治体に対し、どのような指示をしても許される、などということはあり得ないわけで、全部国の言いなりにならねばならないとする根拠はない。

あくまで係争委の審査の結果、国の関与が合法妥当なものであって、自治体は指示に従うべきとする判断が示された時、である。この審査結果に不服がある場合には、提訴により解決すべし、という制度設計になっている。にも関わらず、提訴もせず指示に係る措置もしない場合には、不作為の違法を言うことができる。


,料蔀峙遡海鯢蕕Δ里蓮係争委の審査結果において、「行政庁の行つた国の関与が違法でない」が示された場合である。これがない以上、自治体には国のした指示に係る措置をするべき理由がない。
裁判で、原告被告のいずれの勝訴も示さず差戻としたら、自分勝手に「原告勝訴だ、原告債権請求権行使だ、被告債務を果たさないので違法だ」などと結論付けることなどできまい。ところが、国の主張はこれに類するものである。
係争委の審査結果をうけて、「指示に係る措置をしないので違法」と主張するのはそういうのと同じだということである。


国の本件提訴は、251条の七の提訴要件を満たしているとは言えない。


6)国の違法確認訴訟は機関訴訟として成立するか

原告適格からして、かなり疑わしい。これまでの判例(例えば平成13年7月13日最高裁判決那覇市情報公開決定取消請求事件)では、かなり制限的であったのであるが、法学の世界では批判もあるので、今回は認めておくこととする。

地方自治法の規定による国の関与についての訴訟は、原則として行政事件訴訟法(及び最高裁規則)により規律される。違法確認訴訟となれば、処分性が問題視されるのである。判例においては、

行政庁の処分とは、所論のごとく行政庁法令に基づく行為のすべてを意味するものではなく、公権力の主体たる国または公共団体が行う行為のうち、その行為によつて、直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められているものをいう』(昭和30年2月24日最一小、民集9巻2号217P)

とされており、沖縄県知事のした承認取消について見れば「直接国民の権利義務を形成」するものではない。

原点に戻れば、原告たる国の「訴えの利益」は自らが放棄したので、提訴の理由がない。これまでにも何度も指摘したが、国交大臣は審査請求に対する裁決を出す義務を有していたにも関わらず、これを消滅させたことは明らかな事実である。
審査庁が裁決を出せば、処分庁たる沖縄県はこれに従う義務を有しており、法的拘束力も当然にあったものである。国は、承認取消が違法な処分であると言うのであるから、大臣が裁決により、これを是正し防衛省を救済できる権利と機会を有していたことは明白であって、これを消滅させることに同意したのは、原告たる国交大臣自身である。

かてて加えて、原告本人が代執行をも消滅させたのであるから、訴えの利益は既に喪失しており、本件提訴の理由がない。


7)本件「国の関与」は違法である

前示各論点からみて、国の本件提訴は何らの理由もないことは明らかであるが、国地方係争処理委員会に代わって、本件「国の関与」が違法であることについて述べる。


地方分権推進委員会の検討を経て以下の文書が作成されたものである。

http://www.cao.go.jp/bunken-suishin/doc/bunken-suishindoc980529bunken.pdf


この文書中、18頁には、関与の判決の効果について書かれている。地方自治法上の国と地方の係争処理に関し、ここから分かる重要な原則がある。

関与が判決により取り消された場合には、関与が遡及的に消滅し、
国は同一の状況下において、同一の地方公共団体に対し、同一の関与をすることができなくなる
のである。


振り返って、本件原告の国交大臣はどのような行為を行ってきたのか。
代執行に係る手続が平成27年10月より取られていたことは公知である。その際、代執行訴訟に至るまでに、地方自治法245条の八第1項の勧告、及び同第2項の指示がなされた。

勧告文書:国水政第55号(?、号数、文書非公表につき不明確で当方の推測である)
指示文書:国水政第56号(?、同、ここではとりあえずこの番号で呼ぶ)

さて、根拠条文は違えど、実質として、同一の指示内容であったことは間違いない。いずれも、知事のした承認取消処分を取り消すよう是正を指示したものだ。

本件訴訟前に発出された文書、国水政第98号、この取消後文書「国水政第102号」と前示「国水政第56号」は同一内容の指示、すなわち同一の関与と見ることができる。


  「245条の八」に基づく国水政第56号(代執行時)


  「245条の七」に基づく国水政第102号(今回)


この2つは、指示の内容が「承認取消処分を取り消せ」と求めているもので、実質的に同一であるということ。


判決により関与が取り消された場合には、同一の関与をすることはできない。本件で見れば、最初の関与たる是正指示文書「国水政第56号」は、代執行訴訟判決で取り消されたものではないが、「訴訟上の和解」により取り消され遡及的に消滅したのであれば、判決と同等の効果を持つと言える。
(もしも代執行訴訟の和解後でも「国水政第56号」が取り消されず効力を持っているなら、245条の八規定の措置以外の方法によって是正を図ることが困難である、という国の言い分が全くの出鱈目で、245条の七の是正の指示という別の方法が存在したという自己矛盾を国が自ら証明したことになり違法である)


従って、地方自治法上の「関与が取り消された場合には、同一の状況下において、同一の地方公共団体に対し、同一の関与をすることができない」という原則に反することは明らかだ。故に、本件「国の関与」には違法がある。

(どうして同一の関与を認めないかといえば、今回の国のように、何度でも同じ関与を永続できてしまう、ということを防ぐ為である。行政庁が自らこれを停止しない限り、同じ関与を止める手段はないからである。)


多見谷寿郎裁判長の判決文にあったような、米軍の意義がどうの、普天間基地辺野古新基地の面積比較だの、そういうものは、本件違法確認訴訟の結論には何ら影響を及ぼさない。



まとめ

国の提訴は、

・和解条件から逸脱している
地方自治法上の提訴要件を満たしてない
行政事件訴訟法上の違法確認訴訟としても、訴えの利益がない
・そもそも国の是正指示は同一関与禁止原則に反し違法


沖縄県は、

・国地方係争処理委員会の審査結果に従っており違法といえない
・和解条件から251条の五第1項第1号の提訴をしなかったのには合理的理由がある



とりあえず。



他の、多見谷寿郎裁判長の判決文にあった、おかしな部分はいずれ書くことにします。

福岡高裁那覇支部 多見谷寿郎裁判長の違法確認訴訟の著しい不当判決

辺野古違法確認訴訟 判決要旨
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/62573

(膨大な量の文書のまとめ、有難うございました)


あまりに無駄に長く、読むのが苦痛であり、時間を浪費したようなものだった。
代執行訴訟における国の主張を、ほぼ丸々引きうつしたかのような文章であった。全く判決の体をなしていない。国が「言いたかったこと」を全部代弁してくれたような代物に過ぎない。国の訴状を読んだのと何ら違いがない(笑)。

翁長沖縄県知事は、原告の国と裁判で対峙していたはずだが、裁判長が攻撃的に知事に立ち向かってきているかのような内容であり、知事の対決相手裁判長自身であったことが手に取るように分かる文章だった。
国と裁判長が被告沖縄県を同時に攻めてくるわけだから、裁判になぞなるわけがない。それが明白になったということで、歴史に汚点を残したことは間違いないだろう。裁判所の歴史上において、長く語られるべき裁判になったということである。


無駄な言い分にいちいち反論するのが徒労であるので、例えば『普天間飛行場の被害を除去するには本件新施設等を建設する以外にはない。言い換えると本件新施設等の建設をやめるには普天間飛行場による被害を継続するしかない。』などという、暴論に反論する意味さえない。
裁判長は、国権の最高決定権者ではない。このような断定は、既に裁判所の領域を超えており、行政府立法府を併せた決定権を独自に発動しているだけである。


また、高々一裁判官が『北朝鮮保有する弾道ミサイルのうち、ノドンの射程外となるのはわが国では沖縄などごく一部であり、南西諸島は、わが国の海上輸送交通路に沿う位置にあって、沖縄本島はその中央にある。
これに対し、グアムからは、ソウルまでが約3220キロメートル、台北までが約2760キロメートル、沖縄までおよそ2200キロメートルであること等に照らして、沖縄に地理的優位性が認められるとの国の説明は不合理ではない。
』などという、特定外国名を挙げ、その攻撃兵器について事実確認もないまま推論を積み重ねた挙句、裁判所の管轄外の米軍の運用についてまで検討し妥当性を云々するなど、国の外交・国防上の政策論を逐一判断することなど、到底許されるものではない。
多見谷寿郎裁判長は仮想敵国や侵略の蓋然性等について論評する程の、軍事評論家にでもなったつもりなのか。法廷は、そのようなことを論ずる場ではない。


論点拡散するのは、国の典型的な手法である。
実際に重要な点をボカす為であり、主張を面倒なものにすり替え、沖縄県側の足元をすくう為である。ウンザリさせて、判決文を読めなくしたいという基本的な手口にすぎない。
それに、沖縄県側も無駄にお付き合いしてしまって、多くを語ろうとすると、些細な間違いなどを突っつかれたりして、国の「ホラ間違ってる、どうだ」と鬼の首を獲ったかのような言い分を食らうことになるのだ。


国の無駄な主張に付き合うべきではない。
論点ずらし」は暇なバカを大量に抱える側の得意戦術だ。詭弁師どもの、最も好きな方法でもあるのだ。


話を戻して、以下に判決の不当性について書く。



1)和解条件から沖縄県の違法を言うことはできない

同じ裁判長が和解に持ち込んだのだから、その条件を遵守するべきである。
沖縄県が提訴するべきとされた場合は、2つであり、
・審査結果に不服がある場合(地方自治法251条の五1項1号)
・国が勧告に応じた措置を取らない場合(同法251条の五1項4号)
である。
沖縄県は、審査結果に従ったに過ぎない。前者の1号要件に合致してない。


そして何よりも、和解条件は、「係争委が是正の指示を」
・違法であると判断した場合
・違法ではないと判断した場合
の限定がなされているわけである。

係争委の判断はいずれでもなかったことは明白であり、沖縄県が提訴するべき条件には当てはまらない。これは、和解に従っているものである。裁判長が和解条件案を提示したのだから、自分の出した条件に沿って行動している沖縄県と同知事に向かって「違法だ」と、どうやって言うことができるのか。

「是正の指示に従え」とする係争委の結論ではないのだから、そうしているに過ぎない。これは沖縄県の独断によるものでなく、係争委の結論である。そして、和解条件から、沖縄県が提訴する義務を負うことはあり得ないのである。故に、提訴しなかったことを違法の理由とすることはできない。

更に、沖縄県は既に自らが提訴の意志を持って、これを実現していたことは明らかな事実であって、地方自治法251条の五第1項第1号に基づき、本年2月に提訴していたのにも関わらず、これを取り下げさせた人間は、誰あろう多見谷寿郎裁判長ではないか。自分が提訴を取り下げるよう沖縄県に和解させておきながら、係争委の結論を受けて提訴しないのを違法と結論づけることなど、あるまじき行為である。


多見谷寿郎裁判長は、沖縄県が法251条の五第1項第1号に基づき提訴していたのを取り下げさせた上で、現時点で提訴しないので違法などと判決で言うのは言語道断である。法を弄ぶ詭弁に過ぎない。


2)係争委の勧告に法的拘束力はある

多見谷寿郎裁判長の到底許されざる判決が次のものだ。

是正の指示の適法性を判断しても、双方共にそれに従う意思がないのであれば、それを判断しても紛争解決できない立場だ。また、国や地方公共団体に対し、訴訟によらずに協議により解決するよう求める決定をする権限はない。もちろん国や地方公共団体にそれに従う義務もない。代執行訴訟での和解では、国地方係争処理委員会の決定が、知事に有利であろうと不利であろうと、知事が本件指示の取消訴訟を提起し、両者間の協議はこれと並行して行うものとされた。
国地方係争処理委員会の決定は、和解において具体的には想定しない内容であったとはいえ、もともと和解において決定内容には意味がないものとしている
。』


地方自治法をまさしく「根底から覆す」発言の数々である。国地方係争処理委員会の設置の意義を無に帰する発言だ。行政への挑戦を一裁判官が行ったに等しい。

地方自治法において、国の関与の審査をすることは、国と自治体間の争いを解決する手段として、法的根拠をもって制定されているものである。それを、「適法性を判断しても紛争解決できない立場だ」などと、どこまで司法権を過大評価し己の判決を過信しているのか。行政権への侮辱以外の何物でもない。


係争委の審査により、関与が違法であると判断されれば、勧告が出されることとされている。これが勧告であるのは、国という行政が「違法を承知で、違法状態を継続してやろう」などという考えを持つはずがない、という信頼性に基づいているものだ。
当然に、勧告を無視する場合には、国はそれをもって「違法」を構成するに決まっている。係争委の勧告に従わないのが許容されるのは、係争委の審査が間違っていて本当は違法ではないのに違法と結論されてしまった場合か、勧告を受けてもなおその措置が取れないような特段の事情があるか措置を実施するよりも特別に優先しなければならないような公共の利益があるような場合だ。
そういう考慮すべき特段の事情なり特別に優先しなければならない公共の利益があるのであれば、係争委にその旨回答するか、自治体からの提訴をもって裁判上で立証する等の手続を踏んで、それが正当であると認められれば、係争委の勧告に即した措置を取らないことが許容されるというに過ぎない。

本来的には、係争委の審査結果は尊重されるし、勧告には一定の法的拘束力を有するものである。それを無視したり、従わないでおいて違法状態を継続してやろうなどという考えを持つということ自体が、行政の根幹を揺るがす事態である。


また、多見谷寿郎裁判長曰く、『国地方係争処理委員会の決定が、知事に有利であろうと不利であろうと、知事が本件指示の取消訴訟を提起』ということらしいが、馬脚を現すとはまさにこのこと。
係争委の審査は、「知事に有利、不利」などではない。国の関与の違法性だ。これが妥当なものなのかどうか、それを判断するのであって、知事の問題などではない。
裁判長は最初から別件の訴訟でもって沖縄県を騙しうちして、国側全面勝訴・沖縄県敗訴にしてやろう、という魂胆が丸見えになったということである。

それが、
『国地方係争処理委員会の決定は、和解において具体的には想定しない内容であったとはいえ、もともと和解において決定内容には意味がないものとしている』
という言葉に現れているのだよ。
「元々決定内容には意味がないもの」とした理由は何か分かりますか?
係争委の存在を蔑ろにし、判決文で国を勝たせればよい、との「いよ!待ってましたぁ」感が出たものである。

係争委の審査結果は、国の行政庁にも自治体にも、法的に効果が及ぶのですよ。決して「意味がないもの」などではない。これを、何ら正当な事由もなしに従わない、という場合は「違法」を確定させるんですよ。強硬な執行力は持たない、というだけである。それは国や自治体という行政主体が、違法を前提として行動しないだろう、という信頼があればこそ、だ。

恐らく係争委は、国と那覇支部の邪心を最初から読み取ったが故に、彼らが待ち望んでいた結論ではなしに、違法とも違法でないとも判断を示さなかったのですよ。いずれにも該当しないという結果を出したのは、深い意味があったのですよ。



(つづく)