現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

ドアのラッチの交換と幸田文『父・こんなこと』

tsujii_hiroaki2015-12-12

11日(金)
朝目が覚めると、暴風雨。おまけに気温がやたら高くて、20℃になっているではないか。いやはや。どうなってるんだ?
地球温暖化だの異常気象だの、砂漠化だ海面上昇だ、とあれこれ言われているけれど、天気の振幅というか揺れ幅が大きくなりましたな。極端な感じが強くなりました。降れば大雨、降れば大雪、吹けば大風、などなど、そういう印象は強くなっています。
エルニーニョだのラニーニャだの、あれこれ理由は言われていますが、とにかく地球環境はずいぶん悪いほうに変わってきていますね。当然、農業にも大きな影響が出そうです。病気や害虫の被害が増えそうだし、作物の適地もすこしづつ北に移動してきているみたいですしね。水稲も九州四国・中国・近畿と南西方面はなんとなく収量が伸び悩んでいるいるような気がしますが、東北や北海道では豊作だったりしています。作付けする品種も高温障害が出にくいというか、高温に強い品種が人気です。漁業でも獲れる魚の種類も少しづつ変わってきているようですし。
地球温暖化を話し合う「cop21」も各国の思惑があってなかなか意見対立が続いているようですしね。


午後、農協によったら、、あれこれ事務仕事をいただいてくる。いやはや。


12日(土)
午前中は精米など。午後は次女の部屋のドアノブのラッチを交換する。取り外したドアノブをよく見てみたら、ラッチの中で金属が欠けていた。これが原因だとわかったので、ホームセンターではドアノブ全体ではなく、同じサイズのラッチがないか、実物を持っていってあれこれ探す。いろいろなサイズや種類があるので、探すのに時間がかかったが、なんとか同じサイズらしきものを探す。900円ほどでありました。
取り付けてみるとバッチリ。ふふふ。
しかし、なんだな、トイレのドアノブ、風呂場のドアノブなど、わりとドアノブ交換をやっているが・・・。耐久性が落ちてきているのか?ドアノブ業界は、もう少ししっかりしてほしいぜ。ま、うちの使い方が悪いのかもしれんが、うーむ。


もちろん太宰や芥川を読んでいなければならないわけでもない。太宰治はすばらしいが、手塚治虫もまたスバラシイ!「ブラックジャック」は僕が中学生の時に少年チャンピオンに連載されていて、たいへんおもしろかったし、山上たつひこがきデカ」も同じころに連載されていて、よく学校の帰りにKくんの部屋に寄って、読ませてもらっていた。今、うちの子供たちが『銀魂』を愛して魂を抜かれているのと、たぶん同じことだろう。『銀魂』はたいへん下品であるが、ちょっとホロリとさせられて、ホロリとしていると必ず足をすくわれて、必ず笑わせられるマンガである。「こんな下品なアニメばっかりみてたらあかん!」と注意するのだが、「お父さんも見て笑ろてるやん!」とニヤニヤされるのある。ま、それくらいの大傑作マンガである(笑)。
芥川は中学の時に少し読んだのだが、そのおもしろさがわかったのは就職してからであったし、大宰も熱心に読んだのは大学生になってからである。僕は新潮文庫で読んだ。般教(ぱんきょうと読みます。一般教養課程のことですが、一般教養課程を終えたからといって、一般教養が身についているわけではありません。)から専門課程にあがったとき中国語のS先生から、「ツジイ、最近の若い人は、どんな作家を読んでいる?」と聞かれたことをよく覚えてる。そのときは大宰と鴎外と早川文庫の一連のSFや探偵小説にはまっていたのだが、「最近の若い人は・・・」とせっかく言われているのに、いささかならず古めかしい大宰や鴎外や探偵小説では、恥ずかしいような申し訳ないような気持ちになって、「五木寛之を少し。」「ほう、『青春の門』か。」「いえ、『青春の門』はどういうわけか読んでいなくて、短編やエッセイが好きです。」と答えたのです。五木寛之は高校三年生の時、講談社文庫で読みました。『青春の門』は未だに読めていない。
自分の子供たちも含めて今の若い人が、どんな本を、どんな作家を読んでいるのかはもうまったくわからないが、ま、そのときそのとき、自分の胸に響くものを読んでいけばいいわけだ。そのうち『銀魂』つながりで、読書の巡りというか、連なりで、大宰でも芥川でも鴎外でも安吾でも梶井基次郎でも中島敦でも、文豪・文士の山脈に突き当たることがあれば、僕の本棚から持っていけばいいのだが、ま、父親の本棚から本を探して読むなんてことは、若いうちはできないだろうなぁ(笑)。
はやく『銀魂』から卒業してほしいぜ。ま、あのおもしろさから抜け出すのは難しいだろうが(笑)。


MacOS X をアップデートしたら、デスクトップの壁紙の風景画像が新しいのが追加されていて、なんとなく新鮮。それからsafariで「はてなダイアリー」のブログを更新するとき、どうもカーソルのポイントなんかの位置がおかしくて、うまくいかなかったこともなんだか修正されているようで、きちんと動くようになっているみたい、今のところ。
それからiPhoneもアップデート。BiND8もアップデート。これは今あるのをアンイストールして、もう一度最初からインストールが必要なアップデートだったが、ま、指示された通りにやってなんとか無事。
JeditXもここのところ、バグ修正のアップデートが続いているようだが、こうやってきちんとサポートされている製品は安心できるというか、信頼できる、ような気がする。


幸田文『父・こんなこと』(新潮文庫)読了。前半の「父」はそういえば、石川の小松のホテルで読了したのだった。途中、万年筆のムックや開高健のムックというようなものを読んでいたりしたので、時間がかかったが、一番の理由は、僕の目が老眼になっているということだろう。いやはや、後半の「こんなこと」も、とてもおもしろくて泣ける。何度も泣けた。


幸田露伴の文章を初めて読んだのは、高校三年生だったかの模試の文章に『五重塔』が出たのだった。答案の成績が良かったという記憶はないが、模試が終わってから、読書好きの友人に「おえ、『五重塔』すごいな。」「おお、かっこええ。」というような話をしたのを覚えている。(以前にブログで書いた記憶があるのだが、露伴のことになると、このことを書かずにはいられない気分がある。)以来、ご無沙汰だったが、ブラックバスの釣りを覚えたころに井伏鱒二露伴の釣りの話を読むようになった。で、またご無沙汰だったが、俳句をひねるようになって、露伴の句集を何度か、読んだ。


で、幸田文の随筆をいくつかぽつりぽつりと読むようになる。最初は材木の話だったのを覚えている。法輪寺の三重塔の再建のなかでの話だったのだと思う。娘の玉が祭りの縁日で盆栽をねだったのにそれを買ってやらずに帰ったら、露伴から叱られたという話をよく覚えているのだが、あれはどこで読んだのだろう。
「こんなこと」の中の話はどれもおもしろかったが、やはり「啐啄」の一編が一番かな。笑わされて泣かされた。藤山寛美の喜劇みたいな言い方で申し訳ないが。”ほんとうの羞恥とは心の深いところから発するもので、それが美しいのだ”という露伴の言葉とか、”私には結婚は羞恥の楽しさの連続であるようにおもえた”とか。いいねぇ。
先日娘のバカ話を書いて恥をさらしたのは、たぶん、幸田文の文章のせいだ、ということにしておこう。


さて、今朝、ふと気がついたのだが、あともう10日ほどで冬至である。